死美在 ーシビアー

柴郷 了

前編・死美在

 見能河みのかわ村には、違う毎日があって、変わった人たちが住んでいる。

 だが、俺は皆と違って変わらない毎日を送っている。

 そう、いつも通りで普遍的な毎日を——。

 

「雨模様の外見て何がおもれーんだよ」

 俺の視界を遮ったのは、同級生の本木もとき照正てるまさだった。

 外は雨が降り、ここから晴れるような様子もない。確かに面白みのない外だ。見ているだけ……なら。

「そうだ、今日も用事ある感じ?」

 いつものようにこの後の用事を聞いていくる本木の目は、すでに諦めの目をしている。

「うん、今日も用事。ごめんね」そう、この答えが必ず返ってくるからだ。

 だが、この返答を変えることはできない。それは変わらない毎日を壊してしまうことになる。それだけはなんとしても避けなければならない。

「あ、行かなきゃ」

 全てスケジュール通りに。そう、いつも通りに過ごしたい。このいつも通りを崩すことは許されない。決して。

「お、おう……」

 視界の端で見えた本木の顔はいつもにも増して歪んでいた。

 

 ***

 

 カメラのフラッシュが被写体を明るく照らす。元から白いせいか白飛びしてしまっているが、これも良いものだなと撮ったものをスクロールする。

「あはっ、マシュマロなんて撮ってさ……マシュマロ食べちゃうよ? あたし大好物なんだよねぇ」

 写真部の幽霊部員と一緒に写真を撮る。これが俺の日課だ。

 幽霊部員は水藻みなも壮一郎そういちろう目々森めめもりりとの二人だ。

 場所は廃校になってしまった小学校の音楽室。そこで被写体を各自持ち寄り撮るのだが、実際のところはお菓子を持ち寄って食べるだけの場になってしまっている。

 マシュマロを食べようと狙っている目々森めめもりの手はもうマシュマロに触れてしまっている。お手つきだと叩くべきか、優しく「いいよ」と言うべきか。

「食べたいなら食べていいよ」俺はOKサインを出した。

 フレームに目をやると、目々森の手が写り、マシュマロが掴まれ、フレームの外へ運び出される。そして——

「うんまぁーーい!」

 こいつの口の中へ放り込まれる。

 ほっぺが落ちないよう抑えながら、ニコニコと上機嫌そうにはしゃいでいる。まるで子供のそれだが、俺よりも年が上だと言うのだから、見た目や行動で年齢が判断できないのだなと、初めて会った時に思った。

なぁみぃなぁにぃわはひばっはみへひゃ私ばっか見てさぁ

 気づけば数分ほど、じっと彼女を見つめ続けていた。咀嚼している彼女が可愛らしくて。

「いや、なんでもない。今日はもう帰るよ。おじさんが待ってるからさ」

 目々森からすれば言い訳に思えただろうが、これは僕にとっていつも通りのこと。

「あれ、帰っちゃうんすか? じゃあ僕も帰ろうかな」

 俺に続いて、水藻みなもも帰ろうかと言い出す。これはお開きかと思われたが、目々森が無言で引き止める。

世良せら先輩、先に帰っててください。すぐに向かうので」

 そう言うと、水藻はカメラを持って教室を出て行った。

 俺も追うように教室を後にした。

 

 校門を過ぎ、公民館横の路地を抜けた先が俺の家だ。

 草刈り機が積んである軽トラが一台。おじさんが来ているんだとすぐに分かった。

「おぉ、裕生ゆうせい帰っとったんか。ご飯炊けとるけ、惣菜でも買ってけぇな」

 縁側えんがわの窓が開き、おじさんがそう言う。

「帰りました、冷蔵庫に味噌汁あるから、それおかずにするよ」

 昨日、自分で作ったお味噌汁があったことを思い出す。なぜ、おじさんは冷蔵庫を開けなかったのだろうか。いや、開けてたら惣菜買っておいでなんて言わないかと自己解決した。

「それじゃ、来週の水曜日にまた来るけ。一万ありゃぁ足りるか?」

「うん。最近、電気代高いし一万あると助かるよ」

 これも、いつも通り。

「電気代が高えなら、倍の二万出しちゃるが?」

「いいよ、一万で。ごめん宿題あるから、部屋行くね」

 壊れた。リズムが、壊れた。

 気持ち悪い。腹が立つ。

「お、じゃあ……な」おじさんはそう言うと縁側から出ていった。

 俺はイラついたまま、靴を履き替え、家の裏口へ向かった。

 多少のズレは生じたが、これはいつも通りの行動である。

 遠くの方でイカれたエンジン音が聞こえる。おじさんは帰ってくれたようだ。良かったと一息つく。

 こんな雨の中でも向かう先は一つ。

 そこに、俺は本来の用事がある。

  

 ***

 

 被写体を探して森に来た。いつも通りに戻すために。そして、用事を済ませるために。

(これいいな、綺麗……)

 薄紫色の花、の横に散らばっている白骨化した屍体したい。これは紛れもなく人骨である。細く白い骨、これが横に咲く花よりも美しいのである。

(整形してたんだろうな、骨が不自然。けど綺麗だな)

 生前、この人がどんな容姿だったのか。どのような声だったのか考えていると不思議な気持ちになる。

(あっ、あっちにはロープと骨? あぁ、自殺かコレクションの邪魔になるしいいや)

 視界に映った骨とロープ。それですぐに自殺だと分かってしまう。なぜなら、見慣れているからだ。

 この森は深く、道を知っていても迷えてしまう。だからこそ最期の場所としてここを選ぶ人が居るのである。

 地元の人ですら立ち入らない森に入っていく部外者。生き絶えた人を探しに森へ入る俺。

 これほど面白い趣味はないのに、誰もやらないなんて甚だ疑問だ。

(おー、これは男性の骨だ! 腕の骨長くね?)

 骨の横に自分の腕を置いてみる。明らかに自分の腕より長い骨に驚きが隠せない。クラスの中では腕や脚、背だって周りより高いはずなのに。

(そろそろ帰るか……)

 数十分ほどカメラ片手に屍体を探していたが、今日はこれ以上の収穫はないだろうと思い帰る準備を始める。

 立ち上がると関節が鳴り、若干の痺れを感じる。

 やっぱり運動しないとダメだな。そんなことを思いながら山を降りた。

 

 鋪装ほそうされていない道は、正直歩きにくい。

 登りはそこまで気にはならないが、降りになると足を動かすだけで滑ってしまう。地元の人間が近づかないだけであって、入る人間はいるのだから鋪装してくれたっていいじゃないかと、そう思う。

 まぁ、俺一人のために動いてくれるほど人は優しくない。

 俺だって人ひとりのために時間を割くほど優しくはない。いつも通りにしている限りは、優しくすることはできない。

(屋根が見えてきた。そろそろうちだ)

 家の屋根が見えると安心する。おそらく降りてくる際、本当にこの道でいいのかと不安になっているからだろう。

 慣れた道のはずなのに、変に緊張している自分がおかしく思えた。

 

 ***

 

「いただきます」

 ズズズッと味噌汁を啜り、海苔を白米に巻いて食べる。

「うまっ」

 今日の夕飯は味噌汁と、白米と、梅干し二つ。質素ではあるが夜にぴったりのメニューだ。トマトも食べようと思っていたが、消費期限が四日前だったので捨ててしまった。

 勿体無いとは思っているが、腹を壊しては明日に支障が出てしまう。明日も学校があるというのに。

 ——そういえば、明日は母さんの三回忌だったな。

 今のいままですっかり忘れていた。

 カレンダーを見てみればしっかりと「母 三回忌」と書かれていた。たとえ忘れたままだったとしても、昔の自分が書き残してくれたこの四文字で思い出せていただろう。

 でも、俺一人で色々やるのは無理だ。墓参りだけやって学校行くか。

 三回忌は亡くなってから二年後にやるものだと、おじさんから聞いたことがある。

 明日で、母が亡くなって二年。そして父が失踪して四年程になる。

 

 

 〜 約四年前 〜

 

 蒸し暑い夏の昼。

 昨日から父親が帰ってこない。

 母は酷く心配していたが、俺は心底どうでもよかった。

「ね、ねぇ裕生ゆうせい? こうさん帰ってくるよね?」

 世良浩造せらこうぞう。それが父の名前。母からは「浩さん」と呼ばれている。

「裕生、本当に大丈夫よね? だって昨日まではこの椅子に座っていたんだから……」

 昨日まで座っていたから何だと言うんだ。それが帰ってくるかどうか分かる判断材料になるわけがない。

 同じような言葉ばかりを発するようになった母を無視し、自分の部屋に閉じこもる。

 うるせぇよ、別に帰ってこなくても何も変わらねぇだろうが。

 ごちゃごちゃ言いやがって、どうせ浮気かなんかだろ。無視無視。

 

 次の日から俺は、家に帰らず、友達の家を転々とすることに決めた。

 家にいても心配性で、キモい母が俺にずっと話しかけてくる。まるで父の代わりのように接してくるのが気持ち悪く感じるのだ。

 幼馴染から、ネッ友、クラスの連中にも声をかけた。来月までの寝床は何とか確保できたが、再来月は未定。家に帰ることも視野に入れたが、反抗心がそれを却下した。

 

〜 そして二年後 〜

 

 今日は、そこまで暑くはない。体育でテニスをしていた時から、涼しいとは感じていたが、ここまで涼しいとは思わなかった。昨日まであんなに暑かったのに。

 夏と秋の狭間。日によって波があり、暑い日もあれば涼しい日もある。

 秋本番まであと数日、そんな時期だ。

「なぁ、用事とかぇなら一緒に帰ろーぜ」

 同級生の本木照正もときてるまさが一緒に帰ろうと俺を誘う。

 今日はコイツの家に泊まる予定だったが、急に家に帰りたくなった。そんな理由で俺は誘いを断ろうと思っている。

「あ、ごめん。用事あるから一緒に帰れない。また誘って」

 別にホームシックという訳ではなく、俺まで失踪されたことにされてしまっては困るからだ。警察のお世話になるつもりはこれっぽっちもない。

「分かった。来週暇だしそんとき誘うわ」

 その後、俺は返事をすることなく学校を後にした。

 

 ***

 

 閑静な住宅街。道ゆく人々。変わり映えのない街。

 夕方ということもあり、小学生や俺を含めた中学生が呑気に下校している。

 田舎臭い所だが、うるさすぎないこの街が俺は好きだ。

 

 親父が失踪して、早二年。

 あの日から、友人の家を転々と渡り歩くようになった。

 二ヶ月に一度、ほんの数時間だけ家に帰るようにしていたが、今はそうではない。

(はぁ、どうせまた泣きながら「おかえり」とか言うんだろうな。気持ち悪りぃ)

 約半年ぶりに歩き慣れた道を行く。

 誰の家だか分からない建物の間を抜ければ、少しだけ早く着けることも覚えている。不法侵入だと怒られたことも、ちゃんと覚えてる。

 俺が、物心ついた時から落ちてるであろう金タワシも健在だ。

(ババアに会いたくねぇな。今からゲーセンにでも行こうかな)

 やはり体は家に帰ることを拒否している。帰らないと自分自身が困るのにも関わらず、拒否反応が止まらない。

(いや、帰るって決めたんだし。決めたことが守れねぇで何が守れるんだよ。よし)

 漫画で見たことのあるセリフを心の中で唱える。

 目の前には、黒い屋根に白い壁のモノクロームな家が見える。それが俺の家だ。

 庭は長らく手入れされていないのか草が生えたままで放置されている。

 俺が小さい頃乗っていた自転車も、親父が残していったバイクもそのままだ。

 今日は火曜日。

 昔なら買い出しに行く時間、または買い出しに行っている時間なのに車が止まっている。

 あの頃からは何年も経っているから当たり前かと、気にすることなく家の鍵を開けた。

 

 〜 俺のコレクション 〜

 

 家に帰って真っ先に思ったことはくさいことだ。

 どうせ、生ゴミを捨て忘れているのだろうと思い、電気もつけずキッチンへ向かう。

(——あれ、生ごみがない)

 シンクに備え付けてある三角コーナーには何も入っていなかった。キッチン付近から異臭はなく、俺は疑問に思った。

(というか、鍵を開ける順番は親父と一緒だし、もしかしたら親父が帰ってきたかもってババアなら玄関まで迎えにくるよな)

 その思考に至ってから、キッチンから一歩も動けなくなってしまった。

 なぜなら、最悪の状況を想定できてしまったからだ。

 放置された庭、静かな空間、鼻の奥を突くような異臭。これらが全てを物語っている。

(ま、まさか。けど歩いてコンビニに行ったかもしれな——)

 そんなことはありえない。そんなのは分かっているのに、ただコンビニに行っただけというのを信じないと、何かが壊れてしまいそうでならない。

 視線をやっと動かした。

 右、左、前、後ろ、斜めと目を動かした。

 そして、上。

 そこで見えたのは、数分前に自分自身が想像した最悪の光景だった。

 天井から垂れ下がっているロープの先には見慣れた母の姿。

 血の通っていない、は青白く、器からは悪臭が放たれている。

(——なんか、綺麗だな)

 変わった感情だった。

 別に母のことは好きでもなんでもなく、どちらかといえば嫌いなのに。この瞬間だけは、妙にしていた。 

 母を母としてでなく、初めて女性として見た瞬間だった。

 

 それから何分、何十分も一眼レフで自殺した母の写真を撮っていた。

 フレームに映る姿はとても綺麗で、何度見ても、何度触っても全てが新鮮に思えた。

(親父もこの綺麗さに惚れて結婚したのかな)

 ふと、そう思う。

 別に、親父は死んだ母さんを見て結婚したわけではなく、生きている頃の姿を見て惚れて、結婚した。

 だが、生きている頃よりも死んだ今が一番綺麗だと思うのは何故なのだろうか。

 そんな疑問を持ちながら、俺は持ち前の演技力で警察に電話を入れた。帰ってきたら母が死んでいたと。

 

***

 

 やってきた警察は俺に疑いをかけることなく、自殺と判断した。俺が殺したわけではないので疑われても困るが、警察は疑うことが仕事と聞いたことがあったため不思議に思った。

「それでは失礼します。また後日、改めてお伺いします」

 ガッチャン。

 玄関のドアが閉まった音は、いつもよりも響いて聞こえた。

 なんというか、濃く、深い一日だった。

 いつも母が座っていたオフィスチェアにもたれかかり、近影きんえいを見る。

 ため息すらも出ないほど疲れている。何もない天井に視点を向けた途端。

「ウッ」

 胃から迫り上がってきたものを机にぶちまけた。

「はぁ、はぁ……」

 また、吐き出したものを見て気持ち悪くなり、トイレへ駆け込む。

 お昼に食べたものはまだ消化しきれておらず、固形物が混じった物は尻からではなく、口から胃液と混じって吐き出される。

 口から胃が飛び出そうなぐらい、勢いよく吐き切った。

「腹減った」

 気持ち悪さがなくなり、胃の中がすっきりしたせいか食欲が湧いてくる。

 普段なら吐いた後は何も食べたくないのに、今日は妙に食べ物が食べたい気分だ。

 トイレから出ると、珍しくひぐらしが鳴いていた。鳴き声で今の時間帯が夕方から夜の間なのだと分かる。玄関のドアに取り付けられている濁ったガラスからは夕陽の光が微かに見える。

 母も父もいない空間。寂しくもない、辛くもない、嬉しくも喜ばしいとも思わない。

 ただただ、不思議な感情が体全体を巡っている。

 この起伏のない不思議な感情に、俺は違和感を覚え始めていた。

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