第3話 決着

 待ち合わせをした日には、すっかり暑さも和らいでおり、すこし淋しいくらいの秋だった。私は秋が好きだ。とても穏やかな気分になれる。彼女は昨日も背負っていたリュックサックに二本のオレンジジュースが入った瓶を入れていた。そのうちの片方を私に渡してくれた。何の準備もしてこなかった自分に反省したが、そういう気遣いは求めていないようだった。彼女がそれを飲むのを確認すると、私もそれをすぐに飲みほした。あまり冷たくはない。途中で人が通りかかると、私は不信な人物のように顔が合わせられなかった。移動しようとすると、思月は中身の入っていたオレンジジュースを地面に落として割っていた。排水溝が近くにあったのでそれに液体は伝っていく。理解できないので、私は瓶のガラスの破片を拾おうとした。それを五秒ほど見ると彼女もしゃがんでそれを手伝った。ビニール袋には割れたビンとそうではない瓶が二つ入っている。彼女はこれを家に持って帰ると言ってきかなかった。 

 私には急いでいないのが不気味に見えた。今日の彼女の服装はデニム素材のボタン付きのシャツだった。すべてがどうでもよくなったかのように第二ボタンまで開いている。シャツの下に薄い布が見えるから、肌を露出するのを目的とはしていないのだろう。私は昨日、ほとんど眠れなかったので、きちんと見えていないかもしれないが。思月が何も言ってくれないので、私は彼女の体ばかり見ていた。後ろを向くと背中に感動した。心の準備をしているのだろうか。

「ここからけっこう歩くのだけどそれでもいい?」

 片側の歯がすべてこぼれ落ちたかのように頭が傾いており、重心が定まっていない。

「私は平気だけど、君は?」

「汚れても傷つかない靴を履いてきた」

 足下を見ると、年期を感じさせる黒いスニーカーだった。側面の細いラインに何か別の色が入っている気がしたが、太陽のせいもあって光沢が見えるだけだった。

 彼女ははじめはガードレールのついた道路を歩いていたのに、どこを基準にしているのか不明ではあるが、途中で進路変更をして、山に繋がっている森の中に入っていった。なんとなく予想していたが、やはり人目のつかない場所に行かなくてはならないのか。個人的には自室以外でそんな場所に行くのが怖くもあった。

 殆ど道になってはいない草むらを彼女はどんどん進んでいく。私は長ズボンを履いているからいいのだが、素足が見えるような短いズボンで、痒くなったりしないだろうかと心配する余裕があった。途中で道路に出たりしたので、もっと効率的な歩き方があるんじゃないかと思った。思月は切り株の前に立ち止まって、じっと見つめたりしている。私はある考えが浮かんだ。

「何かを思い出そうとしている?」

「よくわかったね。でも、それは口に出すべきではないと思う」

 彼女はおそらく別の誰かといつか別の日に、同じような休日を過ごした。それの再現をしているのだ。スマホを一度も目にしていないので、それほど夢中になれる相手と。

「昨日、死体は知り合いだって言った。それは親しい人?」

「そうであったけれど、今はそうじゃない。アプリに例えるなら更新されないから上手く向かい合えない。私だけが古いバージョンのままだ」

「逆じゃないのか。誰かはわからないけど、相手が止まってしまったから、君は歩いている。それは色々な意味が含まれる。社会性を育もうとしたら相手を遠ざけて逃避していると感じるから、自分で標本を作りたいと思った。相手が生身の人間であったから抽象度を上げるために骨にする必要があった。画面には好きなものがあって、きっと君が骨にしたいと願うのも、スマホ画面を見ていると、嫌でも思い出してしまうものがあるからだ」

「わかりやすい答えしか興味がない?」

「そんなことはない」

 そう言って立ち止まった。斜面になっている山に続いていた道のりだった。

「私はここで待っている方がいいだろう。これは君が一人で解決する問題だ。ものを運んだりするようなサポートはできるが、たぶん君が本当に出たいと思っている場所から出してやるのはできない。むしろ私の存在が通気口を塞ぐように邪魔である場合が多い」

「それでもいい。人間の居場所なんて知らないから。エリアがわかるだけ。なんの備えもなく急に現れると変な反応になっちゃうから。それが嫌なだけ」

 思月が言ったことは実際に起こってしまった。背の高いスギの木に対角で人のものと思われる足が転がっていた。自分を煩わせていたのはバラバラ死体だったのかと、私は勝手にそれに近づくこともなく、個人的な悩みが解消していた。

 彼女がその足に近づいたので、それは目的のものだったのだろう。大人の女性の足に見えた。毛は綺麗に切り揃えられているし、とても細く見える。ここに置かれたことで萎んだのかもしれないが、私はそうではないと思った。思月はピンク色のゴム手袋をはめて、その足をファストフード店の紙袋に入れた。くるぶしから指先にかけてがはみ出している。大きなビニール袋をひらいて、巻き付けるように入れていた。その動作は花束を扱うように丁寧だった。

「そんなに過剰に包装していたら他のが入らなくなるんじゃないか」

「いいの。標本にしたかったのはこれだけだから」

「この足だけで誰のものであるのか判別できるなら、私が協力すると共謀扱いになる」

 思月は言葉を失ったように目を閉じた。そして口元に手をあてた。

「私は被害者だった。逃げてきたから生きている。でも、それを証明する手だてはない。事実に身を任してしまえば最悪の結末が待っている。だから喋っている」

「最悪の結末?」と私はきいた。知っている単語を声に出しただけだ。 

「最悪の結末。サイズの違う手錠をはめられる」

 博物館の鍵を開けて中に入ると、そこには誰もいなかった。普段は目立たない苔のような緑色のカーペットにある黒ずんだ汚れが私の目に入った。倉庫にある標本装置にホースで水を入れて準備をしはじめる。彼女は私に口頭で説明されただけなのに、優秀な助手のようにてきぱきと作業を進めた。どんなに早くても肉の脂が落ちるまで待っていれば夜になってしまう。彼女は倉庫の明かりを消して辺りを歩いている。梯子を使わないと手の届かない高さに設置されている、開かないガラスから光が差し込んでいた。

「心配しなくても、動作中の機械の中身を開けようとする人は、私の知る限りいない。だから安心していい」

 私は作業をするでもなく帰ろうとした。思月を車に乗せて自宅まで送った。家族の誰かに見つかったら面倒だから、手前で降りるようにと言われてその通りにした。すでに祖父を介護する時間は過ぎている。明日はどういう風になるのかわからなかった。

 私が次の日に博物館に行ったとき、倉庫の中には思月ではなく森本さんがいた。明かりも付けずにしまってある標本を見ていた。装置の中は厳重に密閉されており、類例が他にはないみたいに電源は付いているが動作はしていない。私はどこに座りたかった。が、倉庫に椅子はない。思月とは開館の直後に会う約束をしていた。彼女は学校を休んでここに来ると言っていた。私は森本さんにはどこかに行って欲しかった。

「何をしているんですか?」

「いえ、特にどうという訳ではないのですが。たまにもう何年も展示されてない骨格標本が気になって、ここにいるんです。お邪魔でしたらどうぞ別の通路をとおってください」

 私は彼を信頼している。装置の蓋を無断で開けてしまうような人ではない。詮索をするのが野暮であるのを知っているはずだった。

「それはそうと標本は無事に出来上がりましたか?」

「昨日からずっと動かしているので、機械が故障していない限りは問題ないかと」

「珍しい子もいるんですね。ヘビの標本を自宅に飾りたいだなんて」

「そうですか? 動物に興味がある者なら割と当然の行動だと思ったのですが。森本さんは何かを収集したりしませんか?」

 彼は曲げていた膝を伸ばした。

「どうなのでしょう。あまり覚えていません」

 煮え切れらない返事をしたが、私はそれ以上に彼に何かをききたいとは思わなかった。今の自分はそれなりに満足のできる役割を担っているのだ。骨になった左手を渡したら、おそらく私はもう思月と会う機会はなくなるだろう。実際、これは正しくはないといえるが、博物館に正しさはない。外部から来たものは誰であろうと歓迎した方がいい。

「彼女の骨格標本が砕かれる前に欲しかった。個人的に悲惨な事件を忘れないために。本当に感謝してる。あなたは幸せになれるといいね」

 思月はちぐはぐなソーシャルメディアでの発言のようにお礼と感情が混ざっていた。私はそれに対して何も言えない。車のなかで黙っている。

 それからそう遠くないときに、近所でバラバラ死体が発見されて町は騒然とした。まさか、この土地でそんな悲惨な事件が起きるとは、予想はできるが想像したりしていない。犯人は見つかっておらず、被害者は近隣の高校にいる十代の女性であると報道された。被害者は二人であると信じて疑わない私は、もしかしたら逃亡中の殺人鬼であるかもしれなかった。

 (了)

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骨無し館 sa @franc33

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