サイカイ
石蕗 一華
サイカイ
ボクは天使だ。
性別や容姿、好きなものなど生きていた頃の記憶なんてものはどこかに置いてきてしまった。唯一残っている生前の記憶は、「コタロー!」と弾けんばかりの笑顔で走ってくる少年をただただ見つめるありきたりな日常のワンシーンのようなものである。きっとボクは生きていた頃コタローという名前でその少年の友人か何かだったのだろう。
ボクにとって彼はどんな存在であったのか。今のボクに知る由もない。
ただの友人かもしれないし、家族と同じくらい共に時を過ごした大親友だったかもしれない。彼の名前も、彼がどんな人だったかも、ボクを呼ぶ声とあの笑顔以外のことは何一つ思い出せない。ただ、思い出すたび暖かくて苦しくなるこの胸が、彼の存在をボクに刻み込んでくれることだけは確かだった。
ボクは、また人間になって彼に会いたい。
そのためにボクは何千人いや、何万人の願いを叶えてきた。
下界の人達にはあまり知られていないが、天使の仕事は亡くなった人や動物の魂を天界まで導くだけでなく寿命が残りわずかな人の願いを一つだけ叶えることなどいくつかある。ボクたちが叶えた願いは空色の金平糖のようになり、天使になるともらえる瓶に溜まっていく。瓶が金平糖でいっぱいになると神様が願いを叶えてくれるらしい。
ボクの瓶がいっぱいになるまであと一人。
それはとても長い道のりであった。もうどのくらいの時がたったのだろうか。
億万長者になりたかった少年も、大人になりたかった少女も、亡き父に会いたかった女性も、高校時代に戻りたかった男性も、みんな幸せな人生を送れただろうか。そんなことを考えると胸の奥が熱くなった。
もちろん彼に早く会いたくない訳では無い。ただ、長年続けた天使生活の終わりが見えてくるとボクだって少しセンチメンタルにもなる。最後の仕事もいつも通りやろうと自分に言い聞かせてボクは小さな病室のドアに手を掛ける。
開いたドアの先にはベッドにポツンと横たわる1人の老人がいた。
老人は骨ばった体を起こしてボクの姿を見るなりしわがれた声でこう言った。
「迎えか?」
ボクは淡々と答える。
「違います。あなたの願いを叶えに来ました。」
「願いか。」
「はい。あなたの願いをなんでも叶えて差し上げましょう。ただし1つだけです。」
老人はそうか...と小さくつぶやき少し考えたあと口を開いた。
「どうやらワシは物忘れが激しいらしくてな。昔のことも忘れてしまっているらしい。叶うなら忘れてしまったことをすべて思い出させてくれないか。」
「承知いたしました。」
ボクは、そう言って老人の頭に手を添えて彼の願い事を叶えるかわりに金平糖のようなものを抜き取って瓶に入れる。青空を凝縮したようなそれを集めるのもこれが最後なのだ。そう思った途端鼻の奥が少しだけツンと痛くなった。
「ありがとう。」
そう言う老人の顔はどこかスッキリとしていてなぜか懐かしさを感じた。
ボクは今神様の前にいる。
ついに願いが叶うのだ。
「さぁ、お前の願いを叶えよう。お前の願いは何だ。」
どこか安心感を与える見た目をした神様は、重厚感あふれる声でそう言った。
「私の願いは生前の頃の姿のまま下界に戻ることです。」
と、ボクは、はやる気持ちを抑えながら一言一言丁寧に言った。
生前の姿なら彼に気づいてもらえるし、彼と一緒にいられる。ボクはそう信じて疑わなかった。
「その願いを叶えよう。」
そんな言葉と下界への期待と共に、ボクの意識は青空を詰め込んだ瓶に吸い込まれていった。
目を覚ますとボクは水の中にいた。
足元には小石が広がっていて、水草がたくさん茂っている。ふと、視線を感じて目線を上げるとガラス越しに少女の顔があった。ここは何処?あなたは誰?なんてありきたりな言葉を発しようとして、何一つ言葉になっていないことに気づく。しばらくパクパクと口を動かしていると、さっきまでボクをじっと見つめていた少女の口がうごいた。
「とってもきれいな金魚だねぇ」
その一言でボクはすべてを思い出した。
そうだ、ぼくは夏祭りに「金魚すくい」で獲られた金魚だった。
金魚なのに「虎太郎」なんて強そうな名前をつけられたボクは、内気で笑顔の眩しい少年のすごく愛するペットであり、相棒でであり、唯一の話し相手だった。
もちろんボクも彼が大好きだった。人間になって彼と共に一生を歩みたかった。
いつからボクは生前の姿が人間だったと勘違いしていたのだろう。こんなことなら「彼とずっと一緒にいたい」と願えば良かった。
だが、もう遅い。
ボクは激しい後悔と自己嫌悪に押しつぶされそうになりながらボクに言い聞かせる。
そう悲観することはない、ボクはただ、ボクが招いた不運な出来事に際会しただけだ。
サイカイ 石蕗 一華 @symmetry_126
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