【最終回】最初からなかった喪失

「おい野月! おい野月!!」


 朝、開店前のスーパーで品出しの仕事をしていると、背後から怒鳴り声が響いてきた。

俺は「ちっ」と舌打ちをしながら振り返る。

出っ張った中年太りの腹が、のっそのっそと揺れながら迫ってきた。

最近になって俺を雇い入れた、この店の店長だった。


「お前、まだ商品の陳列おわってなかったのか? いつまでもチンタラチンタラやりやがって! もう開店まで20分を切ってるんだぞ!!」


「......す、すみません」

(ちっ、うっせぇーよハゲ)


 俺は内心ムカついたが、事を荒げないように下手に出る。

だが店長の糾弾は止まらず、ますます唾棄を飛ばしてきた。


「全く、誰のおかげでここで働けると思ってるんだ? 職歴もなかった分際でいいご身分だなおい! お前、仕事を舐めてるんじゃないか!?」


「......いえ、そんなことないです」

(さっさと消えろよハゲ)


 石のように俺は耐える。

だがそんな縮こまる俺を見ると、ますます店長は増長した。

罵倒の言葉はエスカレートしていき、まるでサンドバッグを殴るように、俺をダシに憂さ晴らしをしてきた。

それが延々と続き、無駄な時間だけが過ぎていく。


「ああもういいよ!! ここは俺がやっとくから、もうお前はレジに行け。全く本当に使えないなぁニートって奴は。今日はちゃんとお客に聞こえるように挨拶しろよ!」


「......はい、すみませんでした」

(サイコパスに殺されろボケが)


 俺はデブクソ店長が背中を向けた瞬間に、中指を立てる。

そしてイライラしながら、自分が担当するレジへと向かった。

いつまで経っても仕事に集中することができない。

俺は業務中ずっと、過去の出来事を引きずっていた。



 あの日の炎上事件以来、俺のネット生活は最悪になった。

エックスターでは毎日クソリプが鳴りやまず、小説投稿サイトでは荒らしがウジ虫のように湧いて出た。

それにキレて一度でも言い返せば、それが何倍にも膨れ上がって煽りや罵りが返ってくる。

3chではその度に俺の言動のスクショが晒されたし、まとめサイトでも誇張を交えながら拡散された。


 どこへ行っても俺の悪口が消えない。俺はだんだんとネットをするのが怖くなっていった。いつも誰かから後ろ指をさされているような気がして、過呼吸が止まらなくなる。


 そんな精神状態が続いたから、俺はもう「月神子」の名前を捨てていた。

エックスターのアカウントは削除したし、小説投稿サイトの小説も全て消去した。

そして今に至り、最低時給のパート仕事で食い扶持を繋いでいる。

俺は小説自体書かなくなっていた。



「何ボーッとしてやがる! 真面目に仕事をやれ!」


 午前中、見回りに来た店長に呼び出され、何度もガミガミと叱責を受ける。

拳を震わせながらそれに耐え続けると、やっと昼休みになった。


 慣れない立ち仕事や接客をしたせいで、俺は心も身体もすっかり疲れ切ってしまっていた。

明日も明後日も、こんなクソみたいな仕事をしなければならないと思うと憂鬱になる。

俺はノロノロとした足取りで、バックルームへと入っていった。


 そこには、既に大勢の従業員が昼休憩を取っていた。やけに化粧の濃い髪を染めたババアや、今にも死にそうな高齢のジジイ。いかにも童貞くさそうな眼鏡の中年や、まだ高校を出たばかりぐらいのガキ女。


 街を見渡せば、どこにでもいそうな凡庸な面構えが並んでいる。掃いて捨てても気づかれないような、どうでもいい連中ばかりだった。


 俺は適当な席に着く。

相変わらずこの場所には、特に団欒だんらんというものがない。ただ黙々と各々が持参した食事にありつき、スマホをいじるなどしていた。もちろん俺が奴らと会話することもない。ただお互いに、邪魔にならない距離を保ち合っていた。


「あの、ここいいですか?」


 だがふいに、俺の頭上から声が響く。

俺が半額で買った弁当を食べていると、小包みを抱えた女が声をかけてきたのだ。

その女は他の奴とは違い、年も若くて美人で、感じの良い雰囲気があった。


「......あっ、はい。大丈夫です」


 俺は隣の椅子から距離を離しながら返事する。


「ありがとうございます」


 感じの良い女は俺の隣に座り、小包みを解いた。

それは手作りの弁当らしく、女は品の良い仕草で蓋を開ける。

女の髪からは石鹸の良い香りがしてきて、俺は少し落ち着かない気持ちになった。


「ねぇ野月さん。野月さんって何か趣味とかありますか?」


 何気なく観察していると、ふいに女が声をかけてくる。

名前を覚えられていたことに俺は動揺する。


「あっ、えっと、小説とか......」


 俺は声をつっかえさせながら言う。

本当はもう小説を書いてなかったが、他にこれといった趣味もなかったのでそう答えた。


「あっ、そうなんですか? 私も本読むの大好きなんですよ」


 女は弾んだ声を上げた。溌剌はつらつとした笑みを向けられ、俺は少しドキっとする。

そんな俺の狼狽に気づく様子もなく、女は俺と会話を続けた。


「好きな作家さんとかいますか?」


「あっ、いえ、特に......」


「それってつまり、色んな小説を読まれているということですか?」


「あっ、いえ、それほどでもないです......」


「じゃあ、好きなジャンルの小説とかありますか?」


「えっと、いや、俺小説を読んでいるわけじゃなくて......」


 ふいに俺の心の中では、この女の気を引いてみたいという気持ちが生まれた。

こんなふうに、現実の女に興味を抱いたのは初めてだった。

見栄を張って、俺はうそぶいてみせる。


「俺、小説書いてるんですよ。プロの作家として」


 その瞬間、他の奴らも顔を上げた。

弁当やスマホに注がれていた視線が、一斉に俺に集中する。

俺はその時、トクリと胸が高鳴った。「月神子」の時代に味わっていた優越感が蘇る。


「へぇ~! すごいですねぇ! 野月さんって作家さんだったんですか!?」


 女は目を輝かせて相槌を打った。

上手く事が運んだことで、俺は内心ガッツポーズした。

自分の声にも勢いがつく。


「ああ、はい。一応そうです」


「そうなんですねぇ~! 私、作家さんってはじめて見ました。

何てタイトルの本を出してるんですか? 私今度買いますよ」


「あっ、えっとですね」


 俺は一拍呼吸を整えてから、自信満々に答えた。


「『俺だけしか使えないレアアイテム ~戦闘もできないゴミと罵られて追放されたけど、なぜか伝説のレアアイテム【賢者の石】をゲットして、チートもハーレムも手に入れてしまった件~』っていう本です」


 瞬間、バックルームの空気が凍り付いた。

俺に注目していた奴らの目が、一気に冷めたものとなる。

全員が興味を失ったように、スマホや弁当に視線を戻した。


「あ、ああっ、そうなんですね! ライトノベル的な......」


 そして女もぎこちない笑みを浮かべながら、俺から視線を外す。

そそくさと箸をとり、「頂きます」と小声で挨拶する。

そこで女との会話も途切れた。


 

 俺は唖然としていた。さっきまで熱の籠もった視線で見ていたくせに、さっきまで嬉々とした声で喋りかけてきたくせに。それが何事もなかったかのように、全員無反応になっていた。


 呆気ないほどの手のひら返し。なろう小説のタイトルを言っただけで、ここまで俺は蔑ろにされるものなのか? 俺が人生をかけて書いてきた小説は、俺が必死に築いてきたプロ作家の肩書きは、外の世界の奴らから見れば、こんなにもちっぽけなものだったのか?


 誰も見ない。誰も評価しない。誰も俺になど憧れない。

俺は世間の奴らを見返したくて、なろう小説をずっと追い続けてきた。けれど世間の奴らは、なろう小説になど見向きもしていなかった。


 俺は「月神子」の時代を思い返す。

ネットの中で称賛され、ネットの中で羨望を受けた。

だが結局それは全て、井の中でしか響かない、ほんの一握りの声に過ぎなかったのだ。

俺はずっとそのカエルたちの声を、世の中の全てだと思い込んでいた。


「おいみんな! そろそろ休憩も終わりだ。持ち場に戻れ!」


 バックルームに入ってきた店長が大声で号令をかける。

何も言わず全員が席から立ち上がり、俺を通りすぎて部屋から出ていった。

何の面白味もない、苦痛に耐えるだけの仕事がまた始まる。


 俺は一人席から立つこともできず、何故か親父の顔を思い出していた。

何度も俺の部屋に押しかけては、「小説家なんてやめろ」と叱りつけてきた親父の姿を。


 店長の怒鳴り声が、また遠くから響いてくる。

けれど俺は、そんな言葉などもはや耳に入らない。

覆われていた鱗がやっと剥がれ落ちたように、俺の目から自然と涙が零れていた。


 

 ああ、俺は最初から






 ――特別な人間なんかじゃなかったんだ――

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なろう作家打ち切り転落物語 区隅 憲(クズミケン) @kuzumiken

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