―訪―

 総本殿を含めた敷地面積は、東京ドーム二十個分に相当すると歩きながら奈保子の説明を受けた。ディズニーランドですら十一個分の広さだったはずなので、単純に二倍だと考えると揺り籠の会が保有する土地は、伊織の視界に映るもの全てということになる。


 敷地内には遠方から訪れる信者のために、無料で利用できる高級ホテル顔負けの宿泊施設も建っていた。来年完成予定の高層マンションも建設中で、高所得者層向けの〝億ション〟を分譲販売予定なのだという。


 既に九割ほどの部屋が完成を前に購入希望が殺到している状態で、二棟目も建設予定だと聞かされた時は、驚くことさえ疲れてきた。


 まだ時間に余裕があるとのことで奈保子に案内されて立ち寄ったのは、郊外のショッピングモールを彷彿とさせる施設だった。目玉が飛び出るほどの高級腕時計を取り扱う専門店や、滅多に入手できない日本限定のブランドバッグを取り揃えるセレクトショップなど、随分と俗物的な商品を扱う店が軒を連ねている。


 極めつけは、教団が〝自主制作〟しているという映画を上映する映画館までもが併設されていたことだった。伊織のように信者に連れてこられた無垢な一般市民や、さらに信仰心を高めんとする敬虔けいけんな信者が主に利用しているようで、良かったら観ていくか問われた伊織はすかさず首を横に振って断わった。


「それより、お手洗いに行ってきてもいい? ずっと我慢してて」

「そうだったの? それならそこの角を曲がった突き当りにあるわよ」


 少々強引かと思ったが、話を遮ってトイレに向かった伊織は誰も来ないことを確認すると、個室に鍵を掛けてスマホを取り出し耳元に当てた。数秒待つと、鬱陶しそうに電話に出る本条の声が、スピーカー越しに聴こえる。


「なんだ、もう本部に辿り着いたのか?」

「はい。今は敷地内にあるショッピングモールの中から電話を掛けてます。あの……ここは一体何なんですか? マンションも建設途中ですし、もはや小さな街と言っても過言ではないレベルで栄えてますよ」

「いい着眼点じゃないか。これは、あくまで俺の見立てだが、揺り籠の会は伊豆市に自分たちの〝理想郷〟を作ろうとしてるのではないかと考えている」

「理想郷って、なんだか厨二病っぽい考えですけど……確かに過去には日本国から独立を目論んだカルト教団もいましたよね」

「今のところカルト教団と認定する証拠は何一つ無いが、明らかに伊豆市に移住している人間が増えてるのは事実だ。それもほとんどが揺り籠の会の信者と来ている。まず市議会、県議会の中にも〝関係者〟が紛れ込んでいると見ていいだろ」


 突拍子もない言葉とは裏腹に、真面目な口調が冗談で言ってはいないことを語っていた。ライターで火を灯す音がすると、本条は深く息を吐きながら政治との癒着を指摘した。


「そういえば……現職の総理大臣である八坂光太郎も信者の一人だと聞きました。裏取りはまだ出来てないですけど」

「八坂が? アイツは連立与党の勤労党を切った男だろ」

「ですよね。流石にあり得ないとは思いますが」


 勤労党は全国に数百万人の信者を抱える宗教法人が支持母体で、長らく自由党を支えてきた連立与党の一つである。これまで自由党は選挙戦のたびに、全国に散らばる数百万人の勤労党支持者から協力を得ながら勝ち抜いてきた歴史がある。


 当然恩恵を授かるということは、何かしらの対価が必要であるのが世の常であり、重要閣僚のポストを光明党の議員に託すなどして蜜月関係を築いてきた。


 ところが、この切っても切り離せない関係に終止符を打ったのが、内閣改造総理大臣の座に就いた〝八坂光太郎〟だった。直近に行われた衆院選直前に、「勤労党とは手を切る」と声高らかに宣言したことで、各選挙区は大混乱に陥った。当然勤労党は怒り心頭となり、選挙協力を一切行わないと強硬姿勢をとると自由党に圧力をかけた。


 選挙協力を得なければ単独過半数の議席を取ることは難しい――有識者は誰もがそう考えていたに違いない。ところがいざ蓋を開けてみると、自由党は勤労党の協力無しに見事単独で過半数の議席を獲得してみせた。


 その清廉潔白な政治思想が国民から高い人気を得て、下野せざるを得なくなった勤労党は議席数を大きく減らし、今や風前の灯となっている。まさか宗教団体との癒着を自ら断ち切った八坂が、裏で新興宗教と繋がってることなど果たしてあり得るのか。


 しばらく無言を貫いていた本条は、「俺は俺で調べることがある」と告げると挨拶もなしに、一方的に通話を切ってしまった。


「なんなのよ。急に切らなくてもいいじゃない」


 文句を垂れてスマホを睨みつけていると、いつまで経っても戻ってこないことを不審に思ったのか、トイレの中まで入ってきた奈保子が個室の扉をノックした。


「いーちゃん? 大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫。ちょっとお腹痛かっただけだから」


 慌てて水を流した伊織は、腹痛を装ってお腹を押さえながら個室を出た。

 




 視界に映る範囲は全て分誰でも宿泊可能な立派なホテルまで

「ねえ、奈保子。さっきの男は誰なの?」

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