―惑―
まだ午前九時半にも関わらず、総本山の駐車場は七割方、信者が運転してきたと思われる車で埋まっていた。
ベンツにポルシェ、ランボルギーニにフェラーリ、ロールスロイスまで――車の知識に関していえばズブの素人である伊織ですら、当然のように知っている高級車が展示場よろしく整然と並んでいる。
ごく普通の国産車もあるにはあるが、どちらかと言うと少数派で何処か肩身狭そうにも見えるのは、やや捻くれた見方だろうか。
助手席を降りた伊織は、興味本位で金持ちの信者が多いのか尋ねると、俗っぽい質問に奈保子は「そんなことはない」と、顎の肉を揺らして否定してみせた。
全国に支部がある揺り籠の会の信者を所得別で分けると、九割程度が低、中所得者で占められる。残りの一割がいわゆる高額納税者だと簡単な説明を受けた。
ネットでも似た話が出回っていることは伊織も把握している。信憑性は乏しいが、名前だけ聞けば誰もが知っている世界的企業の社長も、実は揺り籠の会の信者だという噂も飛び交っている。
流石に噂に過ぎないだろうと一笑に付していたが、これだけの巨大な施設を建設する財力と維持費を考えると、あながち嘘でもないように思えるのが恐ろしい。
伊織がイメージする戦後以降に勃興した新興宗教は、信者から金を毟り取ることしか考えていない俗物的な集団というものだったが、揺り籠の会では他の宗教だと毎月支払う義務が発生する〝会費〟さえ存在しない。
「信仰しさえすれば救われる――」
これ以上ないシンプルなメッセージは、日々ストレスを抱えて生きる多くの層から支持を受けて、ここ十年で急速に信者数を増やしていると聞いている。
「ちなみに、今日は年に二回だけ執り行われる特別な集会が開催されるの。一定水準の寄進をしているか、もしくは模範的な信者と認められた一部の信者だけが参加を認められてるのよ」
自慢げに語る奈保子は、どうやら後者のようで多くの信者を勧誘した成績が認められ、集会への参加を認められているとのことだった。その中の一人だと認識されている伊織が、まさか潜入取材に訪れたフリーライターだとは夢にも思っていないだろう。
「優秀なんだね」と心にも無い台詞でおだててあげると、鼻の孔を膨らませてフガフガと喜んでいた。
「ちなみに、一定水準の寄進ってどのくらいの額か知ってる?」
「詳しい金額まではわからないけど、一人当たり少なく見積もっても数千万は寄進してるって話をどこかで聞いたことがあるわよ」
「数千万!?」
「なかには億単位のお金をポンと出す方もいらっしゃるみたいよ。ここだけの話……ナントカって米国の会社の社長さんもうちの信者みたいだし。何度か総本殿に出入りしてるのを見たことがある人もいるみたいよ。それに……」
あまり他人に聞かれたくはない話題なのか、周囲を見渡してから顔を近づけてくると、「誰にも話さないでね」と釘を差してから想像の斜め上を越える人物の名前を口にした。
「自由党の八坂鋼太郎っているじゃない? あの人も信者の一人なの」
「八坂光太郎? あの総理大臣の?」
政教分離を強く主導した張本人が、総理の椅子に座る以前の衆院選から揺り籠の会の援助を受けているという話は、あまりにも笑えない冗談である。
奈保子はおだてればおだてるほどに口を滑らせるタイプで、さらに情報を聞き出そうとすると上機嫌に話していた奈保子の視線が、伊織の頭上に向けられた直後に表情が強張った。
まるで幽霊にでも遭遇したように――唇を
なにがあったのか不思議に思い振り返ると、真後ろに坊主頭の男性が無言で立っていて、思わず後ずさってしまった。
160センチ台と女性としては決して小さくない伊織が、首を仰け反らせるほど高い男は真っ白な詰襟シャツを着て、下は真っ黒なパンツを履いている。
二十代にも四十代にも見える不思議な清潔感に包まれていながら、切れ長の眼は人間の内面を見透かすような、猛禽類じみた迫力に満ちていた。
「おや、及川さんじゃないですか。このような場所でなにをご歓談されてるのですか? よろしければ私にもお聞かせください」
「二堂様! い、いえ……そんな大した話ではありませんわ。ね、伊織さん」
人が変わったように焦りだす奈保子に同意を求められ、余計なトラブルに巻き込まれたくない一心で頷くと、二堂という男からの追求はそれ以上なく、ただ微笑むだけだった。ただ微笑んでるだけなのに、背筋がぞくりと震える。
「ちなみに、そちらの方は?」
「わ、わたしの友人でございます。揺り籠の会に興味があるとのことで、総本殿を案内する為に連れてきました」
「なるほど。それは良い行いですね。わざわざ足止めして申し訳ありません。実は最近、教団内を嗅ぎ回る不敬な輩がいるようでして、もしも不審者を見つけた際には連絡をいただけると助かります」
「はい。その際には必ずご連絡を致しますわ」
最敬礼で頭を下げた奈保子は、
「気を付けてくださいね。総本殿は広いですから、迷ったら帰ってこれなくなるかもしれませんので」
発言の意図が掴めず、歩みを止めた伊織が振り返ると――最初から誰もいなかったように、誰の姿も残されていなかった。
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