―勧―

「奈保子の過去にいろいろあったのはわかったけど、そろそろどうして私をお茶に誘ったのか、理由を教えてほしいんだけど」


 十数年の時を超えるサプライズ報告に、驚かされっぱなしだった伊織は気持ちを切り替えると、突然連絡を寄越してきた理由ワケを尋ねた。


 そもそも長年関係が途絶えていた相手から、唐突にお茶にでも誘われでもしたら良い年した大人が何も疑わずにイエスと答えるはずもないだろう。


 電話がかかってきた時点で、伊織の頭に真っ先に浮かんだのは、の可能性だった。実は数年前に、久しく連絡を取ってなかった男友達から同級生数人で飲まないかと誘われた事があったのだが、他にも女性が数人来ると言うのでノコノコ参加すると――なんと実際に誘われていたのは自分だけだったことがある。


 どうやら友人は実家の事業が失敗したらしく、多額の借金を背負って知り合いに手当たり次第声をかけて回っていたという。伊織はまんまと騙される形で呼び出され、執拗に金を貸してくれと頼みこまれたが丁重に断って、現在は関係を絶っている。


 伊織はキッパリと断って事なきを得たものの、誘いに乗ってしまった友人の一人は断りきれずに数万円を貸したところ、それっきりだという。

 

 もし奈保子が同じように頭を下げてきたとしても、その時は情を挟まずに即座に席を立とう――緊張しながら待っていると、奈保子の口から思わぬ言葉が飛び出てきた。


「いーちゃんってさ、〝神様〟の存在を信じてる?」

「は? かみさま? あー……なるほど。今日私を誘ったのはそういう訳か。悪いけど宗教の勧誘ならお断りだよ。何かにすがらないと生きていけないほど弱くはないし、そもそも神も仏も信じちゃいない無神論者だからね」


 金の貸し借りでないと安心したのも束の間、誘われた意図を理解した伊織は裏切られたような気持ちになり、一刻も早くこの場を去りたい一心に駆られてレシートを手に取ると立ち上がった。


 本来は奢ってもらう約束だったが、こんな姑息な手を使ってまで呼び出す人間に珈琲一杯とはいえ、奢ってもらうのは癪に障る。


「まあまあ、もう少しだけ話を聞いていってよ。そういえばいーちゃんったら、昔っから回りくどい話が苦手だったもんね。校長先生の話が長いって何度も怒ってたくらいだし」

「あのね、最初から宗教の勧誘が目当てだと知ってたら、わざわざ休日を潰してまで来てないから。それじゃ、先に帰るからね」


 伊織のなかで〝奈保子〟という存在データをゴミ箱に移す。――もう二度と会うことはないだろう。冷めた態度で別れを告げると、グローブのように分厚い手が伸びてきて伊織の手首を掴んできた。振り払おうにも男性と遜色のない握力から逃れられず、思わず奈保子を睨みつけた。


「なにすんのよ。あんまりしつこいと、警察に訴えるわよ」

「ごめんごめん。話だけでも聞いていってよ」


 半ば強引に座らされると、ようやく拘束から解放されると手首には指の跡が赤く残っていた。こちらの気も知らず、奈保子はバッグの中を漁って一冊のパンフレットを取り出すと、テーブルの上に広げた。


「なによ、これ」 

「揺り籠の会の無料パンフレットよ。興味のある方に配布しているの。いーちゃんも名前くらいは聞いたことがあるんじゃない?」


 何気ない一言に、視界の隅からこめかみを殴られたような衝撃を覚えた伊織は、パンフレットを見つめながら冷静を保つのに精一杯だった。下腹部の痛みもつい忘れてしまうほどの興奮が、顔に出ないようにテーブルの下で拳を握りしめて、なんとか耐えた。


 ――まさか、昨日の今日で揺り籠の会の関係者と出会うとは……。しかも、それが元同級生なんて、些か出来好きな話にも思えるけど。


 例え同業者が姿を消している不穏な案件だとしても、自ら近寄ってきた彼女を利用して、情報を引き出すことも可能かもしれない――。自分の演技力に自信があるわけではないが、伊織は硬化させていた態度を崩すと、興味を持った風を装って話しかけた。


「そういえば聞いたことあるかも。SNSでも揺り籠の家は話題になってたりするしね」

「そうなの。最近はSNSも積極的に活用してるから、興味を持った若者の入信も増えてるみたい。そうだ、今度本部を訪れる予定があるんだけど、もしいーちゃんが興味があるなら施設を案内するわよ?」

「えーどうしよっかな。でも、本部って信者でもない人間が簡単に立ち入れるものなの?」


 会話の内容を外に漏らさないように声を潜めて尋ねると、鼻をフガフガ鳴らしながら奈保子は大丈夫だと口にした。


 そもそも本部の敷地内には、一般人でも立ち入れる遊興施設や公園が併設されているようで、休日は近隣住民の多くが訪れているらしい。一般人立ち入り禁止の施設も、教団関係者と一緒であれば問題ないとのことだった。


「そうと決まったら善は急げ。いーちゃんの休みの日に合わせるから、また連絡ちょうだいね」

「ああ、うん。また連絡するね」


         ✽


 奈保子と別れた後、新宿大ガード下を潜ろうとすると黒山の人集ひとだかりに行く手を阻まれた。何かと通行人の隙間から覗き込むと、規制線の前に景観が立っている。その奥には七色に光る複数のが、ナニカに群がるように固まって蠢いていた。


「またか。気味悪いな」


 隣からぼそっと聞こえた声に、何があったのか尋ねると見ず知らずの女に話しかけられた中年男性は、顎でクレイドルを差しながら「高架下に住んでたホームレスが飲み込まれたんだよ」と吐き捨てた。


「あいつら、煮ても焼いても死なねえんだろ? その癖、人間を〝エサ〟にしやがるんだから、たまったもんじゃねえよな。同じようなことが何処でも起きてやがる。ほんとおかしな世の中だよ。これも全部、あの男のせいだ」


 自分の言葉に段々とヒートアップしていく男を無視して、伊織はその場を離れた。駅まで遠回りになるが仕方ない――誰も伊織の存在に気が付く様子はなく、人混みを抜けると線路沿いの小道に逃げ込んだ。


 あれから時間も経っている。姓も母親のものに変わってるので、自分があの〝沖浦正嗣〟の実の娘だとバレることは、日常生活ではまずあり得ない。念には念を入れてサングラスで簡易的な変装をすると、自宅に帰る予定を変更して、歌舞伎町へと向かうことにした。

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