―驚―

 ランチタイムを過ぎていたとはいえ、待ち合わせ場所に指定したファミレスには、待機列が出来るほどに混雑していた。


 入口付近で店員の姿を探してキョロキョロと見廻していると、勝手がわからない客と思われたのかレジ対応を済ませたばかりの店員が、営業スマイルを顔に貼り付けて足早に駆けてきた。


 伊織も学生時代に短期間ではあるが、飲食店で働いた経験がある。当時はキッチンを志望したにも関わらず、女性という理由だけで半ば強引にホールをまかされたものだ。


 当時は人前で愛想を振りまくのが苦手で――今もたいして変わらないが――仕事自体苦痛に感じて一、二ヶ月辞めた気がする。


「ただいま店内が大変混雑してまして、そちらの記入台に書いていただいたお客様から順番にお呼びしています」

「いえ、友人と待ち合わせしていまして」


 先に到着している奈保子と約束をしている旨を伝えると、近くを通りかかった別の店員に声をかけて合点がいったようで、律儀に順番が回ってくるのを待っている客の視線を背中に感じながら、若干の申し訳無さを感じつつ窓際のテーブル席へと通される。


 新宿という土地柄、店内には若年層の客が多く見受けられた。多口を開けて馬鹿笑いする声と、食器がぶつかり合う音が交わって喧しいことこの上ない。


 ぐずっていた赤ん坊がついに泣き出したりと、中々混沌カオスな様相を呈ししていた店内の一角に、高校生以来の再会となる奈保子がテーブルに何品も並べて、一人でフードファイトでもしているように料理を口に運んでいる光景に唖然とした。


「あら、伊織ったらそんなところで突っ立ってないで、早く座りなさいよ」

「え、ええ。それじゃあ、お言葉に甘えて」


 伊織の姿に気が付いた及川おいかわ奈保子なおこは、無心で頬張っていたオムライスを一気に平らげると人の目を気にすることなく、特大のゲップを放つ。   

 伊織を案内してくれた店員も目尻がピクリと動いて、完璧な笑顔に綻びが生じていた。


「珈琲を一杯下さる?」


 口元をナフキンで拭きながら注文しすると、伊織も何か頼むか尋ねられた。昼食がまだだったので軽く食べようか悩んでいたのだが、テーブルに飛び散るソースの跡を見て食欲が失せてしまい、結局同じ珈琲を一杯頼んでソファに腰掛ける。


「本当に久しぶりね。いーちゃんってば、高校の頃からほとんど変わってないじゃない」

「そういう奈保子は、少しふくよかになった?」

「ふくよかなんて範疇には収まらないわよ。なんせ十代の頃から七十キロ以上は太ったんだから」

「七十キロ? それはまた随分体重が増えたのね……昔はあんなに細かったのに」

「ズバズバ言うのも昔と変わらないみたいね。ちょっと色々あってね、もともと少食だったけど今じゃ食べるのが何より大好きになっちゃったのよ」


 伊織のストレートな物言いに対して特に気にも留めず、周囲の雑音を掻き消す声量でガハハと笑うと、あごの下で贅肉が揺れる。昔は平均体重を下回る細身の身体で、肌も青白かったせいか生気を感じない子だったのだが、目の前に座る現在の奈保子は呼吸するだけでも妙な鼻息を吹かせている。


 冷房が効いてる店内にも関わらず、常時汗腺から汗を吹き出している姿に失礼だとは思いつつ、まるで肉襦袢にくじゅばんが喋っているように見えて仕方なかった。


 口から出かかった言葉を飲み込んで、運ばれてきた珈琲を口に含む。男子三日会わざれば刮目して見よ。とはよく言うけれど、高校三年の夏に突然退学して以来、違う意味で刮目せざるを得ない再会となった同級生の変わりっぷりは、常軌を逸している。まだ別人だと説明されたほうが納得できた。


 他所のテーブル席から聴こえてくる侮蔑的な言葉にも、当の本人はさして気にする様子もなくヘラヘラとしている。今でいう〝コミュ力〟がゼロに等しく、教室の隅で息を潜めながら読書をしていた同級生は、一体どこに行ってしまったのか――。


 時の流れの残酷さを噛み締めていると、伊織の視線が下がった瞬間に、奈保子の左手の薬指で窮屈そうに光っている指輪を見つけた。まさか――と思いつつ、それはどうしたのか尋ねると、クリームパンに似た手をひらつかせて「結婚指輪」と平然と答えた。


「え、ちょっと待って。奈保子ってば結婚してたの? 幾つのとき? 相手は誰どんな男性?」

「フフ。相手はいーちゃんも知ってる人だよ」

「私が知ってる人? もしかして同級生?」


 衝撃の展開に頭が追いつかず、珈琲に角砂糖を投入して摂取するが――伊織が知っている限り同級生の独身男性のなかに、特殊性的嗜好マニアックな人間がいるとは思えなかった。仮にいたとしても、伊織には醜く肥えた奈保子のような女性を愛する人間がいるとも思えない。


 ずっと考えていると、まだ食べ足りないのか注文用のボタンを押した奈保子がテーブルの上にスマホを置いて、画面に映し出される待ち受け画像を見せつけてきた。

 

「この人って、もしかしてだけど……相澤先生?」

「正解正解。誰にも教えたことなかったけど、実は高校生の頃に相澤先生と付き合ってたんだよね」

「ちょっと待って。色々と理解が追いつかないんだけど、相澤先生って結婚してなかったっけ?」


 二人が顔を寄せて映り込んでいる写真。一人は奈保子で、もう一人は間違いなく相澤先生だった。相澤先生とは、高校生の頃に保健体育を受け持っていた若手(当時)の教師で、百八十センチを超える長身にモデルと見紛うほどの端正な顔立ちで、多くの女子生徒が虜にさせていたイケメンである。


 ――そういえば、奈保子が退学した時期に相澤先生も退職していたような。


 そもそも、先生は既婚者ではと尋ねると、「そうだよ」と平然と答えるので正気を疑っていると、自らの口で退学したと経緯を語り始めた。


「本当はね、当時の私はどちかというと〝ゴリマッチョ〟な体型の男性がタイプなんだけど、相澤先生に一目惚れしたって熱心に口説かれちゃって、そのうちこっちもその気になっちゃって、仕方なく付き合ったの。そしたらすぐに、学校にいられなくなったわけ」

「で、できちゃった!? つまり、子供を授かったってこと?」

「そうよ。今では生意気盛りの思春期男子よ」


 想像もしなかった過去に空いた口が塞がらない。まさか、学校一モテていた体育教師と、非モテだった女子が肉体関係を飛び越えて子まで授かっていたとは――。


 昼下がりのドラマでもあるまいし、生々しい内容にただただ唖然とするしかできなかった伊織は、なんとか居住まいを正すと今日時分を呼び出した真の理由を問い質した。

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