―邂逅Ⅱ―
毎分四十五メートルの下降速度。目標地点にたどり着くまでには片道二時間半も要する。一回の調査に充てられる時間もその分削減され、しおさいが潜航可能な限界水深に到着した頃には、活動時間の猶予はたったの三時間しか残されていない。
その限られた時間の中で研究費用に見合う成果を上げろというのは、砂漠の中から砂粒大のサイズのダイヤモンドを見つけてこいと言われているのに等しい作業といえる。
「残念だが時間切れだ。そろそろ浮上に取り掛かろう」
めぼしい成果も得られぬまま、沖浦が任務の終了を告げた瞬間――しおさいの船体が大きく横に揺れて沖浦はバランスを崩し転がった。
「いたた……内藤さん。なにが起こったのか説明してくれ」
壁に強かにぶつけた後頭部を擦りながら尋ねると、今度は立て続けに照明が落ちた。すぐに非常用電源が立ち上がってコックピット内は薄暗く照らされたが、おろおろとマニュアルを読み漁っている木下の背中が浮かんでいた。
「内藤さん?」
「原因不明だ。見たところ、どこも計器類の故障はしていないはずなんだが」
「まさか。しおさいが故障もなしに緊急停止するはずないでしょう。現時点でわかってることだけでいいから教えてくれ」
「だから、本当になにもわからんのだ。とにかく原因を突き止めてみせるから、少し時間をくれ」
若手の木下と比較して落ち着いてはいるものの、ベテランの内藤ですら困惑している様が窺える。
――これは只事ではないな。
そう察した沖浦も様々な角度から運転が停止した原因を探ってみたが、結局根本的な原因が見つからないまま時間だけが無常にも過ぎていった。
「ここまで調べて何もわからないなんてことがありますか?」
一人マニュアルを片っ端から読み漁っていた木下が、諦めたように放り投げると疲弊しきった声で呟いた。
「現段階でしおさいの全機能が停止していることは確かだ。電源も復活しない。
「ダメだ。うんともすんとも言わない。復旧するまで我々はここから身動きができないことだけは確かだな」
しおさいには緊急時、浮力を調整するバラストから重りを放出することで、水面に浮上する機能が備わっている。内藤に言わせると、それすら現在使用不可能な状態で、打つ手がないとのことだった。
主推進装置も使えない。となると、エンストした車が走れないのと同じ原理で、深海では身動き一つ取れないことを意味する。電源が使えない以上、海上で待機している支援母船に連絡もつかない。
復旧もままならない状態がしばらく続いていた船内で、精神的に弱っていた木下が思わず不安を吐露した。
「どうしよう……。俺が妙なフラグなんか立てたばかりに」
「そう心配するな。しおさいの耐圧殻の限界は、水深約一万四千メートルだ。世界一深いチャレンジャー深淵の超超高水圧にさえ、歪みなく耐える性能を信じるんだ。それに酸素だって予備を考えれば、まだ数時間は保つ」
自分を鼓舞するように木下を励ます。その後一時間ほど経つと、何事もなかったように電源が復旧した。内心冷や汗を流していた沖浦も、安堵の溜息を漏らして無線機に手を伸ばした。
「一先ず支援母船に連絡しよう。音信が途絶えて
わかりやすく緊張から解放されていた木下の隣で、依然黙りこくっている内藤の姿が気にかかった。
「内藤さん? どうしたんだよ、黙りこくって」
「まだ異変に気づかないのか」
「異変? 何を言ってるんだ?」
「深度計を見てみろ。異常事態がよくわかるから」
言われた通りに現在の水深を表す深度計に目を向けると――思わず我が目を疑った。
何かの見間違いかと、目を擦って確認したほどだった。何故なら深度計が示している数値は、沖浦でさえ一度も経験したことがない世界が表示されていたのだから。
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