―夢見―

 ゴーグル越しに潮溜まりを覗き込むと、股の間を干潮に取り残された数センチほどの幼魚が、群れをなして通り過ぎていった。


 ハゼやベラ、メバルにクロダイと総じて地味な体色の魚が多いなか、一匹だけ主張の強い黄色と魚影が目に留まる。


 去年も父親に連れられて訪れたときは、尻尾すら掴ませなかった標的はすんなりと見つかった。小さなエビを突いて食べることに夢中で、網を片手に背後から忍び寄る存在に気付く素振りも見せない。


 気配を殺してゆっくりとすくい上げると、息が苦しくなって水面から顔を上げて捕らえたばかりの魚をバケツに移す。慌てて泳ぐ姿をうっとり眺めていると、頭上から人形の影が覆いかぶさってきた。


「お、今年はチョウチョウウオを捕まえることができたか」


 採取の成果を確認しにきた父親に、胸を反らして自慢げに答える。チョウチョウウオは元々南方に住む熱帯魚だが、黒潮に運ばれて稚魚が本州にまで流れ着くため、本州の磯や漁港で見かけることは珍しくない。


 ところが去年は例年に比べて、太平洋沿岸に接近する台風が多かったからかチョウチョウウオの姿を見かけることがなかった。故に二年ぶりの再会に嬉しさもひとしおである。


「うん。しかもトゲチョウチョウウオ。去年から狙ってたやつ」

「いいよな、トゲチョウ。鮮やかな黄色は水槽によく映える」

「狭い水槽なんて可哀想だよ。私は捕まえただけで満足だし」


 捕らえたばかりの獲物をひとしきり愛でると、元いた潮溜まりに逃がしてあげた。


 毎年夏休みになると、普段は仕事に追われて顔を合わすことも少ない父親と共に、自宅から車で数分ほどの距離にある海岸に出かける。


 元々海が好きな訳というわけではなく、むしろ大好きな父親と過ごす貴重な時間を奪う憎き対象として、勝手に逆恨みしていたほどだ。


 それが今ではどうだ。半ば強引に連れられて海の生物の講釈を聞いてるうちに、いつの間にか多種多様な生物が棲息する世界に魅了されて、将来は自分も父親のような海洋学者になりたいと夢見ている。


「そうそう。伊織に見せたい生き物があるんだ」

「なに? 珍しい生き物?」

「この仲間はそこまで珍しいってわけじゃないけど、コイツは特別かな」


 差し出されたバケツの中には、一匹のウミウシがゆっくりと蠕動ぜんどうしながら這っていた。全体が黄色で、突き出た二本の触覚の先が黒色と、某ゲームのキャラクターに似ている風貌に愛らしさを感じる。


「これはウミウシの仲間で、ウデフリツノザヤウミウシだよ。ちなみに某キャラクターの名前が付けられてることでも有名で、父さんが好きウミウシの一匹だ」

「ふーん。他のウミウシも派手なの多いよね。なんでこんな目立つ模様なの?」


 指先で突きながら尋ねる。刺激に反応するウミウシが、避けるように後退りした。


「目立つ外見なのは、外敵に向けての防衛手段の一つと言われてるね。例えばスズメバチは黒と黄色の縞模様をしてるだろ。あれも周囲への警戒色なんだ」

「うん。近くで飛んでるのをみると怖く感じる」

「それと同じで、ウミウシの派手な体色も他の捕食者からすると、『アイツは食べるのを辞めておこう』と思って避けるんだよ。実際にクラゲの毒針を吸収して自分の武器にする種類もいるからね」

「こんなに可愛い外見なのに、敵を欺けるの?」

「可愛いと思うのは、あくまで人間側の感覚だからね。もしかしたら、海の中では危険な生物に見えているのかもしれない」


 その言葉に自分が魚の気持ちになって考えてみたけれど、やはり和むだけで危険だとは思えなかった。


「じゃあ、ウミウシの作戦は人間にはまったく意味がないってことだね」

「そういうこと。だけど、海はとても広いからね。ウミウシに限らず、どんな生物がいたっておかしくはないさ。父さんもいずれ、世界をあっと驚かせる新発見をしてみせるからな」


 満面の笑みで頭を撫でられると、仕事が忙しくて家に帰ってこない父親を咎める文句を吐き出すわけにもいかず、応援してると返すのが精一杯だった。


  



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