あの日にユリを
有理
あの日にユリを
「あの日にユリを」
長谷部 侑李(はせべ ゆり)
仁田 悠(にった ゆう)
※自殺表記あります。苦手な方はご注意下さい
悠N「石畳の上に跪く彼女。」
侑李「なんで、なにも言ってくれないの?」
悠N「白百合だけが揺れていた。」
侑李(たいとるこーる)「あの日にユリを」
____
悠「暑いなー」
侑季「もうすぐ秋だってのに暑いね。」
悠「あ、見て。いわし雲。」
侑季「鱗雲でしょ」
悠「いーや。あの大きさはいわしだね。」
侑季「いわしならもっと大きいもん。」
悠「…今日のご飯はいわしに決まりだな。」
侑李「えー。秋刀魚がいい」
悠「秋刀魚かー。もう店頭出てるかな?」
侑李「ね、内臓まで食べる派?」
悠「あー。新鮮度による」
侑李「私ダメなんだー内臓もなんなら顔も」
悠「何それ?」
侑李「顔が付いてるとさ、なんかこう、申し訳なくなって。」
悠「命を頂きます」
侑李「いやそうだけど、なんか。」
悠「じゃあ、侑李のは頭落として出してやるよ。」
侑李「お気遣いありがとう」
悠「そろそろ行こうか。」
侑李「…うん、」
悠N「トラロープで羽交い締めにされたブランコの側で銀色の缶とその隣で白い百合が揺れていた。」
侑李「桃ってまだ売ってるかな」
悠「もう時期的に売ってないよ。」
侑李「そっか」
悠N「去年。会社の部下がここで自殺した。」
侑李「そっか。」
_________
悠「長谷部、休憩行った?」
侑季「まだですけど?」
悠「あのさ、今日の会議資料作ったの誰?」
侑李「知らない。何で?」
悠「間違ってるから。」
侑李「どこ?」
悠「ここ。」
侑李「私やっとくよ。今手空いてるし」
悠「いや、こういうのは」
侑李「いいって。」
悠「侑李に聞くんじゃなかった。」
侑李「また噂されちゃうぞー。課長こわーいって。」
悠「ちゃんと別個に呼び出して聞いてます」
侑李「まあまあ。ほら、貸して?」
悠「ああ、うん。よろしく」
侑李「はい、課長。」
悠N「淡々と仕事する侑李の席は、窓際の1番後ろだ。もともとコミュニケーションが下手でいつも黙々と作業に取り組んでいた。ぽっかり空いた隣の席。あの子だけが彼女と楽しそうに話していたのを覚えている。」
侑李N「隣の彼女がいなくなって、もうすぐ1年が経つ。未だこの席が空席なのは悠の気遣いだろう。人と話すのが苦手な私。営業事務に回された時は辞めようかとも思った。でも、彼女がいたからやってこられたのだ。なのに」
侑李「はーあ。雨降りそう。」
悠N「窓の向こうには、分厚い雲が空を覆っていた。」
______
侑李「おかえり。」
悠「ああ、ただいま。雨遭わなかった?」
侑李「うん。家に着いたら降ってきた。」
悠「そっか。よかった。」
侑李「傘持ってたんだ」
悠「うん。会社に置いてた。」
侑李N「傘立てに挿さる黒い大きな傘。纏う大粒の水滴が雨の酷さを物語っていた。」
悠「ご飯の前にお風呂入っていい?」
侑李「あ、うん。薬飲んだ?」
悠「ん?」
侑李「頭痛薬」
悠「ああ、うん。」
侑李「ストック減ってたから買い足しておいたよ。後で鞄入れといてね。」
悠「ありがとう。」
侑李「タオルあとで持っていく。」
悠「うん、入ってくる。」
侑李N「私と悠が同じ部屋に住んでて、同じベッドで寝てるなんて会社の人が知ったらなんて言うだろう。」
侑李N「彼女は、なんて言ってくれたんだろう。そんなことを考えながらガスコンロに火をつけた。」
_____
悠「侑李?タオル、」
悠N「タオルあとで持っていく。そう言っていた彼女は湯船に長めに浸かっていたというのに来なかった。呼んでも返事がなく、洗面台のフェイスタオルで済ませリビングへ向かった。」
悠「侑李?」
悠N「ズレたコンタクトの向こう。開けっ放しの窓。揺れる白いカーテン。そこには」
悠「っ侑李!」
悠N「6階にあるこの部屋、ベランダの柵に足をかけた彼女がいた」
悠「ちょ、っと、待って。何やってんの」
侑李「離して」
悠「侑李、待って」
侑李「離してよ!」
悠N「陸上選手顔負けのスピードだったんじゃないか。彼女の腰に手を回し、柵から引き剥がした。」
侑李「っ、」
悠「ごめん、痛かった?」
侑李「…せて、よ」
悠「なに?」
侑李「、電話」
悠N「掃除をサボっていたベランダの床は、体勢を変える度ザリっと砂が鳴る。リビングに投げ出された侑李の携帯電話。画面はまだ通話中だった。」
侑李「離してよ悠。」
悠「部屋、入って。」
侑李「離して」
悠「侑李。お願い。」
侑李「…」
悠N「彼女を抱えて入る部屋は、焦げた匂いがした。」
_______
侑李「ごめん。焦がしちゃった。」
悠N「あんなに取り乱していた彼女は、部屋に入った途端、膝の砂を払いキッチンへ向かった。」
侑李「ビーフシチュー作ったの。」
悠「…侑李、食事は後からでも」
侑李「火事になっちゃうから。」
悠「そうだ、けど。」
侑李「通話、」
悠「え?」
侑李「通話、切って。」
悠「…ああ、」
悠N「放り投げ出された携帯電話を拾い上げると、“システム 橋口さん”とディスプレイに表示されていた。」
侑李「切って。」
悠N「失礼します、と、そっと声をかけて赤いボタンを押した。」
侑李「…ありがとう。」
悠「ううん。」
侑李「聞かないんだ。」
悠「話したくなったらでいいよ。」
侑李「話したい日なんてこないよ。」
悠N「ディスプレイに浮かんでいた橋口さんとは、同じ会社のシステム部門に勤めている人だろう。去年亡くなった彼女の同僚、木村 理々華と最後に会っていたという。なんとなく、電話の内容は想像できた。」
侑李「これ、食べらんないな。」
悠「一階の蕎麦屋行かない?まだ開いてるだろうから」
侑李「そうだね。」
悠「着替える?」
侑李「うん」
悠N「彼女がリビングを出るのを見送って、そっと窓を閉めた。透ける白いカーテンを隙間なく閉めて、ディスプレイを下に携帯電話をテーブルに置いた。」
侑李「ねえ、明日休めないかな。」
悠「…なんで?」
侑李「行こうかな。ちゃんと。」
悠N「シャツワンピースを羽織った彼女は言う。そう明日は、あの子の命日だ。」
悠「仮病でも使おうか。」
侑李「伝えといて。」
悠「無理だよ、」
侑李「あー、嘘つきたくない?」
悠「風邪引く予定だから、俺」
侑李「なにそれ」
悠「明日風邪引く予定あるから。朝、鼻つまんで部長に連絡しとく。」
侑李「悠も行くの?」
悠「2人きりにしてほしかった?」
侑李「…」
悠「邪魔させてよ。」
悠N「明日を、彼女1人で迎えさせることはできなかった。」
______
侑李N「ふと、目をあけると、寝室のドア越しに聞こえる鼻声。昨日の夜、お蕎麦を食べた後悠に渡された白い錠剤を飲んでからの記憶が朧げだった。」
悠「午後からあるミーティングは、」
侑李N「私はちょうど1年前、生まれてこの方2度目の自殺を試みた。深く切りつけた左手首は帰宅した悠によって浴槽から引き上げられきつくタオルで何重にも絞められた。」
悠「ああ、それなら終わってまして引き出しの2番目に資料まとめてますので」
侑李N「起きた時、右手を握り締める悠がいたのに、また死ねなかった自分に悔しさが溢れて泣き喚いたのを覚えている。それから月に数回、病院に通い続けている。」
悠「あれ、起きた?」
侑李「うん。今起きた。」
悠「気分はどう?」
侑李「大丈夫。」
悠「…そっか。会社休めたよ。」
侑李「ごめんね。」
悠「なんで侑李が謝るの?」
侑李「だって」
悠「ゴホンゴホン、俺が風邪ひいてるんだけど?」
侑李「嘘つき。」
悠「はは。ほらココアあっためるから起きておいで。」
侑李N「死に損ないの私は、また朝を迎えてしまった。」
悠「なんか食べる?パンでも焼こうか。」
侑李「悠は?」
悠「うーん。何時に出るの?」
侑李「お花屋さん開く頃に。」
悠「まだあるね。じゃあ、コーヒーでもひこうかな。」
侑李「もう飲んでるじゃん」
悠「これはインスタントだから。侑李も帰ってきたらひいてあげるよ。」
侑李「…」
悠「また胃が荒れるといけないから。」
侑李N「ダイニングテーブルにことんと置かれた白いマグカップ。そして、」
悠「侑李。」
侑李N「隣に並ぶ赤い箱」
悠「おめでとう。」
侑李「これ、」
悠「うん。」
侑李「…高いやつだ」
悠「うん。ちょっとね。」
侑李「…」
悠「侑李、誕生石青でしょ?青は嫌いって言うからピンクのやつ探してもらった。」
侑李「っ、」
悠「俺がつけていい?」
侑李「うん」
侑李N「首を伝う冷たいピンクゴールドのチェーン。トップには光るピンク色のサファイア。」
悠「うん。可愛い。これで会いに行こう。」
侑李「…ねえ、悠?」
悠「ん?」
侑李「もういい加減、捨てたっていいんだよ。いつまでも隣にいなくてもいいんだよ。」
悠「なんでそんなこと言うかな。」
侑李「でも、」
悠「せっかくのカルティエが燻んじゃうだろ。」
悠「花。今年は2つ、予約してるから。」
侑李N「ゴリゴリ鳴るミルの音がいつになく優しかった。」
______
悠N「行きつけの花屋で予約していた花束を受け取った。花屋が行きつけになるなんて、昔の自分が知ったらびっくりするだろう。白いユリは綺麗に花粉を取り除いてもらった。」
侑李「…綺麗」
悠「花粉取ってくれたからこのまま飾って大丈夫だよ。」
侑李「ごめんね。」
悠「なんで謝るかな。これは、侑李の。今年は俺の好きな花も入れといた。」
侑李「これ?」
悠「そう。トルコキキョウ。」
侑李「ユリより目立つじゃん。」
悠「うん。紫、綺麗でしょ?」
侑李「…うん。勿体無いね。」
悠「いいから。」
悠N「知り合った頃から彼女は、自分の生まれた日にユリの花を海へと投げる習慣があった。聞けば、中学の頃から続けているとのことだった。」
侑李「行こっか。」
悠N「高台にあるその場所へと足を進めた。」
_____
悠「結構風強いね。」
侑李「そうだね。」
悠「侑李、落ちないようにね階段」
侑李「落ちないよ」
悠「そっか。」
侑李N「少し冷たくなった風が吹く。高台に並ぶ石の群れ。」
悠「…あ、ここだよ。」
侑李「…うん」
悠「綺麗にされてるね。」
侑李「一回忌、だからね。」
悠「…水、汲んでくるよ。侑李も来る?」
侑李「ここにいる。」
悠「…わかった。」
侑李N「彼女の名前が刻まれた墓石は周りのものとは少し違っていてガラスがデザインに組み込まれたものだった。磨き上げられた石に反射する私の顔。もう既に泣いていた。」
悠N「用意されていた桶に水を汲む。あらかじめ持ってきた花瓶にも水を入れた。」
侑李「やっと、来たよ。木村。公園までは行けたのに、ここにはずっと来られなかった。あのさ、あんたに言いたいことあって来たんだよ。今日。今日、」
侑季「なんで先に逝っちゃったんだよ。なんでこの日にしたんだよ。木村。…昔あんた、私の痕だらけの手首見て笑ったね。ああ言う時は見て見ぬふりするのが礼儀なんだよ。死んじゃったら嫌だ、なんて、人には言っておいて何勝手に死んでんだよ。」
侑李「一緒に頑張ろうって言ったじゃんか。辛いことばっかりあるけど、頑張ろうって。約束、約束したじゃんか。嘘だったの?あれも、これも、全部、嘘だったの?木村。木村ぁ」
悠「侑李っ、」
侑李「あんたに花なんかくれてやんないよ。こんなに、こんなに飾ってくれる人、思い出してくれる人いるのに死んじゃうなんてさ。なんてやつだよ。最低だよ、最低だよ木村。」
侑李「なんで、なにも言ってくれないの?」
悠「侑李」
侑李「、私には。なんで言ってくれなかったの。」
悠「…」
侑李「っ、」
悠「…水汲んできたから。」
侑李「…」
悠「俺、やるよ。」
悠N「泣きじゃくる彼女の前で、何一つ言葉は浮かばなかった。」
悠N「花束の包装紙を取り、そっと花を生ける。ガラスの墓石がキラキラ反射した。」
侑李「悠、私もやる」
悠「うん。」
侑李「…」
悠N「未だ涙ぐんだその赤い目が、少し吹っ切れたように見えた」
________
侑李「ありがとう、これ。」
悠「ん?」
侑李「ハンカチ。」
悠「ううん。」
侑李「鼻水だらけだから家帰ったら手洗いするね。」
悠「はは、いいよ。」
侑李「ううん。させてよ、それくらい。」
悠「うん。」
悠「毎年来るけど、ここ。結構崖で怖いよね。」
侑李「うん。今年は風が強いから尚更ね。」
悠「…」
侑李「今年も聞かないの?」
悠「なに?」
侑李「なんで毎年ここに花投げてんのかって。」
悠「話したくなったらでいいよ。」
侑李「いつもそれ言う。」
悠「うん。」
侑李「私ね、中学の時さ。両親が離婚したの。どっちに着いていくのか選んでいいよって、お母さんに聞かれた。ドラマみたいでしょ。」
悠「うん」
侑李「即決した。お母さんについて行くって。うちのお父さん、どうしようもない人でさー。働かないし、我儘だし、子供の相手なんて滅多にしなかったし。絶対幸せになれないって思って。」
悠「…」
侑李「でも、お父さん出ていった後、なんでかな。凄い死にたくなって」
悠「侑李」
侑李「その時海まで行ったんだけど、近くにいた知らないおじさんに止められちゃってさ。」
侑李「あの日から、ずっと。死に損なってる。」
悠「うん。」
侑李「自分でも信じられないんだけどさ、割り箸綺麗に割れなかっただけで“死にたい”って思うの。黒猫が前横切ったから、いつもは降りてこない踏切が降りて来たから、とか。」
悠「…」
侑李「…ありえないよね。」
悠「真面目なんだよ、侑李は。」
侑李「なにが?」
悠「全部。今ここにいることも、全部。」
侑李「真面目、」
悠「そういうとこも好きだよ。」
悠「割り箸が割れないんなら俺がやる。黒猫が横切るのが嫌なら俺が侑李の前に立って歩くよ。」
悠「踏切が降りて来たら、立ち止まって今日食べたいものでも話そう。」
悠「あの日死に損なってくれて、ありがとう。」
侑李「悠、」
悠「その日だけは助けられなかったから。出会う前だったし。」
侑李「ごめんね。」
悠「ううん」
悠「来年も再来年も、その次も、混ぜてよ。その花みたいに。」
侑李「ごめんね」
悠「ほら。投げて」
侑李「うん。」
悠N「包装紙を外した花々は風に煽られ高く舞った。」
侑李N「轟々鳴く飛沫の中へのまれて行くまで、私達は黙って見届けた。」
侑李「今年も、死に損なっちゃった。」
あの日にユリを 有理 @lily000
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