8-2 レンタルスペース・パピヨン

 いつもの駅前ロータリー。爽やかな風の吹き抜ける晴天の下。

 有瀬ありせくんはいつも通り、私の姿を見るや否や、満面の笑みで大きく手を振ってきた。


弐千佳にちかさーん!」


 サイケデリックな総柄のナイロンジャケット。初めて会った時に着ていたのと同じものだ。あの時は、どうやって採用を断ろうかということばかり考えていた。

 今やすっかりなくてはならないアシスタントとなった金髪の彼は、今回も例によって大荷物である。


「お疲れさま、有瀬くん」

「お疲れさまでっす。今回また隣の県だったっけ?」

「そうだよ。今度は街中まちなかまで行く」


 例え公共交通機関の発達した都会に向かうのだとしても、仕事道具を積んだ清掃業者のロゴ入りの車を使うのは変わらない。

 県道から国道へ入り、高速のインターへと進む。道は快調に流れており、幸先が良い。


「今回行くとこ、『妓楼』って遊廓のアレっすよね。まだ建物残ってるんだ?」

「大正か昭和初期か、そのくらいにできた建物だからね」

「えっ、昭和? 意外と最近なんだ? なんかもっと昔のイメージだった。ほら、すげえ派手な着物のヤベー花魁がいたりとか、上弦の鬼が出てきたりとか」


 イメージが偏りすぎでは。


「昭和って一口に言っても長いから。戦前と戦後でずいぶん違う。太平洋戦争が終わってすぐに法律が整備されて、『遊廓』って名前の付くものはなくなったんだけどね。でもその後も、なんだかんだで営業は続いてたんだよ。『特殊カフェー』とかって名前で」

「えー、マジ闇」

「最近は妓楼建築を文化財として保護しようって動きが全国各地であるみたい」


 闇の歴史ではあっても、花街は芸能の発信地という側面もあり、文化の発展とは切っても切れない関係だったのである。


「このところ漫画の影響やレトロブームもあって、ちょっと人気ある感じでしょ。今回の物件もその波に乗る形で、妓楼をリノベーションして再利用してるって話だったね」

「あーね、大黒だいこくさんが言ってたやつね。その辺の説明、難しくてよく分かんなかった」

「要は建物を買い取った人がクラウドファンディングで資金を集めて、改修して新たな商売を始めたってこと」


 そうこうするうち、目的地付近に到着する。

 有瀬くんはなんとなく、このエリアに入った辺りから落ち着かない素振りをしていた。

 最寄りのコインパーキングに車を駐め、荷物を抱えて問題の物件へと向かう。ただそれだけで肌が粟立つ嫌な感覚がある。


「ちょっ……なんかこの辺、もうヤバくないすか」

「ヤバいよ。さっきも説明した通り、遊廓があった区域。で、戦後は赤線地区だった」

「赤線?」

「売春宿が違法営業されてた場所。半分公認みたいな感じでね」

「マジすか」

「土地自体にいろんな念が染み込んでるから。除霊師界隈でも、この地区は有名なんだよ」


 都市の中枢部にも程近い、住宅密集地。錆びたシャッターの閉まった商店や長屋風の借家など、こまごました古い家が多い。少し行けば、反社の親分の自宅などもあるらしい。

 からりと晴れた日なのに、蔓延る空気はどことなく重くじっとりしている。

 敏感な者ならば間違いなくアンテナに触れるだろう、雑多な念や弱い霊があちこちにいる気配。

 念は同質の念を呼んで、増幅する。今もこの辺りはあまり治安の良くないイメージが根強い。物理的にも、心霊的にも。


 そして、目の前にあるのがくだんの物件である。


「うおお、これすか……」


 趣ある引き戸。木の格子に覆われた窓。外壁の一部にモザイクタイル。二階部分には張り出した木のベランダ。

 妓楼としか言いようのない特徴を備えた建物は、モダンに塗り替えられた小洒落た佇まいで、私たちを待っていた。


「で、何だったっけ? クラファンでリノベして?」

「簡易宿泊施設付きのレンタルスペースね」


 玄関の横には『RENTAL SPACE PAPILLON』というスタイリッシュな看板がかかっている。

 既に営業も軌道に乗っている店舗だが、オーナーたっての希望で大黒不動産に相談が持ち込まれたらしい。


 磨りガラス越しにこちらが見えたのだろう、入り口の引き戸がガラガラと開き、中から一人の男性が顔を出す。四十代くらいで、整えられた顎髭に丸眼鏡にシンプルな白シャツの、クリエイターっぽい雰囲気の人だ。彼がオーナーらしい。


「ええと、除霊業者の方です?」

「はい、大黒不動産からの委託で参りました。ハウスクリーンサービスの無量むりょうです』

「お待ちしておりました。中へどうぞ」


 一歩を踏み入れると、つま先から頭の天辺までぞくりと怖気おぞけが駆け抜けた。

 


 それさえ我慢すれば、内部は綺麗だった。土間の玄関から段差なしで渋い板張りの床が続いており、一階の奥までを見通せる。間口に対して縦長の構造だ。

 コインロッカー、テーブル席がいくつか、個人作業のできるカウンター席に簡易キッチンまである上、元妓楼らしく坪庭がガラス越しに見える。

 この嫌な気配が嘘みたいな、開放的で明るい空間だ。


 勧められた席も、これまたレトロモダンな丸テーブルと木製チェアだった。


「すごくお洒落なレンタルスペースですね」

「ありがとうございます。この辺って、ちょっと古い街のイメージじゃないですか。だから街の活性化というか、若い人たちも利用しやすいコワーキングスペースにしたかったんですよね。会議室とかもあるんですけど、ビジネスに限らず趣味のオフ会とか、幅広く使ってもらってます。キッチンも併設したんで、持ち込んだものをレンチンしたり、ちょっとした料理なんかもできるんですよ」

「なるほど」


 確かにSNS映えしそうだ。

 隣に座った有瀬くんが、キッチンの様子を気にしている。


「元妓楼って話題性あるし、クラファンで出資者募るのにもちょうど良かったんですよね」

「それ以前はテナントや下宿として使われていたと伺いました」

「そうなんですよ。一階は韓国あかすりとか台湾式マッサージとか、それ系のテナントが出たり入ったりしてたみたいですね」


 この立地でその手の店はちょっと怖いだろう。


「二階は、十年くらい前まで下宿だったんです。住民の方の死亡事故があってから、新規の入居者を募集しなくなって、最後の人が退去しておしまいになったみたいで。数年前に建物ごと売りに出てたのを、僕が買い取ったんです」


 つまり。


「事故物件、ということなんですね。一般的にはもう告知義務もない時期の話ではありますけど」

「これだけ古い建物となると、敢えて人死にのあった場所を使いたい人なんてそうそういないじゃないですか。でも宿泊施設やレンタルスペースなら、抵抗感も少ないだろうなと。実際、興味持ってくれる方も多くて」


 張りのある声と少々大仰な身振り手振り。オーナーさんは舌先も滑らかに説明を続ける。


「そんな感じでオープンから一年、なかなか評判良かったんです。でも三ヶ月前かな、ちょっとした事件が起きまして。宿泊で一人部屋を利用した男性のお客さんが、眠ったまま意識戻らなくなっちゃったんですよ」


 店番を任せていたスタッフがお客の異変に気付き、マスターキーで開錠。呼びかけても揺すっても目覚める気配がなかったため、救急車を呼んだ。


「幸いその方、入院して翌日には目を覚まされたそうです。体調に異常があるわけでもなく、何でも『すごく楽しい夢を見てた』って話ですよ」

「夢、ですか」

「ええ。彼は三回目のリピーターさんで、泊まるたびに少しずつ夢の内容が進んでいったみたいです」

「つまり、三回目でついに夢の中に囚われてしまった、と」

「うん、僕もそう思いました」


 オーナーさんは、そのお客が後日SNSにこの宿泊施設について投稿したのを見て、事の顛末を知ったらしい。

 問題はその後だ。


「オープン時から宿泊利用してくださった方たちが、『実は自分も夢を見た』ってリプし始めたんですよね。その一連の話がプチバズして、興味本位の利用者が増えたんです」


 商売としては良い流れだろう。しかし。

 やや軽薄そうな印象もあったオーナーさんの、声のトーンが落ちる。


「ちょっと不安になったんですよ。また目覚められない人が出てくるんじゃないかってね。不特定多数の人が利用する場所で、お客さんの身の安全が保証できないなんて、信用問題に関わるでしょう」


 私は少しホッとした。真っ当な感覚の人だ。


「だからね、僕自身も何泊かしてみたんです」

「えっ?」

「スタッフに言って、僕に異変がないか様子見してもらうようにして」


 いや、よもや自分で体験するとは。


「どう、だったんですか?」

「噂通りでした。まあ良い夢というか……恥ずかしながら、何年か前に別れた元カノが出てきて、よりを戻す感じの夢で。僕の場合は、四泊目に目覚められなくなりました」

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