#8 妓楼に舞う胡蝶の夢
8-1 ハンドリング
「吸って、吐いて。丹田、つまり
私の自宅アパートの一室。
壁の四方を霊符で囲った中、私と
まずは私自身が手本となり、身体の内側で気を練ってみせる。自分のテリトリー内ということもあり、ひと息でもそれなりだ。
「基礎的なことだけど、基礎こそが一番大事だから。気を自在にコントロールできれば、いろんなことに応用できる。守りも攻めもね」
「はいっ!」
有瀬くんは、実地の方が力を発揮しやすい。
だけど臨機応変な対応の求められる現場で思うようにいかなかった場合、気持ちが挫けてしまう可能性がある。精神の力がキーとなる場では、それが命取りとなり得る。
平時のうちに下地を作っておけば、咄嗟の選択肢も増えるはずだ。
神妙な面持ちで深呼吸を繰り返す我がアシスタント。
長袖シャツに入ったネオンカラーの柄が視界に眩しいが、一方で彼自身の陽の気はさほどでもない。
有瀬くんの弱点。それは、気分の乗らないことに対しては上手く力を発揮できないということだ。
この仕事をしていると、割り切れないことや遣る瀬ないことにいくらでもぶち当たる。そのたびやる気が萎えていては、話にもならないだろう。
「んー……有瀬くんさ、いつも私を助けてくれる時には結構な気を出してるでしょ。常にあのくらいを意識的にできるといいと思うんだよね」
「っすねー」
「同じようなイメージでできないかな」
「おっしゃ、やってみまっす」
有瀬くんは再びの神妙な面持ちで、じぃっと私を見つめた後、深呼吸を繰り返す。
先ほどよりは多少、陽の気は強まった、かもしれない。
「えーと有瀬くん、ちなみに今は何を考えてる?」
「
「待って」
すごい微妙。
私はフローリングワイパーを差し出す。
「物に気を込めるのは、少しずつ上達してるよね。その感覚をしっかり自分の中に落とし込んで」
「分かりました。もうちょいイメージ増やしますね。このワイパーを弐千佳さんだと思って陽の気を入れたら」
「待って」
それも何かすごい微妙。
私を基準にするのはいいとしても、アプローチの方向性はそれじゃない。
「あのさ……ひとまずはこの部屋、私の陰の気で満たされてるのは分かるよね。そこに呼応するような形で、自分で陽の気を引き出せないかな。今まではなんとなくで感じ取ったり、私の受けた霊障が自然に伝わったりしてたと思うけど」
「あー、むしろ自分から拾いに行っちゃうみたいな感じっすか」
「そうそう」
「了解でっす」
有瀬くんが両目を伏せた。相変わらずまつ毛が長い。
彼の呼吸に合わせて、私も同じリズムで呼吸する。
私がわずかに陰の気を膨らませた時。
「……うわっ!」
突如、有瀬くんの陽の気が暴発した。
その余波で、壁に貼った霊符が弾けて剥がれ落ちる。
「ビ、ビビったー!」
「うん、感覚としては今のでいいよ」
「今ね、急にキュンッてくる感じがしたんで、ガッて行ってみたんすよね」
「ニュアンスすぎる」
二度目のトライ。結果は同じ。
「うーん、出力を調整できるともっといいよね」
「えー! むずいー! なんかもっと一発でパパッとレベルアップできる方法ないんすか」
「いやー……」
正直なところ、なくはない。
かつて私と兄がしていたようなことだ。相性の良い者同士で物理的に気を交換すれば、互いの力を高め合えるし、いざという時の命綱にもなる。
除霊師界隈を見ても、パートナーと深い繋がりを持っている人たちは結構いる。あの
私の兄は、私を犯すことで力を得ていた。
「……やっぱり地道に練習するしかないよ。今ならどれだけ失敗してもいいから。有瀬くんが単独で気をコントロールできるようになれば、私も助かるし」
「マジすか。やるっきゃねえな」
有瀬くんはいつも前向きだ。純粋で、心根がまっすぐで、無邪気だ。
だからこそ、
何度か練習を繰り返すうちに、コントロールは少しずつ良くなってくる。霊符の剥がれる頻度も下がってきた。
一旦コツを掴んだら、きっとすぐに安定するだろう。
「あーっ、これ結構疲れるっすね! もう夕方じゃん。ていうか、なんか、ガチでダルいんだけど。頭フラフラするぅ」
「消耗したんでしょ。これで回復できる?」
私は有瀬くんの手を握り、自分の気を送る。
「どう?」
「んあっ? うっそ! やべえ急に楽んなった! すげえ弐千佳さん」
「……いつも有瀬くんが私にしてくれてることだけど」
「マジすか」
「マジだよ。いつも言ってるでしょ、助かったって。有瀬くんがいるおかげで、私は気兼ねなく術を使えるんだよ。ちゃんと自覚した?」
「ふぁっ、はい……っ」
この感じだと、あまり分かっていなかったのだろう。補助者の存在がいかに大事なのか。
同時に、気を消耗する感覚も。経験しないと実感できないことはあるものだ。
消費して、回復する。自分のキャパシティを把握することは、コントロールの第一歩かもしれない。と、指導者として未熟な私もようやく理解する。
今日のトレーニングはこんなところかというタイミングで、スマホに着信がある。画面には『
私は表情を引き締め、応答する。
「はい、
『お世話さまですー、大黒ですが。今ちょっとお電話よろしいですか』
「いつもお世話になっています。ええ、大丈夫です」
『どうもどうも。あのですねぇ、実はまた一件、ご依頼したい物件がありまして——』
有瀬くんを伴って、大黒不動産へと赴く。時間帯的に、ついでに夕飯を食べようという算段だ。
「今回はジュニア? お父さん?」
「お父さん」
「超気さくっすよね、あのおじさん」
「ああ見えてあの人、すごいやり手なんだよ。業界に顔が利くというか」
不動産を探す客足もない平日の夕方。ガラ空きの駐車場に愛車を入れ、一時代前のガラスの観音扉を開ける。
パーテーションの奥から出てきたのは、やはり店主だ。もう十一月になろうかという肌寒い日なのに、ワイシャツ一枚の薄着である。ふくよかな顔に、人好きのする柔和な笑みが浮かんだ。
「どうも無量さん、いつもすいません。今日はお二人なんですねぇ」
「ええ、今回は一緒にお伺いします」
有瀬くんと並んで、カウンターに腰を下ろす。
「すっかり名コンビですねぇ。うちとしても助かります。有瀬さんがアシスタントになられてから、解決後の残留念もほとんどなくって」
「前よりスムーズに解決できるようになったんです。彼のおかげで」
「マジすか。あざっす!」
大黒さんが物件情報のタブレット端末を持ってくる。ジュニアと違って操作の手がやや遅い。
「ええと、画面出しますんでちょっと待ってくださいねぇ。またちょっと特殊な事情のある案件なんだけどね、物件そのものもまた特殊でして」
「特殊というと?」
「ああ、あったあった。今回除霊をお願いしたいのは、こちらです」
差し向けられた画面は、いつもの不動産物件情報ではない。
一般のサイトであるらしく、レトロモダンな外観の古民家が写っている。画面上の説明書きを読めば。
「『レンタルスペース』? ああ、仕事とか会議とかできるところか。そういうので古民家って珍しいですね。割と小綺麗そう」
「フルリノベーションしてるんですよ。ざっくり古民家と言えば古民家なんだけどね。実はこの物件ねぇ……」
自身も霊感があり、不動産業界でも事故物件の扱いに関してはやり手として名の通った大黒氏は、片眉を小さく上げて言った。
「元妓楼、なんだよねぇ」
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