7-7 祈りと報い

 ちらと有瀬ありせくんを見やる。彼は強張った表情で彼女の顔を注視している。


『ご注文はお決まりでした?』


 繰り返されるセリフ。

 私はできる限り自然な調子で応じた。


「すいません、まだです」

『お決まりになりましたら、またお声がけくださいねー』


 注文伝票を片手に他の座席へと向かう彼女の背中は、何だか楽しげだ。


「えっと……あのひと、何者っすか? なんかこう、圧迫感というか……」

「あれが、この物件に巣食うモノだよ。奥さんの霊体をベースにして、人ならざるモノの力が宿ってる。つまり、神さまが奥さんの意思ごと乗っ取った状態」


 私の行動に干渉できたのも、その力が働いたからだ。

 むしろそもそも相手のテリトリーだった。


 有瀬くんは首を傾げる。


「今の現実世界だと神棚は撤去されてんのに、まだ神さまはいるんだ?」

「奥さんが亡くなった時、神さまが彼女の魂に引き寄せられて融合して、この場に居着いちゃったんだろうね」

「マジかよ。なんでそんなことになっちゃったの?」

「……この土地、地鎮祭をやってない。それなのに店舗には神棚を設置した。つまり土地神の許しを得てないところに違う神を祀った。神さまの『場』としては、ちぐはぐで不安定な状態だった」


 その上で。


「奥さんは、店内の神棚を大事にお世話してた。加えて過去に被災した経験から、洪水になりかねない嵐の日には特に熱心に拝んだ」


 『奥さん』は、見えないお客さんの間をくるくるとよく動いている。働き者だったのだろう。


「ところで有瀬くん、神さまってどんな存在だと思う?」

「へっ? なんか雲の上とかにいるヒゲの長いおじいさんみたいなイメージっすけど」

「んー、そのイメージはなんか分かるけどね。日本には八百万やおよろずの神がいるって話をしたでしょう。要は神さまって、いると思えばそこらじゅうにいるものなんだよ」

「あー、なんとなく分かった。デカい木を御神木にしたり、地域によって土着の神さまがいたりするやつ?」

「そうそう」


 つまるところ。


「人智を越えた存在に対する、人々の畏れやたっとび敬う気持ち。それが『神さま』を作るんだよ。その思いが強ければ強いほど、神さまの力も大きくなる」

「雨の日に神さまが強くなるのは、奥さんがお祈りしてたからかぁ」


 私は座敷の上の神棚に視線を向けた。過去時制の神棚だ。


「奥さんは日常的にあの神棚を拝んでた。おかげでそこに神さま的なモノが宿った。だけど嵐の日にかけた強い祈りは、むしろここらの土地神さまに通じるものだった。ちぐはぐな『場』。捻れた祈り。乱れた神気。結果、神さま的なモノは力が歪んで、住人に悪い影響をもたらしてしまった」


 『奥さん』が軽やかな足取りで厨房へ向かっていくのを、私はそっと目で追う。


「……奥さんね、亡くなる少し前から、ちょっと物忘れが多かったらしい。これも息子さんに確認した」

「え?」

「同じことを何回も訊いたりとか、何回もやったりとか。直前までやってたことが次の瞬間には思い出せなくなったり、とか。火事の原因も、きっとそれだったと思う」

「そっか、天ぷらの最中にうっかりしちゃったんすね」


 店主が買い物に出掛けている間の出来事だった。彼は奥さんの変調に気付きつつも、さほど重くは捉えていなかった。それが最悪の事態を招いてしまったことを、彼女の死後ずっと後悔していたそうだ。


「じゃあ、火事は本当にただの事故だったんすね」

「それは分からない」

「へ?」

「悪い気の流れが、悲劇を引き起こしたのかも」


 不運の連鎖だったのだとしても、それこそが。


「……私がた念の記憶で『やろうか、やろうか』って聞こえてたのは、『あれをやろうか、これをやろうか』って混乱した奥さんの声だったんだ。最初のうちはね」

「と言うと?」

「煙を吸って意識が混濁する中で、奥さんの魂が神さまの領域に近づいた。神さまは、いつもお世話をしてくれてた奥さんの声に応じた。『お前の代わりにやってやろうか』って」


 重なった『やろうか』が強く残ったというわけだ。


「朦朧としていた奥さんは、炎の上がる轟音を洪水の音と勘違いした。だから神棚の神さまに『お助けください』と祈った。それが『代わりにやってやろうか』の返事になってしまった」


 行き違ったやりとりにより、奇しくも会話が成立してしまったのだ。

 こうして神さまは、傀儡のような霊体奥さんのガワに宿ることとなった。


 つまり。


「悪意があったわけじゃなかったんすね、神さまも」


 そうかもしれない。


「不可解なざわめきや物が移動するポルターガイスト現象は、神さま的存在が奥さんに代わってお店に出てたせいだ。そして神棚の上に『雲』がなくなったことで、落ち着ける棲家を探して最上階から雲を目指した。神棚のお世話のレベルが下がったから」

「なるほどー、それで旦那さんは乗り移られて転落しちゃったんすね」

「もしかすると、それは報いだったのかもしれない。奥さんの中に静かに積もっていたご主人への不満が、増幅されて現れたのかも。だけど魂の核はあくまで奥さんだから、未だこの店から離れられず、上へ上へと行きたがってる」


 奥さんの姿をした神さまは、厨房で作業をしているようだ。


「こういう場合はどうするんすか」

「まずは奥さんの魂から神さまを分離する。その後で魂を浄化して成仏させる。神さまの力の源は奥さんの祈りだったから、成仏さえすれば神さまも力を保てなくなるはず」

「分離って、どうやって?」

「神さまには、神棚に戻ってもらう。お供えをしよう。生前の奥さん、たまに店のまかないを供えてたみたい。だから有瀬くんには、今からごはんを作ってほしい」

「ああ、そゆこと」


 そう、有瀬くんの力が不可欠な作戦なのだ。


「メニューは四つ足動物の肉が入ってなければ何でもいいんだけど、陽の気を込めながら調理してもらいたいんだ。包丁とか鍋とかを媒介にして。有瀬くんならできるはず」

「うおお……やってみますっ!」


 有瀬くんは厨房に入り、奥さんに声をかける。


「すんません、キッチン借りまーす!」

『あら、新しいバイトの子?』


 私も様子を伺う。包丁を握りながら陽の気を練ろうとする有瀬くんの右手に、軽く陰の気を注ぐ。それが呼び水となり、包丁は豊潤な陽の気を纏い始める。

 さすが、使い慣れた道具だ。その補助だけで彼の気は安定した。


「俺らの昼メシと兼用でいっすか」

「いいよ」

「んじゃ、パパッと作っちゃいますね!」


 玉ねぎが驚くべき速度でみじん切りにされていく。

 私は神棚の上に『雲』の字を貼った。加えて、周辺をしっかり霊符で囲う。


 有瀬くんは鶏肉を刻み、カセットコンロにフライパンを置く。フライパンにも、先ほどと同じ要領で陽の気を込めた。


『まぁ、すっごく手際良いわねぇ』

「あざっす!」

『おうちの手伝い、よくしてるの?』

「っすねー。母親がメシ作ってるの、昔からよく真横で見ててー」

『お母さん羨ましいわぁ、うちの息子なんてねぇ——』


 和やかに会話の弾む中、玉ねぎ、鶏肉、そしてご飯がフライパンに投入される。味付けはケチャップだ。やはり陽の気を纏わせたフライ返しで、それらが掻き回される。

 力強い手首のスナップで躍ったケチャップライスは、一旦大皿に移された。


 次に溶き卵がフライパンへと流し込まれる。鮮やかな黄色の膜は薄く伸ばされ、程よく固まったところで先ほどのごはんが載る。

 卵はまるで魔法のようにケチャップライスをくるりと包み、気付けば綺麗なラグビーボール型のオムライスが皿に盛られていた。


「はいっ! いっちょ上がり!」


 あっという間に大皿二つ、小皿一つのオムライスが完成。仕上げにケチャップで可愛いハートが描かれる。


「どっすか!」

「完璧」

『上手ー! 可愛らしいし、美味しそうねぇ』


 小皿を手に取れば、陽の気がしっかり料理に籠っているのが分かる。

 馴染んだ道具、馴染んだ動作の成せる技。有瀬くんのポテンシャルが存分に発揮された一品だ。

 これを悪霊や負の念に憑かれた生身の人間が食すことで、浄化の効果が期待できる。霊自体は食事できないので難しいが、やりようによっては何らか応用できるだろう。


 だけど今回は、こう使う。


「奥さん、これ、神さまにお供えしますね」

『あら、ありがとう』


 その『まかない』を水や塩と一緒に神棚へ供えると、周囲の霊符とオムライスに籠った陽の気が共鳴し始めた。

 私は奥さんの肩に触れ、そっと自分の陰の気を注ぎ込む。


の居場所はあの神棚ですよ。ご馳走を用意しました」

『えっ?』


 奥さんの霊体から、強い気だけが浮き上がった。

 陰は、陽へと引き付けられる。

 神さまの気は神棚に吸い寄せられて、元通りに納まった。

 周りを囲む霊符の力が、神棚をすっぽり包み込み、頑強な結界を構築する。


 後に残された奥さんは——彼女自身の魂のみを宿した霊体は、呆然とその場に立ち尽くしていた。


『あれ……あたしはいったい……?』

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