7-3 店舗とエレベーターの怪現象

「亡くなったのは別の場所なのに、この店ん中でおかしな現象が起きるんすか」

「未練がこの場所に紐付いてるなら、魂はここに戻ってくるだろうからね」

「具体的には何が起きるの?」

「勝手に物の位置が変わったり、店主が注文を聞き間違えて客のオーダーにない酒や料理を出したり……ってことが、奥さんの亡くなった後からあったみたい」


 有瀬ありせくんは軽く首を傾げた。


「んー、物の位置は分かんないすけど、オーダー間違いはただのミスとかじゃなくて? ほら、奥さんいなくなった分、人手不足だっただろうし」

「結構頻繁にあったみたいだよ。店主自身は、確かに注文の声を聞いたって言ってたらしい。ただやっぱり、奥さんを亡くした精神的ショックのせいじゃないかって、家族もお客さんも思ってたみたいなんだけど」


 そうこうするうちに、店主も亡くなってしまったのだ。


「妙な現象が気の迷いのせいじゃないってはっきりしたのは、店主の飛び降り自殺の後。そもそもこのビルは店主夫妻の持ち物だったから、お店は閉店して、建物自体は息子さんが継いだ。その息子さんが店の片付けをしてる最中にも、知らないうちに物が動いてたり誰かの話し声がしたり、確かに『何かいる』ような雰囲気があったらしい」


 有瀬くんが小さく唸る。


「じゃあ店長さんが自殺したのも、負の念に影響されちゃった感じだったり?」

「可能性はある」


 更には。


「このビル、エレベーターが不可解な動きをすることもあるとか」

「あ、エレベーターあるんすね」

「店の表玄関のすぐ横に、エレベーターホールの入り口がある。そこから乗れるよ」


 貸事務所や住居の利用者は、階段ではなく主にそちらを使っているはずだ。


「エレベーターの不可解な動きって、例えばどんなん?」

「誰も乗ってないのに勝手に動いてたり、ボタン押してもない階に止まったり。息子さんが点検頼んで調べてもらったらしいけど、異常はなし。基準階に自動で戻る設定とかもなかったみたい」

「地味に怖いやつ! えー、念とどんな関係があるんだろ?」

「それをこれから調べるんだよ。まずは掃除と空気抜き」


 今回は土足の場所が多いので、竹箒を用意している。畳にはハンディクリーナーを使用して、薄っすら堆積した埃を吸い取った。

 机や椅子、棚など備品がある分、いつもより手間がかかる。

 トイレと厨房のシンクは、ひとしきり水を流す。店の全ての窓と扉を開け放って、簡易の九字切りをすれば、わだかまっていた負の念もひとまずは追い出せた。

 霊符を四枚、表と裏の入り口と左右の壁に貼り、準備は完了。

 だけど、今回はそれに加えて。


「テナントじゃ休みづらいだろうからって、五階の空き部屋も休憩に使っていいってさ。大黒だいこくジュニアが鍵を貸してくれた」

「マジすか! ジュニアさん超親切ー!」


 掃除道具を携えて、狭いエレベーターホールへと赴く。

 エレベーターの現在地を示す表示灯は『5』。そこから『4』、『3』……と、ゆっくり数字がカウントダウンされていき、ポンと音が鳴って重い扉が開く。

 予想に違わず狭い箱。乗り込んで扉を閉めれば、程なくゴウンゴウンと上昇する。


「しっかしエレベーターのトラブルって、ガチでヤバいやつじゃないすか」

「どちらかと言うと物理的に怖いよね」

「ほら、ネズミーシーの恐怖のタワーみたいな」


 あの、フリーフォールのように落下する有名なアトラクションだ。


「……ちょっと、やめてよ」

「あっ、もしかして弐千佳にちかさんてー、絶叫系ちょっと苦手な感じー?」

「うるさいよ」


 軽口を叩き合いながら五階へ到着する。ホールの空気は、心なしか重い。

 二部屋並んだうち、鍵を借りた5-A号室の玄関を開ける。小ぢんまりした2DKだ。


「めちゃ綺麗っすね。空き部屋なの勿体ねえな」

「ちなみにこの部屋、店主夫妻が住んでたところみたい。だからこそ鍵を貸してくれたんだと思う。いろんな因果関係が想定できるからね。今ちょうど、五階は二部屋とも空いてるらしいよ」

「今この階に住んでる人はいないってことっすね」

「うん。心霊現象が解決すれば、五階も募集かけやすいんじゃないかな。私は店で寝るから、有瀬くんはこの部屋で寝ていいよ」


 こちらでもざっと掃除を行う。フローリングの埃を払い、水を流した。


「ガス物件だからお湯は出ないけど、冷水シャワーでも助かる」

「うぇー寒そー」


 ついでに外階段を覗くことにした。五階ホールの扉から、外へと出る。


「暗っ! 寒っ!」


 秋の日はつるべ落とし。まだ午後五時前のはずなのに、雨天とも相まってかなり薄暗い。雨足はやや強まったように感じる。


「店主さん、ここから落ちたんだね」

「うお、結構高いっすね」


 覗き込めば、真下は黒く冷たいアスファルト。容易く呑み込まれてしまいそうな闇が蔓延っている。

 鉄製の手摺りはどこか頼りなく、コンクリートの足場は濡れて汚れている。天候や時間帯を差し引いたとて、非常時でもない限り敢えて外階段を使うことはないように思えた。


「雨、ひどくなるかな。早めにごはん行こっか」

「っすねー」


 現場から車で十分程度のところに、大型ショッピングモールがあった。

 広いモール内をうろつくのも面倒で、一階入り口すぐのフードコートに入る。

 平日の雨の夕方、お客はさほど多くない。私たちは一テーブルを押さえてから、それぞれ食べたいものの店へと並ぶ。


 私が自分の釜揚げうどんとおにぎりを席まで運んでいくと、ちょうど有瀬くんの呼び出しタイマーが鳴った。

 彼が選んだのは、鉄板でごはんと肉を焼いて食べるメニューが人気のチェーン店。丸く盛られたごはんの周りを赤身の細切れ牛肉が取り囲み、じゅうじゅうと良い音を立てている。


「いただきます」

「いただきまーす!」


 私がちまちまうどんを啜る一方、有瀬くんは鉄板の上で肉とごはんを混ぜ合わせている。ペッパーソースが熱されたことで香ばしい匂いが漂ってきて、なんとも食欲をそそる。


「熱っ! うまっ!」

「すごい良い匂いするんだけど」

「やっぱ肉と米の組み合わせは神でしょ」

「また言ってる」


 彼はセットで付けたメロンソーダを飲みながら、焼けた肉とごはんの山をどんどん切り崩していく。その取り合わせはどうなのかと思わなくもないけど、元気が出たようで何よりだ。


 食後に温かい飲み物が欲しくなったため、モール内の輸入食品を扱う店に寄り、試飲のコーヒーをもらって少しだけ店内をぶらついた。

 「さすがに美味い」「香りが違う」などと適当なことを言い、買い物もしないのに小さい紙コップの一杯分をしっかり堪能してから、モールを出た。


 冷たい雨はいよいよ本降り。ワイパーでどれほど拭っても、フロントガラスには信号とテールランプの赤が滲む。

 立ち寄ったネットカフェで、シャワーだけを利用した。熱めの湯で流した身体も、現場へと戻るうちにまた冷えてくる。


「ごはん作るの、五階の方がいっすかね」

「有瀬くんのやりやすい方でいいよ」

「床コンクリなのがちょっと気になるんすよねー」

「まあ、五階の部屋のキッチンの方が綺麗だもんね」


 そんなわけで、帰り着いてすぐ炊飯器やら調理器具やらを五階へ運ぶことになった。


 私たちがエレベーターホールに立った時、表示灯の数字は『3』から『4』、そして『5』と上がっていくところだった。

 私の押した上ボタンにより、それはまた『5』から順に下がっていく。

 ポン、と音が鳴り、重い扉が開く。白い空間が口を開ける。

 一歩を踏み入れる。中は一段とひんやりしている。

 扉が閉まり、エレベーターは上昇していく。ゴウンゴウンと機械の作動する不穏な音がやけに耳につく。

 にわかに違和感が膨らんだ。


「ねえ、有瀬くん、実は夕方もちょっと気になったんだけど」

「うん」

「このエレベーター、なんで五階に行ってたんだろう」

「えっ……」


 ゴウン、ゴウン。


「二部屋とも空いてるから、基本的に五階に用事のある人はいないはずなんだよね」

「確かに、今も謎に一番上まで行ってましたね」


 夕方に使用した時も、エレベーターは五階から降りてきた。しかし当の五階には誰もいなかった。

 今だって、直前に乗っていた誰かが間違って五階のボタンを押して途中下車したのか、あるいは——


 ポン、と空気を突くような音がして、扉が開く。

 当然、五階に人の気配はない。


 いつの間にか土砂降りになったらしい雨の激しい音が、空っぽの廊下に響いていた。

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