幕間

幕間5 向き合う

弐千佳にちかさーん!」


 いつもと同じ駅前ロータリーで待ち合わせた有瀬ありせくんは、いつもと違ってシンプルな服装だった。

 やや長めの金髪は変わらずだけど、薄ベージュの無地の開襟シャツに細身のパンツ、そして手荷物はボディバッグがたったの一つ。

 なんだか、ただの好青年みたいに見える。


「弐千佳さんの私服、久しぶりに見た。超かわいっすね。黒以外も似合うー」

「そうかな、ありがとう」


 かくいう私も、藤色のカットソーに黒のテーパードパンツ、足元はパンプスという、オフィスカジュアルのような格好だ。

 持ち物といえば小さなショルダーバッグに、加えて手土産の紙袋。市内で評判のいい洋菓子店でマドレーヌの詰め合わせを買った。


「なんかデートみたいっすね!」

「そうか……?」


 普段が車移動ばかりだと、公共交通機関を利用するのに少々の気合いがいる。

 そこそこ混み合う電車を乗り継ぐこと数十分、いくつかの路線の乗り入れる大きな総合駅へ着く。さすが都会、人が多い。

 毎度煩わしさを感じる駅舎内の人混みも、大柄な男子が隣にいると歩きやすく感じるのは、たぶん気のせいではないだろう。


 駅舎から出て、居酒屋やカラオケ、ラブホテルの並ぶ道を進む。ここまで来ると急に人の気配が薄くなる。ちょっと薄暗いイメージのある通りだ。

 目的の場所は、とある雑居ビルの二階にあった。目立った看板もないその事務所の玄関扉には、『樹神こだま探偵事務所』とレトロな飾り文字の表札だけが出ている。


 インターホンを押すと、すぐに扉が開く。

 出迎えてくれたのは、すらりと背の高い三十すぎの男性だ。後ろで一つに括った長髪に、スタイリッシュなスーツベスト姿で、気障な笑みをたたえている。


「やあ無量むりょうさん、よく来てくれたね」

「いえ。お邪魔します、樹神さん」

「今日も相変わらず美しい。淡い色の装いもよく似合うね」

「はぁ、どうも」


 同業者の先輩である樹神さんには、先日の案件に際して重要なアドバイスをいただいた。今日はそのお礼に来たのだ。


「そちらの彼が、有瀬さんの?」

「アッ、はい、有瀬 安吾あんごです! いつも父がお世話になっています!」

「こちらこそ、お父上にはいつも良くしてもらっているよ」


 思いの外ちゃんとした挨拶をするチャラ男。

 少し緊張しているらしい。珍しいこともある。


 手土産を渡し、応接スペースに案内される。


「渋い事務所っすね。カッケェすね!」

「若い子にそう言ってもらえると嬉しいね」


 室内は重厚な木製のデスクや棚など、アンティークっぽい調度品で揃えられている。薄っすら漂うタバコの残り香も含め、実に男性的な事務所だ。

 革張りのソファに並んで腰を下ろすと、樹神さん自らコーヒーを運んできてくれた。


「それで、この前の案件はどうだったの?」

「おかげさまで、上手くオンライン上の魂に接触できました」

「えっ? 本当にできたんだ? それはすごい。驚いたな」

「……教えていただいた通りにやってみた結果ですが」

「うん、理屈の上ではね。ただ相当繊細な作業になるし、強靭な精神力も必要だから、成功率は低いだろうと思ったんだよ。それを一発でとは。さすが、無量家当代随一の実力者だな」

「いえ……」


 そういう言い方をされると、ちょっと尻の座りが悪くなる。

 樹神さんは小さく苦笑して軽く肩をすくめた。


「いや失敬。無量さん自身がこれまでに場数を踏んで、経験を積んできた結果だろうね。自分のルーツと違う流派の思想を受け入れて即座に適応できる、その柔軟性は間違いなく君の武器だよ」

「……ありがとうございます」


 これはこれでむず痒い。


「でも私、全部終わって結界を解いた直後からしばらくダウンしてしまったんで」

「階層を渡る時に重要なのは、ちゃんと元の場に戻ってくることだ。それさえ出来れば問題ないよ。差し支えなければ、その時のことを詳しく教えてもらえるかな」


 私は例の案件の顛末をざっくり説明した。未練の原因と、具体的な解決までの流れを。


 樹神さんはスマートな動作で脚を組む。


「なるほど、興味深いね。俺も現世うつしよ幽世かくりよの『狭間の世界』を中継地として、『鏡の向こう側』や『呪いの万華鏡の内部』なんかに行ったことがある。いずれも大事なのは命綱だった。無量さんも確固とした命綱があったからこそ、思い切り踏み込めたんだろうね」

「そうですね。一人では無理だったはずです」

「良かった。いいアシスタントを得たんだね。紹介した甲斐があったよ」

「……へっ? 俺すか?」


 借りてきた猫のようだった大型犬がぴょこんと跳ねる。


「いやいや俺、ぜんぜん大したことやってないですし! 今回なんか、弾き語りしたりゲームやったりしてただけなんすよ?」

「うん、それが役に立ったんだよ」

「えー! 楽しいことしかしてないのに!」


 樹神さんが破顔した。


「はは! なるほど、これは確かに逸材だ。二人は相性が良さそうだな。ちょうど無量さんの流派で言うところの陰と陽だね。上手く噛み合ってる」

「気の性質なんかは、まさにそうですね」

「しかし、君も変わったな。以前はシャープでクールな感じだったけど、雰囲気が柔らかくなった。これも安吾くんのおかげなんだろうね」

「うっそマジすか樹神さんっ! へへへ」


 ……芙美ふみにも似たようなことを言われたが、こういう時の正解のリアクションを誰か教えてほしいと本気で思う。



 樹神探偵事務所を辞して、約一時間後。

 総合駅近くにある手羽先が有名な世界の居酒屋チェーンにて、私は薄いハイボールを呷っていた。

 正面には、レモンサワー一杯であっという間に酔いの回った有瀬くん。


「弐千佳さんはー、やっぱー、樹神さんみたいな落ち着いた大人の男がいいっすよねー」

「いやぜんぜん好みじゃないけど」

「でもー、なんかー、すごい人ばっかっていうかー、弐千佳さんもすげえしー」

「ちょっと水もらおうか」


 通りがかった店員にお冷を頼み、私は淡々と手羽先を剥く。胡椒辛さで酒は進むが、目の前に様子のおかしい子がいると酔ってもいられない。


「俺ー、マジなーんもできないんすよー」

「そんなことないでしょ。逆にできないことの方が少ないくらい」

「違うんすよー、ぜーんぶ中途半端だしー。ギターとかもね、中学ん時に好きな先輩がいてー、その人がやってたからー」

「うん、そんなことだろうなと思ってた」

「でも今は弐千佳さんが好きですー」

「はいはい」

「お嫁さんにしてくださいー」

「何回か聞いたよ」


 さっきからこの調子だ。

 届いたお冷を飲み干した有瀬くんは、急にトーンダウンして深い息をつく。


「俺、この先どうしたらいっすかね」

「この先とは」

「ほら、仕事とか」

「私のアシスタントをしてくれるんじゃないの?」

「……俺、ちゃんとやれてんのかマジで分かんなくて」


 薄々感じていたことがある。

 有瀬くんは、突き抜けたポジティブキャラのくせして、自己評価が低い。

 大抵のことはそこそこ器用にやれてしまうし、例え上手くいかずともさっさと切り替えて次の行動に移るから、分かりづらいだけで。


 私はグラスの残りのハイボールで唇を湿らせた。


「私としては有瀬くんがいてくれないと困るんだけど。有瀬くんのおかげでスムーズに解決できた案件もあるし。こないだもそうだったよね。有瀬くんは傷付いた魂を救える人だよ。私のことも、いつも助けてくれるでしょ。そういうことじゃなくて?」


 なんだかんだで私も少し酔っている。素面だったら、こんなに舌が回らない。

 ただし舌は回っても、言葉が空回りした感はあった。


「んー……もうちょいガチで役に立ちたいっていうか? こないだなんか、ほぼほぼ遊んでただけの感じなんで。もうちょい手応えみたいなのがあった方が、ね」

「主体的に術を使うとか、そういうこと?」

「そうかもー」

「じゃあまたいろいろ試してみよう。ちゃんと最初のころより成長してるよ。少しずつでも、できることを増やしていけば大丈夫」

「弐千佳しゃん……」


 有瀬くんが一瞬泣き出しそうな顔をして、テーブルに突っ伏した。


「好きですううう」

「それはさっきも聞いた」



 店を出て、駅舎の周りにある植え込みの段に二人して腰掛ける。秋の夜風が頬を撫でて、少し肌寒い。

 ギターの音色と歌声が流れてくる。近くでストリートミュージシャンが路上ライブをしているらしい。

 浮ついた都会の喧騒の漂う空気の中、有瀬くんは頭を抱えた。


「んあー……脳みそフワッフワするぅ……」

「そろそろ酔いを覚ましなよ」

「弐千佳さん酒強いよね」

「それほどでもないよ」


 自販機で買ってきたミネラルウォーターのペットボトルを差し出すと、彼は一口だけそれを飲んだ。


「サーセン……」

「いいよ、さっきより落ち着いたでしょ」

「情けねえな俺……もうお婿に行けない……」

「さっきとあんまり変わってなかった」


 項垂れて丸まった広い背中をさすってやる。いつもと逆みたいだ。

 可愛いな、と思った。

 だけど私もそれなりのほろ酔い状態なので、一時の気の迷いである可能性は否めない。

 

「帰れる?」


 立ち上がって促すも、有瀬くんは動く気配がない。


「ほら」


 手を差し伸べれば、まだ赤く染まったままの頬で子犬みたいに見上げてくる。

 縋るように掴んできた大きな手はしっとりと温かく。

 そして、やけに力強い。

 駅舎に入り、改札を通るのに一旦離した指先は、さも当然のように再びやわやわと絡め取られる。

 見れば、とんでもなく甘ったるい笑顔だ。

 こいつ……


 電車の中でもゼロ距離は続く。


「手、そろそろ離しても大丈夫?」

「もうちょっとー」


 どうしたものか。まだ完全に正気ではなさそうだから、ギリギリ許容範囲か。

 途中で乗り替えがあり、手を繋いだまま電車に揺られること数十分。

 改札を通る時にようやく解放され、いつものロータリーで向き合う。


「じゃ、またね」

「弐千佳さん、夜道一人じゃ危なくないすか」

「いや私これから呑み直すから」

「え、マジで?」

「マジだよ。有瀬くんはもう帰った方がいい。二日酔いに気を付けてね」


 有無を言わさぬ圧を込めた視線で、きっちり境界線を引く。

 酔いの勢いに任せて流されるのは、互いのためにならないのである。

 彼の本音を聞いたから尚のこと。


「また連絡するね。ちゃんと頼りにしてるから。おやすみなさい」

「えっ……アッはい、おやすみなさい……」


 私も、本音を返すだけだ。

 ちょうど来たバスに乗り込む有瀬くんを見送ってから、私は馴染みのバーへと足を向けた。



—幕間5 向き合う・了—

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