6-9 転生

「もし良かったらでぜんぜんオッケーなんすけどー、なんかスーパープレイ的なやつ見せてもらっちゃったりとかって、大丈夫な感じっすかね」

『……え?』


 いつも思う。

 こういう時の有瀬ありせくんは、どこまでが天然でどこからが計算なんだろう、と。


「ゲーム超上手いっすよね。俺、テトラさんの配信いろいろ見たんすよ。ほら、あのRTA回とか。あとマリカーの『十回連続一位取るまで終われない回』とか超面白かったです。俺がなかなかクリアできなかったコースとかもすげえ簡単にやっててマジ神かと思いましたよー」


 きらきら輝く瞳。演技などには見えない。

 たぶん心の底からそう思っていて、本人に伝えられるタイミングが来たから伝えているだけなのだろう。


「だからちょっと、生で見てみたいなーなんて」

『えっ、あ、ありがとう。今、やれるのかな』


 Switcho本体を受け取ったテトラさんは、私の方へ視線を寄越してきた。


「この空間の中なら物理的に触れられるから、ゲームもできるはずだよ」

『あ、そうなんですね』

「ほらほらー! 見たいなースーパープレイ!」

『じゃあ、少しだけなら……』


 起動されたゲーム画面に映し出されるのは、配管工ブラザーズの国民的アクションゲームだ。


『なんか、久しぶりだな』


 言いつつ、テトラさんの腕は全く衰えていなかった。


『このカメ転がしてくと、並んだクリボンにどんどん当たって』

「おおっ、ワンアップ!」

「あーなるほど」

『で、一回カメ止めて運んで、ここからまた転がせば』

「えー! うっそ連続ワンアップじゃん! こんな何でもないとこで⁈」

「そんなことできるんだ」

『こういう形の壁のところは壁キックしてけば、ひょいひょいっと……はい、大コインゲット』

「えっ? 何なに、どうなってんの?」

「動きに無駄がなさすぎる」

『ラスト、飛んでるカメを順番に踏ん付けて、二段ジャンプ、三段ジャンプ、くるっと回って、はいゴール』

「うわー! もう綺麗!」

「すご……」


 配信動画を幻視する。画面の端で笑顔を見せる『蒼天テトラ』の姿を。

 私たちは完全にただの視聴者と化していた。


「そだ、こないだ新しいソフト出たんすよ、このシリーズ。姫が主人公のやつ。衣装とか能力とかいろいろあって」

『へぇ、面白そう』

「んじゃ一緒にやろ!」


 小学生みたいなノリで次のソフトを始める男子二人。

 私はといえば、額に脂汗が滲んできた。


「あの、ごめん、時間そろそろ……」

「あーっ、このステージだけ!」

「……手短に頼む」


 私は今一度、気合いを入れ直す。視界の霞む中、どうにか集中力を繋ぐ。


 小さな画面の中で始まる、姫のショータイム。悪に乗っ取られた劇場を救うストーリーのアクションゲームだ。

 剣士に扮した姫は華麗に敵を撃退しては味方を解放し、ステージを浄化しながら進んでいく。ボスを倒した彼女は、元通り平和になった舞台の上でクールなポーズを決める。


 男子たちはハイタッチする。


「ウェーイ! やったー!」

『あっはは!』


 ひとしきり二人で騒いだ後、テトラさんはほうっと息を吐いた。


『……本当は僕、転生できたらいいのにって思ってたんです。引退するかしないかの時に』

「転生?」

『『蒼天テトラ』じゃなくて、新しい名前とガワでやり直せたらって。擦り切れすぎてて、その決断もできなかったんですけど。やっぱ新しいソフトが出たらやりたいし、僕のプレイを楽しんでくれる人がいるなら配信したいもんな』


 淡い微笑みは、どこかすっきりして見えた。


『お二人とも、ありがとうございました。僕、今度こそちゃんと転生します』


 彼の輪郭が解けていく。


「あっ! ねぇっ! いつかまた遊ぼう!」

『うん、また会えるといいな』


 有瀬くんの差し出した右手を、テトラさんが握り返した瞬間。

 彼の霊体は温かな陽の気に包み込まれ、さらさらと光を放ちながら消えていった。

 結界を解けば、部屋は元通りのがらんどうに戻る。


 終わった——……


 全身から力が抜ける。

 急速に意識が遠のいて、瞬きする間に暗転した。




 次に目を開けた時、自分がどこにいるのか分からなかった。


「う……」


 まだ世界はぐるぐる回っている。虚構と幽世かくりよが渦巻き状に混ざり合って、現実世界に目眩めくるめく幻影を映し出す。


「起きた?」

「ゃ……っ⁈」


 唐突に耳の真後ろから声をかけられて、全身が跳ねた。

 背中に温もり。誰かに、背後からすっぽり抱きすくめられている。床に投げ出された男の長い脚が、やんわりと私の身体を囲っていた。


 刹那、不穏な闇がフラッシュバックする。

 全身が硬直し、心臓が嫌な音を立てて騒ぎ出す。


「弐千佳さん?」

「あっ……有瀬くんか……」


 一気に脱力して、私はがくりと項垂れる。

 上半身に回されていた有瀬くんの腕が緩んだ。


「えと、横になった方がいい?」

「ん……」


 後から冷や汗が吹き出してくる。

 返事ともつかない曖昧な相槌だったのに、彼は丁寧に私を横たえてくれた。すぐにマット代わりの寝袋やタオルケットが用意される。


「私、どのくらい気を失ってた?」

「んーと、十分くらい?」

「そっか……ごめん、ありがとう……」

「えっ⁈ いやむしろ俺の方こそ、なんか、いろいろすんません」


 身体が鉛みたいに重い。寝転んだままでも眩暈がしている。下手に起き上がったら嘔吐する自信がある。

 初めて試みた術で、無茶をしすぎた。


「気を消耗しちゃった感じっすよね? 手っ取り早く回復する方法とかってないの?」

「んー……」


 実を言うと、なくはない。

 なくはないが、気が進まない。


 部屋の隅からゴソゴソと物音が聞こえた。


「んじゃあ、ここは一曲りますか!」

「やめて」


 頼むから静かに寝かせといてほしい。



 再び意識が浮上する。

 美味しそうな香ばしい匂いが鼻先を掠めていく。部屋の空気がふんわり温かい。

 横になったまま首を巡らせる。目の回る感じはもうない。頭の中もずいぶんすっきりしていた。

 身を起こす。少しふらつく。だけど、思ったより大丈夫そうだ。

 気力の回復が早いのは、有瀬くんがしばらく抱えていてくれたおかげだろう。


 昼食は、有瀬くんお得意のチャーハンだったのだが。


「そのままだと気持ち悪くなりそうなら、チャーハン茶漬けにしましょっか」


 と、チャーハンをお湯で浸して鶏がらスープの顆粒を溶かしたものを出してくれた。さらっと喉を通って、お腹がホッと温まる。


「美味しい……」

「良かった」


 にぃっといつもの笑顔を見せた有瀬くんは、今回も見事にパラパラのチャーハンを掻き込みながら言う。


「あのなりすまし、もう大丈夫っすかね。テトラさんがちゃんと成仏できたからいいけど、また懲りずに出てこないとも限らないし」

「どうだろう。オンラインのトラブルって馬鹿にできないよね。相手の顔が見えない分、悪いものも増長しやすい。まさに現代に蔓延る呪いだよ」

「俺も気を付けよっと」



 ……なお、これ以降『フェイトナイト』に偽テトラが出なくなったと私たちが知るのは、少し後のことだ。

 『蒼天テトラのなりすまし』の噂が、SNSで流れるのである。

 そうしてオンライン上では犯人探しが始まる。

 テトラさんの引退後もねちねちと粘着発言を続けていた数人の元過激ファンのアカウントが槍玉に上げられ。

 また、テトラさんのとばっちりで中傷を受けたVtuberが活動休止を表明したことで、憶測は広がり。

 そのVtuberのファンも交えた激しいレスバトルがあちこちで発生し。

 偽テトラに関する検証やまとめ記事の改訂版が軽くバズるも——

 結局、真相は藪の中だ。


 「偽物は必殺仕事人みたいな謎のアサシンに始末されたらしい」「迷惑行為をすると処される」という噂が新たな都市伝説となることは、余談も余談。

 その影響でゲーム内の治安がやや改善するのは、唯一の良いことかもしれない。


 ただしそれらもあっという間にトレンドワードの波に呑まれ、やがて『蒼天テトラ』に関する話題は見かけなくなるのだ。

 ネットの海には、いつでも呪詛が蔓延っている。



 食事が終わり、後片付けに入る。

 と言っても、私がダウンしている間に有瀬くんが大体やってくれていた。


「いいよ弐千佳さん、ギリギリまで休んでて」


 心身ともにひどく疲弊していた。

 自分の術の中ではあれほど全能感があったのに。虚構の世界でアバターを借りていた時には、どんなことでも自由自在に思えたのに。

 現実の私はあまり強くない。嫌というほど理解している。

 いつでも仮面を被っていたいと思う。弱い部分や汚れた部分を隠して、何事にも動じない自分でありたいのだけど。


「ごめん、何から何まで。弱りすぎだね、私」

「ぜんぜんいっすよー。てか何言ってんすか。弐千佳さん今回、超レベルアップしたじゃん」

「え……そう?」

「うん。まさかゲームの中に入ったみたいな感じになっちゃうとかね、やべー体験でしたね。弐千佳さんのアサシンの攻撃とかも激アツだったし。楽しかったー! いやーやっぱ弐千佳さんすげえわ」


 心の底からそう思っているのだと分かる、満面の笑み。

 素の状態で人を救える子だなと、改めて実感する。

 以前ならば、調子を狂わされると感じた。

 今はすんなり受け入れられる。沈みがちな調子など、狂わされて然るべきだと。

 私を引き戻してくれるのは、いつだって有瀬くんなのだ。


 全ての荷物を纏めれば、部屋は来た時と同じ状態に戻る。

 小さな部屋から広大な世界へと娯楽を発信していた青年がここにいたことは、私たちしか知らない。彼の次の生が穏やかなものであることを、切に願う。


「じゃあ、今回もお疲れさま」

「お疲れっしたー!」


 そうして私たちは、レインボーハイツ302号室を後にした。



—#6 ゴーストささやく防音室・了—

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