6-5 魂の所在地
炊飯器のお急ぎモードによって、白飯は三十分ほどで炊き上がった。
私はそれをお茶漬けにし、
お腹が温まれば人心地もつく。
私はベランダでタバコを蒸かしながら、ぼんやりと外の景色を眺めていた。今日も風が爽やかで、事故物件に缶詰めの私にとっては他人事みたいな晴天だ。
夢で視た虚構の世界と、見知らぬ現実の街。その境目はどこなのだろう。
部屋に戻ると、有瀬くんにスマホを見せられた。
「
表示されているのは、発言まとめのようなページだった。
【
「何これ」
「検索してみたんすよ、テトラってゲーム実況者がいたかどうか」
有瀬くん調べによると。
以前、某Vtuber事務所所属の『蒼天テトラ』という配信者がいた。
主にゲーム実況の配信でそこそこの人気があったが、悪質な誹謗中傷などの被害に遭って心身の調子を崩し、活動を休止した。
そのまま事務所とは契約が終了。彼は卒業という形で表舞台から姿を消した。それが一年と少し前のこと。
「で、これが蒼天テトラ」
画面をスクロールして出てきたのは、アニメ絵の青い髪のイケメンキャラ。
「あっ、このキャラ、例の配信画面の端に映ってた」
「マジ? ビンゴじゃん。じゃあ弐千佳さんの聞いた『こんなの違う』とか『何とかしないと』とかって言葉は、きっと誹謗中傷に対してだったんすね」
「まぁ、あり得るね」
で、と有瀬くんは続ける。
「Vtuber辞めちゃった後くらいから、『
「フェイトナイト?」
「他のプレイヤーと戦えるバトルロイヤル要素のあるゲームなんすけど、フィールド建築できたりとか、企業やアーティストがイベントやライブやったりとか、いろいろやれるやつっすね」
「へぇ」
いわゆるメタバースだ。アバターを使って活動し、大人数のプレイヤーが同時に参加・交流できる、オンライン上の仮想空間。
『蒼天テトラ』は今、バトルフィールドで粗暴な振る舞いをしたり、チームを組んだ仲間を裏切ってアイテムを強奪したりと、迷惑行為を繰り返しているらしい。
「でも奪われたはずのアイテムとかも、なんでか一晩経つと全部元に戻ってて、都市伝説みたいになってるっぽい」
SNS等で関連の書き込みを見ても、遭遇したこと自体が幻だったかのような存在、と評されているようだ。
「……それ、本人の可能性あるな。時期も合うし」
「えっ、どゆこと?」
「魂がそのオンラインゲーム内に囚われてる、とか」
「そんなことある?」
「
魂が現実へ戻ってこられなくなり、肉体が先に滅んでしまったのかもしれない。
「魂がオンラインにあって、念だけがこの部屋の閉鎖空間に残ってるなら、いつもと感覚が違う説明もつくよ」
有瀬くんがおもむろにSwitchoを取り出す。
「んじゃ、いっちょゲーム側から接触しちゃいますか」
「え、できるの?」
「今ダウンロードしたんで!」
「早っ」
「こんなこともあろうかとポケットWi-Fi持ってきといて良かったー」
いつものことながら迷いがなさすぎる。
「とりま適当にキャラ作ってうろついてみます」
有瀬くんの作成したキャラクターは、忍装束を大胆にアレンジしたセクシーな
「何それ」
「女アサシンっすね!」
「そう」
なおプレイヤー名もLIMEと一緒で『★あんご★』。
私にはよく分からないジャンルのことなので、静かに隣で見学する。
画面に映し出されるフィールドは、幻影の中で先に出てきた方のゲームの世界と同じに思えた。
「例のバトルフィールドに行くのにある程度レベル要るっぽいんで、ひとまず装備とか強化してレベ上げします」
ぐるぐる回る視点の画面を見ているとまた酔いそうだ。
こちらは有瀬くんに任せて、私は少し仮眠を取ることにした。
「買い出し行ってきましたー」
「あ、ごめん……ゲームはその後どう?」
「強い人たちと仲良くなって、装備もらったりレベ上げ付き合ってもらったりしました」
「何そのコミュ力」
「でも、そもそも昼間だとあんまし人いないんすよねー」
「昨夜の心霊現象も夜だったしね」
「また夜メシの後とかにログインしてみよっと」
遅めの昼食にそうめんを食べ、私たちはそれぞれスマホから蒼天テトラの情報を探した。
分かったのは、当時は粘着質な荒らし行為をする者がいて、視聴者同士のトラブルもしばしばあったということ。とばっちりで中傷を受けて活動を縮小した他のVtuberもいたということくらいだ。
「あ、蒼天テトラの配信、YourTubeに残ってますね」
「へえ? そういうのって辞める時に消すイメージだったけど」
蒼天テトラのチャンネルにある動画をいくつか再生してみた。
ゲーム実況が多い。しかもいろんなソフトを幅広くプレイしている。事務所主催のゲームイベントでは軒並み好成績を上げていたようだ。
加えて『歌ってみた』の配信も少し。
「ヤベーなこの人。ゲーム超うまい」
「ね。声もいい」
やや高めのトーンで聞き取りやすい、優しい声質だ。滑舌も良く、耳に心地いい。幻影の中で聞いた嘆きも、この声だったと思う。
軽い自虐ネタを織り交ぜたネガティブキャラが売りだったらしい。喋りは軽妙でユーモアがある。
「こういうの初めてしっかり見たけど、結構面白いね」
「例のオンゲーの実況見ると、他のプレイヤーにも親切にしてるっぽい。基本低姿勢な感じ」
「私が幻影で視たの、まさにこの動画だ。喋りの内容だけがよく聞こえなかったけど」
かつての配信が、念によって再生されていた。その音声はぼやけていた。どういうことなのか。
一方の有瀬くんは、能天気な感想を漏らす。
「『歌ってみた』もいいなー。やっぱ歌って良いっすよね。そういや俺ギター持ってきてたんだった」
そして、情報集めも小休止中の今。
締め切った防音室からは、ギターの音と有瀬くんのごきげんな歌声が漏れている。防音とはいえドア一枚隔てたすぐ隣なので、それなりの音量だ。
サビと思われる部分まで聴いて、私は首を捻る。
いったい何の歌なのだろうか。
ギターはともかく、歌声の音程がかなり怪しい。感想を求められたらどうしよう。
だんだん虚無の心地になってくる。仕事を邪魔されて怒ったというお兄さんの気持ちがちょっと分かってしまった。
一曲が終わって扉が開き、良い笑顔の有瀬くんが出てくる。
どういうわけか、豊潤な陽の気を纏った状態で。
「いやー、久々に弾き語りすると楽しいっすね!」
「……それなら良かった。ところで有瀬くん、気を練ったの?」
「へっ? あんまし意識してなかったんすけど」
「フローリングワイパーもだけど、有瀬くんは道具があった方が気を高めやすいみたいだね。歌うことで腹式呼吸にもなって、ちょうど良かったのかも」
「おっ! じゃあ俺、ギター片手に除霊する人になろっかな。『ギター僧侶』みたいなキャラでさ。弾き語りをしながら——」
「いや弾き語りはやめた方がいい」
つい早口で遮ってしまう。
「ほら、そう、今回みたいな防音室のない物件の方が多いわけだし」
「確かに! 残念っ!」
じゃかじゃんっ!
文字通りに陽気な音色で、どうにか有耶無耶になった。
夕方、先に銭湯でひとっ風呂浴びてきてからの夕飯。今日のメニューは豚の生姜焼きとポテトサラダだ。
「いただきます!」
生姜焼きは、生姜の風味がしっかりあり、豚の旨みがすごい。
添えられたキャベツの千切りは、芸術品のように細く柔らかだ。これが高速の正確な包丁さばきによって生み出されるのを、先ほど私は目の当たりにしていた。
そう、有瀬くんは根本的に手先が器用なのだ。歌くらい仕方ない。
ポテトサラダは塩コショウとマヨネーズのシンプルな味付け。ほくほくして、お腹に溜まる。
「うん、美味しい」
「やったー!」
彼は生姜焼き丼にして、豪快に掻き込んでいる。
「なんか最近、丼率やたら高くない?」
「やっぱ丼っすよ。肉と米と野菜が一気に食えるから、食ってる!って感じするでしょ。同時に全てを味わえる!」
「なるほど」
肉と米と野菜を、同じ器に。確かに食事としての効率はいいかもしれない。
食事を終えて、有瀬くんは再びSwitchoを起動する。
日が暮れてから、室内の負の念がやや濃くなったように感じる。
現実と、虚構と、それから
異変が起きたのは、夜もすっかり深まったころ。
「あー! 弐千佳さん見てこれっ! 『蒼天テトラ』だよ!」
「えっ、本当?」
ゲーム画面を覗けば、確かに動画で見たのと同じ青い髪の騎士の姿がある。プレイヤー名は紛れもなく『蒼天テトラ』だ。有瀬くんのセクシーアサシンの正面、やや離れた位置に。
今、ゲームフィールド内では砂嵐が起きているらしい。
突如。
画面にノイズが走り、暗転する。
「えっ、何なに?」
同時に部屋の照明が瞬いた。
明と暗とを細切れに繰り返す。
にわかに視界の安寧が掻き乱される。
鳥肌の立つ、嫌な気配と共に。
「ちょっ……?」
手元のゲームの画面が、ぱっと元に戻る。
いつの間にか、青い髪の騎士が眼前に迫っていた。
彼の手にした大剣が、こちらのアサシンを斬り付ける。一撃オーバーキル。
『★あんご★』は戦闘不能に陥り、アイテムや装備品を強奪された。
更には。
「何してんの、これ」
『蒼天テトラ』は、もう動けなくなったアサシンを執拗に追撃した上で、フィールド上で渦を巻く巨大な竜巻の中へと放り込んだ。まるでゴミみたいに。
「えー!」
画面の中が回る。操作もできない。竜巻から解放されるころには、騎士の姿は消えていた。
「うっそマジかよ……死体蹴りとか、性格悪すぎでしょ」
戦闘不能状態の他者を攻撃するのは、ただの煽り行為に他ならない、らしい。
心臓がざわめいていた。
「電気の状態とか、念の気配の濃さからすると……やっぱり今のが本人っぽいね、ここの部屋の霊の」
「エンカウント目的だったとはいえ、実際あんなやられ方するとショックっすね。あの蒼天テトラが、どうして……?」
「本当にね」
彼の過去の配信を今日初めて視聴したニワカもニワカな私たちですら、そう思った。
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