6-4 バーチャルとリアル

 見たこともない景色を見ていた。

 海外の荒野のような赤土の大地に、茜から藍へと美しいグラデーションを描く夕暮れの空。そこに浮かぶ、二つの蒼白い月。

 視界の真ん中に、鎧を付けた青い髪の騎士がいる。

 騎士はぐるりと辺りを見回す。三六〇度、どちらを向いてもパノラマで広がる世界だ。


 私はようやく気付く。それがモニターに映し出されたゲームの映像であることを。

 画面端には、青い髪の男性キャラのアニメ絵が映り込んでいる。

 そのアニメキャラが何か喋っていた。内容は聞き取れないが、若い男性の声で。


 モニター内では、天然の要塞のような岩場を駆け上がった騎士が、武闘家らしき人物と交戦している。

 飛んでくる矢を跳ね除け、仲間と連携し、敵を一人ずつ倒していき——



 それらが一旦、パッと掻き消えた。

 場面は次へと切り替わる。



 色とりどり、さまざまな模様の立方体のポリゴンブロックが積み重なってできた世界。

 これは知っている。『マインドクラフト』というゲームだ。

 同じくポリゴンブロックで構成された青い髪のキャラクターが動いている。

 画面端には先ほどと同じアニメ絵のキャラが居て、やはり先ほどと同じ声で絶えず何かを喋っていた。


 ぐるんと視点が急転回。

 いつの間にか空中の高いところに浮いていて、眼下ではジェットコースターのレールのようなものが組み上がっていく。

 トロッコか何かの上に乗ったらしい。レールの上をガタゴトと滑り出し、斜面を昇る。眼下に広がる色とりどりのテントや観覧車。遊園地を摸しているようだ。

 やがてトロッコは坂の頂上に達する。一瞬の間を置いて、猛スピードで急降下し——



「ひゃっ……!」


 全身がびくりと跳ねた。

 思わず開けた目に飛び込んで来たのは、見知らぬ部屋。

 過去の幻影だ。

 寝袋を敷いて横たわった、剥き出しのフローリングの床。すぐ真上にはごついゲーミングチェア。その正面には大きめのモニター。キーボードも見える。

 デスクの横手から伸びるアームはスタンドライト……ではなくマイクか。カメラのようなものも見える。


 瞬きを一つ。

 椅子に誰か座っている。痩せぎすで小柄な、スウェット姿の男性。デスクに両肘をついて頭を抱えるような格好をしており、顔は見えない。

 ただ、彼を中心に不安定な念が渦を巻いているのを感じる。


『……テトラは……こんなの違う……早く、何とかしないと』


 小さな呟きが耳を掠める。

 しかしそうした光景も、もう一つ瞬きをしたら嘘のように消え去ってしまった。


 開けっぱなしの引き戸から、朝の光が差し込んでいる。

 白い壁。灰色のタイルカーペット。元通りの、がらんどうの防音室だ。

 今さらながら思い出したように、心臓がばくばく鳴っていた。じっとり変な汗をかいている。

 あの、ヒュッと落下した感覚。ぐるぐる回る視界。後頭部の辺りがモヤモヤしている。ひどい眩暈がして、寝袋に倒れ込んだのと同時に、有瀬ありせくんが顔を覗かせる。


弐千佳にちかさーん、なんかさっき悲鳴聞こえたけど大丈夫ー?」


 悲鳴とは大袈裟な。そうは思っても、反論する余裕はない。


「き、気持ち悪い……」


 完全なる幻影酔いだった。


 そのまま動悸が治まるまで横になり、気分がマシになってきたところで、先ほど視たものについて情報共有をした。


「へえ、じゃあゲーム配信みたいな夢だったんすね」

「うん。オープンワールドって言うんだっけ、広い世界を走り回るみたいなやつ。ただの配信動画って、ちょっとこういうのが視えるのは初めてだったな……」


 思い出すとまた気持ち悪くなってくる。紙コップに汲んできてもらった水を一口飲んで、息を吐く。


「だいじょぶそ? あんまし辛いなら俺の肩に寄っかかる?」

「いや大丈夫」


 防音室の壁に背を預けてまっすぐ座れば、少し気持ちが落ち着いた。


「んじゃ、ゲーム配信をめちゃ見てた人の霊ってこと?」

「いや、見てたっていうより、本人が配信者側なんだと思う。最後に視えた過去の部屋の様子からすると、ここを配信部屋として使ってたみたいだから」


 マイクとカメラがあった。この部屋の主はVtuberだったのだろう。顔出しせず、代わりにアニメ絵のアバターを使う配信者だ。モーションキャプチャーでアバターを動かすのだと聞いたことがある。


「あーなるほど、楽器演奏じゃなくて動画配信するのに防音室借りてたんだ」

「パソコンの前で頭抱えてたから、配信関連で何かあって思い悩んでたのかもね。なんか『テトラは、こんなの違う』『早く何とかしないと』って言ってたな」

「テトラ? それが配信者ネームとか?」

「なるほど、そうかも。少なくとも、この場に残る無念に関係する何かだろうね」


 死因とどれだけ関連しているのか、まだ分からないけど。


「私その界隈あんまり詳しくないんだけど、Vtuberってそんなに稼げるものなの?」

「えー、どうなんだろ。広告収入とか投げ銭とか? 俺のツレでTokTokとかに動画投稿してるやつらはいるけど、本格的に配信やってるような人はいないんすよね」

「活動はオンライン中心だよね。例えしっかり稼げるくらいに人気があったとしても、リアルで亡くなったところでオンラインでの露出がなくなっただけ、みたいになるのかも」


 バーチャルとリアルの狭間。SNSが発達した現代では、互いに本名や素性を知らないままの交流も多いだろう。


「有瀬くんは、何か気付いたことあった?」

「んー、俺の方は心霊現象かどうか微妙なんだけど。昨夜は寝るまでゲームやってて、途中で変なことが起きたんすよね」

「どんな?」

「スイカの落ちゲーを無限にやってる時に、急にパッて一瞬だけ別のゲームの映像が出たんすよ。『マインドクラフト』が」

「マイクラの映像が出たの?」

「あ、マイクラ分かります?」

「夢で見た中にも、マイクラあったよ。ジェットコースターみたいなレールをトロッコで……」


 いやこれ以上思い出すな。吐き気がぶり返す。


「俺、自分のSwitchoにもマイクラ入れてるから、単にバグったか、知らずに変なとこ触って画面切り替わっただけだと思ってたんすよね。もしやあれが幽霊の人からのメッセージだったとか?」

「ああ、昨夜も私のスマホでYourTube立ち上がりかけてたしね。何か伝えたいことでもあるのかも。でも肝心の実況の声がよく聞こえなかったんだよ。なんて言ってたんだろうな」

「んー、『チャンネル登録と高評価お願いします!』みたいな?」

「幽霊になってまで?」

「ほら、再生回数上がんなくて病んじゃった的な。で、それが未練になってるっつう。弐千佳さんが聞いた中の人の言葉も、『こんな人気ないはずじゃなかったのに』って意味かもよ。『早く登録者数増やさないと』みたいな」

「ああ、承認欲求って闇に直結しそうだもんね。一般の人でもSNSでいいね稼ぐのにおかしくなったりするし。何にせよ、もう少し手がかりが欲しいね」


 そこまで喋って息をつき、ぐっと膝を抱えた。いつも以上に疲れている。


「まだダメ?」

「んー……なんかさ、上手く言えないんだけど、いつもと感覚が違う気がするんだよ。念そのものはそれほど強くなかったと思うんだけど」

「あー、確かにここ、他の現場よりゾッとする感じ少ないっすよね」

「やっぱり有瀬くんもそう思う?」


 この眩暈は、念に由来するものではない。

 いわゆる画面酔いに近い状態。知覚のパターンがいつもと違うせいで脳が混乱して発生する気持ちの悪さ。それと似ている。

 念の気配も薄めなのに、ちゃんと有意な情報を掴めるのだろうか。漠然とした不安が募る。


「弐千佳さん、ひとまずなんか食おっか。血糖値案件じゃね? 米が七時に炊けるようにセットしてるから、たぶんもうすぐ……って、あれ?」


 私の顔を覗き込んでいた有瀬くんは、急に立ち上がってバタバタとキッチンの方へ向かい。


「ああっ⁈」

「何? どうしたの?」

「米の予約がリセットされてる」

「へえ?」


 蓋の開けられた炊飯器の中身を見れば、確かに米は水に浸かったままだ。


「なんで? どゆこと? 俺ぜってーセットしたし!」

「考えられるとすれば、夜中に一時的に停電したとかかな。昨夜は私のスマホに着信があった時も電気がチカチカしてたし、電気系統全般に干渉するのかも」

「えーっ! マジかよ!」


 有瀬くんは頭を抱えてしゃがみ込んだ。


「くそぉぉ……なんなんだよこの部屋ぁぁ!」


 さすがのポジティブ男子にも許容できない心霊現象だったらしい。

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