5-2 RANKER 104号室

 晩夏の午後。いつも待ち合わせ場所にしている駅前ロータリーは、暑さのせいかいつもより人影が少ない。

 約束の時間より少し早く到着していたらしい彼は、私の姿を見るなり満面の笑みで手を振ってきた。


弐千佳にちかさーん!」

有瀬ありせくん、今日も元気だね」

「今回も気合い入れてきましたんで!」


 入道雲の合間から降り注ぐ強い日差しにも負けない、金に近い明るい色のやや長めの髪。目にも眩しい南国の植物柄のアロハシャツを着た長身のチャラ男。これが私のアシスタント、有瀬 安吾あんごである。

 毎度のことながら、彼は今日も大荷物だった。リュックサックにクーラーボックス、片手に提げた紙袋には、やはり炊飯器。


「今回も美味いもん作りますね!」


 そう、この子。事故物件で自炊する気まんまんの料理男子なのである。


「実家から米が送られてきたんで、持ってきました。檀家さんから大量にもらったとかで」


 そしてこのナリとノリでありながら、寺の三男坊でもある。


 有瀬くんの荷物をロータリーに駐めてあった車にどやどや積み、さっそく目的地へと向かう。カーナビの指示に従って、国道から住宅街へ。

 市内の物件なので、さほどの時間もかからない。とはいえ車内には直射日光がさんさんと差し、直火焼きされているような気分になってくる。


「今日の暑さもヤバイっすね。食材傷まないようにしないと」

「預かってた小型冷蔵庫、持ってきてるよ」

「あざっす! この時期は絶対要るやつ!」

「人間も茹だるからね。有瀬くんも熱中症には気を付けて」


 ナビの案内終了と共に、目的地に到着する。事前に聞いていた駐車スペースに車を入れる。

 私の愛車は何の変哲もない白のライトバンだ。ボディ側面には『ハウスクリーンサービス』とロゴが入っている。ただの清掃業者を装うことで、賃貸物件の駐車場に置かせてもらっても怪しまれない仕様なのである。


 トランクから荷物を下ろした有瀬くんが、アパートを見上げて、へぇ、と漏らした。


「超キレイくないすか? 新しそう」

「築五年だって」

「うわー、そりゃあオーナーさんかわいそっすね」

「ほんとにね。事件後、空き部屋がちょいちょい出てるらしいよ」


 モノトーンを基調としたスマートな外観。

 敷地の入り口にある館銘板には、シャープな字体で『RANKER』とある。この手のお洒落な賃貸物件に時々ある、由来のよく分からないネーミングだ。


「で、問題の部屋っていうのが——」

「あっ、待って待って! 当てるから!」


 有瀬くんはドヤ顔でアパートのとある一部屋を指さす。


「一階の、右の端っこ!」

「正解」

「やった!」

「そりゃ、これだけの念が漏れてたらね」


 そうなのだ。有瀬くんの言い当てた104号室は、閉じた玄関扉の向こうから嫌な気配が溢れている。霊感を持たない人には説明しようもない、「そこに何かいる」としか言えない感覚。

 一見すると何の変哲もないスタイリッシュなデザインの扉の鍵を回す。玄関を開けた途端、ゾクッとくる気配が肌を掠めていく。


「うひゃっ」

「なぜ嬉しそうな顔を」

「へへっ、なんかね、現場のドアを最初に開ける瞬間のコレ、やたらとクセになるんすよ」

「そう……」


 一歩、部屋へと踏み入る。半帖ほどの三和土は、右手に靴箱。上がってすぐの左手にはトイレと浴室の扉が並ぶ。洗濯機を置くスペースの隣にはキッチンがある。


「おっ、IHの二口コンロ! 作業台ちょっと狭いけど、全然いっすね!」


 引き戸を隔て、八帖の洋室。正面には掃き出し窓があり、天井が高くて開放感がある。

 そして。


「うおーロフト付き! 超オシャレ!」


 玄関側、つまりバストイレとキッチンの真上が、五帖のロフトになっている。梯子の裏側にはクローゼット。なかなか良い間取りの部屋だ。しかもエアコンやインターホンのテレビモニター完備という設備の良さ。この物件に文句を言う人は少ないだろう。

 ただし、滞留した埃くさい空気に、濃い負の念さえ混じっていなければの話だ。


 有瀬くんは荷物を下ろすなり梯子を昇っていく。


「うわー! やべーここ! なんか秘密基地みてーじゃん。見て見て弐千佳さーん!」

「落ち着いて」


 ロフトから顔を覗かせ、無邪気に手を振ってくる我がアシスタント。まるでテンションのおかしい内見客のようだ。少なくとも事故物件で除霊しようとする者のそれではない。

 ロフトの上は天井が低い。上背のある彼がそこに納まる様子は、小さな犬小屋に入った大型犬を彷彿とさせた。


 ただでさえ蒸し暑い室内。数分滞在しただけで全身に汗が滲む。

 私は玄関の上にあるブレーカーをONにして、洋間の冷房のスイッチを入れた。エアコンがなかったら、この時期など簡単に熱中症になるに違いない。

 滞在中の水道光熱費は元請け持ちだ。この物件はオール電化のため、お湯も使える。

 ガスじゃなくて良かった、と思った。ガスだけは契約に開栓の立ち合いが必須なので、現場がガス物件の時は冷水シャワーを浴びる羽目になる。現場の設備は仕事のモチベーションに直結する。


 気の済んだらしい有瀬くんが、ロフトから降りてきた。


「で、ここはどんな事故があったんすか?」

「若い女性の首吊り自殺だって。ロフトの手摺りに縄を括ってやったらしい」


 私は手摺りの一部を指す。梯子にほど近い位置だ。


「ほら見て、あそこ。少し擦れて、歪んでるでしょ。あの場所に縄を掛けたみたい。この梯子を踏み台にしたんだろうね」

「うわっ、ほんとだ」


 こうして痕跡を目の当たりにすると、当時の状況をありありと想像できる。

 てるてる坊主のようにぶら下がる女性の身体。玄関から上がって洋室の引き戸を開けたら、いきなりその姿が目に入ることだろう。

 実際、重苦しい念はロフト付近に集中しているように感じる。


「あの上、まあまあエグいっすよ。下の倍くらい念が濃ゆくて」

「念に限らずだけど、ロフトの難点は空気の循環が悪くなることだよね。どうしてもあの空間に滞留するんだ」

「こういう部屋って、寝るとしたら絶対ロフトじゃないすか。なんか、寝てるだけで念まみれになりそ」

「うん、まさしくね。事件後にこの部屋を借りた人たちは、寝てる間に女の声を聞いたり、息苦しくなったりしてたみたいだから。表面上は綺麗な部屋に見えても、自殺した人の念が染み付いたままなんだ」


 自宅で死亡した人の発見が遅れた場合など、遺体から湧いたうじや漏出物によって、室内に匂いや染みのダメージが及ぶことがある。それを復旧させる業務を一般に『特殊清掃』と呼ぶ。

 しかし部屋という『場』に染み付いた『負の念』は、物理的な清掃ではどうにもならない。それを祓うのが、私のような『霊的特殊清掃人』なのだ。


「まあ、一人暮らしだと見つけてもらうにも時間かかりそうだしね。その間に恨みつらみが余計に染みちゃうイメージ」

「あ、亡くなった女性ね、この部屋の住人じゃなかったんだよ」

「へっ? 自分ちじゃなくて?」

「当時この部屋を借りてた男性の交際相手だったみたい」

「マジすか」


 エアコンが唸り声を上げて、室内の空気を掻き回す。

 パチン!と、ロフトの上でラップ音が鳴る。


「要はその人、わざわざ彼氏の家で自殺したんだよ」

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