#5 ロフト付きワンルームハーレム
5-1 霊的特殊清掃人の日常
「事故物件に住んでいる」などと言うと、高確率で訊かれることがある。
「幽霊は出るの?」だ。
答えは「否」である。
というか、「否」と答えざるを得ない。
理由はいくつかある。
そういうことを訊いてくる者は、ほぼ百パーセント興味本位だということ。
下手なことを答えると、あれやこれやといろんなことを深掘りされそうで面倒だということ。
そもそも『事故物件』というものの定義を正確に理解している人はさほど多くないだろう。面白おかしく話のネタにできるようなものでは決してないのだ。
改めて、『事故物件』とは。
何かしらの原因で住人が亡くなった経歴のある物件を指す。殺人や傷害致死、失火や放火のように事件性のあるものはもちろん、事故や自殺や孤独死など事件性のない例もそれに含む。
住むには心理的な不安や抵抗感があることから、『心理的瑕疵物件』とも呼ばれたりする。
無論、全ての事故物件で心霊現象が起きるわけではない。
だけど中には賃貸の運営に支障の出るほどに不都合な事象が発生してしまう物件もある。
業界内には、その手の問題に強い不動産業者が存在する。事故物件を抱えた所有者の求めに応じて、除霊作業の手配や売買の仲介をしてくれるのである。
なお、先ほどの問いに事実を以って答えるならば。
私の自宅に、幽霊は出ない。今は。
実のところ、以前は出る物件だった。
私が祓ったので、現在は快適に暮らせる部屋になっているというだけで。
私の名前は
事故物件の除霊を生業としている、霊的特殊清掃人だ。
過去に自分が除霊作業を担当した元事故物件の2LDKを安く借り、独り悠々と暮らす私の朝は、大抵遅い。
何しろ、今日も着信音に起こされた。
枕元のスマホを手繰り寄せれば、画面には『
「はい、無量です」
『大黒です。今よろしいですか』
「えぇ、大丈夫です」
一瞬のうちに半身を起こし、平静そのものの声で応じる。よもや相手も、私が今の今まで寝ていたとは思うまい。
『新たな案件です。なるべく早いうちに店に来ていただけますか』
スマホから顔を離し、時刻を確認する。午前九時前。
「承知しました。今から伺います」
私は通話を切り、ベッドから降りる。
真夏の蒸し暑さがしつこく居座る八月末。冷房を付けっぱなしにして寝たせいか、全身カラカラに渇いていた。
ほぼ無意識のうちに、ダイニングテーブルに置いたタバコへと手が伸びる。黄緑色のピアニッシモ。一口目を深く吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。シトラスのフレーバーが肺を一巡すれば、少し気分がマシになる。
昨夜は最悪だった。
時々行くバーでまったり一人呑みしていたところを、見知らぬ男に絡まれたのである。
一晩を過ごせる相手かどうか、こちらにも基準というものがある。
早々に切り上げて帰宅した後、呑み足りない分を補うのに缶ビールを二本空けた。
夜が明けてアルコールは抜けても、どうにも消化不良気味だ。食欲もないので、蛇口の水をコップ一杯飲み干すに留めた。
洗顔を終え、鏡に映った自分と目を合わせる。メイクは最低限。マッシュショートの重い前髪を下ろし、仕事着代わりの黒いツナギに身を包む。
そうして、いつも通りに辛気臭い表情をした、『何事にも動じない』私を作る。
元請けである大黒不動産は、自宅アパートから車で十五分ほど。住宅や個人経営の飲食店の並ぶ街に溶け込むようにある、古い雑居ビルの一階に入っている。
ぱっと見は何の変哲もない街の不動産屋さんだ。ネットでは「粘れば事故物件を紹介してくれる」などと口コミを書かれていたりするが、除霊の斡旋まで請け負っていることは一般には知られていない。
ガラスの観音扉を開ければ、すぐにカウンターがある。
パーテーションの向こうから、ぱりっとしたスーツにノンフレームの眼鏡の男性が出てくる。この大黒不動産の二代目だ。三十代半ばだと店主から聞いたので、私よりいくつか年上であるらしい。
「おはようございます、無量さん。お待ちしていました」
「おはようございます。よろしくお願いします」
スチールの机を挟み、対面で席に着く。
「早速ですが、今回依頼したいのはこちらの物件です」
タブレット画面が私の方へと向く。一般の客が見るのと同じ、物件の情報の載ったページが表示されている。
「ロフト付きのワンルームですね。どんな曰くのある部屋ですか?」
「一年半ほど前に、女性が自殺を図った部屋です。その後の入居者がお二人いましたが、夜中にラップ音や女性の声を聞いたり、就寝中に不自然な息苦しさを覚えるなどして、いずれも短期間で退去されています」
事故物件には、事案の発生後三年間程度は顧客に対する告知義務があると、宅地建物取引業者のガイドラインで定められている。
何の心霊現象も起こらなければ問題ないが、実害が出るとなると物件に悪評が立ちかねない。そこで私のような除霊師の出番なのだ。
机の上に、鍵とA4茶封筒が置かれる。
「部屋の鍵です。地図や間取り、事案の詳細などはこちらの封筒に纏めてあります。情報の取り扱いには十分ご注意ください」
「承知しました」
事故物件に関する情報は機密扱いだ。不動産業者しか閲覧できないネットワークがあるらしく、下請けたる私には紙ベースで提供される。
「部屋には最短で明日から入れるように手配してあります。また泊まり込みですよね」
「ええ、いつも通り三日間ほどいただければと」
「では作業日が決まりましたら、改めてお知らせください」
「分かりました。アシスタントの都合も確認して、早めに現場入りします」
「経費はいつも通り後日精算で。食事代は可能な限り抑えていただけると助かります。このところ上限オーバーがやや目立ちますので」
「……善処します」
小さく肩をすくめてみせると、彼は眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。
「では、今回もつつがなくお願いします」
「ええ、また追ってご報告します」
同時に席を立つ。一礼して店を後にする。滞在時間はおよそ五分。今日もあっという間に打ち合わせが終わった。
大黒ジュニアは常に事務的な態度を崩さない、経費に細かいロボットみたいな人だ。
決まりきった必要最低限のやりとりのみで用件が済むため、仕事上の付き合いとしてはやりやすい。
プライベートの領域には決して踏み込むことのない、真に適切な距離感。特殊な職業柄、暗黙のうちにそれを保てる相手には信頼が置ける。
自宅へ帰り着いてから、アシスタントに連絡を取る。
【無量】お疲れ様です。新しい依頼が入りました。明日以降、できるだけ早めの日程で、数日間空いてる日を教えてください。
私とて要件のみの、定型文のようなLIMEメッセージを送っているのだから、大黒ジュニアのことばかり言えない。
私がアシスタントを付けている理由はただ一つ。そうでないと仕事をもらえないからだ。
以前、除霊担当者が怨念に精神を侵され、自身も悪霊化するという事故があった。事故物件に輪をかけるようなことを防ぐため、何かあった時の連絡係を帯同するよう、元請けから言い渡されているのである。
大抵の霊ならば私一人で対応できる。元請けの定めたルールさえなければ、私は今も単独で仕事を続けていたはずだ。
独りの方が断然気楽であることに違いない。
だけど——
程なくして既読が付き、即座に返信がある。
【★あんご★】にちかさん♡♡♡おつかれさまです!!予定、明日からだいじょうぶです!!今回もたのしみー!!
間を置かずして、一つ二つとご機嫌なスタンプが続く。LIME画面にも関わらず、喧しいことこの上ない。
数ヶ月前には想像すらできなかっただろう。
この、私とは正反対の、陽キャでパリピなチャラ男が、私のアシスタントだなんて。
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