第1部エピローグ
EP1 ゴーストハウス・スイーパーズ
「
洒落たカフェの一画。
注文したドリンクとケーキが運ばれて間もないうち、そう訊いてきたのは正面に座る
芙美はいつもの神職の服装ではなく、小花柄のワンピース姿。対する私もカットソーにパンツという私服である。
「いや、特には。今こうして芙美とお茶してることくらいかな」
「やだイケメン」
モンブランを切り崩した芙美は、一口目の甘さを堪能するように目を細めてから、再び私を見た。
「じゃなくてさ。なんか弐千佳、雰囲気が柔らかくなったから」
「そう?」
「黒じゃない服着てるの、久しぶりに見たよ」
「あぁ……たまにはね」
五年ぶりに選んだ、黒以外の色。トップスの淡いミントグリーンは、やけに視界に明るく映えて落ち着かない。改めて言及されると、どうにも気恥ずかしく思えてくる。
「可愛いじゃん、似合うよ。気もちょっとすっきりしたよね」
「ん……」
さすがの慧眼かもしれない。
甘くて酸っぱいレアチーズケーキが舌の上で溶けるのを待って、私は何でもないふうに口を開いた。
「実は、こないだ受けた依頼が、例の五年前の物件でさ」
「えっ……あの、お兄さんの?」
「そうだよ」
事案の概要だけをざっと説明する。
ちなみに芙美は、私と兄の間にあった関係を知らない。私のことを、ただ単に霊障で家族を亡くした女だと思っている。
「——というわけで、その案件を解決したことで、気持ちにけりがついたんだと思う」
「そっかぁ」
芙美がふわっと華やかに微笑む。柔軟剤のCMみたいに。
「それは良かったと思うんだけど、そっちなんだ、と思わなくもない。わたしはてっきり、あの有瀬くんと何かあったんじゃないかと思って」
「ぶはっ……!」
アイスコーヒー吹いた。
「あれぇ、それはそれで図星?」
「ちょっ……いや、ないわ。ぜんぜんない。変なこと言わないでよ、気道に入ったし」
軽く咽せつつ息をつく。
「あのね、七つか八つくらい年下の学生の子だよ。ないでしょ」
「そう? いいじゃん、持久力ありそうだし」
「どんな観点なの」
この手の発言をごく普通のテンションでするのが、芙美という女だ。
「まぁ、割と気に入ってはいるんだよ。いい子だしね。でもそういうのじゃないんだよ。なんか犬みたいというか」
「なるほど、
「ニュアンスが如何わしい」
清楚可憐な美人神職のイメージが崩れるだろう。
「でも、良かったんじゃないの。いいアシスタントがいるのといないのとじゃ、大違いだもん。生き死にの境界線を行ったり来たりするわけだから、ちゃんと信頼できる相手だといいよね。プライベートで深い関係になるかどうかは置いといてさ」
「確かにね」
芙美の言う通りだ。
闇に染まった魂を自分の身の内に受け容れた時、ただ一人で冷たい床にぶっ倒れるのではなく、受け止めてくれる誰かがいるというだけでもずいぶん違う。
舌の上にコーヒーの苦味が淡く残っている。レアチーズケーキの次の一口は、甘さが勝った。
視線を上げると、どことなく含みのある表情をした芙美と目が合う。
「……何?」
「プライベートで進展あったら報告よろしく」
「なぜ」
「単なる好奇心。ちょっと夢あるじゃん、疲れたアラサー女とそれを癒す若いワンコ男子」
「誰が疲れたアラサー女なの」
「違った?」
「……否定はできないね」
「でしょ。それと、霊符作る時の参考にもするかも。何かあったら気の調子も変わってくるだろうしね」
急に仕事モードになった芙美が、ハンドバッグから包みを取り出す。
「これ、頼まれてたいつものブツ」
「あぁ、悪いね」
私も用意していた代金の封筒を差し出す。
「毎度あり。また依頼?」
「そう。明後日から現場入り」
「健闘を祈る」
「ありがとう。芙美からの応援が一番だよ」
互いにイケメンフェイスで見つめ合い、ひと呼吸を置いて同時に
変わりゆくものは多々あれど、変わらず笑い合える友人の存在もまた、私と
二日後。
毎度おなじみ、駅のロータリー。
焼け付くような夏の日差しの下、有瀬くんは私を見つけるなり大きく手を振ってくる。
「弐千佳さーん!」
今日はトラ柄のアロハシャツである。トラの縞模様ではなく、リアルなトラの全身像がパターンとしてプリントされた柄。これがやたらと似合っている。
一方の私はいつも通りの黒いツナギ。なんだかんだ、これが一番落ち着く。
「有瀬くん、また一段と大荷物だね」
「もう暑いんで、小型冷蔵庫も持ってきました」
「そういう大物、私が預かっといた方がいいかもね。毎回持ってきてもらうのも大変だし」
「いいんすか? 助かります」
除霊作業に必要な備品に加えてもいい。
任務中の光熱費は多少上がるけど、健全な心身を保つのに有用だし、正常で清浄な気を維持することによって除霊の成功率も上がる。
経費にうるさい
二人して車に乗り込み、目的地へと向かう。
「今回は隣の市でしたっけ。どんな曰くのある物件なの?」
「集合住宅だよ。次から次へと派手な傷害事件やら不幸な死亡事故やらが起きて入居者が激減した上、オーナーの奥さんまで自殺したっていうエグい呪いのアパート」
「怖っ! 数え役満かよ」
以前であれば、このように大がかりな案件は気が重かった。何から何まで自分一人でやらなくてはならなかったからだ。
しかし今は違う。
「アパートかぁ。そうなると台所ちっこいかもしんないっすね」
「間取り見た。一口コンロだね」
「マジかぁ。今度からカセットコンロも持ってこよっかな。弐千佳さん、なんか食いたいもんとかあります?」
しばし考える。
「さっぱりしたものがいいね。冷しゃぶとか」
「冷しゃぶ! いっすね、作ります」
「うん、楽しみ」
国道は快調に流れている。青く澄んだ空が清々しい。
「そうだ弐千佳さん、家ん中に溜まってるようなわさわさした念の祓い方教えてください」
「いいよ。それ、教えようと思ってたんだ。有瀬くんなら難しくないはず」
「やった! せっかくアシスタントやるからには、家事以外もちゃんと役に立ちたいんすよねー」
「うん、頼りにしてる」
「うひひ」
やがて国道を逸れ、住宅街へと入る。ナビの案内に従って進んでいくと、問題の物件に到着する。
「うわぁ……」
「やべえ……」
見上げたアパートは、建物全体が濃い瘴気に覆われていた。
「ちょっと想像以上なんだけど」
「特に二階の右端の部屋とか、三階の真ん中の部屋とか、パネェっすね」
「これは少し骨が折れるかも」
「えっ、いつもより日数かかる感じ?」
「かなぁ。延びたらごめん」
「全然いいんすけど、献立たくさん考えなきゃ」
「そっちの心配なの?」
軽い調子で言葉を交わしつつ、一つ深呼吸をして、念の渦巻くアパートの入り口の前に立つ。
人の思いは、場所に根付く。
事故物件に染み付いた幽霊の念を祓い、住み良い部屋へと原状回復させる。
それを専門にする霊能者を、界隈ではこう呼ぶ。
『霊的特殊清掃人』と。
「行こう、有瀬くん」
「はい、弐千佳さん」
そうして私たちは今日も、見知らぬ玄関の扉を開けた。
—ゴーストハウス・スイーパーズ 第1部・了—
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