4-5 パートナーの境界線

「私も兄も、生まれながらの異能持ちだった。生まれた時から、自分の力をコントロールしたり悪い念を退けたりする方法を教え込まれた」


 私にとっては、それが普通だった。

 だけど私が普通だと思っていたものは、普通じゃなかった。だから真の『普通』がどういうものなのか、正しくは知らない。


「私はとりわけ器になりやすい性質で、昔はよく身の内に負の念を溜め込んでひどいことになってた。悪霊に接するとなると、下手すれば命取りになりかねなかった。だから除霊の仕事の時は兄と、身を守るようにしてた。というか、兄が私を守るために、そうしてくれてた」

「へぇ、優しいお兄さんだったんすね」

「まぁ、そうなのかな……」


 私はそっと視線を落とす。


「業界的にも、そんな感じでパートナーと組んでる人は結構いるよ。相性の良い者同士で気を交換しておけば、お互いの力を高めたり、いざという時の命綱にしたりもできる」

「確かにあの世とかこの世とか際どいところを行ったり来たりするんなら、気を命綱にするってのはなるほどって感じっすね」

「うん、魂で繋がってる状態になるというか。だから私たちは、普通の兄妹よりは距離が近かったんじゃないかなと思う」

「あぁ、そゆこと」


 有瀬くんが頷くのを見て、私は淡々と続ける。


「五年前も、そうだった。私はこの家に蔓延る念をたっぷり溜めた状態で、兄と気を交えて情報共有した。そのせいで壱夜いちやは……兄は、自分と共通項のある闇に通常より深く同調してしまったんだと思う。そうやって隙を見せたせいで、この場を一番強く支配してた一家の母親の念に囚われた」


 カルトだろうが何だろうが、信仰の力は馬鹿にできない。何かを妄信する心は、ある意味では純粋でひたむきだ。それだけ強い力を持ってしまう。

 家という閉鎖空間で培われたそれは、負に傾きかけた一人の除霊者の精神を簡単に侵食してしまった。


「『繋がり』は、良いことばかりをもたらすものじゃないんだよ。あの時、兄と気を繋げなければ、結果は違ってたはず」


 だからこそ思う。

 一人で何もかも解決できる力があればいい、と。

 生きるためのわざで、生きながらのごうを背負って。


「それでも、魂の繋がりを上手く辿れていたら、本当は兄を救い出すことができたのかもしれない。だから兄は私を恨んでるんだよ。せっかくわざわざ強い結び付きを作ってたのに。兄からしたら、裏切りも同然だと思う。客観的に見たって、私が兄を殺したことには違いない」

「でもっ……仕方なかったんすよね? そりゃ目の前で急にお兄さんがそんなことになったら、誰でもテンパりますって。弐千佳さんだって、助けられるんなら助けたかったわけでしょ? やっぱきちんと話した方がいいんじゃないの? 恨まれたままなんて哀しいし」


 有瀬くんの声はどこまでも優しい。


「罪悪感持っちゃうのも分かるけど……あんまり自分を責めないでください。弐千佳さんのせいじゃないすよ」


 まっすぐ覗き込んでくる目は真剣そのもので、私にはちょっと眩しすぎた。


 いくらか沈黙の下りた後、有瀬くんは何でもないような口調で言った。


「ひとまず下行こ? 空気入れ替えて、朝メシでも食って、ひと息ついた方がいいっすよ」

「ん……そうだね」


 有瀬くんの言う通りだ。

 このままじゃ自らの負の感情に呑み込まれて、亡霊に押し負けてしまう。それこそ無責任だろう。私はプロとして、過去の失敗の後片付けに来たのだから。


 気持ちを切り替えるのに、タバコ三本必要だった。

 家の前に駐めた車から屋内に戻ると、ふわっといい匂いが漂っていた。

 用意された朝食は、炊き立てごはんで作った大量のおにぎりと、わかめのお吸い物だ。

 二人してフローリングにぺたりと座って、食事を摂る。


「美味しい」

「良かったー」


 現金なもので、お腹の中が温まると肩の力も抜けた。

 有瀬くんがしそおにぎりのラップを剥がしながら言う。


「弐千佳さん、今日どっか遊び行きません?」

「仕事中だよ」

「だからこそっすよ。こんな息の詰まるとこに籠りっきりより、パーッと息抜きして調子を整えた方が絶対いいって。どのみち昼間のうちはちょっとくらい外に出ても大丈夫でしょ?」


 その無垢な瞳を、努めて見つめ返す。


「……一理ある」


 多少の気分転換ぐらい、自分に許しても良い気がした。




 ピッチングマシーンから、ストレートの球が飛んでくる。

 私はバットを振り抜く。芯を捉えた感覚。ボールは高く飛び、防球ネットの中ほどに当たる。


「うおー! すげー!」


 隣の打席の有瀬くんが歓声を上げる。


「弐千佳さん上手いっすね!」

「まぁ、タイミング合わせるくらいならね」


 ここは今回の事故物件と同じ市内にあるバッティングセンター。私と有瀬くんは、隣同士のバッターボックスに立ってバットを振っている。


 カキーン!と、景気の良い音が響き渡る。有瀬くんの打ったボールは、相当な速度でネットに突き刺さった。

 私のピッチングマシンの設定が九十五キロなのに対して、有瀬くんは百二十キロ。甲子園並みだ。


「有瀬くんさ、何気にすごくない?」

「ガキのころは結構行ってたんすよ。うちも田舎だったんで、遊ぶとこって言ったらバッティングセンターくらいしかなかったもんで」


 私もバットを構える。球が飛んでくる。腰から腕を振る。今度は空振り。


「筋肉痛になりそう」

「じゃあやっぱ一緒にジム行きましょうよ」

「無理」

「えー」


 隣から打球が飛んでいく。ライト方向。


「有瀬くん運動神経いいね。体幹もしっかりしてる」

「まぁそこそこ? でも兄貴たちの方がいいんすよねー」


 私はバットを振る。たぶん一塁打。


「別に比べなくてもいいんじゃないの」

「いやー、なんか面白くなくて。男ばっかだとどうしてもねー」


 有瀬くんのセンターフライ。


「俺、姉ちゃん欲しかったんすよー」

「そうなんだ」

「今まで付き合った彼女も年上ばっかだし」

「あー、なんか分かる」


 私のピッチャー返し。


 有瀬くんが突然バットを高くまっすぐに掲げた。


「よっし! 予告ホームラン!」

「何、どしたの急に」


 ちら、とこちらを振り返って八重歯を見せた彼は、繰り出された球に対し、力いっぱいのフルスイングをかます。

 勢いよく風を切るバットはしかし、球に掠ることなく見事に空振りした。

 その場に崩れ落ちる我がアシスタント。


「うわぁぁぁ! ここで失敗するのが俺だよ! ダッセェ!」

「今のはちょっと力みすぎだっだんじゃないの」

「っすねー! くそー!」


 あまりに悔しそうで、思わず笑ってしまった。


「あははっ、そんなに?」

「あー……でも、ぜんっぜんいいです! うんっ!」


 パァァ!と有瀬くんの笑顔が輝く。

 私の目の前を、ストレート球が通過していく。ストライク、バッターアウト。


 有瀬くんの次の打球は気持ちいいほど良く飛んで、防球ネットの高い位置、『ホームラン』と書かれた幕を直撃した。



 日が傾くころまでバッティングセンターの建物内にあった古いゲームセンターでぶらぶら遊び、帰りにカレーのチェーン店で夕飯を摂る。

 有瀬くんがロースカツトッピングの1辛大盛りポークカレーをひとしきり掻き込んでから言った。


「思ったんすけど。最初言ってたじゃないすか、弐千佳さんの身に何かあったら元請けに連絡しろって」

「言ったね」

「あれ、俺がいたらある程度何とかなったりしちゃわないすか?」


 私は辛さ普通の野菜カレーを一口分、しっかり咀嚼してから飲み込んだ。


「まぁ、気力は回復できるよね、有瀬くんがいると」

「やった! やっぱそっすよね! あっ、そういや『気の交換』ってやつはどうやるの?」

「え?」

「ほら、気を交換しといた方がお互いに力が高まるって」

「あー、うん、それはそうだけど。ちょっと難しいかな。まずは有瀬くんが自分の気をコントロールできるようにならなきゃ」

「そっかぁ。とりあえず俺、できる限りで弐千佳さんをサポートしますね。アシスタントなんで!」

「うん、ありがとう」


 一応、微笑んだつもりではあった。



 明日の分の食材を買ってから現場に戻れば、相変わらず家の中には念が蔓延っていた。それをざっと祓ってから、霊符を貼り直す。

 特に私の寝泊まりしている部屋には、更に四方の壁に霊符を追加する。

 その後、有瀬くんの陽の気を引き出す練習をした。ラップ音がひどくて集中が途切れがちだったけど、どうにかコツは掴んだと思う。

 何か彼は「夜のレッスンすね」などと言っていたが、文字通り夜の時間帯に練習をしただけの話である。


 夜更け。

 一人、部屋の中央に寝転がりながら、身体の内側で濃い気を練る。

 この場の主導権は確実に私が掌握する。今夜は有瀬くんにまで霊障を


 この物件の怨霊が活性化したのは三ヶ月前。

 三ヶ月前から、何があったのか。

 それはこの物件というより、怨霊自身にとって問題となることだった。

 怨霊が私の兄ならば、それは恐らく——


 やるべきことがある。けりをつける必要がある。

 だから。


 境界線を、しっかり引かなければ。

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