幕間

幕間3 関わり合う

 カーナビが馴染みのないインターの名前を告げる。

 山を一つ越えてきた。何となく空気の匂いが違う気がする。燦々と降り注ぐ陽光に、木々の緑が眩しい。

 高速道路を降りたところにはやはり何軒かラブホがあり、しかし国道を少し進めばそれなりに栄えた市街地に入った。

 通り沿いには全国チェーンの飲食店やショッピングセンターもあって、生活するのに便利そうな街だ。


 ナビは主幹道を逸れ、住宅街への道を案内してくる。

 右も左も、広い庭のある立派な一軒家が多い。外から見える庭木もちゃんと手入れされているのが分かる。

 目的地は、そんな区画にあった。


 専用駐車場に車を駐め、到着した旨をLIMEメッセージで送る。

 看板の矢印通りに歩けば、目の前には大きな門。ぐるりと囲む白壁の土塀は、周辺の家々よりも更に立派だ。

 開け放たれた門の横には、寺の名前と合気道の道場の名前の札が並んでいる。

 聞いていた情報と違いない。ここなのだ。


 門の向こう側から、見知った青年が手を振りながら駆けてきた。


弐千佳にちかさーん! いらっしゃーい!」


 この純和風の建造物にびっくりするほど似合わない、長めの金髪に派手な金魚柄のアロハシャツ姿。

 そう、我がアシスタント、有瀬ありせくんである。


「どうぞどうぞ、入ってください」

「お邪魔します。すごい立派なお寺だね」

「まぁ、道場とかもありますしねー」


 ここは有瀬くんの実家だ。彼はボンボンだったのである。

 でも、薄々そうじゃないかなとは感じていた。ノリはチャラいのに紳士的だったり、サイケなデザインではあっても清潔な衣服を崩さず着ていたり、調理道具や食材などを気前よく買ったりする。実家が太くてお坊ちゃん育ちならば、全部腑に落ちる。


「今日の弐千佳さん、めちゃキレイっすねー」

「そういうのいいから」

「いやマジで。あっ、もちろんいつもキレイだけど、今日は特に」

「そりゃあ有瀬くんのお父さんにお会いするんだし、多少はきちんとしないと」


 本日の私は、珍しくパンツスーツ姿だった。普段より丁寧にメイクをして髪も整えているので、さすがに男に間違われることもないだろう。


 有瀬くんは口元を両手で軽く覆って、ほぅっと息をついた。


「今の俺、初めて彼氏が実家に挨拶に来る時の女子の気持ちです」

「なんで女子の気持ちなの」


 もちろん、息子さんをくださいなどという話をしにきたのではない。

 有瀬くんのにあたり、お父さんから何か有用な話が聞けないかと思ったのだ。また同業者でもあるため、一度ご挨拶しておくべきだろうとも。


 間口の広い母屋の玄関で出迎えてくれたのは、すらっとした上品な美人だった。


「お母さん、ほら、この人が弐千佳さんだよ」

「あらあら、こんにちは。安吾あんごからいろいろ伺っていますよ」


 気取らない朗らかな笑顔の、感じのいい人だ。有瀬くんはお母さん似だな、と思った。

 持参した手土産を渡して挨拶もそこそこに、応接間へと通される。

 整然とした八畳の和室。床の間には掛け軸と生け花。ふかふかの座布団。

 そして隣には緊張した面持ちのチャラ男。うん、何だかなぁ。


 ややあって、襖が開く。その人物が入ってきた瞬間、部屋の空気が一変した。

 渋い淡茶色の着流し姿の、壮年の男性。僧侶らしく綺麗に剃髪した頭に、中背ながらも引き締まった体格。

 何よりも、満ち足りて安定した気を纏っている。一切の隙がない。

 太めの眉で彫りの深い顔立ちは厳格そうにも見えるが、威圧感ではなく安心感を覚えるのは、豊潤な気のおかげだろう。

 この人が。


「どうも、安吾の父の有瀬 彰胤あきつぐと申します。わざわざご足労いただきまして、ありがとうございます」

「初めまして、無量むりょうと申します。いつも安吾さんにはお世話になっております。本日はお時間をいただき、感謝いたします」


 年代物の重厚な座卓を挟んで深く頭を下げ合う私たちの傍らで、有瀬くんはどことなく居心地悪そうにしている。

 お母さんがお茶と饅頭を運んできて、再び襖が閉ざされると、私はさっそく切り出した。


「今日お邪魔したのは、安吾さんのことです」


 有瀬くんに関して、これまで私が見てきた限りで感じたことを説明する。

 霊的感覚の鋭敏さ、私の術の領域内でも確固とした自我を保てるバランス感、そしてあの強い陽の気について。


「安吾さんには相当な潜在能力があります。彼自身がそれを上手くコントロールできるようになったら、かなりの使い手になれるのではないでしょうか。一緒に仕事をする身として、良い方向へ促せたらと考えています。それに関して、お父さまから何かヒントをいただけたらと」


 彰胤氏は顎に手を当て、しばし息子を見据えると、小さく頷いた。


「……安吾は、小さい時から手の付けられないやんちゃ坊主でした。上に兄が二人おりますが、安吾だけ野生児のようで。無量さんの仰る通り、陽の気の強い子であることは私も承知しておりました。潜在的な気の大きさだけならば、三人の息子の中で一番と言えるくらいです」

「へっ? そうなの?」


 素っ頓狂な声を上げる本人。

 お父上は続ける。


「ただし、コントロールという点では壊滅的でした。ご承知の通り、万物は陰と陽、両方の側面があることで均衡を保っています。陽だけではいけない。安吾自身、ずっと自覚もないまま持て余していたのだと思います。道場でも、勢い余ってやりすぎてしまうことがしばしばありました」

「なるほど……」

「更に言えば、安吾は昔から物事に対する執着というものがあまりなく、どうにも不真面目で、ここぞという時に踏ん張ることのできない子でした。恥ずかしながら私では上手く導けなかった。安吾が道場を辞めて以降は、ほとんど家内に任せきりで……」


 有瀬くんが、お父さんに気付かれない程度に肩を落としたのが分かった。

 上に優秀なお兄さんが二人。末っ子の彼に過度な期待がかからなかったのは、良かったのか悪かったのか。

 保護者面談にするべきだったかもしれない。三者面談ではなく。


 そこへ、やや上向きのトーンの声が続く。


「でも、数ヶ月ぶりに帰ってきた安吾を見て驚きました。前と比べて、気の調子がずいぶんと落ち着いた。恐らく無量さんのおかげでしょう」

「……そう、なんでしょうか」

「えぇ」


 彰胤氏から、改めてまっすぐの視線を向けられる。


「伊賀の、無量家の方ですね」

「えぇ、そうです」

「無量家の女性は特に、陰の気を操る力が強いと聞きました」

「そうですね」


 ひっそりと、鳩尾みぞおちが冷えた。しかし表情筋にはわずかたりとも響かせない。

 彰胤氏は、ふっと頬を緩める。


樹神こだまくんから訊かれたんですよ。『無量家の女性除霊師の方が助手を探している。陽の気質の強い人材はいないか』と。彼には以前ちらっと息子たちの話をしていたので、それを覚えていたのかもしれません」

「あぁなるほど、そういう流れで……」


 ここへ来て、有瀬くんを紹介してもらった経緯を知る。

 あの、どうにも掴みどころのない気障な異能探偵のことを思い出す。何なんだろうあの人。怖いんだけど。


「彼の見立ては確かでした。無量さんの気の在り方を知ったことで、安吾は己の立ち位置を学んだのだと思います。無量さんの傍だからこそ、この愚息の能力が開花したのでしょう。ぜひこのまま助手として使ってやってください」


 有瀬くんはエクスカリバーか何かかな。

 隣でお利口にお座りを続ける大型犬は、らしくない中途半端な笑顔を貼り付けている。


 私は居住まいを正した。


「有瀬さん。安吾さんはとても大らかで、純粋な善の人です。おかげで私も、何度も心を軽くしてもらいました。負の念を抱えた怨霊に対しても、正面から向き合うことができます。強い陽の気は先天的なものでしょうけど、こうした善性は育った環境で培われたもののはずです。ご両親が愛情を持って、適切な距離感で見守って育ててこられたからこそだと、私は思います」


 そうでなければ、人はこんなにまっすぐのままいられない。世の中には、陽の気質を持ちながらも、周囲との齟齬から歪んでしまう者だっている。

 執着がないというのは、悪いことばかりではないはずだ。有瀬くんは多少つまづいてもすぐ切り替えて、マイナス要素をポジティブに変換して前へ進む。そうするように、周りの大人が促してくれたのだろう。


 私は両手を膝に揃え、丁寧に頭を下げた。


「大事なご子息、お預かりします」



 ご両親に見送られ、寺院を後にする。有瀬くんが駐車場までついてきてくれた。


「弐千佳さん、今日はありがとうございました」

「ううん、こちらこそ。いいご両親だね。来て良かった」


 ちょっとしたやりとりを見ただけだけど、有瀬くんはお母さんと仲が良さそうに思えた。料理の腕はお母さん譲りだろう。

 総じて、とてもマトモな家だ。


 門を出て細い道を渡り、駐車場の砕石を踏んで歩く。


「あっ、あの、弐千佳さん」

「何」


 振り返れば。

 有瀬くんが、どことなく潤んだ瞳で私を見つめていた。


「俺を弐千佳さんのお嫁さんにしてください」

「だからなんで女子の気持ちなの」


 おかしいわ。根本的に。


「もうね、さっき思ったんすよ。俺の人生預けるならこの人しかいねえなって」

「人生って……大袈裟なこと言うね。でもまぁ、ああして親御さんから直々に言われたし、これからもよろしく」

「俺のボスがイケメンすぎる」


 私はいったいどうしてしまったのか。誰かとこれほど深く関わりを持とうだなんて、正気の沙汰じゃないだろう。


 でも、悪くない。


 有瀬くんと出会ってから、そう思い続けている気がする。

 先ほどお父上に向かって告げたように、これも言葉に出してしまえば自他共に腑に落ちるのかもしれない。

 だけどこのヘラヘラした笑顔を見ていると、なぜだかちょっと意地悪な気持ちが湧いてくる。


 私は一ミクロンも表情を動かすことなく、静かに口を開いた。


「じゃあ、また依頼が入ったら連絡するから」

「はいっ!」


 わんっ! 元気なお返事である。

 いけない、最後に少しだけ口元が緩んでしまった。

 私は運転席に乗り込むと、いつも通りに車を発進させたのだった。



—幕間3 関わり合う・了—

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る