2-2 エルミタージュⅡ 403号室

 待ち合わせ場所は、前回と同じ駅前ロータリー。

 有瀬ありせくんは私の姿を見るや否や、満面の笑みで手を振ってきた。


弐千佳にちかさーん!」


 長めの金髪。今日も派手なハイビスカス柄のアロハシャツで、やたらと目立つ。

 そしてなぜか、ものすごい大荷物だった。背中には登山にでも使うようなリュック、肩からかけたクーラーボックス、極め付けは片手に提げた大判の紙袋。締まりきっていないその口からは、炊飯器が覗いている。


「有瀬くん……その荷物は何?」

「これすか。自炊の準備です」

「炊飯器とか、わざわざ買ったの?」

「違う違う、うちから持ってきたやつ。弐千佳さんの好きな和食系のもの作るのにも、米は絶対いるでしょ!」

「えっ、うん」


 私物なら良かった。この前の案件では結果的に経費で落とせたけど、毎度都合よく手料理に癒される霊が出るとは限らない。


「結局アパートは引き払わなくて大丈夫なの?」

「うん、真面目にちゃんと単位取る約束したのと、正式に弐千佳さんのアシスタントにしてもらえたって親父に言ったら」

「そう、良かったね」

「弐千佳さんのおかげっすよー」


 それにしても。

 初夏の爽やかな日差しの中、ゴキゲンないでたちでそれらの荷物を抱える有瀬くんは、バーベキューにでも出かける人みたいだ。とても曰く付きの物件に籠って除霊に臨む人とは思えない。


「今回は隣の市のマンションだっけ? オール電化って書いてましたよね。どんなとこかなー。やっべぇ、テンション上がってきたー!」


 ノリは完全にバーベキューの人だけど。


 ロータリーの脇に駐めていた白のライトバンに乗り込み、現地へと向かう。

 平日の昼下がりの住宅街には、遊びや習い事に出かける小学生の姿がちらほらある。

 列になって進む自転車の少年たちの横を徐行していると、有瀬くんが出し抜けに口を開いた。


「今さらなんすけどー、弐千佳さんて彼氏いるの?」

「は? なんで?」

「えー、だってほら、仮にもおんなじとこで寝泊まりするわけじゃないすか。彼氏さんに悪いかなーって」

「いるように見える? こんなナリで」

「あっ……彼氏に限らず、誰か付き合ってる人ってことで」


 どんな解釈なの。リベラルなのは分かったけど。


「特定の相手はいない」

「そっすか、そんなら良かった。俺も今ちょうどフリーなんで!」

「そう」


 隣を見なくても、あの人懐こい顔で笑っているのは想像できた。


 問題の物件は、アパートやマンションの多く建ち並ぶ一画にあった。私は以前も仕事で数回この付近に来たことがあるので、馴染みの場所だ。

 指定された駐車場に車を入れ、ナビの地図に目をやる。


「この辺、事故物件多いんだよね」

「それは……何らかの呪いのエリア的な?」

「単純に集合住宅の多い地区だからだよ。世帯の母数が多ければ多いほど、孤独死や自殺、事件なんかの件数も比例して増えるってだけ」

「あー、言われてみれば確かにそっすね」

「でも」


 エンジンを切る。車内がにわかに静まった。


「念は同質の念を引き寄せる。ひとたびが起きた場所で、似たような事件がまた起きるってことは往々にしてある」

「類友ってやつっすね」

「友……まぁ、そんなとこ。そういうのはいわゆる『呪い』みたいに見えるけど、その手の悪い噂もまた、念を増幅させる一因になる」

「イメージでどんどん悪い方に転がってっちゃう感じ?」

「そう、たくさんの人が悪い印象を持てば、世間的に悪いものになっちゃうから。そうすると良くないものが集まりやすくなる。ただの思い込みでも馬鹿にできない。負の念の溜まり場になり得るんだよ」

「なるほど」


 二人して車を降りる。荷物のうち四分の三は有瀬くんが担いでくれた。

 見たところ、特に何の変哲もないマンションだった。グレーを基調としたよくある感じの外観で、六階建て。共同玄関は重そうな扉できっちりと閉ざされている。

 すぐ横に『エルミタージュⅡ』とマンション名の入ったステンレスの館銘板がある。

 玄関に併設された数字のパネルで教えられた暗証番号を入力すれば、あっさり解錠できた。


「セキュリティしっかりしたマンションっすね」

「築十七年て聞いたけど、それよりもっと新しく見えるね」


 こじんまりした小綺麗なホールには、エレベーターが一基。すぐ横に階段もあるけど、四階なので迷わずエレベーターのボタンを押す。何せ、大荷物だ。

 外の陽気に比べると、マンションの内部は薄暗くひんやりしていた。部外者はおいそれと入れない建物。とざされた空気の中で、自分が異質な存在であるかのように感じる。

 滑らかに動くエレベーターに運ばれて目的の階へ行き着き、今回の除霊対象の部屋の前に立つ。


「403号室。隣は405なんだ」

「4号室がないとこ、未だに結構あるよ。死のイメージを避けたいんだろうね」

「そんでも事故物件になるっていう」

「ほんとにね」


 借り物の鍵で扉を開ける。

 一歩踏み入れた途端、さわさわと肌が粟立つ感じがした。結構、


「んっ! なんかいる?」

「密閉されたまま残ってた念かな。幽霊本体じゃなくて」


 玄関ホールはそこそこ広く、作り付けの下駄箱がある。

 短い廊下を挟んで、右側のドアは六帖の洋室、左側のドアはトイレと洗面所と浴室。

 正面の扉一枚を隔てて、十帖のリビングダイニングキッチン。そこから更に左側の引き戸の向こうは六帖の洋間で、クローゼットが一つある。リビングダイニングの掃き出し窓からは、ベランダに出られるようになっている。

 夫婦二人か、あるいは加えて子供一人という世帯にちょうど良さそうな2LDKだ。

 しかし全体的に埃っぽく、空気が悪い。


 有瀬くんが、壁付型のオープンキッチンを見て歓声を上げる。


「うぉー、コンロが二口! IHだし! やった!」


 ただの内見客か。


「元請けからもらった情報によると、事件があったのは北側の部屋らしい」


 北側の部屋——玄関入ってすぐの洋間へと戻る。

 小さな窓が一つあるだけの部屋だ。大して陽も入らず、ひどく寒々しい。ブレーカーを上げて電気を点けると、寒色系の光が室内を寂しく照らす。なんとなく、ぞくりとする念が手足に纏わりついた。


「どんな事件だったんすか?」

「集団自殺だよ、練炭を使った。二年くらい前に、ニュースにもなってた」


 有瀬くんはその六帖間をぐるっと見回した。


「ここで集団自殺? 住んでた人が?」

「そう。三十代から四十代の、女性ばっかり三人。SNSで知り合った人たちだったみたい。そのうちの一人が当時のこの部屋の賃貸契約者で、二人を呼び寄せてしばらく共同生活を送ってた」

「へぇ、シェアハウス的な?」

「シェアハウスでもあり、セーフハウス的なものでもあったかもしれない。三人が三人とも、家庭に問題を抱えた女性だったらしい」

「類友ってやつっすね」

「うん。時々あるような、一緒に自殺する相手を募って……っていうケースとは、少し違うみたい。その人たちはSNS上で互いの悩みを分かち合って、一緒に生きることを決めたらしいから」


 そうして彼女らは半年ほどの共同生活を送っていた。


「だけどなんでか、三人は集団自殺を図った。この部屋を内側からガムテープで目張りして練炭を焚いて、一酸化炭素中毒で亡くなった」

「その方法、集団自殺界隈だとメジャーな感じっすよね。よく山中に停めた車ん中とかでみんなで死んでるイメージ」

「複数で自殺を図る場合、誰か一人でも失敗して生き残ったら、その人に殺人容疑がかけられることになるでしょ。だから確実に、全員同時に死ぬ必要がある。練炭による中毒死っていうのは、フェアで合理的な集団自殺方法なんだよ」

「すげえ……みんないろいろ考えて死ぬんだな」


 その時。

 パチパチパチン!と、激しいラップ音が空虚な部屋に響き渡った。


「うぉっ⁈」


 有瀬くんは慌てた様子できょろきょろして、ホッと息をつく。


「あーなんだ、ただのラップ音かよ」

「そこは安心するとこなんだ」

「だって、もし爆竹だったりしたらやばいでしょ」

「ヤンキーの発想」

「それよりも、ずっと気になってたんすけど」


 有瀬くんは、部屋のある一点を指した。


「あの木の枠って何すかね」


 隣の405号室との境目にあたるその白い壁には、不自然なドア枠のようなものが一つ貼り付いている。

 枠、だけだ。

 私も感じていた。この部屋の中で最も嫌な感じのする箇所が、まさにそこだった。

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