#2 集団自殺マンション

2-1 新たな依頼

 依頼が入るのは、いつだって唐突だ。

 泥みたいな意識の端から、切り裂くような電子音が滑り込んでくる。


「んー……」


 私はシーツの間から腕を伸ばし、いつも枕元に置いているスマホを手繰った。

 『大黒だいこく不動産』。表示された名を見て、半身を起こし応答する。


「はい、無量むりょうです」

『大黒です。今よろしいですか』

「えぇ、大丈夫です」


 声の調子だけなら平静そのもの。我ながら見事な切り替えだ。

 同様に冷徹そのものの相手の声から、大黒は大黒でも店主である父親ではなく、息子の方だと知る。


『新たな案件です。今から店に来られますか』


 この部屋に時計らしい時計はない。

 スマホを顔から離して確認すれば、左上の時刻表示はもう九時近かった。道理でカーテンから漏れる光も強いわけだ。


「承知しました。伺います」


 通話を切って、ベッドを這い出る。

 全身がひどく怠い。寝過ぎた。


 キッチンの調理台には、昨夜片付け損ねたビールの空き缶が二本。資源ゴミの日はいつだったか。放置したところで、誰かに見咎められるわけでもないけど。

 ダイニングテーブルに置いたタバコに手が伸びる。ほぼ無意識の動作で火を点け、一口目を深く吸って吐き出すと、身体の中身が入れ替わったような気分になった。


 広々としたこの2DKは、もともと事故物件だった部屋だ。前の入居者が謎の孤独死を遂げたという。低級の霊の溜まり場みたいになっていたので、霊障が何らか影響したものと思われる。

 部屋に蔓延っていた霊たちを残らず祓った後、立地と間取りが気に入ったため、私はそのまま入居を決めた。関係者割引で家賃をかなり安くしてもらえたのがラッキーだった。


 洗顔を済ませ、鏡に映る自分と視線を合わせる。頬は血の気が薄く、キャミソールのストラップのずり下がった肩は細く頼りない。

 弱々しさを覆う程度の化粧をして、マッシュショートの前髪を下ろし、仕事着代わりの黒いツナギに身を包む。

 これで、いつも通り辛気臭い顔をした『何事にも動じない』無量 弐千佳にちかのできあがり。

 表面だけでも整えれば、なんとなく背筋の強度が増した感じがするものである。


 キッチンに戻る。食パンを生のまま齧り、牛乳をパックから口をつけずに直に注ぎ込むと、私はボディバッグを掴んで玄関を出た。



 大黒不動産は、自宅アパートから車で十五分ほど。古い雑居ビルの一階に入っている。

 大手不動産チェーンのように目立つ看板やのぼりがあるわけではなく、住宅や個人経営の飲食店の並ぶ街並みに溶け込むように存在する。

 表に向けて貼り出された間取り図の中に、事故物件はない。問題のない部屋の情報ばかりが並んでいる。


 先日有瀬ありせくんにも説明した通り、家賃の安さなどから事故物件の需要はそこそこある。

 だけど実際に住もうとすると、情報を得るのはちょっと難しいらしい。

 直接店にかけ合っても、曰く付きの部屋などなかなか紹介してもらえないのが普通だ。誰もわざわざリスクを負いたくないのである。

 それでも、この大黒不動産は「粘れば事故物件を紹介してくれる不動産屋」として何件か口コミを書かれていたりする。

 ただ、除霊の斡旋まで請け負っていることは、一般には知られていない。


 一時代前のガラスの観音扉を押し開けると、スチール机と二脚のキャスターチェアの並ぶカウンターがある。

 すぐにパーテーションの向こうから、ぱりっとしたスーツにノンフレームの眼鏡の男性が顔を見せる。歳の頃は私より少し上、恐らく三十代半ばほど。これが大黒不動産の二代目だ。


「おはようございます、無量さん。お待ちしていました」

「おはようございます。よろしくお願いします」


 机を挟み、揃って席に着く。

 この人との間に、無駄な会話は一切介在しない。お父さんはニコニコと愛想が良くて世間話の好きな人だけど、それとは正反対のタイプだ。あの福の神みたいな父親からこんなロボットみたいな息子が出てくるものなのかと、ちょっと不思議に思う。

 もちろん、必要な話さえできればいいので、仕事をもらう相手として不足はない。


「早速ですが、今回依頼したいのはこちらの物件です」


 タブレットの画面が私の方へと向けられる。一般のお客が見るのと同じ、物件の情報の載ったページが表示されていた。


「隣の市ですね。賃貸マンションか。どんな曰くの付いた部屋ですか」

「二年ほど前に、練炭による集団自殺のあった部屋です。もしかしたら無量さんのご記憶にもあるかもしれませんが——」


 聞けば確かに、覚えのある事件だった。ローカルニュースでも軽く報道された。近場だったので印象に残っている。もちろん、いつか自分の業務に関わりそうだと思ったからこそだ。


「その部屋、何か心霊現象が起きるんですか」

「先々月退去された方によれば、ラップ音などのよくある現象の他、誰かの足音が聞こえたり、スマホに妙な着信があったり、街に出れば交通事故や掏摸すりに遭ったりと、不可解な現象や不運なアクシデントが重なって起きたそうです」

「外に出てまで不幸が発生するのは、怨念が入居者の運気にまで影響するパターンですね。『事故』の経緯も勘案しつつ、現地の状況を見て対応します」


 カウンター上に鍵とA4の茶封筒が置かれる。


「部屋の鍵です。共同玄関はオートロックなので、暗証番号が必要です。それを含め基本的な情報はこの封筒に入れてありますので、ご参照ください。部屋には最短で明日から入れるように手配してあります」

「分かりました。アシスタントの都合も確認して、なるべく早めに現地入りします」

「助かります。必要経費は後日の精算で。ただし前回のような調理用具は困りますが——」

「あれは必要経費でした。報告書に記載した通りです。店主にも認めていただけましたけど」


 高速ラリーみたいな会話が一瞬途切れた。


「……手料理で霊が浄化されたとは、前例を見ない事態です」

「前例はなくとも実際にそうだったんです」

「幽霊が、料理を」

「食べてはいませんけどね」

「ずいぶんナンセンスですね。道理に合わない」

「科学で説明できない事象に対して合理性を求めることの方がナンセンスでは?」


 視線が膠着する。

 互いに真顔のまま見合うこと数秒。大黒ジュニアが先に目を逸らし、眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。小さく溜め息をつきながら。


「なるほど、一理あります。ところで、新しいアシスタントの方は男性でしたか」

「えぇ。男性でも料理くらいするでしょう」

「まぁ、そうですね。何であれ無事にアシスタントも見つかったことですし、今回もつつがなくお願いします」

「承知しました。また追ってご報告します」


 同時に席を立つ。一礼して店を後にする。

 滞在時間はおよそ五分。

 あの人、あの感じで客商売やっていけるんだろうか。別に私の知ったことではないけど。

 というかこの前、あのジュニアが私を気に入っているとか、お父さんの方が言っていなかっただろうか。どう考えても勘違いだろう。



 自宅に帰り着いてから、有瀬くんへLIMEメッセージを送った。


【無量】お疲れ様です。新しい依頼が入りました。明日以降、できるだけ早めの日程で、数日間空いてる日を教えてください。


 一瞬で既読が付き、即座に返信がある。


【★あんご★】にちかさん♡♡♡おつかれさまです!!明日から大丈夫です!!


 直後に一つ二つとスタンプが押される。LIMEですら騒々しい。

 そこへ更にメッセージが続く。


【★あんご★】和食と洋食と中華だったら、どれが好きですか??


「はい?」


 思わず声が出た。

 事故物件に籠る話を振って、その質問が返ってくるとは。

 確かに、ナンセンスかもしれない。

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