幕間

幕間1 混じらない

「今回もご苦労さんでしたねぇ。大家さんが喜んでましたよ。シュッとした感じの二人組が草むしりまで手伝ってくれたって」

「業務の一環です。大家さんからは除霊に必要な情報もいただいたので、そのお礼も兼ねて」


 カウンターを挟んで対面に座る柔和な雰囲気の男性は、この大黒だいこく不動産の店主。歳のころは六十過ぎくらい。くたびれ気味のワイシャツの袖をバンドで留め、ビール腹がベルトの上に乗っている。


「それにしても、無量むりょうさんが業務報告に来たって言ったら、倅が残念がりますわ。今ちょうどお客さん連れて内見に行ってまして。ああ見えてあいつ、無量さんのこと気に入ってるみたいなんですよ。どうです? うちの倅」

「はぁ」


 曖昧な笑みを作ってかわす。どうと言われてもな。

 この店主は人当たりの良いおじさんだけど、私としては仕事とプライベートをきっちり分けたい。

 大黒さんの息子も従業員の一人だ。他に営業マンが数人と事務の女性がいる、小さな店である。

 なお程度の差こそあれ全員に霊感があるため、除霊後の物件の確認まで完璧だ。


 大黒不動産は、七福不動産グループという、全国七ヶ所に展開している不動産業者のうちの一店舗。

 表向きはごく普通の、街の不動産屋さん。

 しかし裏では——と言うと聞こえが悪いが、要するに表立って見えないところでは、事故物件のオーナーからの希望に応じて霊的特殊清掃も手配している。私のような除霊師を下請けとして。

 七福グループの創立者が有名な事故物件サイトの管理人と親しいとかで、その筋でのパイプがあるのも強みらしい。

 ああしたサイトの情報は土地や建物の外聞にも大きく関わるため、所有する不動産が運悪く事故物件となってしまったオーナーにとっては死活問題なのだそうだ。

 それゆえ零細ながら、業界内では不動の地位を確立している。不動産屋だけに。


 大黒さんは、私の提出したメゾンソレイユ203号室の除霊に関わる報告書の中身をざっと検めると、大きく頷く。


「はい、確かに。自殺した女性が隣人に対して行っていた迷惑行為に関しては、機密扱いとしましょうかね。今はもうどちらの方もあのアパートにはいないわけですから」

「物的証拠も提示できませんしね」

「万が一またこのアパートで似たような心霊現象が起きた時の参考情報としときましょう。ところで——」


 太い指が、あるレシートを指した。


「この鍋や包丁の領収書は? 食材については食事補助の範疇でいいんだけど」

「あぁ、それはですね」


 成仏に至るまでのことを、掻い摘んで説明する。訊かれることを想定して用意していた説明だ。


「……というわけで、アシスタントが料理を出したことで霊体の念が弱まり、何の後腐れもなく綺麗に浄化することができました。ですので今後、連鎖的な心霊現象が起きることもないはずです」

「なるほどなるほど……うーん、じゃあ、まぁいっか。必要経費ってことで」


 計画通り。私は内心でほくそ笑んだ。


「それにしても、いいアシスタントが見つかって良かったねぇ。これで安心して除霊をお願いできますよ。無量さんはフットワーク軽いし、泊まり込みで確実に祓ってもらえるんで、頼りにしてます」

「えぇ、また依頼が入りましたら、ご連絡ください」


 そうして私は大黒不動産を辞し、次の予定のために一旦帰宅した。

 仕事着であるツナギから、ブラウスとテーパードパンツに着替える。いずれも黒。ある時を境にして、この色ばかりを選ぶようになった。



 午後。

 私は久々にJRに乗り、人波に揉まれながらホームに降り立った。普段は車移動ばかりだから、これだけでなかなか疲れてしまう。

 JRと私鉄と地下鉄の乗り入れる総合駅は、まっすぐ進むのも難しいほどの人混みだ。

 駅舎内にあるショップのショーウィンドウには、色とりどりに春めく群衆が映り込んでいる。そこに紛れた上から下まで黒一色の私は、まるで異物みたいだった。


 駅舎から出て、居酒屋やカラオケの並ぶ通りを歩く。少し離れただけだけなのに、まだ昼下がりの時間帯のせいか人影がまばらだ。

 目的の場所は、とある雑居ビルの二階にある。目立った看板もないその事務所の玄関扉には、『樹神こだま探偵事務所』とレトロな飾り文字の表札だけが出ている。


 インターホンを押すと、程なくして扉が開く。

 出迎えてくれたのは、すらりと背の高い三十すぎの男性だ。長髪を後ろで括った、スタイリッシュなスーツベスト姿の。


「やぁ無量さん、いらっしゃい。わざわざこんなところまで悪いね」

「いえ、いつもお世話になっています、樹神さん」


 同業者の先輩である樹神さんは、怪異事件の調査を手広く請け負っている異能探偵だ。

 そして、有瀬ありせくんを紹介してくれた人でもある。今日はそのお礼に来た。


 手土産を渡すと、樹神さんは甘く微笑む。


「顔を合わせるのは久しぶりだね。相変わらず、冴え渡るような美しさだ」

「はぁ、どうも」


 挨拶がわりに歯の浮くような気障なセリフを吐くのが、この人のデフォルトなのである。胡散臭さがすごいけど、こう見えて業界屈指の実力者だったりする。

 渋い調度品で揃えられた事務所。私のものとは違うタバコの残り香が漂っている。

 革張りのソファに腰を下ろせば、樹神さん自らコーヒーを運んできてくれた。


「今日は助手がいないから、適当ですまないね」

「いえ、お構いなく。まだ学生さんでしたよね、助手の男の子」


 樹神さんの助手は、若いのに優秀だ。一度だけ会ったことがある。礼儀正しくて良い子だった。

 つまり樹神さんは、自分は良い助手を持っておきながら、私にはああいう流れでチャラ男を紹介してきたということになる。もう結果オーライだけど。


「どうだった? 有瀬 安吾あんごくんは。明るい青年だって聞いたけど」

「まぁ……明るいのは、そうですね。家事とか得意みたいです。霊感もかなり強いですし、心身ともにタフそうなので、しばらく一緒にやってみようかと」

「何よりだ。彼のお父上も喜ぶだろう。俺も紹介した甲斐があったよ」

「そうですね」


 いけない、棒読みになった。


 樹神さんは気にせず優雅に長い脚を組み替える。


「しかし聞く限り、なかなかの逸材のようだけど」

「どうなんでしょう。素質は良いと思うんですけどね。私としては、ちょっと身近に接したことのないタイプというか……全体的に真剣みが足らないのが気になるというか」

「無量さん、真面目だもんな」

「そうですかね。調子を狂わされることが多くて、この先上手くやっていけるか正直ちょっと不安はあります」

「はは! 君の調子を狂わすとは、相当だね」


 楽しそうだな。


「でも、いいんじゃない? 真逆のタイプの方が却って上手くいくもんだよ」

「そういうもんです?」

「性格というより、気の性質の問題だな。互いに足りないところを補い合えた方がいい」

「理屈は分かりますけど」


 例えば、陰と陽。

 上手く噛み合えば円となる関係性。

 円は縁にも通じる、完全無欠で満ち足りた、強靭で豊潤な形だ。

 ……私と有瀬くんが? 想像もつかない。


 その後、互いにぽつぽつと近況を報告し合った。

 樹神さんは相変わらず仕事も順調そうだけど、最近は助手くんをおつかいに出したら向こうの店主に気に入られてしまい、その関係で面倒な案件が回ってくるようになったと愚痴を零していた。

 結局のところ、助手くんが可愛いのだろう。助手というより、弟子に近いのかもしれない。


 自分の人生を他人と分かち合う。

 あるいは、他人に分け与える。

 私にはどちらもピンと来ないことだった。



 黄昏時の通りを一人で戻る。先ほどよりも人影が増えていた。

 信号待ちする人々の群れに紛れて立つと、すぅっと心が凪ぐ。

 今この場で、誰も私のことを知らない。

 誰からも、無量 弐千佳にちかという人間を認識されない。

 それは私にとって平穏で、とても心安いことだった。


 人は一人では生きていけない。そんなことは当たり前に知っている。

 だけど、一人きりでも満ち足りていられるのならば、わざわざ誰かと深く関わる必要もないのではなかろうか。

 

 信号が変わる。見知らぬ人々と同じ方向へ、足を進める。

 誰がどこへ行くか知らない。

 私自身がどこへ向かうのかも、何一つ決めていない。

 でも、不特定多数に混じったとしても、個体としての輪郭は保ちたい。


 あぁ、タバコ吸いたいな。吸おう。


 一人ならば、何をするにも自由だ。

 ひとまず私は、喫煙スペースのある駅舎内のカフェを目指すことにしたのだった。



—幕間1 混じらない・了—

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