1-4 アシスタントの役割

「えっ……何か起きたらって、何すか?」

「例えば悪霊の念に当てられて動けなくなったり、闇に呑み込まれたり、最悪死んだり」

「ちょっ、縁起でもない!」

「真面目に言ってる。除霊師が怨念に精神を侵食されて命を落とした上、自分も悪霊化するっていう事故が過去にあったから」

「ミイラ取りがミイラに」

「この業界では珍しくないよ」


 謂わば労働災害だ。


「事故物件に輪をかけるようなことになったら、元請けにも大家さんにも迷惑がかかる。だから除霊案件は必ず二人以上で当たるようにって、元請けがルールを決めてるの」


 ゆえに、アシスタントがいなければ私は仕事を受けることもできないのである。


「元請けさんに連絡したらどうなるんすか」

「代わりの除霊師を派遣してもらうか何かして、対処してもらう。大きな問題が起きる前にね」

「そっか、それは確かに責任重大っすね」


 最悪、アシスタントはいてくれさえすればいい。悪霊と渡り合う能力のある人であれば何も言うことはないけど、別にそこまで求めない。


 大概の霊なら、私一人で対処できる。


 有瀬ありせくんには霊感がある。思いのほか感度が良さそうだ。最低限の条件はクリアしている。それで十分だった。

 ひとまずはこの案件を解決する。その後、有瀬くんがやはり辞めたいと言うならば仕方ない。次のアシスタントを探すだけだ。


「そうだ有瀬くん、体調は大丈夫?」

「へ? 別に何ともないすよ」

「そう。負の念の濃い場所にいると霊障を受けることがあるから、気を付けてね」

「れいしょう?」

「悪い気の影響で頭痛や吐き気がしたりして、体調に異変が出ること。持って生まれた性質によって、個人差はあるんだけど」


 一人目のアシスタントは、霊感が弱い割に引き寄せやすい体質の子で、余計な念を呼び込むなどして業務に若干の差し支えがあった。

 先々月辞めた二人目のアシスタントは、霊感の強い神経質な子で、霊障がひどくてマトモに生活できなくなった。

 そして三人目は。


「有瀬くん、さっきアパートの外側からこの部屋を言い当てたくらいだし、かなり敏感でしょ。霊に気に入られやすいと障りも起きやすいんだよ。今までにも気分悪くなったことあったんじゃない?」

「ないっすね」

「ないんかい」

「よく幽霊的なものを視たり変な音を聞いたりはあるんすけど、アッなんかいるんだな!って思って終わりっすね」

「どんなメンタルなの」


 霊にしたら無視されたも同然だろう。

 寺生まれの寺育ちだとこうなるのか。


「でもまぁ、大丈夫っすよ。俺、元気だけが取り柄なんで」


 へらりと笑う有瀬くん。

 あまりの能天気さに、薄っすら苛立ちが募る。


「あのね。どんなに強い人でも、絶対に大丈夫なんてことはないんだよ。あんまり甘く見ない方がいい。何か少しでもおかしい感じがしたら、絶対すぐに申し出て。対処するから」

無量むりょうさん……」


 有瀬くんが、じぃっと私を見つめてくる。


「俺のこと、そんなに心配してくれるんすね!」


 パァァァ……!

 敢えて効果音を付けるとしたらそれだった。


「あざっす! 頑張ります!」

「あぁ、うん……ほどほどにね……」


 何だろう、この子。

 資質はともかく、一緒にいると疲れる相手であることに間違いはなかった。


「……ひとまず夕飯行こうか」



 経験上、初日から心霊現象に遭遇することはあまりない。だけど、念のため日の落ちる前に戻ってこられた方がいい。


「盗られるものないけど、施錠はしなきゃね」


 玄関に少し細工をしてから、鍵をかけた。


 見知らぬ部屋を一歩出ると、見知らぬ家々の立ち並ぶ景色が視界に入る。

 この瞬間、自分が誰だか分からないような錯覚に陥る。

 錆びた手すりや階段、駐輪場のコンクリートの割れ目から生えた雑草。

 暮れなずむ街。自分の影の形はひどく曖昧で、どこの誰とも知れない。

 成仏できずに残ってしまった魂の持ち主も、かつては毎日この景色を見ていたはずだ。


 車を十分ほど走らせ、私たちは讃岐うどんのチェーン店に入った。

 平日早めの時間帯でも、既にそこそこお客がいる。店内はうどんを茹でる湯気で温かい。

 二人で注文の列に並んで、私はぶっかけうどんの並盛りと鮭おにぎり、有瀬くんは肉うどんの大盛りとおいなりさんと天ぷらを三つほど取った。

 会計を済ませ、カウンター席に隣り合わせて腰を下ろす。

 手を合わせて、ほぼ同時に言う。


「いただきます」


 濃いめのつゆに太めのうどん。そこへ薬味のネギと天かすを載せただけの一杯だ。出汁がふわっと香る。シンプルだけど、安定して美味しい。ハズレがないということは、紛れもなくチェーンの飲食店の利点だろう。

 何よりも。


「はぁ、あったまるー……」

「っすねー。外、結構冷えますもんねー」

「あの部屋も冷え込むかも。寝袋小さかったらごめん。一応カイロもあるからね」

「あざっす」


 有瀬くんは、ずずっ!と豪快にうどんを啜った。かき揚げを麺つゆに付けては齧り、時々おいなりさんを摘む。トレイの上の食べ物が、見る間に減っていく。良い食べっぷりだ。


「いやー、実は無量さん怖い人だったらどうしようかと思ってちょっとビビってたんすけど、めちゃ良い人でホッとしましたー」

「は? どの辺が?」


 ビビってた感じはなかったし、良い人と言われる心当たりもない。


「だって無量さん、何でも丁寧に教えてくれるじゃないすかー。俺、霊感あっても除霊の仕方とか何も知らないんで。でも俺にもちゃんと分かるように説明してくれて、すげえ安心しました。なんか、上手くやってけそうな気がする」


 くしゃっと笑った有瀬くんの口元からは八重歯が覗く。

 なんとなく絆された気分になった自分に、釈然としない。



 食事を終え、店の外で一服してから、まっすぐアパートへと戻る。

 203号室のドアノブに鍵を挿し、回そうとしたところで異変に気付いた。


「あれ?」

「どうしました?」

「開いてる」

「え?」


 鍵を引き抜き、ノブを回す。

 玄関扉は難なく開いた。

 同時に小さな黒っぽい紙片がひらりと落ちたので、拾い上げる。


「何すかそれ」

「ドアに挟んどいた霊符の切れ端。負の念が触れると黒く変色するように加工してある」

「えっ、じゃあ……」


 ぞくり、と。

 確かな念の残滓が肌を掠めていく。


「最後の入居者が引っ越してから、鍵を交換したって聞いた」

「そしたら誰か合鍵持ってるとかもないんだ」

「少なくとも鍵を使って開けられたわけじゃないってこと。念の触れた形跡が残ってる。この紙は挟まったままだったから、ドアそのものは開かれてないね。鍵を回されただけだ」

「おー……さっそく来ましたねコレ」

「私たちが部屋を使い始めたから、のかも」


 有瀬くんが唸る。


「なんか、監視されてるみたいっすね」


 ここは、ストーカー被害に遭って自殺した人の部屋なのだ。

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