1-3 除霊の準備をしよう

 カーテンのない窓の向こうで、ゆっくりと日が傾きつつあった。早くも室内は翳り始めている。

 私はキッチン上部のブレーカーを上げ、部屋の照明を点けた。


「この部屋、電気も水道も使う許可をもらってる。なるべく実際に誰か住んでるような状態の方が、心霊現象が分かりやすいからね。電気系統にアクセスしてくる霊もいるし」

「結構不自由なく過ごせそうで、いっすね」

「不動産屋が間に入ってるから、その辺も融通してくれるんだよ。ガスは契約してないから、お湯は出ないけど」


 通常の引っ越しの際も、ガスだけは開栓に契約者の立ち会いが要る。こればかりは仕方がない。


 私はユニットバスを覗き、持ってきたトイレットペーパーとフェイスタオルを設置する。

 水の滞留した臭いが漂っている。トイレのレバーを捻れば、ちゃんと水が流れた。ただし便座や浴槽には薄っすら埃が積もっていて、清潔とは言いがたい。


「ひとまず空気抜きして、ざっと掃除しよう。水の流れも空気の流れも、留まったままにしとくと良くないから」


 窓を開け放ち、荷物からフローリングワイパーを出して有瀬くんに手渡す。


「有瀬くんの最初の仕事だよ。よろしく」

「はいっ」


 二人で手分けして部屋じゅうを掃除する。このためにハンディクリーナーや各種洗剤も取り揃えている。

 有瀬くんは、見た目の印象とは逆に掃除の手際が良かった。ワイパーの手捌きが堂に入っているし、水回りの拭き取りも丁寧だ。


「子供の頃とか、よく家ん中や境内の掃除を手伝わされてたんすよねー。こまめに掃除して自分の周りの空気をイイ感じにしとくのが超重要だとかって、親父にめちゃ言われて」


 ふわっとしているけど、間違いなく真理だ。寺の息子というのは伊達ではないらしい。


「なんかマジでお掃除屋さんみたい」

「結果的にね」

「そういや、除菌スプレーで除霊できるっぽい話ありますよね」

「あれも同じ原理だよ。昔で言うところの『瘴気』って、心や身体の調子を悪くする不浄な空気のことだから。盛り塩で場を清めるのと似たような感じ。それなりの効果はあるけど、やっぱり原因を断たなきゃね」

「そっかぁ」


 ものの十五分程度で、部屋の中はさっぱりと綺麗になった。


 続いて取り出したのは四枚の霊符。紙製の札で、特殊な文様の描かれたものだ。


「じゃあ次は、これを部屋の四方に貼る。メンディングテープでね。壁とか柱とかに傷を付けると後で修繕費を請求されることもあるから、注意して」

「世知辛いっすね」

「下請けは立場弱いからね」


 一枚は玄関扉の内側。二枚を洋間の左右の壁に。そして最後の一枚は窓の上、と位置を指示する。


「なんか本格的ー。こういう御札みたいなやつも無量むりょうさんが作ってるんすか?」

「ううん、行きつけの神社で作ってもらってる」

「行きつけの神社!」


 声量。


「『行きつけのバー』みたいなノリで『行きつけの神社』!」

「うん……」

「じゃあ何すか、『いつもの』っつったらコレが出てくるわけっすか」

「まぁ、そうだね……」

「パネェ!」

「よくもこの話題でそこまでテンション上げられるね」


 空き部屋からの騒音で別の心霊現象だと思われそうな勢いだ。


「まあいいや……この霊符には、私の気と反応して清浄な気を保つ力がある。空間を囲うことで場の主導権を私が握ることになるから、私の術も効きやすくなるんだよ」

「へぇ、術とかあるんだ。あ、貼るの高いとこの方がいいすか。俺やりますよ」


 私が手を伸ばしてギリギリの窓の上に、有瀬くんは悠々と霊符を貼った。私も女にしては背がある方だけど、彼は更に頭一つ分くらい大きい。


 四枚を貼り終えると、部屋に私の気が満ちる。


「うぉっ……なんか急に変わった! 空気が軽くなった? 嫌な感じが減ったような?」

「もう私のテリトリーだからね」

「やべえ、ガチなんだ。無量さんの術ってどんな感じのやつなんすか? どんなふうに除霊するの?」


 有瀬くんは興味津々といった様子で瞳を輝かせている。


「口で説明するのは難しいんだけど……何はともあれ、まず霊の気配の濃い瞬間を見計らう必要がある。心霊現象が起きてる最中とかね」

「そっか、ちゃんとアンテナ張ってないとっすねー」

「そう。接触できるタイミングを狙って、私の術の中に霊を捕獲する」

「霊を捕獲」

「そこから除霊に必要な作業がある。この部屋への執着を断ち切るか、本人を説得するか」

「本人を説得」


 しばらく首を傾げていた有瀬くんは、一つ瞬きした。


「えーと、つまり部屋に居座ってる霊を捕まえて、こっから出てってもらうようにするっつーことすか」

「そうだね」

「そのために、なんやかんや特殊な術を使うっつーことすか」

「そう、だいたいそんなところ」


 やはり、ふわっとしている。が、理解は悪くない。


「部屋に染み付いた負の念を祓うにあたって、その内容を把握する必要がある。要は、どうしてこの部屋に居座ってるのかってこと。何が未練か分からなければ、断ち切り方も分からないからね」

「なるほどー?」


 説得するにしても、強制退去させるにしても、だ。


「心霊現象の発生の仕方こそ、その魂の持つ未練を紐解くヒントになる」

「じゃあ鍵が勝手に開いたりする現象とかも、幽霊の人が抱えた未練に関係してるってこと?」

「そう。だからしばらくここで過ごして、何が起こるか手がかりを集めるの。綺麗に未練を解消させて、上手く成仏させられたら一番いい」

「どんくらいかかるんすか? 解決すんのに」

「平均すると二泊三日のうちには片付くことが多いかな」

「了解です。で、ちょっと気になってたんすけどー」


 ちら、と意味深な視線がこちらに向く。


「この部屋に、無量さんと俺、二人で泊まるの?」

「いや、ちょうど隣の204号室も空いてて使用許可出てるから、有瀬くんは寝る時そっち使ってね」

「あー、それはそっすよね。着替えとかもね、うん」


 その辺は万全である。


「じゃあ俺、隣も掃除してきますね!」


 フットワークが軽いのは、彼の良いところかもしれない。


 204号室の掃除も終わり、それぞれの部屋に寝袋や手荷物を置いたら、準備は完了だ。


「風呂は近場の漫喫か銭湯に行ってね。コインランドリーもその辺にあったはず。食事は外で済ますか買ってくるか。電気ポットあるからカップ麺も作れるよ。妙な現象は夜間に起きることが多いから、昼間は適当に過ごしてて。出歩いてもいいし、仮眠しててもいいし」

「あ、そんな感じでいいんすね。あと他に俺がやることってあります?」

「何か異常に気付いたら教えてほしいってのは一つ。でも一番大事な役目は——」

 

 私は改めて有瀬くんを見据える。


「私の身に何かあった場合、即座に元請けの不動産屋に連絡すること」

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