『マイ・フーリッシュ・ハート―恋に落ちた俺は愚かなり―』
小田舵木
『マイ・フーリッシュ・ハート―恋に落ちた俺は愚かなり―』
恋に落ちた俺は愚かなり。マイ・フーリッシュ・ハート。
何故、選りに選って彼氏持ちの先輩に惚れてしまったんだろうか?
俺の恋は実ることはないだろう。なにせ、
俺は屋上に寝転がりながら音楽を聴いている。ジャズだ。
ビル・エヴァンスの『マイ・フーリッシュ・ハート』。優しいメロディが傷心の俺を癒やす。
だが。この曲の大本の映画は…ドロドロした話なんだけどな。
「
「あん?叶わぬ恋についてな。考え込んでいる」俺は頭をあげることなく返事をして。
「風野先輩か?止めとけ止めとけ。あの人彼氏にどっぷりだぞ。さっき中庭で一緒に弁当食ってるの見た」
「そんな事は重々承知しとんじゃい」
「お前は名前の通り、馬鹿だなあ。勝ち目のない勝負をしにいくか?フツー」俺の名は
「無理を通してこそ名将よ。俺は風野先輩を落とすのだ」
「あのね。入学して1年半。話かける事もできないお前に勝ち目があるとでも?」
「そこは恋愛ゲームばりのイベントを起こしてだな」
「夢をみるのも大概にしろ。鹿之助」
「…作戦を練っているのだ。一大イベントで俺と風野先輩は出会い。そして運命的な恋に落ちるのだ」
「お前。フィクションに侵され過ぎだぜ?世の中に一大イベントで彩られる出会いがいかほどあるか。現実的に毎日
「世知辛い…」俺は
「ま、夢をみるのは止めて。同級生の女の子にでも目をむければ?」
「俺は風野先輩に一目惚れしたのだ」
「インプリンティングじみた事を言うな鹿之助。お前、先輩の人柄知ってるのかよ?」
「…色々
「お前な。ストーカーみたいな真似するんじゃないよ」呆れる友人某。
「ストーカーとは失礼な。
「…お前が敗北する絵が浮かぶよ」友人某は天を仰ぐ。
「負けようが。俺は戦わねばならぬ」
◆
俺の毎日は戦なのだ。風野先輩を落とす為の。
今日も通学路を歩く。風野先輩がこの時間に登校するのは調査済なのだ。
風野先輩の家はここから300m。時刻は7時30分。準備は万端だ…
っと。風野先輩のお出ましだ。
「…」俺は挨拶をしようとするが声が出ない。風野先輩は俺に
俺は風野先輩の後ろ、50mくらい離れて歩いていたが。
ここで友人
「おっす。鹿之助。今日も…やってるなあ」呆れ顔が
「やってるともさ。これは俺の日課なのだ」
「お前のその不健全な習慣を友人としては止めたいね」
「不健全とはなんだよ、甘木。俺はいたって真剣だ」
「真剣なのが、なお
「俺は。彼女をお守りする義務がある」前を歩く彼女に聞こえないように小声で言う。
「そんなもん。彼氏に任せときなさいよ」
「彼氏は…あいつチャラチャラしてるだろうが。アテにならん」俺はまだ小声だ。
「とは言え。空手部主将だぜ?」
「…武道なら俺にも覚えはある」
「お前がやってたのは剣道だし、中学までだろうが。今はノー部活」
「腕は
「
「この鞄で不審者はノックアウトできる」
「…一番の不審者はお前だ。鹿之助」
「なんだとお?」俺は甘木に絡む。コイツ言ってくれるじゃないか。
俺と甘木が喧嘩をしている内に学校は見えてき。俺は先輩との別れを惜しむ。
昇降口以降は道が別だ。
◆
放課後。
俺は先輩のスケジュールを把握している。今日は…予備校にいくはずだ。
俺はダッシュで学校を出、駅の方へと先回り。先輩の通う予備校は数駅先だ。ちなみに俺もそこに通っている。選んだ理由は言うまでもない。
駅のホームで電車を待つフリをして先輩を待つ俺。カモフラージュに文庫本を読んでいるが、まったく内容が入ってこない。
チラチラと辺りを見回す。風野先輩は
そうしている内に電車は来てしまう。俺は仕方がないから電車に乗り込む。
電車に揺られながら、俺は音楽を聞いている。やはりビル・エヴァンス。
俺は彼のピアノが好きだ。クラシック的な素養を見せつつジャズのスタンダードナンバーを弾きこなす彼は格好いい。
電車はあっという間に予備校のある駅に到着し、俺は先輩を探しながら降りるが。まったく見当たらない。
俺は諦めて予備校へと向かっていく。その道すがらのコンビニでコーヒーを買い、一服。
予備校へ着くと。俺はさっさと自習室へ。来たは良いが今日は授業が入ってないのだ。
俺は自習室に入ると。先輩の姿を探し求める。俺より先に着いてる可能性は低いが、ついつい探してしまう。
数分見回してみたが。彼女はやっぱり居ない。
仕方があるまい。今日はここで自習して時間を潰そう。
◆
時刻は夜に。俺は学校の課題をやっつけ。予備校の課題をやっつけた。
そろそろすることがなくなる。だのに先輩は見当たりもしない。
いつも授業を受けている教室も覗きに行ったが影もなかった。
…体調でも崩したのだろうか。
俺はペン回しをしながら考える。今の季節は秋。涼しくなり始める頃合い。風邪をひいてもおかしくはない。
だが。彼女が風邪をひいたら。もし休んだら。俺の日々は暗くなる。それを思うと憂鬱だ。
俺は21時に予備校を出て。家路を急ぐ。
俺の通う予備校は繁華街の側にある。帰り道は繁華街を横切る形になる。
キラキラした街が俺を包む。俺には縁のない世界である。チャラチャラしたホストやらが
ああ。先輩を見つけてしまった。
彼女は私服に身を包み。チャラチャラしたホストみたいなのと共に歩いているではないか!
俺はショックを受ける。清純であるはずの彼女がホストと歩いている。
なんだか裏切られた気分だ。彼氏がいるだけでもショックだったのに。
まさか、ホスト遊びをしているとは。しかし。資金源はあるのか?
まさか―パパ活?
俺の中の先輩像が音を立てて崩壊していく…
俺はその場からダッシュで去っていく。あまりの情報量に頭がパンクしそうなのだ…
◆
翌日の昼。俺はいつもの屋上に寝転がっている。
耳にはイヤホン。ビル・エヴァンスは今日も俺を慰める。
かけているナンバーは『マイ・フーリッシュ・ハート』。今の心境にはピッタリ過ぎる。
愚かなり我が心。この言葉ほど俺を形容できる言葉があるだろうか?
「やっぱ、ここか鹿之助」甘木が俺の頭上に登場。
「俺は今。傷心なのだ」
「どうかしたかよ?風野先輩が彼氏とヤッてるところでも目撃したか?」
「それよりなお悪い。俺の中の風野先輩像が音を立てて崩れた」
「…?お前何見たわけ?」
「昨日。予備校の帰りによお」
「お前、先輩追っかけてあの予備校入ったよな。真面目に大学受ける気ないのに」
「そんな事はどうでも良い。帰り道が繁華街だろ?」
「ああ。あの地域。やたらホストクラブが乱立してるな…ああ。分かったかも」
「そう。風野先輩がホストを連れて歩いてるのを目撃しちまったんだよお!」
「あちゃー。彼女の裏の顔を見ちまったか」
「ん?お前のその言い方。まるで前から知っていたかのような」
「…お前には黙っといたが。風野先輩は男遊びが激しい事で有名だぞ?」甘木は申し訳なさそうな声で言う。
「まさか。真面目で温厚じゃないか。学校では」
「お前は。捕まるのを恐れてプライベートまでは踏み込んでなかったろ?そこに彼女の秘密はあったんだな」
「お前。今まで俺を騙していたのか?」
「だって。お前が真剣に彼女に惚れてるんだもん。水を差すような真似はしたくなかった」
「お前の優しさが俺を余計に傷つける」俺は天に浮かぶ雲を見ながら言う。
「済まん。だが。これで分かったろ?風野先輩は止めとけ。ロクな将来がない」
「…俺は。何でか諦めきれない部分がある」
「あんな醜態
「そんなの。ホストを連れている時点で分かったさ」
「なあ、今度さ。他の学校
「…俺には切り替える時間が必要だ。あんな風野先輩を見ても。まだ諦めがつかない馬鹿野郎なんだ」
「ま、好きにしろい。だが俺は待ってるぜ?
「ありがとよ。
◆
俺は諦めがつかない。それは愚かな我が心がさせる所である。
俺は今日、自分に課した禁を破る。それは。
風野先輩…いや
俺は早朝から風野先輩の家の近くに張っている。手にはアンパンと牛乳。張り込み捜査の
只今の時刻は朝9時。曜日は土曜。プライベートな時間帯である。
俺は張り込みの友の文庫本を読みながら注視を続けている。どうか警察呼ばれませんように。
時刻は刻々と過ぎていくが、風野凛花が出てくる気配はナシ。
俺はスマホを覗き込みながらチラチラと風野邸の入口を見る。
ああ、いい加減こんな
風野邸はマンションであり。出てくる住人に何度
やきもきする俺を側に彼女は出こない。
今日は出かける気がないのだろうか?
俺は一旦、昼食を取りに出かける。その間に出てくることもないだろう。
時刻は14時。昼下がりの休日は浮ついている。だが俺はまんじりともせず風野邸を見張っている…と思ったら。
風野先輩が出てきた。私服に身を包んだ彼女はスマホを
俺はいつもの数倍距離を空けて彼女をつけていく。
◆
彼女は電車で隣の市にある繁華街に出るらしい。
俺は彼女を追っかけて快速電車に乗り込み。
電車に揺られながら考える。
今回。彼女を付け回しているが。もし、彼女のパパ活現場を抑えたとしてだ。どうするのだろうか?ただ単に自分がショックを受けるだけだ。
かと言って。俺がパパ活現場にノコノコ出ていったら。不審者扱いされかねない。
ああ。なんと言うか馬鹿な行動しているな、と思う。
こんな事したって何のプラスにもならない。
甘木に従ってコンパとやらに出かければ良かったかも知れない。
俺は甘木が指摘するようにインプリンティング的に、盲目的に、風野先輩に惚れ。そして幻滅しかかっている。
隣の市の繁華街に到着。俺は電車を降り。隣の車輌から降りてくる風野先輩を確認して、後ろの方にポジショニング。
風野先輩は目的地があるらしく。さっさと歩いていく。
風野先輩の目的地は。有名な待ち合わせスポットであり。
俺は人を待つフリをしながら風野先輩を盗み見る。
彼女はスマホを弄りながら、辺りを見回している。その姿は一見、彼氏を待つ可愛らしい女子高生だが。本当は…と思うと胃の辺りがキリキリしてくる。
しばらく俺が待っていると。
風野先輩は―脂じみたおっさんと合流して。そして腕を組んで歩き出す。
…うん。もうお
だから。おっさんと風野先輩を追いかける。
◆
物事は予想通りに進んでいく。
風野先輩とおっさんはデパートへと向かっていき。
そこで化粧品を物色した後、下着屋に入りやがった。
そこで
風野先輩とおっさんはデパートの中のレストランで食事を取ると。
街の怪しいスポット―ラブホテル街―へと向かっていく。
俺は恥ずかしくなりながら追う。
そして。ああ。彼女とおっさんは―ラブホテルへと吸い込まれていった…
この世の終わりのような気分になる。やっぱりと思いつつも俺はこんな未来を否定していたのだ。
俺はラブホテルに消えた先輩を見送ると、その場を離れる。
ここに居たって
おっさんに犯される先輩。そしてその対価としてカネを受け取り。そのカネでホストへと貢ぐ先輩…
ああ。俺の初恋は汚されてしまった…
◆
「スッポコペンペンポン…ポンポポ」近所の公園のベンチで
表示を見れば甘木である。
「よお。さっき、現場、抑えちまったよ」甘木が喋りだす前に俺は言う。
「ご苦労さん。きっちり幻滅出来たか?」甘木の声は優しい。
「ああ。ガッツリやられたね。もう立ち上がる気力もねえ」
「…だから。今日のコンパに誘ってやったのに」
「そうだ。お前今日コンパだろうが。何で俺に電話かけてるんだよ」
「…お前が。今日やるのは分かってた。そしてショックを受けるのも
「お前は俺の
「伊達に幼馴染してねえ。お前が真っ直ぐ過ぎるヤツなのは知ってる」
「真っ直ぐか?俺?今まで好きな先輩にストーキングかけてたんだぞ。ま、それも今日で卒業だが」
「お前は。まあ、ストーカーに関してはクソだが。性根は腐ってない」
「…甘木ぃ」俺は泣きそうになっている。
「なあ。お前
「ああ?隣の市の繁華街の公園」
「んじゃあさ。今から俺そっち行くから」甘木は元気の良い声で言う。
「は?」今は夕方だぞ?今から遊ぶのか?
「お前の失恋記念にカラオケでも行こうや。少しくらい夜遊びしても構わん」
「ったく。人の不幸をダシに楽しみやがって」なんて俺は言うが。内心嬉しかった。
◆
俺は甘木と合流するとカラオケ屋に入り。そこで熱唱する。
ラブソングばかり選んでしまうのは何でだろう?失恋したばかりだと言うのに。
「お前は男女間の恋愛に幻想抱きすぎだぞ?鹿之助?」甘木はポップスを歌い終えると言う。
「男女間の恋愛と言うか。女に幻想を抱いているんだろう。俺は」
「お前ん
「ウチの母ちゃんみたいな女は滅多に居ないだろうと…幻想を膨らませていた」俺の母ちゃんは、ある日、父とは別の男の元に消えた。そこで子どもをつくってしまったらしい。
「ところがどっこい。男が狡いのと同様に女だって狡い。欲に塗れているのさ」
「お前は知った風な事を言うな?甘木」
「ま、色々見知ってしまってるからな」
「お前ん
「俺の母ちゃんも酷いもんよ。次々とアホ男に引っかかる」甘木はため息と共に言う。
「ウチの親父は―俺とそっくりで。未だに前の母ちゃんに
「お前が女に弱いのは親父さんの遺伝だな」
「まったくだ」
俺達はカラオケを出ると。街の空気は冷たくなっていて。
「そろそろ秋か」甘木は言う。
「食欲の秋」俺は恋愛の、とは言わない。恋愛は残暑の方に捨ててきた。
「ラーメンでも食いにいくか?」
「そうすっか」
俺と甘木はラーメンを食いに街へと消えていく。
◆
失恋した俺の生活はシンプルになった。一日を占めていた風野先輩へのストーキングがなくなったからだ。スケジュールに空きが出ると俺は気付く。なんて空虚な青春を送っていたのだろうと。
俺は慣れ親しんだ屋上で昼飯を食っている。側には甘木。
地面に
「おっと。『マイ・フーリッシュ・ハート』。いいねえ。
「…俺は最近、この曲を聞いていると複雑な気分になるぜ?」
「そりゃあ。タイトルがタイトルだ。お前への皮肉でしかないからな」甘木はケタケタ笑いながら言う。
「愚かなり我が心…俺を的確に示す言葉さ」
「だが。俺はそんな愚かなお前が好きだ」甘木は屈託ない笑顔で言う。
「もうちっと賢くなりたいものだがな」俺は言う。もう少し大人であれば。人生は、恋は、もっと楽になるだろう。
「賢くなったお前なんて。俺は見たくないぜ?」甘木の野郎。言ってくれるじゃないか。
「これから。たくさんの恋をして。お前より賢くなったらあ」
「…そうだな。じゃ来週はコンパだな!」
俺達の青春は。
この秋の空で続いていく。
俺の側には甘木がいて。俺を見守ってくれるだろう。
…彼女なんかよりも、この友情が大切なのかも知れない。
◆
『マイ・フーリッシュ・ハート―恋に落ちた俺は愚かなり―』 小田舵木 @odakajiki
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