ソラと大地の一族

ヒガシユウ

第1話

「パパ!あの光ってるのは、なぁに?」

雲間から射しこむ陽光がかすかな木漏れ日となって二人を照らす。少年はくっきりとした目をまんまるに広げて、フワフワと綿毛のように光るものを指さす。広々とした森の中、光の葉っぱがはらりはらりと落ちていく。葉っぱはやがて綿毛のようにフワフワとした小さな白い光となって消えていく。

「ソラはすごいねぇ。あのキラキラしたものが見えたんだね。」少年に目線を合わせて、父親が言った。

「あれはね、元素っていうんだよ。」

「げんそ…?」少年は首を横に傾けて、眉間に小さな小さなしわを寄せている。銀色に光る髪の毛が風で揺れる。すくうように丸めた手の先に、また一つ光の元素が降りてくる。

「元素はね、どこにでもあって、世界を作っているものなんだ。でも、誰にでも見えるわけじゃあない。」父親は光の元素を集めて、龍を作ってみせた。

「ピート!ピートじゃないか。」うれしそうに、父親の方を見る。

「はははっ。ピートのお友達ってとこだな。本物のピートはソラの上にいるじゃないか。」見上げると、透き通るような青色をしたピートは上機嫌に旋回していた。

父親は、まばゆく光る大きな龍を森へ放って、話を続ける。

「さて、光の元素が見えた。そんなすごいソラに今日のパパからのお題を発表します。」わくわくした表情で少年は父親を見上げる。

「元素をアームドに混ぜてみよう!」父親は右手の人さし指をピンとたてて、挑戦的な笑顔で息子の顔をのぞきこんだ。

「アームドと元素をまぜる…?」少年の頭の上に?マークが飛び交う。

「とりあえずアームドを展開してみようか。」

「たくさん練習したから、新しい形に変形させられるよ!見て!」少年は右肩から指先まで透けるような金色のアームドで覆って見せた。

「おぉ!すごいじゃないか!また、扱えるアームドの量が拡がったんだな!」父親は息子の方をポンッとなでる。

「へへへ!」得意げに父親を見る。

「アームドは自分の意思で自在に形を変えてくれる。硬度も鋭さも、何にでもなってくれる。この世に二つとないものだ。…さあ、さっそく、光の元素とアームドを合体させてみようか!」そう言うと、父親は遠く、暗闇の中へ吸い込まれていく。


(― 父さん!)


ガバッ!


なんだ。…夢か。光の国から地の国へ来て、もう一月以上が経っている。日を追うごとに故郷への名残惜しさは増していく。

「また、同じ夢?」とマーサが言った。少し早起きして身支度をととのえたようで、栗色に光る髪の毛はきれいに肩元までストレートに落ちていた。

「ううん。今日は別れ際じゃなくて、もっと昔の。また元素が見えたてくらいのころの夢だよ。」

「そうなんだ。心配だよね。お父さん、無事だといいね。」

「そうだね。きっと大丈夫だよ。…あっ、そういえば、ロッツさんとアンナさんのお見送り、何時だったっけ?」

「あと一時間後くらいにホザートを出るって言ってたかな。昨日までずっと一緒にいたのに、パパとママといったんお別れだと思うと、なんだか不思議な気持ちだよ。」そんなことを話しながら、僕たちも旅立つ準備をすすめていった。

マーサのお父さんとお母さんは仕事があるらしく、家に戻るために、早めに街を出ることとなった。僕とマーサとピートで街の外れまで見送りに行く。

「じゃあ、マーサ、ソラくん、元気でな!時々、手紙でも送ってくれい。」とロッツさんが言った。

「レイストは寒いわよ。くれぐれも暖かくして行きなさいよ。街の路地裏にママの実家があるわ。クレイという店を探してね。今も妹たちが住んでるの。宿屋を営んでいるから、泊めてもらうといいわ。」

「でもよ、大丈夫かい。二人だけ行かせて…。」とマーサさんが言った。

ロッツさんは横で眉をひそめている。

「いやぁ…クレイ、そう簡単に見つかるとは思えねえな。」

「…そうね。私たちも家に着いたらホゴイロツバメを送って、細かい事情を伝えておくわ。あとは…そうだ、あれ、渡して!」

「おぉっと、忘れるところだった。」そう言って小さな正八面体のサイコロをいくつか投げてよこした。

「これは、なぁに?」マーサも見たことがないものらしい。

「コレクトダイスといって、私の妹が作ったの。サイズに関係なく、いろいろなものを収納できるわ。ドロップギフトを入れるのには最適よ。」

お母さんはニコッと笑って、手を振っている。

僕たちは砂漠に向かっていく影を見えなくなるまで見送っていた。見送っている間、マーサは一言も話さなかった。ドランドには珍しく、雲間から太陽がのぞいていた。


街に戻り、いったん地図を広げてみる。真ん中の川を挟んで、西側がドランド、砂漠が広がる乾燥地帯。東側がレイスト、年中雨季の潤沢な土地。真ん中の川を突っ切る以外にどうやっていけばよいのだろう。色々な人に、レイストまでの道のりを聞き回ったが、いい情報はひとつもなかった。なんでも、ドランドとレイストの境にある「隔ての川」を往復していた定期船が激しい毒風のために、しばらく欠便しているとのことだった。特にいく当てもないので、とりあえず船着場に行って、船頭さんに話を聞いてみることにした。

船着場へは街を出て、冬枯れの草原を東に向かうルートが最短だった。近づくにつれ、生き物の気配は減っていき硫黄のような悪臭はだんだんひどくなっていく。何度も鼻の奥にえもいわれぬ刺激があった。川についても匂いは変わらなかった。川の色は一面濁ったどどめ色をしており、近くにいた船頭に話を聞いても、再開の目処はたってないようだった。僕らが途方に暮れている様子を見かねて「うーん、なんとかして雨壁をこえて向こう岸まで渡してやりたいけども…しばらくは難しいでなぁ。まぁ、急いどるというのなら旧地下道から行くにはいけねぇこともねぇけれど…」と言い、旧地下道までの行き方を教えてくれた。

旧地下道に向かいながら、マーサにたずねた。

「ねぇマーサ、雨壁って?何?」

「昔は隔ての川を、そう呼んだみたいよ。途中に雨が壁みたいに降ってるんだって。ママとパパもそう呼んでたわ。」

「どうやって、その壁を突破するんだろう。」

「詳しくは知らないけれど特殊な船でないと通れないみたいだよ。」

そうなのか。雨に加えて毒まで広がれば、さすがに通れないよな。

地下道の前に着くと、寂れた長屋があり、三名の冒険者らしき人たちが、めいめいに旅支度をしていた。見たところ、大柄のノーム族、小柄なシルフ族、それにオロチ族かな。別々のパーティーなのか、特に会話が弾んでいる感じではなかった。旧地下道に近づいてからというもの、地下道から流れ出てくる濃い土の元素に僕は息が詰まりそうだった。マーサは特に気にもしていなかったが。

ところどころ削られた木の壁には無数のメッセージが書き込まれていた。無事を祈る言葉、達成した喜び、弔いなど。よく見ると遺書のようなものも複数あった。

僕たちは奥の方に誰もいないスペースを見つけたので、そこで支度を整えることにした。先ほどの三人が情報交換をしている。聞こえてくる話し声に耳を傾けると、川幅は十キロメートルほどあり、中の洞窟は複雑に枝分かれしているとのことだった。目印となるものはあちらこちらにあるものの、たいしてあてにはならぬということらしい。ノーム族は何度か行き来をしているようだ。準備を終えた旅人たちは順番に地下道へ向かっていき、長屋にはとうとう僕たちだけになってしまった。カバンの中を片付けていると、ノートが淡い土色の光に包まれていることに気がついた。光の元素をノートに重ねてみると、スゥーッと吸い込まれていき、先ほどのページまでひとりでに開いていく。線がだんだんと浮きあがり、数秒の後には立派な地図になっていた。地図に加えて、見たことのない文字が並んでいる。…いや、前に見た。土の国らしき地図のページだ。あの×ばかりの地図。

ふと横を見ると、マーサの頭上に電球が光り、鼻が高くなっている。一体、どうしたんだ。

「ふふふ。ソラ、これ古代文字だよね。学校でやったよ。たしか、森の民の言葉だったかなぁ。」 

「もしかして、読めるの?」

「もちろん。任せなさい!得意中の得意科目だよ。」

「じゃあさ、先にこのページから見てくれない?」

前の地図のページを開いた。

「わかった。えーっとね…国名は…土の国って書いてるね。昔の地の国の呼び方だよね?あとは、ドランドとレイスト、ホザートなんかもある。雨壁も書いてあるし。これ、今の地図とほとんど同じじゃないかな?」色々と指差しながら説明してくれる。

「ほかにも洞窟や山もあるよね。この地図によるとレイストには街は一つしかないのかな。マーサはレイストには行ったことあるの?」

「ううん。ないよ。話に聞くくらい。んー、洞窟はわからないけど、山は多分、アク・ヴォ・モント(水毒山)だと思う。街はいくつあるんだろ。ママからはママが住んでた街の話しか聞いたことないや。」

「アク・ヴォ・モント?」

「そうだよ。山の中にいろいろな水が溜まっていて、時々噴水するんだって。周りは毒に覆われているから、誰も近づけないって言ってたよ。」

「…じゃあ、この、アク・ヴォ・モントの真ん中にある印は何を示すんだろう。」山の中心部分に◎が書いてある。

「うーん…わかんないね。なんだろう?」

地図は拡大することもできた。思っていたよりもずっと細かく地図に情報が書いてある。

ひまわりのページは、旧地下道の地図だった。

「じゃあ、そろそろ行こうか。」

「そうしましょ。ソラ、忘れ物はない?」

「ないよ。」

そう言いながら、長屋から出る。まぶしいほどの日ざしに視界が白んだ。高い高い空の下、陽気なひまわりの匂いに包まれている。

地下道に入る前に看板が目に入った。

「もと来た道を忘れるな。ロコ・メッゾ(真ん中岩)まで頑張って!」

ロコ・メッゾってどこのことだ。地図によると道は入り口と出口の近くを除いて、立体的に枝分かれしていた。途中、一箇所に道が集まり、再び分かれている。ここがロコ・メッゾと呼ばれているところだろうか。

期待や不安と共に緊張感が高まっていく。マーサと目を合わせて、深呼吸をし、意を決して、中に入っていく。ピートは危険なんて全く感じていないかのように、ヒョイヒョイと旋回しながらついてきていた。

入り口から差し込む光がだんだん遠くなっていく。二、三メートル先より奥は真っ暗だった。

「マーサ、夜目は効く?」

「ううん、だめ。眩しい分には平気なんだけど。」

そういいながら、軽く右手の人差し指を地面に向けて一回転させた。僕たちの前方に砂が浮きはじめた。

「見えないけど、なにかあったら、砂が教えてくれるよ。」

オッケーのポーズを見せて、自信満々だ。

土や水に困ることはないけど…洞窟内部には光の元素が少なそうだな。

「ちょっと待って。」

そう言って、入り口に手を伸ばし、光を集めた。

「えっ!?」というマーサの声には構わずに、二人の近くを照らしながら進んでいく。洞窟らしい土とカビが混ざったような独特の匂いがした。少し進んでから、振り返ると入り口が消えていた。看板の言葉が頭をよぎる。戻ることはもう出来ないってことか。ロコ・メッゾまで進むしかないな。

「はいっ!」威勢の良い掛け声と共にマーサが挙手をしたまま、僕の方をじっと見ている。

「何かあった?」

「何が『何かあった?』よ!びっくりしたよ。さっき、何をしたの?」

「ん?光を集めたんだよ。」

「…光って集められるの?」

「まぁ…集められる…ね。マーサの緑と変わんないよ?だって、はじめて見た時、緑って扱えるの?ってなったし。」

「ふふっ。そうなんだ。」

「水と土と緑以外は扱えるの?」

「うーん、どうなんだろ。地の国の元素バランスは水と土に偏りがちだから、あまり他の元素は試したことないなぁ。ソラは?」

「僕は主に光かな。光の性質を使えば大体の元素と混ぜることができるから。」

「だからか。お父さんが見た光が、普通の光じゃなかったって言ってたんだ。ほとばしる光で、稲妻かと思ったって。」

「あれは、ピートの水と合わせたんだけど。雷の元素と混ぜたから稲妻と言われればそうかもしれないね。」

「混ぜやすい、混ぜにくいとかあるの?」

「あるよ。本来は父さんみたいに全部と混ぜられるんだろうけど、僕はまだまだそこまで扱えないんだ。」

ニコニコしていたマーサの表情が急にくもる。口元に人差し指をもってきた。前の方で何かあったんだ。

「ソラ。」小声で呼ばれる。

「うん、前だね。」アームドを上半身に展開する。

二人とも身構える。先ほどの地図通りだと、二つ目の別れ道から少ししかが進んでいない。

突如、小さな空気の刃がいくつも飛んできた。マーサは砂で防ぎ、僕もアームドで弾く。跳ね返った空気は横の土壁にあたると、少し土が削れた。たいした威力ではなかったが、かなりの数の刃が飛んでくる。防戦一方になった。相手の手数が多すぎる。このままだとらちがあかない。

左手で防ぎながら、右手に光の元素を集めていく。


“イクスプロド・ルーモ”(破裂する光)


父さんからはじめに教わった技だ。隙を見て、前方に放つ。小さな光が真っ直ぐ飛んでいったかと思うと、一瞬にして四つの白光が方々に散らばり、洞窟を照らした。

「ポップルバットが二匹!右上と左下。今、スタンしてる!」

スタンだけか。かすってくれたのかな。すかさずマーサの前に移動し、攻撃を弾く準備をする。マーサは両手を前に突き出し、ぐぅっと拳を握りしめる。


“ソルディジ・グルンド”(固定する土)


すると、敵に土がまとわりついていく。やがて、二つの大きな泥の塊になった。

「ふぅー、これでオッケーだね、ソラ。守ってくれてありがとう!」

「こちらこそ。それよりも今のは?」

「ん?今のはソルディジ・グルンドっていうの。周りにある土の元素を実体化させて、対象を固定するの。ちょっと強めにやっちゃった。」

ほどなくして、土の塊からフワフワした光が流れ出てくる。

「還ったね。進もうか。」

ドロップギフトを回収して、マーサと進んでいく。

「そうしましょう。ところで、さっきやってた技はなぁに?」

「あれは、収縮した光の元素を解き放ったんだ。そのままだと灯りにもなるし、触れてくれてたらスタンさせられる。もちろん当たれば相応のダメージが入るよ。」


その後も、別れ道は続いた。その度に地図を見て、慎重に進んでいく。途中、ポップルバットには何度か襲われたが、出会う前にマーサが感知して、事なきを得た。そして、ようやく、ロコ・メッゾまでたどりついた。

少しひらけた広場の真ん中に四、五メートルはあろうかという大岩が鎮座していた。誰が記したのか、岩に大きな文字でロコ・メッゾと掘られていた。その周りで傷ついた何人かが休んでいる。二人で大岩に近づいて、石に触れてみる。すると、岩から元気を分けてもらえた。なるほど、この周りで休むわけだ。光の元素の塊みたいな岩だな。触れていると、生傷は治り、疲れがシューッと消えていく。

「ソラ!この石すごいね。なんだか元気になっちゃった。」

「うん、そうだね。あと半分。もう一踏ん張りだね。」

少し準備を整えて、再び僕たちは進み始めた。奥から男が息も絶え絶えに走ってやってくる。よほど走ったのか、ゼェゼェしながら、僕たちに「悪いことは…言わねぇ…。引き返し…たほうがいい。ホラア…ナグマがいた。」と言った。

「ホラアナグマ?」なんだそれは。名前のまんま、洞穴に住んでるクマかな。それにしても怯え方が尋常じゃないな。そんなに恐ろしい生き物なのか。先ほど長屋の落書きにそんな言葉があったような。

何も知らずに聞き返す僕の横で、マーサが青ざめている。

男は少し息を整えると、

「あぁ、ドランドでは最強の生き物だ。普段は名前の通り、洞穴にいるから出会うことはまずない。長年この地下道を使っているが、ホラアナグマがいた、なんて話は聞いたことがなかった。だが、実際に俺たちは襲われたんだ。どこかで穴が繋がったのか…。もともと住んでいたのか…恐らく俺以外は助かってない…。」

両手を頭に抱え、下を向いたままだった。様子から察するによほどのことなのだろう。しかし、ものを知らぬというのは良し悪しで、僕にはあまりその恐怖感は伝わって来なかった。マーサとピートはどう思ってるんだろうか、という少しの心配はあったが、何とかなるだろう、という楽観が僕のほとんどを占めていた。

「おじさん、ありがとう。でも、僕たち、行かなきゃいけないんだ。」とはいえ、一旦、作戦会議だな。ロコ・メッゾまで戻る。

「マーサ、怖い?」

「うん。話にしか聞いたことないけど、とってもこわいってパパが言ってたわ。出会ったら逃げるしかないって。」

「…じゃあ…できるだけ逃げ道を残しながら、注意して進もうか。もし、出会ったら僕とマーサで協力して、ホラアナグマとつながる道をふさいでしまって、別の道から回ろう。」

やはり、危ない生き物なのだろう。不安がないわけではないけど、後戻りする気にはなれない。ロコ・メッゾから光の元素をたくさんもらっておいた。溜められるだけアームドに貯めておこう。

ロコ・メッゾから先は、さらに慎重に道を選びながら歩いた。マーサによると、ホラアナグマは目が見えない代わりに嗅覚や聴覚がすぐれているとのことだった。道中、ポップルバット以外にはドウクツモグラサンと会ったくらいだった。マーサはこの小さくて愛らしいドウクツモグラサンが好きらしく、横でキャーキャー言っていた。偶然とはいえ、二度もドウクツモグラさんに会い、安全な道を教えてもらうことができて、かなり助かった。さらに、「お土産に」と綺麗な石までくれた。ここまでくれば、あと、一息だ。幸い、ホラアナグマには出会わずに済みそうだ。最後の分かれ道にさしかかった。が、地図と目の前の光景が一致しない。ここから先は地図上では三つにわかれているはずだったが、目の前には四つの洞窟が続いていた。どの洞穴からも湿気とカビのにおいが強烈に放たれていた。

「地図と違うね。どうする?」

「うーん、ソラに任せるよ。どう思う?」

一番足跡が多い右から二番目を通ることにした。リュックで休んでいた、ピートが顔を出す。

しばらく進むと奥の方で、小さな光が昇るのが見えた。足を止め、構えをとる。

「マーサ…。」二人で前後に陣形を整えながら進む。僕が前でマーサが後ろ。ピートは僕たちの上で、前を見据えて、力を溜めている。

「ソラ…、還ったね。何かが。」


カシャァァン、ガシャァァン。


引きずるような足音と共に金属の擦れる音が聞こえてくる。歩く度に軽く地響きし、天井から細かい砂が落ちてきた。かすかに焦げた匂いとともに洞窟からはみでんばかりのクマが姿を現した。…来る。とはわかっていたものの、実物を見た瞬間に、何とかなる相手ではないと悟った。ホラアナグマだ。先ほどまでの、逃げれば良いという考えですらおこがましく感じる。つま先から頭の先まで全身の毛が逆立つ。足の震えが止まらない。そんな僕たちの怯えなんてお構いなしに、敵意をむき出しに近づいてくる。

「マーサとピートは僕らの前に壁を作る用意をして。」まだ十メートル近くある。チャンスは一回だ。


“ルカ・グル・イクスプロ”( 光土弾)


光と土を混ぜて、ホラアナグマの前に放つ。至近距離で目一杯、弾けさせた。光る砂がホラアナグマに直撃し、埃が舞い上がる。ほぼ同時にピートが左右から真ん中へ、水の壁を作っていく。マーサはそのすぐ後ろに土の壁をたてていく。

アームドを左腕に集中させて、左指先に光を五つ集めた。雷とまぜて、できる限り圧縮していく。


“クヴィン・ロンポ”(五連光弾)


壁が完成する隙間から、ホラアナグマの前でぶつかり合うように放った。壁が完成する。壁の向こうで、ものすごい爆発音が鳴り響き、かなりの衝撃があった。

「今のうちに横の通路へ抜けよう!」僕がそういってマーサを見ると、すでに抜け道を作ってくれていた。僕とピートが入ると、最後方から、進む方向の土を溶かし、通ってきた道を土で閉じながら歩いてくる。なんて器用なんだ。やっとの思いで横の通路へ出ることができた。さっきのところと違い、ところどころに水たまりがあった。遠くの方から獣の咆哮と地鳴りが伝わってきたが、構わずみんなで先を急いだ。進むにつれて水たまりはなくなっていき、代わりにドロドロの地面が続いていた。雨も降っていないのに、知らぬ間に体に水がまとわりついてくる。いきなりピートが少し前に飛び出た。

「ピート?」

ピートが青白く光ったかと思うと、甲高い鳴き声とともに前方へ大きく息を吹きつけた。あまりの風圧に腕で顔をガードする。風も吹き終わり、前を見ると、地面のドロドロは洞窟の両側に飛び散っており、いつしか地鳴りも止んでいた。ピートは誇らしげに空中を旋回している。急いでいるだけにすごく助かった。走りやすさがまるで違う。しばらくいくと、階段が見えてきた。階段を一段登ると、とてつもない寒気が襲ってきた。鼻の奥が痛い。喉まですべりこんでくる透き通ったにおい。これ以上はこのままではすすめない気がする。それでも前へ進んでいくが、出口に近づくに連れて寒さが痛さに変わってくる。すると、マーサが僕たちの周りを土と緑の元素を混ぜて覆ってくれた。すこし暖かさがもどってくる。なんとか、そのまま出口まで突っ切った。


やっとの思いで、地下道を抜けることができた。階段を上がると目の前には、一面、もやがかった緑があった。多種多様な植物が生えている。晴れているのに雨の匂い。まとわりついてくる湿気。音無雨でも降ってるのかもしれない。ドランドとは大違いだ。

「やっと着いた。」あまりの寒暖差に防寒ジャケットを羽織る。

「なんとか着いたね。」マーサもコートを着込んでいるところだった。

「そういえば、ソラ、地図はどんな感じ?」

みんなで地図をのぞき込む。地形や地名、記号などが詳しく表れていた。ドランド側の入り口は中央付近だったけど、僕たちの出口はずいぶんと南側にあるらしい。ここからは、雨宿りの森を抜けると、レイスト唯一の街、プルセツォーノに着くようだ。日暮れまであと少しなので、出口付近にある宿屋で朝まで過ごすことにした。地図を拡大して見ると、雨宿りの森について詳しく記してあった。

「結構危なそうな森だね。マーサはこの辺りはどう?扱えそうな元素はある?」

「うん、ドランドよりは土が少なくて、雨や緑が多いから、全く困らないわ。ソラは?」

「雷が全くないから少し不安かな。雨が降っているのに、雷がないなんて不思議だよ。まぁ、光があるから、なんとかなると思うけど。」

「よかった。また、明日からも頑張ろうね。」ピートが俺もいるぞと言わんばかりに鳴いていた。

「ピートちゃんも、頼りにしてるね!」

まぶたが重たい。さすがに今日は疲れたな。

「じゃあ、そろそろ寝ようか。おやすみ。」左手で明かりの光を掴むと、一瞬で夜が来た。三日月がほんのりと部屋を照らしている。そんなことはお構いなしに、ノソノソと布団に入った。

「ちょっと待って、ソラ。もう一度、灯りつけて!」

もう一度、灯りに光を集める。

「どうしたの?」

「どうしたのっていいたいのは、こっちだよ!今さ、ソラ、何したの?」

「光を消して、つけただけだよ?」

「どーやるの?わたしもしたい!」

あぁ、だめだ。しばらく寝れなさそう。

「どうって…光の元素を引き寄せて、元の場所に置いただけだよ?」

「うーん、どの元素だろう。私には合わないのかな。全く感じられないよ。」唇をかみしめて僕のほうを見る。

「そこら中にあるにはあるんだけども…。光の国に行ったら感じられるかもしれないよ!」

「そっか!そうだね!じゃあ、光の国に行くのを楽しみにしとこうっと。さすがに今日は疲れたね。何より本当に怖かったし。よし、寝よう。じゃあ、おやすみ。」


太陽が昇る頃、僕たちは出発した。雨宿りの森に近づくと、小ぬか雨は霧雨になり、小雨になってきた。絶えず雨と植物の混ざった匂いが漂っている。入り口に着く頃には風も出てきて、びしょ濡れになっていた。森の入り口には一際、葉が大きな木があり、そこで小休憩をとった。全体的に薄暗く、奥の方までは目を凝らしても見えなかった。マーサによるとハダケオオキという植物だそうで、砂漠にもサイズの小さいものはあったらしい。ハダケオオキの下で、ピートに手伝ってもらい、体を乾かしてもらう。地図を見ると、雨宿りの森を抜ける主な道は三つあるようだった。

「えーっと、今いるのはここかな?」

マーサに尋ねる。

「いやー、どこなんだろ?方向音痴だから、地図ってあんまり得意じゃないんだよね。」首を横にフリフリしている。

「ピート、北ってどっち?」北と思しき方向へ、少し大きめの水玉をとばしてくれた。そっちの方向へ光を集めて軽く奥まで照らしてみる。近くに危険はなさそうだ。向こうが北か。だとしたら、今いる場所はもう少し、こっちかな。

「ありがと、ピート。ということは今いるところはここだね。」地図を指差す。

「ピートちゃん、すごいね!さすが!ってあれ?この地図って書き込めたんだ。」

「ん?本当だ。」

僕が指差したところに点がついていた。地図に注意を向けてみる。地図の線からは父さんの光を感じることができた。先ほどの点から光の元素を抜いてみる。すると、地図についていた点が消えた。

「マーサ、緑の元素で、さっきのところに点をつけてくれない。」

マーサは水も土も緑も試してくれたが、どれも跡は残らなかった。そうか、光の元素じゃないと書き込めないんだ。先ほどのところに再び点を打った。

「じゃあ、どの道から行く?」

三人で地図を囲んで、話し合った。一番短くて近い道か、一番長くて遠い道か、それとも中間の道か。道と道の間のエリアにはところどころ×印があった。

「真ん中はどうかな?昨日みたいなこともあるしさ。」とマーサが僕とピートを交互に見る。

そうだな。昨日のこともあるし、慎重に進んだ方がいいな。途中、小さな道で、それぞれつながっていたので、どちらにも抜けられる真ん中の道を進むことにした。

道中は好戦的な生き物が多くて、かなり困った。といっても、どちらかが還るまで闘うわけではなく、珍しい旅人にちょっかいを出してくる、そんな感じだった。特段強い気配を持つものもいなかった。マーサのおかげで毒や痺れに悩まされることもなかった。ネッタイアゲハやアネッタイオロチなどは生態を知らなければ大変なことになるところだったが。マーサはこの辺りの動植物にも明るく、出会った生き物のほとんどを知っていた。実戦をたくさんこなす中で、僕らの連携もだんだんとうまくいくようになってきた。

森の中盤に差し掛かった頃、見たこともないような巨木に出会った。地図にも丸がつけてある。明らかにこの一帯の主だ。幹は太く、一周するだけでもかなりかかる。他の木と違い、地面を通してしっかりと鼓動が伝わってきた。この木の上からは聞いたことのない囀りが四方八方から降ってくる。この木の周りだけ雨の匂いがしなかった。その代わりに山の香りが漂っている。

マーサは少し幹の周りを歩いてくるらしい。僕はここに来てからずっと、木の奥から何かに呼ばれているような気がしてならなかった。ソッと幹に手を当ててみる。木らしからぬ硬い質感と体温ほどの熱を感じた。と同時に懐かしい感覚と出会う。父さんの光だ。少しくすんだ独特の光。間違えようがない。どういうことだろう。そんなことを考えた矢先、幹を通じてイメージが流れ込んできた。

それほど大きくない木を懸命に手当てしている人。光を混ぜた土と水の元素を与えているのだろうか。だいぶと若くて、服装も見慣れない格好をしている。けれど、面影がある。父さんだ。こちらを向いて笑っている。何か語りかけているようだった。と思ったらスーッと映像は透明になっていき、消えてしまった。

やっぱり。父さんは光の国の外に行ったことがあったんだ。それもかなり冒険している。まだまだ謎は多いけれど、心の中にくすぶっていた疑念が一つ解消された。

マーサが戻ってくる。

「マーサ…。父さんと会ったよ。」

「…どうしたの、ソラ。何かあった?」

「昔さ、父さんがこの木の手当てをしたみたいなんだ。今、この木に触れたら、この木からイメージを受けとれたよ。」

「不思議なこともあるんだね。でも、素敵なことだよ。良かったね!」

父さんが助けた木が、雨宿りの森の巨木となっているのか。何だか不思議だな。僕と出会ったのも何かの巡り合わせかな。

「さぁ、ソラ、行こう!」

再び巨木から歩みを進めた。そのとき、


ゥバァオゥゥゥ!!!


咆哮がこだまする。皮膚がビリビリする。雨の匂いや、木々のにおいとは全く違う血の匂いが一面に広がった。鳥や小動物がクモの子を散らすように逃げていく。風もだんだん強くなってきた。声の感じからして、そんなに遠くじゃない。どうする。逃げなきゃ。マーサと目を合わす。ピートを挟んで背中合わせになった。少し広めに光を広げて、探知につとめる。マーサは両手を前にして、旋回させている。砂が僕たちの周りを渦巻いている。出来うる限りの警戒をしなければ。

…だが、そんな必要はなかった。

僕の正面から、ズサッ、ズサッと足音を立てながら、悠々と姿を現したのは羽の生えかけた大きな虎だった。まだ二十メートルは向こうにいるが、視線がしっかり僕と合っている。逃げきれる気がしない。マーサとピートと三人、並び立った。

「アマヤドラ…。」マーサの目は見開き、頬がひきつっている。

「知ってるの?」

「図鑑で見たことあるわ。絶滅危惧種よ。でも、あんな色じゃなかったし、体長は一メートルくらいだって載ってたわ。」

歩いてくるトラは金色に光り輝いていた。小さく見積もっても体長は三メートルはあろうか。濃い紫や赤のラインの模様が体を貫いている。長めの牙、見るからに固くて鋭い爪。黒光りしている三叉の尾は長く、生えかけの翼は発光している。見た目はもちろん、優雅に歩く様子からも、周りと同化する必要性がないことが、はっきりと見てとれた。

ホラアナグマの比じゃないよな。震えも通り越して、諦めにも似た雰囲気が僕とマーサの間に流れている。

「逃げよう。ソラ。無理だよ。」

わかってる。逃げたい。でも…無駄だ。覚悟せざるを得ない。

「だめだ。マーサ。多分逃げ切れないし、逃がしてくれないよ。覚悟を決めるしかないよ。あのトラやっつけて、先に進もう。大丈夫。何とかなるよ。」

恐い。逃げたい。叫び出したくなる気持ちを必死におさえる。でも、そんなことも言っていられない。冒険するって、そういうことなんだろう。


“キラーソ・マルモッラ”(鎧光)


あたりに充満している水や木の元素と光を混ぜて、できるだけ圧縮して身にまとう。かなり集中力を使うけれど、仕方ない。アームドを左腕から剣の形にして伸ばす。右手には光の元素をありったけ圧縮して、握り込んだ。

「マーサとピートは援護して。」すでにピートは大小様々な水球を作っている。

歩み寄るアマヤドラから視線を外さないように、ゆったりと向かっていく。おびえを気取られないように。アマヤドラの基本元素は…土…森…水…。水がかなり多いな。雷があれば。あと五メートル…あと三メートル。ここで互いに足が止まった。それ以上は距離を詰めてこない。僕が一歩近づくと、アマヤドラは一歩分下がり、一歩離れると一歩分前に来る。互いに弧を描くように一定の距離を保ったまま移動する。と思ったら、次の瞬間、目の前からいなくなっていた。

どこだ?

消えた?

左右を見る。どこにもいない。

「ソ…ァー!……ラー!……え!」

後ろからマーサが何か言っているようだが、風に消されてうまく聞きとれない。少し地面が暗くなる。影…。上か!一瞬で距離を詰めて、真上から襲いかかってきた。予備動作なしとは。化け物め。爪をアームドで受ける。横へ一回転して、体勢を整え、すぐさまアマヤドラへ向かって剣を伸ばす。


ガキィン!ガァァン!


爪とアームドがぶつかり合う音が響く。むき出しの暴力。力を全て的確に打撃に乗せてくる。なんなんだこの生き物は。ありえない。力負けして、後ろへ弾き飛ばされる。と同時に、アマヤドラも、無数の土の塊を浴びて後ろへ飛ばされていた。体を光りで硬化してなかったらやばかったな。

それにしてもマーサはやっぱりすごいな。“ピルーコ・アルジーロ”(土連弾)っていってたっけ。こないだ覚えた技をもう使いこなしている。ピートにチラリと目をやると、細かな無数の水針をこちらにむけている。アマヤドラが何かを口に含む。体内で火の元素を作り上げていく。とんでもない量の炎。来る。次の瞬間、見たことのないほど巨大な豪火に見舞われた。炎はアマヤドラと同じ形をしてこっちに向かってくる。だけど、ピートも負けてなかった。圧縮した水針は強く、そう簡単には炎に負けなかった。巨大化したピートの水針と相打ちになり、一帯が蒸気に覆われた。

しまった。

見失った。

どこだ。……違う。落ち着け。見るんじゃない。感じるんだ。半円球状に光を拡げる。


“セルチ・ルーモ”(探索光)


すぐにアマヤドラの気配をつかむことができた。くそっ。しまった。そっちか。

「マーサ!!!ピート!!!そっちだ!!」僕の声とほぼ同時に二十メートルほどの水の激流が空へ伸びていく。アマヤドラに気づいたピートがマーサごと“トルナド・アクヴォ”(渦水)の中に閉じ込めてくれている。渦巻いた水の壁が二人を守っている。ナイス、ピート!

アマヤドラはそんなことはお構いなしに爪に元素を圧縮して、水の壁ごと切り裂いた。

「キャアッ!!」マーサがこちらへ飛ばされてくる。両手でマーサの身体をキャッチした。

ピートはすぐさま応戦し、アマヤドラとほぼ互角に渡り合っている。

「大丈夫?」

傷口を探す。脇腹の下か。致命傷ではないだろうけど、かなりの深手だ。出血がひどい。

「マーサ! マーサ!」

「ソラ…。ゥヴッ…。」

口から血が垂れてくる。マーサの体内に変な元素が見える。毒か。…だめだ。時間はかけられない。でも、どうすれば…。先ほどよりも大きくなったピートはまだアマヤドラを食い止めてくれていた。幸いにも雨がピートに力を与えてくれているようだった。

上空からバチッとした元素を感じて、空を見上げる。

あれっ?

雷がきてる?

黒っぽい雲がどんどん集まり、空が陰っていく。先ほどの“トルナド・アクヴォ”で高層にあった雷雲が引き寄せられてきたのか。

これだ。雷の元素だ。豊富な雷の元素を肌で感じた。これなら…いける。

「マーサ、少し待ってて。終わらせてくる。」リュックを枕に、そっと地面にマーサを寝かせる。

ピートの方に向かいながら、丹田に意識を集中する。雷と光を混ぜて体の内側から外側にかけて渦を巻くようにまとう。細胞のビクつく感じ。チリチリという周りの空気。これなら十分だ。体の一番内側にはできるだけたくさんの光をためこんだ。雷のおかげで、先ほどよりも圧倒的に動きが速くなる。ピートの背後から、アマヤドラに急接近し、脇腹に一撃を見舞った。たまらず、アマヤドラが距離を取る。

ここだ。

「ピート…“デク・フルモラン”(雷光槍)だ。合わせて。」

軽く腰を落とす。両手合わせて、アマヤドラに指先を向ける。

アマヤドラが大きく息を吸い込んだ。体が赤く、黄色く発光している。先ほどと同じ炎だろうか。溜めが長い。向こうは向こうで、大技で仕留めに来たな。ひと足先に、上方からピートが一帯に霧の水針を突き刺す。同時にアマヤドラの足が土と岩で固定された。マーサだな。

今だ!


“デク・フルモラン” (雷光槍)


指先から光の速度で、稲妻を放つ。身動きの取れないアマヤドラを、雷光を帯びた十本の線光が貫く。全ての光がアマヤドラに命中した。放たれた内の一筋は的確に心臓を捉えていた。


ズサァーン。


アマヤドラは力なく、その場に横たわり、ピクリとも動かない。少しの後、体が光に包まれていく。アマヤドラの還った後には、特徴的な爪や生えかけの翼、牙、尻尾、皮などが残っていた。すぐに振り返り、マーサの元に駆け寄る。

「マーサ!大丈夫?」

マーサは右手を上げたまま、息苦しそうにせきこんでいる。そんな状態でよく…。

「マーサのおかげだ。アマヤドラは還ったよ。」

あたりには血だまりができていた。呼びかけてもうつろな返事が返ってくるばかりだ。荒い息。発汗と発熱がすごい。血の流しすぎか毒か。傷口に目をやると、血が止まっている箇所もあった。

血が止まって良かった。

…ちがう。止まってない。さっき、僕が触れたところだけが治っているんだ。ふと母さんの仕草を思い出した。


“メディカ・メント”(癒しの光)


同じように…するんだ。それしかない。光の元素を空中からかき寄せては両手ですくう。より純度の高いものだけを残せ。急いで何度も繰り返す。手のひらいっぱいに、混じり気のない光を集めることができた。そっと、光で傷口をふさぐ。白く柔らかな光に包まれる。マーサの傷がみるみるうちに治っていく。光が消え終わる頃には傷口は閉じて、跡もなかった。

「マーサ!」

さきほどよりも意識がはっきりしている。血の流しすぎだったのか。でも、まだ、発熱と発汗はおさまらない。上体を支える。少し楽な姿勢になったのか、息遣いはさっきより、ましだ。

「ありがとう、ソラ。あとは…毒…かな?ところどころで自然と減っていくんだけど、まだ身体の中を気持ち悪い元素が流れてる。」そう言いながら、右手で心臓のあたりを触れる。マーサの手からウニョウニョした黒みがかった茶色い元素が緑の光に包まれて、ふわりとこぼれては、消えていく。僕は引き続き、マーサに”メディカ・メント”(癒しの光)をかけ続けた。

数分の後には、すっかり元気になっていた。本当によかった。一時はどうなることかと思ったが。

何かに気がついたのか、マーサが僕の額に左手をあてる。

「ソラは気分とか悪くない?大丈夫?」

ん?いたって元気だ。特に体の不調はない。

「なんで?元気だよ?」

「ソラにも、さっきの気持ち悪いのがさ、流れてるから。気になって。」

「んー、多分、大丈夫だと思う。実は、同じタイプの毒は二回と効かない体質なんだ。アマヤドラの爪は何度もかすっていたから、本当に毒が効くなら、もう倒れてるよ。」

自分も怪我をしていたことを忘れていた。自分の傷を治しながら、続ける。

「多分、海毒と同じタイプの毒なんじゃないかな。」

「そっか!元気なら、よかった!」ホッとしたのか笑みがこぼれる。

「ピートちゃんも、本当にありがとね。かっこよかったよ!」

ピートとマーサと三人でハイタッチを交わし合った。

雷雲は去り、太陽の位置は一段と高い。また雨と土の匂いがかえってきた。






「さぁ、先を急ごう。」

還り際の贈り物。アマヤドラのドロップギフトをコレクトダイスに直して、先へ進んでいく。地図によると、プルセツォーノまではあと半分ほどだ。途中、旅の一団と木々を挟んですれ違った以外にめぼしい出会いはなかった。プルセツォーノに近づくにつれて、動植物は穏やかになっていく。雨粒は大きくなったり、細かくなったりしたが、降り止むことはなかった。薬や道具を作るのに必要なものを採取しながら、注意深く進んだ。それでも日が西に傾くころには、プルセツォーノに着くことができた。

プルセツォーノの周りは空気の全てがしっとりとしていた。目に見える霧雨が降ることもあった。入り口は東西南北に一つずつしかないらしく、それ以外はつたのような植物が巻き付いた柵に覆われていた。街はホザートに比べてもかなり広かった。あちらこちらに店があり、たくさんの人が行き交っている。彩りの豊かな街並みは、ひどく見慣れなくて、人の多さに酔いそうになった。とりあえず入り口近くの宿に泊まることにした。 

翌朝から街を見て回り、アンナさんの実家を探したが、なかなか見つけることができなかった。宿を転々としながら、プルセツォーノを歩き回った。クレイについて何人にもたずねた。もちろん本当に知らない人もいたのだろうが、多くの場合はクレイを知らない、というよりはよそ者には言わないといった感じだったので、実家の宿屋の情報を得ることは困難を極めた。

情報を集めがてら、街中を探索した。武器屋や防具屋、道具屋など様々な店に入り、いろいろな品物を手に取った。食べ歩きストリートや、土産物市なんかもあり、光の国とは大違いだった。マーサも驚くことばかりのようで、学校で習うこととはまた違う発見がたくさんある、と嬉しそうに話していた。何日も何日も街を歩き尽くした頃、ようやくアンナさんの実家を見つけることができた。大通りから一筋外れた通りの民家と民家の間にある細い路地を抜けた先から、さらに入り組んだ道の奥にそれはあった。こんなところに小道なんかあったっけ。

「あった、ここだ。ママの実家。」

小さな一軒家に古びれた看板が立ててある。“クレイ“と筆記体で書いてあった。

「クレイはね、ママの姓なの。」

「そうなんだ。マーサはおばさんたちとは会ったことあるの?」

「ないわ。写真と手紙のやりとりくらいよ。それもずいぶん前の話。なんだか緊張するね。」


カラカランッ!


急な物音に体がビクッとなる。中から大柄なおばさんが出てきた。髪は赤く、目は碧い。雰囲気がアンナさんとそっくりだったので、すぐに妹だとわかった。

「何突っ立ってんだい。マーサちゃんだろ?おっきくなったねぇ!目元がアン姉にそっくり。ほら、ソラくんにピートちゃんも、入って!」

中に入ると建物は見かけ以上に広くて、思わず二人で顔を見合わせた。木でできた空間をあたたかな灯りが照らしている。入り口にはテーブルやソファが置いてあり、落ち着いた雰囲気をかもしだしていた。ジンジャーのようなお香のいい香りが広がり、今まで張り続けていた緊張の糸が一気に緩んだ。少し先からは廊下が奥に続いている。

「中が広くてびっくりしたんじゃなくって?」ドアの横に座り、何やら作業をしている青髪の小柄なおばさんに話しかけられた。びっくりして固まる僕らのことは気にもせず続ける。

「アンナ姉様から何も聞いてないのかしら?」

「こらこら、あんまり話し続けるんゃないよ!まったく。夕食をとりながら、ゆっくり話を聞かせておくれ!」

部屋に案内された。階段や廊下の壁には先祖と思しき人物の絵や古文書のようなもの、地図や昔のレイストの絵などが飾ってあった。天井には昔の魔法使いだろうか。碧銀の元素をまとって、杖を振るう老人の姿が描かれていた。通された部屋も建物の入り口と同じように、ドアの見かけ以上に奥行きが広く、二人で悠々と過ごせそうだった。猫足のテーブルにピンクのベッド。反対側には深い紺のベッドに金のししゅうがほどこされたコの字のソファーがあった。レモンとハッカを混ぜたような香りがした。天井や壁には伝承や伝説がたくさん描かれていた。

マーサといえば、部屋中をいそいそと回り、はしゃぎながら 「かわいいー。すごく広いね!はじめてきたのに、なんだか懐かしい匂いもする。」 とすごくリラックスしていた。元気になって、本当に良かった。

「ほんとだね。外から見た感じとずいぶん違うね。」 荷物を下ろし、一息入れた。

リラックスタイムを満喫した頃、

「二人ともー!夕飯にするから、降りてといでー!」部屋の中にドレおばさんの声が響き渡る。

どこから聞こえてきているんだ?

廊下をあるいていると、リビングに入る前から食欲をそそる良いにおいがしてきた。

「美味しそうなにおいがしてるね!」

「ほんとだね、雨肉、食べたいなぁー。」

「あれ美味しいよね、私はやっぱり、フライドポワレだなぁ。」

食堂も小さめのドアだったが、他と同じく、中に入るとかなり広かった。他の客はいないようで、僕とマーサとおばさんたち三人だけだった。


「アン姉は、今どんなことしてるんだい?」

「ママは今、ドランドのことを色々と研究しているの。やっぱり、海毒をなくしたいみたい。」

「変わってないご様子。アンナ姉様らしいですわ。プルセツォーノでも随一の元素使いでしたもの。」

「きっと、お祖父様も喜んでるよ!アン姉だけが元素と分かり合えたんだから。」

もう一人の黄髪のおばさんもうなずく。

マーサがママの現状やドランドの様子を話した後、

「おばさまたちは何をしているんですか?」とマーサが聞いた。

「わたしたちかい?宿屋を営みながら、それぞれ好きなことをしているんだよ!宿屋といっても、昔馴染みの客以外は受け付けないがね!あたしゃ、考古学を研究するかたわら、絵を描いてるのさ。一度見たものは決して忘れない。これだけが取り柄でね!」

「わたくしは医者をしておりますの。教鞭もとっていますわ。趣味はアクセサリーや小物つくり。細かいものには目がなくて…マーサちゃんのつけてるスカーフはドランドのものね。ミサンガにはクレイの模様。ブレスレットは…何かしら?…少し見せてくださる?」

マーサがルーブおばさんに手渡す。

「見たことのないものが混ざってますわね。何かしら。ブレスレットも独特の雰囲気…。身につけている人の厄を払う…そんな気配。素敵なブレスレットですわね。」

「そんなブレスレットになってたんだ。見てくれてありがとう!イエおばさまは何をしているんですか?」

「ぶき…。」黄髪のおばさんが何かを打ち付ける仕草をする。

そして、僕の方を指さした。…なんだ?短めの沈黙が流れる。

「もう!せっかく来てくれたんだから、愛想良くできないもんかね!極度の人見知りでね。許してやっておくれ!武器や防具、色々なものを作ってるんだよ。興味を示した時にしか作らないけれど、腕はピカイチさ。オババ様によく似て、唯一、魔法を使えるんでね!」

「マホウ…?」久しぶりに聞いた単語だ。何だっけ。学校で習った気がするな…。あっ!「魔法」か。命を削って、特殊なことをできる力だっけ。

「えっ!魔法を使えるの?」 マーサが驚きの声をあげる。

「イエだけ、ね。オババ様の血が濃いのか、多少のことなら命を削らなくてもできるのさ!だから、この世に二つとないものを作ることができるんだよ!」

当のおばさまはまだ僕を指差している。

「ソラ、イエおばさまに何かしたの?」

身に覚えがなさすぎる。初対面にも程がある。

「いやぁ…わかんない。」

「そういえば、さっき来る道中は大変だったって言ってたね。何があったんだい?」

アマヤドラとの一部始終を話した。

「それは多分…アマヤドラではないですわ。アマヤドラはすごく臆病で、出会っても普通は逃げていきますわよ。」

「んー、ネッタイガーの亜種でもないだろうね!ネッタイガーならグループでいるはずだし、何より翼なんてない。それに保護色だから、見つけにくいし。翼が生えているトラといえば、恐らく…」

「びぶろす…。」イエさんが小さな声でつぶやいた。

「びぶろす?」マーサと二人でハモってしまった。なんだそれは?

「あんたたちは知らなくても無理ないね!ヴィブロスってのは、天災獣だよ!確か、ドランドには天災獣はいなかったはずだよ。あたしでも、お祖父様から昔話で聞いたくらいで、実際めったと遭わない。ましてやヴィブロスをやっつけたなんて、聞いたことないよ!たいしたもんだ!」

「すごいことですわ。遭ったことも。生き残れたことも。レイストには雷なんてないはずなのに、どうやって還したのかしら?そういえば、ドロップギフトはいただけたこと?」

「まぁ、いくつかは。」

天災獣か。どうりで強かったわけだ。雷が弱点だったとは。たまたまとはいえ、生き残れて本当によかった。ピートがいなかったら、どうなってたことやら。

「みせて…あとで。」先ほどより、少し顔を上げて話してくれた。

「あら、興味が湧いたんですこと?」

「おっ!珍しいね!まぁ、見てみたいよね、ヴィブロスのギフトはさ!」

「ありがとうございます!あとで、工房にうかがいます!ソラ、よかったね!見てくれるって!」


弾んだ話も一旦、お開きにして、言われたとおりに、道中に手に入れたギフトを全てリビングにもってきた。イエおばさんの興味はもっぱらヴィブロスのギフトだった。

「つくっても…いい…かい?」

「ありがとうございます!ソラ、すごいよ!良かったね!」

「ありがとうございます。」

「何ができるかは、イエしか知らないんだけどね!でも、大丈夫!素材から作れる最高のものを必ず作るさ!」

「そざいの…くみあわせが…いい。」そういうと、ドロップギフトを机において、こっちを向いた。碧色のすんだ瞳が印象的だった。

「ふたりとも…手…。」 僕たちに手を差し出してきた。

握ればいいのかな?

「二人とも手を握りな!イエの不思議な力だね。なんでも便利なもんで、色々とわかるみたいだよ!」

「その人に合ったものを作るために、イエは手をつなぐのですわよ。」

二人でそっと手を置いた。ぐっ!と握りしめられると、見た目からは想像もつかないような強い力で、全身が金縛りにあったみたいに体が強ばった。イエさんが手を離すと、金縛りはとけて、元の自分の体が返ってきた。

「あとで…。」

そう言い残すと工房の方へ向かっていった。

リビングでくつろいでいると、ふと、周りの絵に目がひきこまれた。

何枚も地図がある。見慣れない文字も。見たことがある地図もある気がする。それにしても、この謎の文字の石碑は何なんだろう。

「あのー。この絵もドレおばさんが描いたんですか?」マーサも気になったのか。僕も不思議と気になっていたよ。

「あぁ、これはね、あたしじゃないんだよ!この子たちは、全部、お祖父様の描いた絵さ!お祖父様は地図描きだったからね。各地を冒険しては色々と描いたのさ。地図は島だけじゃなくて、洞窟なんかのもあるよ。ほら、あんたたちが通ってきた地下道の地図もあるだろ?」

少し違うけども、おおよそは父さんの地図と同じだ。

「ほんとだ!似てる!」マーサが驚きの声をあげる。

そりゃ、そうだ。同じ場所を描いたんだから。

 地図もたくさんあったが、石碑も何枚もあった。朽ちているものやら、色のついているものやら。

「この文字は何なんですか?」特に大きく描かれた一枚がどうしても気になって、ドレおばさんにたずねる。

「これはね、ここから北に行ったところにある洞窟の奥の方にあったらしくてね!この国に伝わる伝承石だよ。ホラアナグマの住処だから、最深部まで行って、全部描く、なんてことはできなかったみたいだけど。」

「王が…分かつ…リング…各地に…封印…。ふぅー、難しいなぁ。やっぱり本物の古代文字は読みにくいね。」

マーサが頭を抱えては眺め、眺めては頭を抱えを繰り返している。父さんはこれを読んだんだ。この国で僕がすべきことが見えてきた。

「あら!あんた森の言葉が読めるのかい?さすが、クレイの女だねぇ!」

「マーサ、続きも読める?」

「うん、ところどころ消えちゃってるけど、ちょっと待ってね。土の…リング……ヘソに……守護す……全て……へ通じる。この絵で読めるのはここまでかな。」

土のリングがこの国にあるんだ。ヘソ…ヘソ?おなか?何かが守っているのかな。どんなリングかはわからないけれど、強い力で保護されているだろうことは想像に難くない。

「ヘソ、かぁ。ヘソってなんだろ。」


カタン、ガダガダガダガダ。


イエおばさんが工房から出てくる。ほんのりと何か焦げたような、香ばしいような香りがしてきた。

「足りない…。ウルシゴク…。」

 何かがいるのかな。ウルシゴクって何だ。

「ウルシゴクが必要ざますの?そう簡単に見つかるかしら。」

「困ったねぇ!街で買えるような代物じゃないよ。」

「どこかに行けば、手に入りますか?」マーサがきっぱりとした口調で聞く。

「ここから北東にあるモレビの洞穴に、ウルシゴクっていう結晶があるんだよ。ただ、あそこはホラアナグマの住処だからねぇ…。」

ホラアナグマと聞いて、マーサはうつむき、太ももの上で拳を握りしめて、をつぐんでいる。

「ドレ姉様。ホラアナグマの習性から考えて、朝早くから昼頃までなら、なんとかなるんじゃなくって?」

「そうだね!幼体とはいえヴィブロスをやっつけたんだ。朝昼のホラアナグマだったら相手にならないだろうね!」

 ん?確かに羽はそこまで大きくなかったけれども。いやいや。あれが幼体とは。成体とあったら命はないな。

「習性というのは何ですか?」とりあえず聞かないと始まらないな。

「ホラアナグマはね、日中に日光を浴びている個体は比較的穏やかなんだよ。襲ってくることはまれだね。だから、上層のところまではたいした危険はないのさ!けれど、上層にウルシゴクがあるかどうかは…。」

「ウルシゴクはどんな結晶なんですか?」

土のリングの手がかりがつかめるかもしれない。この期待に比べれば、多少の恐怖心は気にならなかった。

「太陽に囲まれているけれど、太陽が直接当たらない場所に、時間をかけてできていく結晶だよ。その辺の石ころと同じだから、見た目での判別が極めて難しくてね。たくさんの砂の中から、見つかることがあるかないか、って感じだね。だから、行ったとしても見つかるかはわからない。道中も安全とは言い切れないね。」

「でも、人生とはそういうもの。自ら動かなきゃ、変わらない。おばあさまもよく言ってらしたわ。」ルーブおばさんが地図を指差しながら、つぶやく。

途中までしかない地図。これか。モレビの洞窟は。たしかに空振りに終わるかもしれない。生きて帰れる保証もない。ホラアナグマか。思い出しただけで、背筋が凍る思いだ。

いやだな。こわいな。ふと気を抜くと、弱くて幼い自分が顔を出してくる。

でも…進まなきゃ。一歩ずつ、いや、たとえ半歩だとしても…。弱気になることもこれから山ほどあるだろうけど、でも、心の根っこで諦めることだけはしたくない。

 マーサは…マーサはどうなんだろう。チラリと横を見ると、マーサの顔から青白さが消えていた。震えていた拳は開かれている。先ほどとは全く様子が違っていた。どうしたんだろう。

「ソラ…行こう。わたしは行きたい。ホラアナグマは怖いし、危険なことも好きじゃない。でも…こわさより、好奇心の方が勝っちゃったみたい。」

まっすぐと僕の目をみて気持ちを伝えてくれる。

「僕も同じ気持ちだよ。行こう。」


 おばさんたちに道のりや注意点など、色々と教えてもらった。

「街をでると、北西に丘がある。そこから、レイストを一望できるから、まずは確認してみるといいよ!」

「これを貸してさしあげますわ。」

ルーブおばさんがカバンに小さな青いリボンを巻いてくれた。青いリボン…見覚えがあるような、ないような。

「これは…?」

「それがなかったら、この宿には帰ってこれなくてよ?はじめは、わたくしから見つけて差し上げましたけども。」

…そういうことか。だから、見つからなかったんだ。何かしらの力が働いて、クレイには普通には来られないんだな。

「ありがとうございます。お借りします。」

「無事に帰ってきたら、その時は、あなたたちの分を用意して差し上げますわ。」

「それと、さっきも言ったけども、くれぐれも洞穴のまわりで手を振っていたり、お辞儀をしたりしているホラアナグマとは関わるんじゃないよ。ホラアナグマはボスグマ以外に知性はないからね。うっかり関わると大変な目に遭うよ。」

「わかりました。ホラアナグマと関わろうなんてみじんも思ったません。こわいので。じゃあ、明朝、出発しますので、お願いします。」


夜が明けるか明けないかくらいの頃にクレイを出発した。街より北には炎の元素がほとんどないとのことだったので、護身用に試験管カプセルに入った小さな種火をくれた。カプセルには炎が消えないように、と装飾が施してあった。

北の門から出るとまっすぐ丘に向かった。ミライ丘という名前らしく、たくさんの人が同じ方を向いて歩いていた。緩やかな道をしばらくいくと視界のひらけた小高い丘にでた。ちょうど正面にアク・ヴォ・モントが見える。少し高めの平たい円柱のような形をしており、ゼリーのようにプルプル震えている。北を一望しようとしたが、高さが足りないらしく、森だけが見えた。

北を見るためにはここからさらに登る必要があったようで、そこまで進んで行ったのは僕たちを含めて、四、五グループほどだった。どのパーティーもこれから戦にでも向かうのか、というような重装備だった。聞こえてくる会話からは、いくつかのグループは西にある港から他の国へ、残りは同じくモレビ洞穴を目指しているようだった。

丘の一番上まで行くと、確かにおばさんたちの言う通りに、東から西、北まで一望できた。アク・ヴォ・モントは下の丘から見るよりもずっと平べったい山だった。外側の色はオーシャンブルーで、透明度が高く、吸い込まれるような美しさだった。真ん中に寄るほど、深海に近づいているかのように色が深くなっていた。東側には海岸線をみることもできた。

北の手前の部分には一面に緑が広がっており、遠くの方で深い緑から黄緑へと変わっていた。そして、緑の境目から向こうの方まで遺跡が続いていた。洞穴の近くには目印となる白い塔があると言っていたが、おそらくあれだろうか。視線を戻す。森の中にも濃淡があり、泉らしきものや洞窟のようなものが見えた。街はないものの、集落が点在しているようだった。

「マーサ。」

「なぁに?」

「道が見当たらないね。何かを目標に進んでいく?それとも方角にする?」

「うーん、やっぱり方角がいいかな?方角が狂う地域がないかだけが心配なんだけど。」

「じゃあ、ある程度、目印をつけた上で、方角を見ながら向かおうか?」

「そうだね。えーっと、ところでこっちはどっちなんだろ。」

「ピート、北どっち?」

ふわふわと宙を二、三周したあとに、今僕たちが見ている方へ水球を飛ばした。

「さすが、ピートちゃん、ありがとう!」

「ありがとな。」

よし、大体の方角はわかった。とりあえず北北東に泉があって、北東に洞窟がある感じだな。これを覚えながら進もう。

「暗くなる前に、休むところを作って、体力を温存しながら行こうか。」

「そうしましょう。それにしても、ここらへんは緑がたくさんあって、落ち着くわね。」

出発前に父さんの地図で、ある程度の場所を確認して、道を選ぶことにした。×はできるだけ避けたいところだな。森の名前が書いてある。東側をタノモーリ、西側をコウウリンと呼ぶようだ。コウウリンの方には×が多くあったが、タノモーリの方には×がなかった。道を二人で決めた頃には、他の人たちは全員下りた後だった。

下の丘にはまだ大勢の人たちが観光していた。さらに下り、少し広めの道に出た。少し北に進むと分かれ道があり、矢印があった。東のルートはタノモーリ、西のルートはコウウリンに通じているらしい。分かれ道のところは広場になっており、旅人らしき人たちが大勢いた。ほとんどの人たちがコウウリンのほうに向かっていく。旅の支度を整えた後、情報収集がてら、広場のベンチに腰掛けているおじいさんに話しをきいてみた。

「コウウリンには、何かあるんですか?」

「んん。アク・ヴォ・モントには何かあると、この国では昔から言われていてな。たいした準備もせずに向かっていきよる。本当にアク・ヴォ・モントに行きたいのなら、回り道をしなきゃならんというのに。ところで君たちはどこへいくのかね?」

「僕たちはタノモーリを抜けて、モレビ洞穴に行こうと思ってるんです。」

「モレビか。目当てはウルシゴクか、はたまた、もの好きな石碑巡りかな?いずれにせよ、急がず、準備をしながら進むんじゃよ。タノモーリの生態系は不思議じゃからなぁ。自分磨きをするとええ。」

「自分磨き…?」

思わずつぶやいてしまう。おじいさんは含みを持った笑みを浮かべていた。

「わしゃな、いつも、この時間はここにおるんじゃ。帰ってきたら、また顔を見せておくれ。旅の吉兆を示す円雨は降っておらぬが、良き旅立ちとなるように祈っておるよ。」

「円雨?」なんだろう。どんな雨なんだ。

「円の雨が降るんじゃよ。年に数回。旅立つ際には最高の見送りとなる、と昔から信じられておる。」

マーサは「また話してくださいね!」とゆびきりげんまんをして、約束していた。おじいさんは少し照れくさそうに見送ってくれた。

タノモーリに入ると雨が少し大粒になり、落ちてくる速度がとても遅くなった。レイストはいつも雨だけど、大きさや降り方はすぐに変わる。森の中は雨と土の入り混ざったにおいがしていた。でも、それ以上に生き物の汗の匂いがただよっていた。上から見るのとは違い、タノモーリの木々は背が高く、真っ直ぐ生えていた。見通しの良い道がずっと向こうまで続いている。獣のうなり声のかわりに、遠くの方から気合の入った声がこだましていた。植物は色鮮やかで、小鳥や虫たちは楽しげに飛んでいた。マーサと僕もいつの間にか鼻歌混じりで道を歩いていた。

すると、急に一匹のウサギが道の真ん中に現れた。ウサギといっても、僕やマーサより大きく、ブドウの模様が胸に入った道着を来て、自然体でこちらに向いている。目が合ったかと思うと軽く頭を下げて、戦いの構えに入った。よくわからないけれど、戦わなければならないのだろうか。あたりには仲間らしき影もない。敵意というよりは修行のような雰囲気だ。道場破りみたいなウサギだな。

「マーサ、下がってて。僕が負けるまでは手出ししないでね。なんか一対一っぽいし、悪意も感じないから。ピートもね。」

「わかってるわ。頑張ってね。」

ピートも小さく鳴いて同意を示してくれた。

アームドを上体に沿うように展開して、光と水を混ぜたものをまとう。先は長いからあまり体力を使う技は使えないな。

互いに構えたまま少しずつ距離をつめていく。二メートルほどの距離になった時、ウサギの方から拳を打ち込んできた。続けて、中段蹴り、からのブラジリアンキック。流れるように回し蹴りまでやってきた。スピードがあるわけではない。力も特に感じなかった。すべて見切って、ガードもできた。さらに、続けて踏み込んでくるけれど、遅い動きはもう見切った。左の突きに合わせて、一歩踏み込んで右フックをウサギのあごにカウンター気味に返す。勝負ありだ。少しふらついた後、ウサギは膝から崩れ落ちた。

「マーサ、あのウサギは知ってるの?」

「えぇ。ブドウサギね。一本勝負を好む修行好きなウサギよ。負けたら、しばらく稽古をつけられるってウワサを聞いたことがあるわ。ドランドにもいるのよ。体はレイストのウサギよりもずっと小さいけれど。」

「勝ったら?」

「ギフトをくれたり、道を教えてくれたり、基本的に親切なウサギなの。」

ピートが地面にのびているウサギの顔に水球をかけてくれた。ハッと目を覚ましたウサギはキビキビと正座をした。何やらギフトを差し出した後、僕の方をじっと見ている。

「ありがとう、いい勝負だった。また、やろう。」

そう言って、右手を差し出すと、ウサギは一瞬、驚きの表情を見せた後、両手で丁寧に右手を握りしめて、一礼し、去っていった。

「あら、何も聞かなくてよかったの?」

「うん。地図もあるし、特に困ってないからね。」

父さんに武道の稽古をつけてもらったことを思い出した。勝負がついた後、きまって握手したっけ。

その後も、同じような形で何度も何度も勝負を挑まれた。タタカウマにファイトナカイ、ケンカンガルー、イッポンタヌキ、ワザアリクイ、セイケンタウロスなど色々な魔獣や動物たちと出会った。彼らの主と戦うこともなかったので、特に手こずるようなことはなかった。

そんな中、一番意外な発見はマーサが近距離格闘技も強かったことだった。それにしても、なんなんだ、この森は。変な動物ばかりだ。途中、ブドウサギに稽古をつけられているパーティーを見かけた時は、思わず笑ってしまったけれど。泉までけっこうな距離があったように思っていたが、頻繁に戦っていたこともあり、時間の長さを感じることはなかった。気がつくと太陽は西に傾いており、もう、泉の近くまで来ていた。

泉からはイヤシミズが湧き出ており、付近で休息するパーティーをちらほら見かけた。僕たちはチョコレートのような甘ったるい香りのする泉の近くではなく、少し離れた木の上で休むことにした。マーサはエダヒラスギに小屋を作ってくれた。僕は視覚的に気づかれないように


“ムッロ・ミラージョ”(蜃気楼の壁)


を小屋の周りに張り巡らした。光の屈折を利用した簡単な元素の壁だけど、これで、まわりからは木々と同化して見えるはずだ。あとは鼻が効く生物への対処か。光と土を混ぜようか、降っている雨足をピートに強めてもらおうか、などと思案していると、マーサが緑の匂いでカモフラージュしてくれて、一番しっくりくる形で小屋を整えることができた。

整え終わる頃には雨粒は大きくなり、力強く降ってきた。昼間の敵意のない掛け声とは異なる耳障りな鳴き声がいくつも聞こえてきた。生き物の時間帯が入れ替わったんだな。夜がやってきたことが小屋の中にいてもよくわかった。

マーサと地図を眺めながら、二日目以降の行程を確認した。よくみると泉の中心から外に向かって矢印がかいてあった。偶然だけど泉から離れて正解だったのか。

翌朝からしばらく同じような日々が続いた。タノモーリは存外広く、道中に頻繁に闘いを挑まれるので、なかなか前へ進まなかった。何日かの後、ようやくタノモーリを抜けることができた。しかし、夕方だったこともあり、タノモーリの樹の上でもう一晩過ごした。

太陽と月が出会う頃、樹上から地面に降りた。雨は横から上へと吹き上げながら降っている。小雨だからあまり気にならないが、大粒だと少し困るだろうな。マーサも僕も身支度をして、コレクトダイスを整理し、出発準備は万端だ。

「ねぇ、ソラ。遺跡が意外と大きくて、迷いそうだよね。」困り顔でこちらを見る。

「うん、ほんとだね。」

確かにそうだ。遺跡は二階建ての建物も多く、先を見通すのが難しかった。道もくねくねと入り組んでおり、かなりの注意を要するだろう。

「樹の上からさ、見てみない?」マーサが言った。

ナイスアイデア。最善だ。ただし遺跡側から登ると丸見えだし、タノモーリ側から登って見るのが良さそうだ。

「そうしよう!マーサ、さすがだよ!」

マーサは頭に手をやり、照れている。

登りやすいようにマーサが階段をつくってくれて、いい感じに隠れながら見渡せるように椅子をこしらえてくれた。マーサは本当にすごいな。


樹の上から見ると、遺跡はかなり広く、東西は見切れるほどだった。北向きも海辺までずーっと遺跡が続いていた。昔はここに大きな街があったのだと思うと、不思議な気持ちになった。目的の白い塔とモレビ洞穴は今いる場所から北北東の方角にあった。上から見ると、ところどころに生き物の巣らしきものがあり、立っているクマが見えた。ホラアナグマだろう。旅人たちに手を振り、お辞儀をしている。愛らしい様子に見えたのか、ホラアナグマと触れ合ったり、物を与えたりしている。旅人がホラアナグマから離れていくと、そーっと後を追っかけていく。旅人たちは気づく素振りもない。

「僕たちはああならないように、気をつけて進もう。」

「そうね。おばさんたちの言っていた意味が少しわかった気がするわ。」

遺跡の道は碁盤の目のようになっているので、恐らく迷うことはないだろうけども、良くも悪くも角が多く、見通しがいい上に直線が長い。慎重にルートを選ばないと危険だな。

遺跡に入っていくと、土ぼこりと昇り雨が混ざり、十メートル先を判別するのも難しかった。でも、見えないことを生かしていけたら、それがベストか。

「マーサ、縦になろう。ピートは後ろを。マーサは両横を警戒してね。僕は光を拡げて、あたりの気配を探りながら道を選ぶことにするから。」

「わかった。両横の警戒だね。」

「ありがと、よし、進もう。」


“セルチ・ルーモ”(探索する光)


索敵の範囲を拡げたので、ホラアナグマや他の生き物に気づかれるよりも早く、気づくことができた。途中、少し離れたところでホラアナグマに襲われたらしいパーティーをみかけた。ほとんどの者が大怪我をしていた。よく見ると先ほど樹上から見たパーティーだった。辺りに注意しながら、遺跡の入り口に駆け足で向かっている様子だったが、まだホラアナグマにあとをつけられていた。関わりを持つと執拗に狙われる、か。おばさんたちはこのことを言っていたんだな。やっかいな生き物だ。マーサには内緒にしておこう。

少し遠回りをしたが、僕たちはホラアナグマに遭うことなく、白い塔の近くまで来ることができた。太陽は真上に差し掛かろうとする頃だった。泥臭いにおいに潮の香りが混ざってきた。海が近い。少しだけど雷の元素も感じる。

塔からさほど離れていないところにモレビ洞穴はあった。入り口はかろうじて地上にあったが、道は地下へと続いていっていた。地表にはたくさんの穴があいていた。入り口付近はゴツゴツした大きめの石が多く、歩くのに少し手間取った。洞穴の高さは2.3メートルというところで、壁はしっとりと湿っていた。水が滴るところがいたるところにあった。僕たち以外にも何組も旅人を見かけた。洞穴前にいるホラアナグマと関わりを持っている人たちもいた。僕たちはできるだけ足早に入り口を通過して、洞穴に入った。洞穴の中は陽光が差し込んでおり、かなりポカポカとしていた。おばさんたちによると、光の届かない階層までいくと石碑があるとのことだったけれど、さすがにそこまで向かう気にはなれなかった。

というのも入った瞬間から何かにずっと見られているような感覚があったからだ。ウルシゴクを見つけ次第、いや、見つからなくても、マーサと打ち合わせした時刻が来たらすぐに帰路に着いたほうが良さそうだ。

中は複雑に入り組んでおり、父さんの地図にも全ての道が書いているわけではなかった。ただ、奥へ進めば進むほど、洞穴は広がり、途中で途切れている道が増えていた。周りを見渡すと、明るいところで何かを探す人もいれば、暗いところで採掘している人もいた。めいめい好きなところで作業に励んでいた。なかには、岩や石には脇目もふらず、奥へ奥へ急いでいる人たちもいた。階段や穴がそこらここらにあった。

「どこを探そうか?」

一通りキョロキョロした後、マーサが言った。

「うーん、このあたりは太陽が差し込みすぎているから、多分違うよね。少し奥に進もうよ。」

「そうだね。そうしよう。」そう言いながらマーサは壁に指を向け、元素の弾を打ちつけては、土を削ってくれた。道に迷わないように、印をつけてくれている。

奥へ進むにつれて、上層から太陽光は差し込むものの、だんだんと薄暗くなり、野生の生き物の気配が強くなってきた。マーサも僕も緊張感を徐々に高めながら進んだ。まわりで採取する人も減ってきた。 さらに降りていくと、とうとう差し込んでいる光も見えなくなった。しかし、暗闇になっていないところを見ると、地上の光はかろうじて届いているらしい。あたりを見回してから進もうとしたその時、誰かに呼ばれる声が聞こえた。思わず後ろを振り返る。

「どうしたの?」

マーサもピートもけげんそうに僕を見る。

「いや…今…僕のこと、呼んで…ないよね?」

「何も話してないよ。どうかしたの?」

どういうことだ。

「いや、誰かに呼ばれた気がして。」

気のせいか。再び、歩き始めると、また呼ばれた。

なんだろう。違うな。音じゃない。声でもない。頭の中にスゥーと情報が流れ込んでくるような感覚。呼ばれたと感じていたけれど、どちらかというと導かれているような、そんな感じだ。時おり、地面が揺れる。揺れるたびにピートは水鉄砲を天井に吹いていた。

わかる、気がした。ウルシゴクの場所が。

「ソラ、どうしたの?そっちでいいの?」

「多分、こっちだと思う。」何かに導かれるままに進む。

間違いなくウルシゴクはこちらにある。だんだん、確信めいた気持ちになってきた。声が強く、大きくなってくる。

「あの辺りだと思う。」

天井から水がピチャン、ピチャンと落ちている。薄暗さもなくなりかけて暗闇にほど近い。そこの狭間にあった拳大の石コロ。これだ。間違いない。

「あった、多分これだ。」

手に取ると石からなんとも言えない波動が伝わってきた。

「見た目だと全然わからないんだけど、これだけでいいの?」

「うん。間違いない。石がそう言ってる。さぁ、日が暮れるまでに戻ろう。少し奥深くまで来すぎたしね。」

来た道を急ぎ足で戻る。上階からグゥワゥン、グゥワァンとなにかの音が反響している。なんだろう。変だ。先ほどまで採取に励んでいた他の旅人たちの姿が一切見当たらない。地表まであと二階ほどにさしかかったころ、異変の正体が判明した。


ウゥー、グゥアワゥ!


ホラアナグマの鳴き声とともに、ガギィンという鈍い音が響く。ホラアナグマと誰かが闘っている。そうか。だから、みんな逃げたのか。

入り口付近の広場には背高の細身の男の人がホラアナグマと殴り合っていた。どちらも譲らない。でも、なんだろう。襲っているというよりは、ホラアナグマが男の人から何かを取り返そうとしているように見えた。戦局はどちらに傾いてるでもなく、均衡状態のようだった。

「ピート、マーサと一緒にいて。後ろの警戒をたのむ。ちょっといってくる。援護して。」

「わかったわ。」

「ギュルワァ!」

カバンを預け、アームドを展開しながら、素早く男の人に近づく。

「加勢します!」

「おっ、サンキュー。助かるわぁ!」

長めの戦闘でバテていたのか、ホラアナグマの動きは遅く、どの攻撃も当たる気がしなかった。前ほどの恐怖心を感じることなく、互角以上に戦えた。二人で連携をとりながら一方的に打撃を加えていく。マーサやピートも効果的に援護してくれている。一旦ふらついた後、今まで立ち上がっていたホラアナグマが四つ足に戻った。途端に素早く動き、今度はこちらが防戦一方になった。突進しかしてこなかったか、なかなかに速く、よけきれずにガードすることのほうが多くなった。四本分の加速はハンパないな。

それと先ほどから男の人がマーサの方をチラチラみている。何なんだ。

「なぁ、兄ちゃん。もしかして、火種かなんか持ってへんか?」

「えっ?…持ってますけど。」なぜ、わかったんだろう。

「せやろ、ビンビン感じるねん。火の元素。…すまんけど、もらわれへん?」

一瞬、迷ったが、この場を乗り切らない限り、帰ることはおろか逃げることもできない。それに日が沈むと、きっと勝ち目は薄くなる。

「…わかりました。」

ホラアナグマの連撃を男の人が受けている間に、

「マーサ、火種を投げて!」

「わかった!」マーサは戸惑うそぶりもなく、すぐに火種をこちらに投げてくれた。と同時にマーサは手をグーにしてくるっと回した。土がホラアナグマの足をとる。巨体が右へよろけた。男の人は一瞬の隙をついて、体重を乗せて思い切り、ホラアナグマの左胸を右拳で撃ち抜いた。ホラアナグマは五メートルほど吹っ飛んでいった。

右手で火種をキャッチする。器の中で、炎がいつになく燃え盛っていた。

「これを。」そう言って僕は火種を男の人に渡した。

「うわ…これ、あれやん。めっちゃ大事なやつやん。ほんまに申し訳ないわ。作ってくれた人、堪忍やで。恩に着るわ。」

装飾をしげしげと眺め、申し訳なさそうに握りしめる。男の人が土の元素をググッと流すと、火種を守っている試験管はなくなり、炎だけが宙に浮いていた。ホラアナグマは首をブルブルと振り、体勢を整えて、こちらに狙いを定めている。

「よっしゃ。助かったわ。ほな、終わらそか。」そう言って、男の人が炎に触れると、火種だった炎は蒼白く燃え上がり、炎がとぐろを巻いて、体の周りを覆っていく。そんなことは気にもせず、ホラアナグマは男の人に真っ直ぐ突進していった。

「これこれ。やっぱ炎やなかったらあかんわ。」

次の瞬間、蒼白い火花が散り、炎が舞ったかと思うと、ホラアナグマは壁に巨体をぶつけていた。

えっ?何が起きたんだ?拳で撃ち抜いた…のか?

ホラアナグマがジタバタと暴れている。どれだけ暴れても蒼い炎は消えそうもない。そうしてホラアナグマごと蒼い炎が燃やしていった。やがて、ドロップギフトを残して、光となって消えてしまった。

何か儀式のような仕草をした後、ドロップギフトを拾うと、律儀に折半して、僕にもくれた。

「ありがとうございます。」

「いやいやいや、こちらこそやわ。ほんまにありがとうやで。大切な火種を使わしてもろて。申し訳ない。ほら、このへんて、炎の元素ないやろ?困っとったんや。」

そういうとカバンの中から小さな丸い水晶のようなものを取り出した。

「あっ、俺の名前はクルスト。クルスでええよ。…あの火種とは釣り合わんやろうけど、命を助けてもらった心ばかりお礼や。」

なんだろう。この手のひらに乗るサイズのかわいらしい水晶は。

「はじめまして。ソラと言います。えーっと、こちらがマーサとピートです。」

固く握手を交わし、話を続けた。

「水晶ありがとうございます。それにしても、なんで襲われていたんですか?」

「あぁ、昔、盗賊やった頃の技でな。ホラアナグマがきれいな貴重そうな石を持っとったから、バレへんようにくすねた…つもりやったんや。ほしたら、意外とすぐにバレてな。ほんで、ケンカや。」

「えっ、盗賊なんですか?」

「いや、本物ちゃうよ。見たまんまの冒険家やからね。盗賊ってのはスキリングの話な。もう今は違うスキル習得にトライしてるから。」

「スキリング?」

「そう。スキリング。…あっ、そうか…この国にはスキリングする人あんまおれへんのか。えーっと、スキリングっていうのは、簡単にいうたら、自分のことを色々な修行を通して高めていくってことやな。擬似的な転職みたいなもんや。まぁ…。」

僕とマーサをじっと眺めると

「二人にとっては、いらんかもしらんけどな。俺みたいな凡人には必要なことやねん。」と言った。

「スキリング。なんだか楽しそうですね。」

「いや、ほんまめっちゃおもろいで。ハマるで。」

「ソラ、面白そうだよね。スキリング。いつか行ってみたいね!」

 クリスはピートをチラリとみる。

「おー、なんやら、すごそうなのと一緒におるな。君らほんまにおもろいな。本物なんか、はじめてみたわ。助けてもろたし、えぇもんみたし、来てよかったわ、レイスト。よっしゃ、ほな、そろそろ帰ろかな。今日は炎の元素がなかったら、どないもでけへんし。」

先ほど僕たちにくれた水晶と同じものをリュックから取り出した。

「あの…この水晶は…」

「あぁ、これか。これはな、テングースのドロップギフトや。水晶ちゃうで。うちの国ではシエラ・ストーノ、つまり、空の石って呼ぶねん。行きたいところを思い浮かべて、自分の元素をこめると、そこに行けるねん。すごない?」

「空間を移動できるってことですか?」

すごいな。そんなものがあるなんて。

「せや。まぁ、おんなじようなもん売ってるとこもようけあるけど、そんなんとちゃうのは国を超えても移動できること。これや。海も渡れるのはドロップギフトだけやねん。でも、行かれへんところも結構あるけどな。結界なんかが張られているところはあかんねん。ただ、さっきもろた火種に比べたら、全然どこにでもあるもんやけど。」

そう話しながら、二、三歩と下がっていく。

「ほしたら、そろそろ帰るわ。ソラたちも気いつけてな。また、どっかで会ったら、よろしくやで!助けてもろた恩は忘れへんよって。ほな!」

そういうと、クリスは土の元素をシエラ・ストーノに込めた。シエラ・ストーノから煙がポワポワと現れる。やがてその煙はクリスを覆っていく。煙が消える頃には、クリスの姿はなかった。

「見た?今の。すごいよね。早速使う?」

ルンルンした声でマーサが話す。

「いや、とりあえず持っておこう。困った時に使わないと。レイストやドランドでは手に入らなさそうだし。」

「確かにそうだね。聞くのも見るのも初めてだったし。とりあえず今朝の樹の上までもどろっか。」

入り口から出た頃には、僕たちの影もずいぶんと伸びていた。来た時と同じように、警戒しながらも最速で進んだ。明らかに目つきのおかしいホラアナグマを遠目に二、三度見かけたが、気付かれることなく遺跡を抜けることができた。朝と同じところで、寝泊まりをした。帰り道について話し合ったが、同じところは面白くない、とマーサが言い張るので、タノモーリの中を少し遠回りしながら帰ることになった。

コウウリンに近い方の道を通ると、明らかに敵が強くて驚いた。もちろん、単純な戦闘力で手こずるような相手はいなかったけれど、行きに比べると動きが速くなり、攻撃も重く、防御も固かった。同じように一対一が基本だったが、時折、黒帯をしめている相手がいたり、周りに弟子がいたりなど、面白い発見がたくさんあった。帰りはマーサが元素で闘う練習がしたかったらしく、ほとんどマーサが相手をしていた。本人は強くなることが嬉しそうだったが、闘うたびに明らかに上達がしている姿をみて、何度か身震いした。末恐ろしいとはまさにこのことだ。麻痺や毒を武器にする相手もちらほらいて、その部分に関しては一筋縄ではいかなかった。だが、何度も毒や麻痺をくらうなかで、僕もマーサもそれらに対応する術を身につけられたのは、とても大きな収穫だった。

丘の広場に戻ってくると、行く途中に話をしたおじいさんが、同じようにベンチに腰掛けていた。

「こんにちは。帰ってきましました。」

少し大きめの声で呼びかける。

「トットさん!ただいま!」マーサが手を振る。

トットさんは帽子を左手に持ち替えると、右手を軽く上げて、手を振りかえしてくれた。

二人で、トットさんの横に腰掛ける。

「男子三日会わざれば…というやつかな。二人とも見違えたねぇ。」

「そうですか?」  隣でマーサが、ふふふっと嬉しそうに笑った。

「タノモーリはどこを通ったんだい?」

「はじめは森の真ん中を、帰りはコウウリン沿いを通りました。」帰り道はマーサが駄々をこねたのだが。

「これは…驚いた。二人とも体は何ともないのかね?」

「はい、二人で助け合いながら、何とか毒や麻痺にも対応できました。ソラは元々毒に強くて。私はこれのおかげかな?あっ、でも、毒と麻痺は元素で消せるようになりました。」スカーフとブレスレットを見せた。

「ふふふ、すっかり冒険家の顔だね。ところで、目当ては見つかったのかい?」

「はい。これかな、と思いまして。」洞穴から持ち帰った石を見せた。トットさんは右手でもつと、太陽にかざし、それから、にっこり笑った。

「いやはや、たいしたものだ。これはウルシゴクだよ。それも特大の。」

「よかったねー、ソラ!なんだか、ホッとしたよ。」

「ソラくんが見つけたのかい?」

「はい…信じてもらえないかもしれないですけど…石に呼ばれました。」

「ほぉう…。石に呼ばれたと…。」トットさんの目がにんまりと細くなる。

「信じるとも。信じるとも。昔を思い出して、血が騒ぐ思いだ。」おじいさんは、チラと青いリボンに目をやると、マーサに話しかける。

「おや、珍しい。ドレさんとこに泊まっているのかい?」

「ご存じなんですか?」

「えぇ、よく知ってるとも。目元がアンナちゃんによく似ているねぇ。年頃から考えて、アンナちゃんの娘さんってとこかな?」

「そうです!なんだか不思議な感じ。ママの話を、ママの故郷の方から聞くなんて!」

「意外と世間は狭いものだね。まぁ、何にせよ、今さっき帰ってきたところだろう?何よりも早く体を休めたほうがいい。毒やら麻痺やらは、意外と体力を消耗しているからね。また、時間を作って、会いにきてくれると嬉しいよ。」

緊張の糸が解けたのか、もう少し話したい気持ちとは裏腹に体がだんだん重くなってきていた。マーサも同じなのか、丘の広場に来てから、あくびをする回数が増えていた。

「じゃあ、今日は帰って休みます。また、来るので、お話きかせてください。」

マーサは弾けんばかりの笑顔でそう話した。

今日も雨は勢いよく降っている。


 公園の広場を後にして、プルセツォーノに戻ってきた。

街に入ると、初めてきた時とは違い、クレイまでの道がわかるように目印があったり、他にも街の情報が詳しく視覚化されていたりした。

「ねぇ、マーサ。これって…。」

「うん。青いリボンだよね。きっと。」

すごすぎて、一瞬、言葉を失った。恐らくは魔法なんだろうけど。種火といい、青いリボンといい、クレイ一族って一体、何者なんだろう。

今度は迷うことなく、宿に着くことができた。宿の前ではおばさんたちが待っていてくれて、迎えてくれた。なんだかとてもホッとしていたようにも見えた。疲れた僕たちを見て、おばさんたちがそっとしてくれていたのは助かった。その日はシャワーを浴びて、ご飯をいただいた後、二人とも死んだように朝まで眠っていた。

翌朝、みんなにウルシゴクを見てもらった。

「いやぁ、なかなかの長旅だったねぇ!お疲れ様!」ドレおばさんは今日も機嫌がいい。

「おかえりなさいませ。青いリボン、あなた方の分を作りましたことよ。」そういうと、僕とマーサ、それぞれに柄の異なる青いリボンとをくれた。

「ウルシゴク…あった?」イエおばさんもなんだか安心したような表情をしていた。

「はい、これだと思うんですが。」

「おや、すごいじゃないか!特大だね!特大!」

「あら、素晴らしいことですわ。完璧だと思いますことよ。」

「それにしても、よくわかったねぇ!もしかして、石に呼ばれたのかい?」

「いい…。」 イエおばさんは、その石と他に集めたギフトやマーサのブレスレットも一緒に一式もって、工房にこもりにいった。

「えっ…なんでそれを?」

「もしかしたら、と思ってね!こんなにすごいウルシゴクなんて、そうそう見つけられないからね。」

「石に呼ばれる話は、昔からこの辺では言い伝えとして残っているのですわよ。まぁ、本当に見つけた方と話すのは、私ははじめてですけれども。」

「それにしても、大変だったみたいだね!種火が使われたから。何事かと思ったよ。」

「おばさま、あの種火はなんなんですか?」さすが、マーサ。ど直球の質問だ。

「あれはね、ここまで戻ってくることができる代物でね。危険の大きさを炎が表してくれて、持ち主に命の危険が迫ると紋様が反応して、自動的にここまで送ってくれるんだよ!」

「ですのに、器は壊され、炎だけが使われましたから、心配していたのですわよ。あの炎はただの元素使いには扱えないはずですので余計に。」

「まぁ、そんなことも含めて、旅の話を聞かせておくれ!心が躍るよ!」

宿を出てからのことをゆっくりと思い出しながら、丁寧に話した。丘の上からタノモーリ、遺跡、帰り道など。

「タノモーリは楽しかったろう?なんだか、急に勝手な武闘大会をはじめられて!」

「はじめは、びっくりしましたけど、すごくいい経験になりました。マーサも楽しんでたよね?」

「うん!本気と本気のぶつかり合いがあんなに楽しいとは思いませんでした!」 思い出して、またウズウズしているようだ。

「ところで、丘の上の広場でおじいさんと会ったって言ってたね。どんな風貌だった?」

「えーっと、すごく雰囲気のある感じでした。ウルシゴクの鑑定もしてくださいました。」

「背が高くて、首筋にあざのような紋様があって、手にはブレスレット。あとは、腰に杖のようなものがあったかな。そういえば、手首に怪我のあとがあったような…。」

「なるほど。ライじいと会ったのかい。こっちに帰ってきたなら顔を出せばいいものを。」

「トットさんのこと?ライじいって?」マーサの頭の上にはてなマークが五つほど浮かんでいる。

「うん、確かにトットって名乗ってたよね。なんだか、ただならぬオーラを感じたな。」

「そりゃ、そうだよ!閃光のドルティニ・クレイ。この町で知らない人間はいなかったよ!ずいぶん昔の話だけどね。そこに絵もあるだろう?」

中年の男女四人が描かれている絵を指差す。絵からでも伝わる。全員がかなりの手練れだ。きっと冒険家にちがいない。

「ライ、はどこからきたの?」

「ライ…雷ですわ。雷のならないこの地域で、雷を鳴らすのはライじいさまだけ。最速で動くときには雷のような音が鳴りますの。音が後からついてくる感じですわね。」

「私たちの大叔父様にあたる人だよ。だから、マーサちゃんからすると親戚だよ。」

「えー!知らなかった。」

「勘の鋭い人だから、向こうは気づいていたかもしれないけどね!」

確かに気付いていたことだろう。嬉しそうな懐かしそうな何とも言えない表情が時々見えたのはそのせいか。その後も旅の話に花が咲いた。

しばらく経った頃、


ガチャアン!ガチャァァン!


と地響きとともにとんでもなく大きい音がした後、


カラァン…カラァン…カラァン!


と、すずしげな鈴の音が工房の方から響いてきた。

「おっ、もうそろそろだね!仕上げの合図さ!」ドレおばさんがルンルンしている。

「どんなのに、なるんだろうね?すごく楽しみだね!」マーサはわくわくしているのか、心ここに在らず、だ。

しばらくすると、スーッと、イエおばさんが工房から出てきた。

「できた…。楽しかった。ありがとう。」

僕には小刀を手渡してくれた。軽くて使い心地がよさそうで、鞘に入っていた。専用の金茶色のベルトもついており、常に携帯できるようになっていた。マーサには透き通った緑色のブレスレットを渡していた。硬めの材質で、形状はトットさんのしていたブレスレットに瓜二つだった。中心部分が透けて見えた。そこには見覚えのある紋様が入っている。アンナさんが着けていたスカーフと同じだった。説明をするときのイエおばさんは楽しそうで、冗舌で、早口だった。促されるままに僕たちはそれぞれの道具に元素を込めた。小刀はフワッと温かい白光をまとったあと、元の小刀に戻った。マーサのブレスレットは、元素をこめると煙が箱に充満するように深い翠色になっていった。イエおばさんは僕たちが小刀とブレスレットから認められたと鼻息荒く、しきりに手をたたいていた。

イエおばさん曰く、「道具は意思を持つ。」ということらしい。さらに僕には脛当てと手甲を。マーサにはストールと杖を作ってくれていた。

脛当てと手甲はどちらもすぐに体に馴染んだ。手に取ると大きかったが、持ち主にフィットするようにできているようで、つけると僕の体の大きさに合わせるように、道具が縮んだ。物理的な耐久性に優れており、元素の蓄積も可能ということだった。僕の戦闘スタイルにはピッタリな道具だ。マーサのストールは非物理的なものに強く、込める元素によっては物理的な耐久性もあげられるとのことだった。杖はヴィブロスの幼翼を芯にして、牙と羽を使ってできており、少し扱いづらいとの注釈がつけられていた。マーサはブレスレットを二つ左腕につけた後、余程嬉しかったのか、装具とともに箱に入って渡されると、すぐに杖を持って、あちこち振り回していた、特に何の反応もなかったけれど。どの道具も使い続けることで、道具との息が合っていくのだと説明された。

「また…おもしろい素材があったら、見せて…。」そう言い残すと工房へ戻っていった。


それから何日か経ったある晩、宿に急な来客があった。僕たちも部屋中に響き渡るドレさんの声でリビングに呼ばれた。

リビングには、トットさんが来ていた。

二、三日に一度は広場で話をしていたのに、何だろう。実は親戚だという話も、ドレちゃんから聞いたのか、と笑って、話をしていた。そのときの雰囲気とは全く違う。肌がピリつくような威圧感を背に座っている。絵に描かれた表情と同じだ。マーサと僕はトットさんと向かい合うように座った。僕のすぐ側ではピートがフワフワと浮いている。

「どうしても、ソラくんとマーサちゃんと話したいことがあるんだって!」

ドレおばさんが不思議そうに話す。

「ソラくん…ソラくんは光の国から来たと言っていたね。率直にいって、ソラくんの目には、この国はどう映る?」

「どうって…。」

「海から毒が吹くのは、当たり前かい?」

「いえ、すごく驚きました。」なんなら、それを受け入れて生きている国の人たちに、尊敬すら覚えている。共存している姿もとてもたくましい。光の国は災害のない国だから、余計にそう感じた。

「はじめは、そうじゃなかったんじゃよ。」

「えっ、毒風はそもそもあったわけではないんですか?」

トットさんはコクリとうなずく。

「もちろん微毒な風はあったのかもしれない。だが、認識できるほど毒風が吹き始めたのは私が小さい頃だ。当初はその原因を探そうとみんな躍起になっていた。どこから来るのか。何が原因なのか。普通の風が毒を帯び、弱毒だった風が、だんだん毒になっていく。私たちの世代はそれを肌で感じていたんだよ。」

杖で机の上に地の国の地図を書いていく。緑の光で描かれる地図はかなり立体的だ。

「わしが生まれた頃には吹いてなかったと聞いたことがある。はっきりしたことはわからないが。急に吹き始めてね。どこからともなく。だんだんと毒を増しながら。」

風が書き込まれる。視覚的に毒風の様子がわかる。

「じゃが、時代が流れるにつれて、次第に人々の関心は毒風とどう生きるか、に変わっていった。毒風はなくせない。変えられない。生まれた頃から毒風が当たり前の子どもたちが大人になっていくのだから、当たり前の発想じゃろう。そんな中、ポップルツリーは大発見じゃった。」

海岸のポップルツリーは植林だったのか。人工的に作られた生活区域だったとは。いや、そこに住む人々を守るためか。

「地の国が毒風に適応できた。画期的じゃった。生活範囲は昔のように広がり、格段に過ごしやすくなった。もちろん、それは素晴らしいことじゃ。アンナちゃんとロッツくんたちが成したことは国を救ったも同然じゃ。」

「えっ!パパも?」

「あら、何にも聞かされてないのざますね。だから、今でも二人はドランドで研究を続けているのですわよ。」

「二人はね、毒風から島を守るプロジェクトチームの同僚だったんだよ!」ドレさんが優しく教えてくれた。

少し間をおいて、トットさんが話を続ける。

「でも、わしにはそれが最適解じゃとは思えんかった。」

杖を細かく右に振ると、地図にポップルツリーが現れた。

「ポップルツリーのおかげもあり、かなり動きやすくなった。わしたちはこの国に毒風がどのように吹いてきているのかを出来うる限り探索した。データをとっては、アンナちゃんたちに渡したものじゃよ。そして、毒風の源はアク・ヴォ・モントだという私たちなりの結論にたどりついた。一つ一つ地道に調べていった。この仮説を立てるまでに多くの勇敢な命が失われた。」

アク・ヴォ・モントの内部の地図が描かれる。全てではなく、入り口から少しの部分とその周辺だ。

「仮説は立てられたが、長年の問題は解決しなかった。…アク・ヴォ・モントに入れるような者がいなかった。この国に毒に対応できる者はほとんどいない。かといって、他国の実力ある冒険者もこんな果ての国までは来ない。歳をとってからは、長い間、わずかな希望を胸に、港で冒険者たちが来るのを見てきたが、手練れはほんのわずか。その者たちもモレビの洞穴にいき、古い石碑を見て、帰っていくばかり。」

地図が色付けされていく。ピートがアク・ヴォ・モントに蒼色を足して遊んでいる。

「ライじい。なんだって、そんな話をこの子達にするんだい…。」困ったようにドレさんはトットさんにつぶやいた。

トットさんは落ち着きを払ったまま、静かに微笑んだ。

「ドレちゃんや。ドレちゃんもわかっているだろう。他でもないこの子達だからじゃよ。旅の話を詳しく聴いたんじゃろう?毒をものともせずモレビまで往復する。並大抵ではない。」

ルーブさんの視線が少し宙をさまよう。ドレさんはばつが悪そうにうつむいた。

「何とも身勝手なお願いで、恥ずかしい限りじゃが、後生じゃ。アク・ヴォ・モントを…見てきてはくれんじゃろうか。」

笑いじわが深く刻まれた目尻。小さくなったであろう目には煌々とした灰色の瞳。真っ直ぐに、微動だにせず眼差しを向けてくる。とても視線を外す気にはなれなかった。じっと、僕もただ無言で見返した。

続いて、 「多くの者がそう望んでおる。みなの幸せのために一肌ぬいでくれんか。」とマーサの方をじぃっと見つめて、そう言った。…みんなの幸せ…?

   マーサも目を切ることはなかった。ぎゅっと拳を握りしめている。

 トットさんが杖を一振りすると、地図はだんだん薄くなり、消えていった。

 マーサと僕は目を合わすと、トットさんの方を向き、互いに力強くうなずいた。

「本当にありがとう。明日以降、準備をすすめていこう。できる限りのことは我々もしたいと思うておる。」

そう言うと、いそいそとトットさんは宿屋を後にした。

ドレさんとルーブさんは、トットさんが一生のうちのほとんどを毒風の源を探るために費やしたことや、クレイ一族からも探索に行き、命を落とした人物が多数いたことを教えてくれた。

「くれぐれもこの国のことまで、背負うことないからね!命あっての物種さ!必ず生きて帰ること。そのために、明日から準備しようじゃないか!」

「二人とも大変にいい瞳をするのですわね。さぁ、わたくしもそろそろ戻りますわ。」

ルーブさんも何やら自室に向かい、作業をはじめるようだった。カチッと音を立てて、時計が針を進めた。0時を知らせる音がポォーンと響いた。


部屋に戻ると、マーサが 「ねぇ、ソラ。さっきの話どう思った?」と言った。

「ん…?どうって?」

「わたしね、子どもの頃から、ずーっと不思議だったの。なんでわたしだけ緑が見えるのかって。でもね、その答えがわかった気がする…。わたしね、今日、トットさんの話を聞いて、心底思ったの。人を助けるために自分の力を使いたいって。ところで、ソラはどうしてアク・ヴォ・モントに来てくれるの?」

どうして…だろう。リングのことは気になる。あるかもしれない期待感がないわけではない。でも、それ以上に、自分を必要としてくれているみんなの力になりたい。そう思った。自分にできることを。精一杯。

「みんなの力になりたい、からかな。僕にできることがあるなら、全力で立ち向かおうって思えたんだ。」

ピートもクルクルと空中を周りながら、力強い声で一鳴きした。

ただ、トットさんが言った「幸せ」の話だけは腑に落ちなかった。

「でも、一つだけ疑問が消えなくてさ。トットさん、『多くの者が望んでいること、みなの幸せのため』って言ってたよね。でも、本当に毒を消すことは『みんなの幸せ』なのかな。」

「えっ?どういうこと?」

「いや…毒が消えることは誰のための、何のための「幸せ」なんだろうって思って。逆にさ、毒がないと困ることとかないのかな、なんて。」

「うーん。どうなんだろう。わたしも毒風はあって当たり前だと思ってたから。トットさんやママ、パパみたいには毒風のことを捉えられないんだよね。毒風に適応して生きているケースもあるだろうから、完全に百パーセントの全員が幸せになるってわけじゃない・・・。・・・それでも、大多数の者にとっては『幸せ』なんだと思う。毒風がなくなることは。」

「マーサの言うこともよくわかるんだ。『たくさんの幸せが生まれるだろうから、毒風はない方がよい。』って。ただ、そうじゃない場合についても少しは考えておくことが大切な気がして…。」

「わたしたちが行動することで、大きな変化が起こりうるから…ってこと?」

「そう。何て言うんだろう。…毒風をなくすっていう多くの幸せを目指すことで、かえって不幸を生む可能性があるっていうことを認識して行動すべきだって思ったんだよ。」

「ソラの言う通りかもしれないね。『幸せ』を目指して行動するなら、色々な見方で『幸せ』について考えておかなきゃいけないよね。」なかなか難しい話だし、答えなんてないのかもしれないけれど。


次の日から、みなそれぞれに準備をすすめていった。僕たちは旅立つ準備として、主にいろいろな確認に時間をあてた。その後、二週間後に集まろうという話になった。それまでの間、僕とマーサは二人で組み手をしたり、元素のトレーニングをした。武器や防具なども一通り試して、修練を深めた。父さんと別れて以来、久しぶりに時間をとって修行できた。予定の三日前にはどこからともなく時無しが現れて、稽古をつけてくれた。道具が手に馴染む頃には二週間がたっていた。

冷え込みの激しい朝だった。窓には結露がおこり、吐く息は白かった。ドランドでもそうだったが、この国では何日かに一度は強烈な冷え込みがやってくる。僕とマーサとピートが準備を整えて、リビングに向かうと、すでにイエさん以外はそろっていた。円卓ではトットさんとルーブさんは干菓子をつまみながら談笑している。朝ごはんの後片付けが終わり、ドレさんも席に着く。

「首尾はどうかな?」

「イエさんからもらった道具も手に馴染んできました。準備は万端です。」

胸が高鳴るような気持ちと危険から逃げたい気持ちと半々だ。

「ソラもわたしも、いつでもアク・ヴォ・モントに向かえます。」こういう時のマーサのは本当に肝がすわっている。

「お二人に、これを差し上げますわ。旅立つ前に、必ず打ってくださいまし。」

ペン型の注射器に飴色の液体が入っている。

「これは?」危ないものではないだろうが、一体何だろう。

「わたくしがこれまで研究した血清の中でも、いちばんの出来のもの。ある程度、アク・ヴォ・モントで受ける異常状態を緩和してくれますわ。太ももに強く押し当てて使いますの。」

そうだった。見た目や言葉遣いとは違って、ルーブさんは医者だ。それもこの辺では並ぶものがないほどの。

「あんたたち、必ず生きて帰ってくるんだよ!久しぶりに絵に願をかけたよ!もう、あと何度描けることか。」

ドレさんが壁の方をチラリと見た。みんなの視線がそちらに向かう。そこにはトットさんを見つめていた時の僕とマーサとピートが描かれた絵が飾ってあった。気がつくと、後ろにイエさんが来ていた。

「ライおじ…あの地図…。」

「そうじゃな。イエちゃん、持ってきてくれんか。」

「もう…ある。」 イエさんが机に何かを広げた。トットさんが話し始める。

「昔、風土病にかかって、行き倒れていた冒険者を助けたことがあってな。まぁ、薬を作ったのはルーブちゃんだが。その者と意気投合して、酔ったわしはアク・ヴォ・モントの話をしたんじゃ。そしたら、宿を後にしてから、一週間もせん内にこの地図を作ってきてくれての。奥までは行けていない。一人では難しいところがある、と言うておった。自分には仲間と探索する時間がないから、と地図を残していったんじゃ。」

それは古い羊皮紙で、紙の右上に方角を示すマークと走り書きのような字でアク・ヴォ・モント内部と書いてあった。それ以外は何も書いてなかった。が、文字を見た瞬間、頭頂部からつま先まで感電した。紛れもなく父さんの字だった。よく見ると、紙の材質も父さんの手帳と同じだ。

「元素をあてたら地図になる、とは言うておったが、わしらには扱いきれんでな。アンナちゃんでも無理じゃった。地図じゃというのはすぐわかったし、イエちゃんによると元素で書かれているものだというのは間違いないようだが。」

父さんのやり方だ。やり方はシンプルだけど、力不足なら発動しない。地図にしろ、何にしろ、不足があるうちは、命のかかったことには挑戦できないよう工夫をする。その人を守るために。

「手にとって見てもかまいませんか?」僕はすこし震える声でそう言った。

「おぉ、かまわんとも。」

心拍数が上がった僕を見て、トットさんは何か聞きたそうだ。

 はやる気持ちを抑えて、深呼吸をする。手に取ると、感じた。混じり気のある光の元素。父さんのものだ。手帳の時と同じように光の元素を地図に溜め込んでみる。少し線らしきものが浮き上がったが、それ以上は何も出てこなかった。恐らく長時間続けたところで同じだろう。一旦光を流し入れるのを止めた。

「おや!」

「おぉっ!」

「あらっ!」

「…。」

イエさん以外の三人が声を揃える。マーサはじっと黙って地図を見ている。ピートは父さんの元素をみて、ウキウキしているようだ。

「わたしもするよ。ソラ、もう一回、照らそう。」マーサの両手がなんともいえない翠色に光っている。土と水と緑を集めているのか。どうやってるんだろ。今、気にすることじゃないか。

「ありがとう。じゃあ、いくよ。」

地図を机の角におき、僕とマーサは九十度ずれた位置に立った。向かって右と左を僕が、上と下をマーサが照らす。照らし出すと、黄白色の光と翠光色とが地図の中で渦巻いて、少しずつ混ざり合っていく。地図の中心に光が吸い込まれていったかと思うと、まばゆい光が部屋中に広がった。

地図には線が書き込まれ、所々、立体的に見ることが可能だった。先ほどまでとは異なり、立派な地図がそこにあった。

「これは…。」トットさんが驚きの声をもらす。

ドレさんとルーブさんは顔を見合わせ、言葉を失っている。

マーサと目が合う。やったね!と言わんばかりに微笑んできた。思わず僕もニヤリと笑い、親指を立てた。 アク・ヴォ・モントの周辺や内部がわかりやすく視覚化されていた。プルセツォーノからの行き方には二通りあるようだった。一つはプルセツォーノからコウウリンをまっすぐ抜けて最短距離でアク・ヴォ・モントに向かう道。もう一つはコウウリンとタノモーリの境目をぐるっと遠回りしてから、反対側に向かう道。

地図を見てトットさんの顔から血の気がひいていく。

「ソラくん、マーサちゃん、地図を示してくれてありがとう。入り口までの道のりの答え合わせができたよ。長年の疑問が解決した。ただ、この道は危なすぎる。少し時間を置いてもええかもしれん。」

「どうしてですか?」トットさんの変わりようが、ちょっとわからない。何があるというのだ。

「アク・ヴォ・モントには入り口が二つある。これはわしたちも確認済みじゃ。一つはコウウリンをぐるっと遠回りしたところにある。だが、ここから中へは、普通の者では入れんのだ。」

僕とマーサは腕を組み、首が同じ方向に傾いた。

「迂回する行き方じゃと、入り口近くまで行くのも難しいことではない。モレビ洞穴より、余程簡単じゃ。が、アク・ヴォ・モントを閉じている門があっての。それは森の民にしか、開けられん。入り口にもはっきり刻まれておった。土壁でできた十メートルほどの扉で、真ん中に両手をかざすところがあってな。わしも試したが、わし程度ではビクともせんかった。」

行けるところは全部行ったと言っていたから、当然と言えば当然か。というかトットさんって、森の民だったのか。何だかすごい事実をサラッと言われたような気がする。

「反対側はだめなんですか?」何も気にしていないマーサがそのまま質問を続ける。

近いし、僕はハナからそちらを通るつもりだったけれども。

「いや、だめなことはないが…」トットさんが口をつぐむ。

代わりにルーブさんが 「通れることは通れますわよ。地図の上では。ただ…昔から毒が尋常じゃなくて、多少毒に強いくらいでは、太刀打ちできませんわ。わたくしたちにとっては未踏の地ですの。」と困り顔で説明してくれた。

毒か。アク・ヴォ・モントに入れない最大の理由がそれか。近づくことすらままならないということ。でも、父さんは…父さんはどうやって入ったんだ。森の民ではないはず。トットさんの話から考えても、近い方から中へ入っていることになる。そうなると……毒を中和する方法をとったはず。

“ニュート・ラリージョ”(中和円)か。もしくは僕の知らない何か、か。基本は円だな。父さんなら円を保ったまま、動き回ることも容易だろう。でも、そこまでの扱いは、僕にはまだ無理だ。コウウリンでえらい目にあってから、試しているけれど、作れても止まった状態でせいぜい四十センチメートルほどが限界だ。

少し顔をあげて、おもむろにマーサが口を開く。 「毒だったら、いける気がする。何の確証もないけど。」 口元はやわらかに笑っているが、眼差しは自信に満ち満ちている。

少し間をおいて、申し訳なさそうにトットさんが話した。

「ありがとう。道そのものは高木から見渡せば、見えるんじゃ。迷うことはない。ちょうど丘の上からでも注視すればわかるじゃろう。近くまではわしが案内しよう。少しでも、体に異変を感じたら戻ってきておくれ。」

「先ほどのものを預けるつもりでしたけど、ギリギリのところまで同行して、現地で打つことにいたしますわ。」

「お願いします。」

不思議と不安は感じなかった。父さんの元素のおかげなのか、はたまた、マーサの妙な自信のおかげかはわからなかったけれど。


伝統的に行なわれているという旅立ちの祝膳をいただいてから出発した。半分食べて、半分残していく。また、続きをみんなで囲もうという意があるとのことだった。

丘の上から道を確認したあと、コウウリンのほうへ入っていく。タノモーリとは違って、獣道が方々に伸びている。大粒で雨足もかなり強かった。ピートは嬉しそうに旋回して、雨を取り込んで大きくなると、そのまま雨除けになってくれた。僕だけだろうか。足が重い。肺に取り込む空気がなんだかよどんでいる。少し進むと頭がガンガンしてきた。血清が効くまでの間と思って、そのまま進んでいると、だんだん治ってきた。少し視界もクリアになってきた。次第に足のおもりもとれてきた。トットさんとルーブさんは時折り、苦しそうな表情をしていたが、休み休み進んで行った。

道すがら、トットさんから質問をされた。

「もしかして、あの地図について、何か知っていたのかね?」

「いえ、あの地図のことは知りませんでした。ただ、あの地図は父さんが作ったものです。元素から考えて。」

トットさんもルーブさんも、雷でもくらったかのように口をあんぐり開けていた。マーサは気づいていたようで、クスクス笑っている。

「あの冒険者はソラくんのお父さんだったのかい。合点がいったよ。」ライさんは懐かしむような顔で僕を見た。

「どうかしましたか?」

「いや。ソラくんがモレビから帰ってきた時、石に呼ばれたと、そう言っておったが。あれと同じセリフを聞いたことがあっての。」

「もしかして…。」

「そう、シンラ。君のお父さんじゃよ。それまでは石に呼ばれるというのは伝承や逸話として残っていた程度じゃった。話を聞くと、シンラはモレビから石を一つだけ採ってきておっての。呼ばれたから拾ってきたが、何の石か知りたいと。わしも石に呼ばれた、だなんて、にわかには信じられんかった。そこで、イエちゃんやアンナちゃんに見せたんじゃ。間違いなくウルシゴクじゃったよ。」

じゃあ、クレイのみんなは父さんと出会ってたのか。縁って、本当にわからないものだ。

その後も道なき道をずんずんと進んでいくと、開けた草原に出た。何にもいない。生物の感じが全くなかった。草原に入ると、嘘のように雨足がやわらかくなり、雨粒も目に見えるか見えないかくらいになった。まただ。また、さっきと同じような頭痛にみまわれた。視界もぼんやりする。少し経つと、血清のおかげか、ましになってきた。草原は二色に分かれている。手前、十メートルほどは青みがかった緑。それより奥は紫や赤の草木が生い茂っている。草原を少し進むと、足元に違和感を覚えた。触れるなりポロポロと形が崩れていく。草木であって、草木でない。植物らしさのかけらもなかった。

「ルーブちゃん、これは…。」トットさんが形の崩れた葉っぱをさわって問いかける。

「毒ですわね。わたくしたちは血清が効いているだけで、もう毒に囲まれてますわ。」

何やら小さい試験管に色々なものを集めながら答えている。少しフラフラしているようにも見えるけど、大丈夫なのだろうか。

ピートはすっかり元の姿に戻り、マーサは先ほどから、あたりをキョロキョロ見回しては、せわしなく指を伸ばしてり、折り曲げたりしている。

草原の境目にきたところで、先頭を歩いていたトットさんが手を上げた。

「ここまでじゃ。わしとルーブちゃんではこれ以上はもたん。二人は、なんともないかの?」

今は全く何ともない。いつもと変わらない。大丈夫、とコクリとうなずいた。

「マーサは?」 マーサはまだ周りを気にしていたが、こちらを振り向き、一言。

「大丈夫だよ。」 と言って、ピースサインをむけてくれた。

ルーブさんを見ると、草原の入り口とは違い、息も荒く、お世辞にも顔色がいいとは言えなかった。採取はまだ続けていたが、動きがぎこちなく、足取りもおぼつかないようだった。

「ソラくん、あの正面の大きな木が見えるかね?」トットさんがゆっくりと正面にある灰色の大木を指差した。

「はい。あれですよね。わかります。」

「上から見えていた目印があれじゃ。」

「上から見た木は緑でしたよ?」

「いや、あれで間違いない。見た目や色をあてにしてはならんぞ。わしたちの生きている生態系とは別物じゃからな。」

「じゃあ、あそこから南西に向かえばいいですか?」

「そういうことじゃな。ここから先は君たち三人で旅することになるが、くれぐれも無理はせんようにな。わしはルーブちゃんを連れて帰ることにするよ。ここまで進めただけでも大進歩じゃ。ソラくん、マーサちゃん、道中、気を遣ってくれてありがとう。」

気づいてたのか。さすがトットさん。僕からすると先頭をいくトットさんにずーっと守られていた気分だったけれど。マーサは何をしてたんだろう。マーサの方をチラリと見ると。お気になさらず、と言わんばかりに照れている。

「いえ、うまくいってよかったです。」

「わしらだけでは、こんなところまで入ってこれんかったよ。貴重なサンプルを集めることができた」

トットさんも手足に痺れがきているようだった。ルーブさんは、話すことも苦しそうだった。

「じゃあ、ここらで、一旦、お別れじゃの。せめて、見送らせておくれ。」

二人に促されるまま、僕たちは歩みを前に進めた。ここからはゆるやかな下り坂になっており、時々振り返って手を振ったが、斜面が急になってきたこともあり、二人の姿はあっという間に見えなくなってしまった。

マーサが話し出す。 「ソラはいつものやつ?」

「うん、そんなに広くはないけれど、ある程度は索敵しないと危ないかな、と思って。マーサは?」

立ち止まり、自慢げに 「ふふふ、新たにできることが増えたんだ。”ヴェルダ・ネブロ”(緑の霧)とでも名付けようかな。」ニタニタとこっちを向いている。気になる。

「何をしたの?」

僕の様子には構わず、 「実はね、毒のきついエリアに入ったら、空気中にたくさん悪い元素がいるの。それをね、緑で混ぜ合わせて中和していくんだ。まだ完璧には消せないけど、かなり緩和できたよ。そんなに広い範囲はできなかったけど、五メートル四方くらいなら。」

血清だけじゃなかったのか。マーサが毒を弱めてくれてたんだ。弱めてくれた毒だから、すぐに僕の体が対応できたんだ。おかげで、この辺の毒には対応できている。それにしても、どうしてマーサは毒が平気なんだろう。

「ありがとう。マーサのおかげで、毒に適応できたよ。」

「ううん、お役に立てて嬉しい。」と言って、ニコリと笑った。

そうこう話している内に、だんだん森が迫ってきた。思っていたよりも深い、背高の森だった。

近づくにつれて、歌声ではなく、聞こえてきたそれは奇声であることに気がついた。楽しそうに見えていた木々たちはのたうち回っていた。様子がおかしすぎる。狂気に満ちた森だった。森から風が吹いてくる。

マーサが慌てて僕の方により、ピートを引き寄せた。

「ソラ!円だして!」

ただならぬ様子にすぐさま”ニュート・ラリージョ”(中和円)を張った。

二秒もたたないうちに、猛烈な毒風が吹き荒ぶ。風の強さより毒の多さが尋常じゃなかった。

「マーサ、見える?」

僕でもわかるほど、毒の元素があふれていた。

「今のは遠くからでも見えたの。また吹いてきたら言うね!」

何なんだ、今のは。少し歩を早める。

森は毒の元素だらけだった。黒紫、青黒など何種類もあった。入るなりマーサは僕らの周りの空間の毒消しに忙しそうだ。集中しているのが見て取れる。

声にならない声が聞こえる。


タ…ズゲテ…。


近くの植物たちの絞り出すような声にいてもたってもいられなくなった。一体、毒なんてどうやって消すんだ。わからない。僕にできることは治癒することくらいだ。とりあえず、木々を癒そう。


“メディカ・メント”(癒しの光)


腕を広げ、手首を回しながら、手のひらを開いては閉じる。光の元素を集めて、近くの植物たちに浴びせた。木々や植物の模様だと思っていたものが、少し薄くなった気がした。しばらく続けた後、少し純度を高めて、一つの木に浴びせてみた。いくつかの模様が消えた。光でも毒は消せるのか。いや、わからない。でも、とりあえず、できることからしよう。

索敵を一旦解いて、近くの元素を集中して見ると、マーサのいうように、悪そうな元素にあふれている。それを緑で消すっていっていたな。とりあえず、光をぶつけてみるか。光の元素を悪そうな元素に当ててみる。思ったように、当たらなかった。ん?どういうことだろう。不規則な動きをしている。まるで意思があるかのようだ。もう一度やってみる。今度は上手くぶつけることができた。元素同士がぶつかったかと思うと、光がそれを包み、泡のように弾けた。いける。毒を消せてるかはわからないけど、これしかない。マーサも僕も、手当たり次第に消していった。ピートも水針を的確に毒の元素に当てている。具合が良くなった植物たちも手伝ってくれる。半刻も経った頃には僕たちの周りには毒はほとんどなくなっていた。木々たちや植物たちから、拍手され、多くの感謝を述べられた。何十年間と先ほどの状態だったようだ。少し離れたところから一際小さな老木が僕らに向かって歩いてくる。

「礼を言う。森の民と…光の民と…その友よ。我ら、そうそう、毒になぞ、やられんのだが。さらに、毒竜鳥まで嗅ぎつけてくる始末。お恥ずかしい限り。」

深々と頭を下げると、周りの木々たちも皆一様に頭を下げてきた。毒竜鳥ってどんなやつだろう。

「認められし者、力を受け取らむ。」そういうと、植物も木も、みんなで枝を繋ぎ、僕たちを中心にして輪になった。

「友に感謝を。民に敬意を。」

老木の一声に続けて、復唱する。地面が脈打つ。地震ではない。地面が胎動している。銀色の波動が地面を伝って、僕たちを囲む。生暖かい感触に全身が包まれたかと思うと、疲労感が吹き飛んでいった。立っているのに、フワフワと宙に浮いているかのように感じた。目を開けると、今までぼんやりとしか捉えられていなかった元素が形を成していた。くっきり、はっきり元素のありようが鮮明に見えた。

「マーサ、マーサも、同じことが起きてる?」急なことに頭がパニックになり、うまくマーサに伝えられない。

「ソラには何が起きたの?私は元気になって、元素の流れが今までより、きれいに見えるようになったよ。」

「うん。同じだ。僕も。マーサの言っていた毒の元素が少し遠くに見えるよ。」

ピートは特に変わったところはなさそうだが、元気にはなったようだ。

「願わくば同胞を救う手助けを頼む。」そう一言言うと、少し痩せ細った植物たちは老木を先頭に奥へ奥へ進んでいく。

「ソラ。」マーサが力強く歩き出す。

僕も無言で、うなずいて、隣を歩く。

だんだんと毒のエリアが近づいてきた。僕たちは先ほどと同じように毒を消した。しかし、今の状態だとはっきりとわかる。毒だと思っていたものは、鳥の形をしており、明らかに自由意志を持って行動していた。ただの毒の元素じゃなかった。木々たちの力を分けてもらったおかげで元素も格段に扱いやすくなった。土と水も不自由なく扱えるようになってきた。マーサも同じことを感じたのか、よりスムーズに広い範囲の毒を消していた。もう、このエリアも消し終わる。そう思った矢先、何か大きな気配を真上に感じた。

「マーサ!上!」

見上げると、赤褐色のドロっとしたドラゴンがこちらに向けて何かを吐きかけた。これが毒竜鳥だな。三人で横に避けながら”ニュート・ラリージョ”(中和円)を広げる。対処できる程度の毒だったので、何とか事なきを得た。が、避け遅れた木々たちは再び毒の元素に蝕まれていく。速い。根元まで模様が広がるのに数秒と待たない。毒が全身に回る速さから考えて…菌糸か何かだな。

態勢を整えたマーサが自然体で立ち、目を閉じて元素を集めている。とりあえず、援護だな。ピートと二人で毒竜鳥に攻撃を加えながら、マーサを守る。マーサは胸の前で右手のひらを上に、左手のひらを下に、互い違いに手のひらを合わせた。少しずつ手のひらを離していき、手で丸い形をかたどると、緑の元素が中心に集まっていく。何をする気だろう。そして、マーサが、花嫁がブーケを投げるように両手を上に広げると、体全身から銀を帯びた碧の粒が辺り一面に勢いよく放たれた。


“アルジェント・センベネ”(消毒銀)


それを浴びた植物たちは、軒並み毒から解放された。近くで浴びた毒竜鳥は体のあちらこちらに穴が開いている。ここだ。空いた穴に目掛けて、指先からをいくつもの小さな光を放つ。


“ロンポ・ルーモ”(触裂光)


触れると爆発するビー玉くらいの小さな光。小さいけれど、うまく取り込んでくれれば、なかなかの威力になるはず。穴はすぐに塞がっていく。全ての穴に放り込むことはできなかった。閉じたところにあたっては小爆発を繰り返す。元通りの竜の形になった瞬間、毒竜鳥の中で次々と爆発した。身体のあちらこちらが弾け飛んだ。弾け飛んだ部分はマーサがすぐに浄化してくれた。毒竜鳥はずいぶん小さくなったが、たいしてダメージを受けているようには感じられなかった。僕たちをはっきりと敵と認識したのか、完全にこちらに攻撃を向けてくる。何種類もの毒を吐きわけ、空を縦横無尽に飛び、僕やマーサを目掛けて突進を繰り返す。形をとどめているようで、とどめていないのか、急に爪や羽が伸びてきて、ヒヤッとすることもままあった。避けながら、周りを浄化したり、傷を癒したりすることで、二人とも精一杯だった。ピートは僕たちが回避と浄化と回復に専念している間に、毒竜鳥の死角で膨大な水の元素と光の元素を混ぜ合わせて、身体の中で圧縮していた。動きながらピートに目配せをした。ピートと目が合う。やりたいことはわかった。

“ロタッシオ・ヴォルティオ”(時空渦)だな。圧縮された元素が周りを巻き込んでから、広範囲に爆発する技。ピートの得意技の一つだ。

「マーサ、避けながら、ピートの方へ来て。」

動きの中で、小さく耳打ちした。

親指をグッと上げてくれる。ピートも僕らの意図を察したのか、三人が合流しやすいように動きを合わしてくれる。動きまわる毒竜鳥の相手をしながらピートの射程範囲に誘導していく。あと少し。空中でやや静止し、マーサの方を向いた瞬間に、人差し指と中指を毒竜鳥に向ける。派手に光らせた“ロンポ・ルーモ”を遅いスピードで放つ。オーシャンブルーなら目立つだろう。こちらに気付き、避けれる程度に。先ほどのことを思い出したのか、大きく横へ避ける。ピートの射程に入る。

「マーサ!」

言い終わるか終わらないかの間に、ピートは上半身をしならせて、“ロタッシオ・ヴォルティオ”(時空渦)を毒竜鳥に放つ。視野外から飛んできた攻撃に反応が少し遅れる。交わすことはできたが、渦の外側に引っ張られ、逃げるに逃げられない。

ピートのもとに、二人で集まると、僕はすぐさま右手の拳を握り真上にあげて、“ネペント・レブラ・ルーモ”(光壁球)を作った。すぐさま光の壁ができあがる。マーサも土を両手で触れて、その外側に“ロカ・グルンド・ムッロ”(粘土壁陣)を張った。粘土や岩土で壁を作る。毒竜鳥は外側から内側へ、捻りながら、吸い込まれていく。瞬間、圧縮しきった元素が反発を起こし、一転して外にエネルギーを生み出す。直径五メートルほどの球体に毒竜鳥が捕らわれた。その中ではエネルギーがあちらこちらへ跳ね回り、空間が歪み、渦巻き状に見える。やがて、全てのエネルギーの渦は内向きになり収束していく。毒竜鳥はひとかけらを残して消え去っていた。ひとかけらも意思的に動いている。よく見ると、ものすごく小さな毒の鳥だった。竜に見えていたものは、竜ではなく、小さな小さな鳥たちが集まっていたものだったのだ。僕が最後の一羽を消すのを躊躇っていると、間髪を入れずに、横からピートが水針をさし、消してしまった。ドロップギフトを拾い、辺りに気を配る。森全体まで、索敵範囲を拡げてみた。もうどこにも大きな気配は感じなかった。残りは毒竜鳥に汚染されたエリアが広がるばかりだ。マーサとピートと共に一つ残らず解毒する。森のエリアを浄化し終えた頃には薄暮が迫っていた。

しかし、ほどなくして、アク・ヴォ・モントからの毒が流れ込んできた。十分も経たないうちに、また一帯が毒に侵されていく。先ほど蔓延していた毒とは全く異なるものだったが。

「この毒は、なくならないの?」

マーサが近くの木に聞く。

「ここら辺、そもそも毒あるんダヨ。そういう地域。だから、普通ならダイジョブ。でも、急に毒竜鳥キタネ。来るはずないのに。たくさん。そしたら、みんなおかしくナッタネ。」


一晩休み、森を抜けていく。緩やかに道が曲がってはいるものの、アク・ヴォ・モントの入り口までは一本道だった。背の低い木々や花、虫、小動物などがいて、強い毒が満ちていることを除けば、普通のよくある草原の光景だった。マーサもあたりをキョロキョロすることなく、鼻歌まじりに”ヴェルダ・ネブロ”(緑の霧)を張っている。僕もこの辺りの毒は、ここに来るまでに体が覚えたのかして、全く気にならない。坂を登りきると入り口が見えてきた。トットさんがもう一つの入り口で見た大きな門はなかった。ただ水で覆われているといえばいいのか。近づくとかなり巨大な水の壁に見える。

「マーサ、どこかに、入り口あるかな?」

あたりを見回しながら聞く。

「んー、ないね。でも道は山に続いて伸びているから、道と山がぶつかっているところが入り口なのかな。」

道に沿って進んでいき、水壁に向かって手を伸ばしてみる。冷たい感触が腕を包む。水の中に腕が入るだけで、肘の部分より先には押し進むことはできなかった。

道は水の壁を越えて中へと延びている。やはり、ここから入るのだろうか、などと、考えながら一旦離れる。突然、スタスタとマーサが水壁のところまで来て、両手を前に突き出した。

マーサが手を伸ばしたところに二メートル四方の穴が空いた。

「ひらいた…!?」マーサが目を丸くして、こちらを見る。

「入ろう。」

入り口を駆け抜ける。

僕とピートを先に通してくれた後、マーサも入ってくる。マーサが入り終えると自然と入り口は閉じていき、元の水の壁になった。

「マーサ、何したの?」

「うーん…わかんない。開かないかなぁ、と思って手を伸ばしたら、開いたの。」

森の民…だからか?まぁ、何にせよ、中に入ることができた。内側から外を見ると光の屈折なのか、景色が歪んで見える。内部の温度はやや低く、肌寒いくらいの体感だった。柔らかな陽光が降り注ぎ、アク・ヴォ・モントが波打つと、潮の香りが漂ってくることもあった。空気は乾いていて、なんなら気持ちがいいくらいだ。少し進むと道が途切れ、地下へ続く階段がみえる。

階段を降りると、少し空気がしっとりしている。泥でできて洞窟が目の前に広がっていた。陽光も弱まり、全体的に薄暗い。しかし、泥が光を通しているのか、火がなくても困らない程度の明るさだった。少し小さめの岩がコロコロとしており、見かける生き物もヤマザリガニやジメジメカニなど、湿潤を好むものばかりだった。敵意は感じない。

少し進むと三叉路に出会った。マーサと地図を眺める。

「ソラはどのルートがいいと思う?右か、左から、下か。」

「うーん、どれがいいんだろう。」

地図を見ると、道はその先でも枝分かれしていたが、下へ下へ降りていくにつれて、だんだん一つの道になり、五階では一本道と広場になっていた。

「一つも×がついていないルートがあるよ!これにしよう!」

あれ?本当だ。出発前に見た時には、どのルートにも×があったはずなのに。

「よし、そうしよう。」

ピートは僕たちが進むより早く、右へ向かっている。それにしても、×はなぜ減ったのだろう。もしかして、僕たちの強さに応じて、反応するようになっているのかな。

「マーサ、ピート、ごめん、ちょっと待って。」そう言いながら、コウウリンの地図を見る。もしも、僕の考えが合っていたなら…。

「やっぱり。」

「マーサ。モレビにいくときに、コウウリンとタノモーリのどちらを通るか迷った時のこと、覚えてる?」

「うん、なんとなくだけど。コウウリンの方が×だらけだったよね。」

「見て。×の数が明らかに違う。」

「ほんとだ。なんで?」

「多分だけど、僕たちの強さに応じて、地図が変化していると思うんだ。」

「そうかもしれないよね。じゃあ、できるだけ×を避けて、進もう。」

進むに連れて、見たことのない生き物が増えてきた。マーサもほとんど知らないようだった。知らない生き物や植物に出会うたびに、軽くスケッチをして、色をつけては、コレクトダイスにしまっていた。だが、穏やかだったのは二階までだった。

地下三階からは、そんな余裕はなくなってきた。下るにつれて、明らかに敵意が満ちていく。来るものを拒むんでいる生物がたくさんいた。洞窟の柱や岩、マーサがつくるフェイクの岩壁などを利用しながら、極力、交戦しないですむように進む。地図を確認すると、各階にひとつは避けられない部分があった。マーサと話し合い、そこは意を決して戦うことも視野に入れようと決めた。三階から四階に進む階段の前に僕らと同じくらいの背の高さのカニが居座っていた。僕らを見つけるとハサミをカチカチと鳴らし威嚇してきた。ハサミには毒が含まれているようだった。ピートと僕で、細かく圧縮した水針をカニに向けて放つ。貫通した水針はいくつかしかなく、硬い様子が見てとれた。距離をとりながら様子をうかがっていると、泡を吹きかけてきた。あまりの速さに時々当たったが、マーサが”ヴェルダ・ネブロ”(緑の霧)で毒を抜いてくれていたので、ノーダメージだった。マーサがそのまま”ヴェルダ・ネブロ”を拡げていく。三階全体を覆うくらいの広範囲だ。カニも例外なく霧に包まれた。カニがだんだんと小さくなっていく。なんてことないサイズのカニに戻るまで、そう時間はかからなかった。

三階の空気が澄み渡り、心地よい沢の音さえ聞こえてきた。

「マーサ、ナイス。毒と共に敵意が消えたね。」

「ほんとだね、好戦的な生き物ばかりかと思ってたけど、毒のせいだったのかな?」

わからないことだらけだが、先へ進める。

地下四階はそれまでとは異なり、カラッとした空気が流れていた。水気もなく、ちょうど砂漠の水場のようだった。この階も三階と同じく毒で満ちていた。熱された砂の匂い。階段を降りるなり、マーサは”ヴェルダ・ネブロ”(緑の霧)を拡げていく。毒はなさそうだが、敵意がなくならない。背中から、じーっと誰かに見られているような感覚が常について回った。生き物の姿は確認できなかった。ただ、監視と敵意だけを感じた。マーサとピートと周りを警戒しながら進む。階段をおりると一本道だった。何の気配もしない。道は広く横幅は二十メートル以上あった。両脇には巨大な砂像があり、どの像もこの道にたいして、片膝をつき、頭を下げていた。一体、誰が通った道なんだろう。アク・ヴォ・モントって一体何だったんだろう。

「あっ!」マーサが目を輝かせて、嬉しい悲鳴をあげる。

「どうしたの?」

「歴史の教科書でみたことある砂像ばっかり!ほら、この辺にいるのはみーんな、エジプトの神様たちよ。」

言われてみれば見覚えのあるような気もする。霊鳥ベンヌ、カバのタウエレト、色々混ざったアメミト…動物のものが多いか。

他にもたくさんの砂像の前を通る。なんだか真ん中を通ることが憚られるような気がして、僕たちは少し端を歩いた。徐々に道は狭まっていく。僕たちが階段の手前につくと、ちょうど反対側に足跡が一人分、入り口のほうからずーっと続いてきていた。

「もしかして、ソラのお父さんのじゃない?」反対側の足跡を認めて、マーサが話す。

「うん、同じこと考えてた。もしかしたら、そうかもしれない。」

階段は今までとは違って螺旋状になっており、かなり深いところまで続いているようだった。足元に気をつけながら、一番下まで行くと、扉の前に着いた。その横には石碑がひとつ立っている。

「着いたね。長かったね、階段。」

上を見上げながらマーサが話す。僕も一緒に来た道を見る。入り口はずーっと上なので、もちろん見えない。

「本当だね。疲れたね。敵の気配もないから、少し休憩をしてから、進もう。」

「それがいいよね。」

シートをしき、二人で軽食をつまみながら、少しばかりくつろいだ。ピートはそこら中を飛び回っている。地図を開けて、この先の道を確認する。地図は次の部屋に☆印がつけてあった。

「そろそろ、目的地かな?」

「本当ね。そう思うと、また、元気が出てくるね。」穏やかに笑っている。

「さぁ、そろそろいく?」あたりを見渡す。しかし、扉と石碑以外は手がかりらしいものは見当たらない。

「これ、どうするんだろ?」扉の宝玉に触れながら、マーサが話す。

「んー、なんなんだろう。」僕も宝玉に触れてみる。手のひら大くらいのサイズだ。冷んやりしている。

「こっちの石碑はなんで、何も書いてないんだろうね。」マーサが石碑の上の方をなでる。

「困ったな。どうしようか?」 ふと、石碑を見ると、マーサが触れたところに文字が浮かび上がっている。

「マーサ、手。文字が出てきてるよ!」

「えっ?ほんとだ。」

思わず手を引っ込める。

手を払いながら、マーサは古代文字をまじまじと見ている。マーサの何に反応したんだ。自分も触れてみる。何も変わらない。体温じゃない…。元素か。

「ねぇ、マーサ、元素をいくつか流してみてくれない?」

「わかった。」

マーサが何種類か元素を流し込む。石碑が薄緑の光を帯びていく。文字がどんどん浮かび上がってくる。

「マーサ、読める?」

「うん、ちゃんと浮かび上がってるところは、多分。」

まじまじと石碑を眺めている。

「イシニ…ヒカリヲ…ナガセ。うーん、あとはなんだろ。消えかかってて、わからないかな。」

石に光を流す。これなら、できる。

「ありがとう!さすが、マーサだよ!」

「ふふふ!はじめの部分だけでも読めてラッキーだったね!私には感じられないけれど、光の元素。ソラならできるよね!」

「うん!光の元素を流してみるよ。」

どう見ても、流すならここだな。扉の真ん中にある宝玉。質と量を意識することが大切だな。まずは純度を高めて、”メディカ・メント”(癒しの光)と同じくらいのものを流し込もう。以前よりもはるかに短時間で元素の純化に成功した。できた。マーサもピートも固唾を飲んで見守る。さぁ、いくぞ。両手を宝玉に近づける。白く眩しい光が余ることなく宝玉に吸い込まれていく。宝玉から、扉の模様を通って、扉全体に光が行き渡る。よし。

「開きそうだね!さすが、ソラ!」

マーサとハイタッチをかわす。

ググーッ。ガチガチ、キギィー、砂と砂の擦れる音が響く。

「もうそろそろ開くか。マーサ、ピート、構えておこう。」

扉が開いていく。拍子抜けするほど何にもない部屋があらわれた。左右と奥行きはどちらも五メートルほどだろうか。天井は三メートルくらい。敵の気配は全くしなかった。トラップもなさそうだった。ひんやりとした粘土質の土壁でできている。密閉されている空間のはずだが、空気は澄んでいた。部屋の中には先ほどの宝玉が三つ、右手側と左手側と正面の壁にあった。ちょうど一メートルくらいの高さの位置に埋め込まれている。近くには先ほどと同じような石碑があった。ただ、今回は文字がはじめから彫ってあった。

マーサが順に回っていく。文字がかすれて読めなくなっているところもあるようだけど。いつもより、読むのに時間がかかっている。

「ボウダイナ…ミズ…。」

膨大な水。この辺りには、水気なんて全くない。

「メザメシ…モリノタミ…」

目覚めし、森の民。つくづく、森の民って何なんだろう。

「ユメ…ト…ヒカリ…ノチョウワ」

…夢と光の調和。

「ソラー…この文字、読みにくいよ。学校で習った文字より、もっと昔のものみたい。」

珍しく、マーサが白旗だ。でも、冒頭を読めば、すべきことは類推できる。父さんの地図に、ここより先のエリアがのってなかった理由も。

「とりあえず、石碑通りに分かれよう。右手側にはピート。正面がマーサ、左手側が僕だ。純度の高いものを溜めてから、一.二の三で、一斉に元素を注ごう。」

おのおの、自分の担当の石碑の前に移動し、元素の純化をはかる。僕は光、ピートは水、マーサは緑。僕もマーサも、ピートも体の周りに渦巻くほどに、溜めた。

「じゃあ、三秒後ね。いくよ!一.二の三!」

三つの宝玉が元素に応じた色に光り輝く。宝玉から壁の模様にそれぞれの色が伝わっていく。まばゆいばかりの光に包まれたあと、足元から感触がなくなった。

「えっ!」

「きゃあ!」

僕もマーサも突然のことに声も出なかった。ゾワッという感じと共に内臓がブワァッと浮き上がる。そんなに長くは落ちなかった。


ポフゥン、ポフゥン、ファサ。


二、三度跳ねて、斜面に着地したかと思ったら、下へ下へ滑っていく。

「マーサ!大丈夫?」

「大丈夫だよ!」

ピートはフワフワの飛びながら、ついてきていた。

二人ともあまり態勢を立て直せないまま、滑っていく。斜面が終わったと思ったら、勢いそのままに砂地へと投げ出された。

不思議と、どこも打たなかったし、痛くもなかった。立ち上がろうとしても、足を取られてうまく立ち上がれなかった。思ったよりも不安定な足場に少し驚いた。

「ソラ、びっくりしたね。でもこの、クニャクニャな地面に助けられたね。」

「うん。怪我がなくて良かったよ。ピートも元気?」

「ギャルワァ!」

良かった。みんな無事で。何だろう。頭に何か流れ込んでくる。

(……こちらだ……)

何かに呼ばれた。マーサじゃない。モレビの時のような感覚的なものではない。はっきりと、呼ばれた。

「マーサ…今、何かに呼ばれた。今度は間違いない。」

「えっ、呼ばれたって何に?」

「わからない。でも、砂山を越えたら、わかる気がする。」

「よし、じゃあ、行こう。」

マーサの目元が引き締まる。

砂山を越えると、少し遠目に扉が見えた。そこの扉までは一直線に道がのびている。歩き出すと、その異常さに気がついた。もちろん、風は吹かない。寒くもなく暖かくもない。さきほどまで漂っていた砂の香りもしない。大地を踏んでいるつもりで、踏んだという実感が薄れてきた。元素もほとんど感じない。次第に、感覚が遮断されているかのような錯覚に陥ってきた。マーサもピートも一言も話さなかった。それでも不思議と足は前に進んだ。

扉の目の前についたが、宝玉もなく、石碑もなかった。どうなっているんだろう。

(……触れよ……)

声のままに、扉に手を伸ばす。すると、フッと扉が消えた。扉が崩れるでもなく、砂が落ちるでもなく、まさに消えたのだ。まるでそこだけ切り取られたかのように。奥へと続く四角い道ができた。トンネルのように続いている。僕たちが入ると両側の上に炎があらわれ、ずぅーっと連なっている。道の両側には壁画が描かれていた。色々な神様や仏様が登場していた。いつもなら、マーサが止まってスケッチをはじめそうなものだか。マーサもピリつくような空気を察知したのか、厳戒態勢のまま、ゆっくりと周りを見ながらも、着実に進む。壁画が終わる。そろそろ出口が近づいてきた。出口の向こうも砂地が広がっている感じだった。あと、三歩、二歩、一歩。

出口を抜けると円形の砂地の広場があった。真上にはアク・ヴォ・モントの水が見えており、ここが中心の真下だとわかった。陽光が差し込み、空気が澄んでいる。中央にある砂像からは神聖な雰囲気さえ漂っている。ふと、下を見ると、地面に石碑が埋めてあった。

「マーサ、何で書いてる?」

「えーっとね、ちょっと待ってね。」

一文字、一文字、丁寧に解読している。

(……古の命により、ふさわしき力にはリングを与えん。……)

近い。今までで一番はっきりと聞こえた。あの砂像だ。

「古の命により、ふさわしき力にはリングを与えん。」

「えっ!ソラ読めたの?」

「いや、あの砂像がそう言ってる。膝立ちをしている、あの真ん中の像。」

「…。ソラ。多分、あれは阿修羅像だよ。顔が三つ、腕が六本。」

「そっか。阿修羅像か…神様だよね。まずは、僕が前に行くよ。ピートとマーサは援護して。僕一人でいけてるうちは相手の様子を分析してね。」

砂像までは三十メートルはあるだろうか。神と戦うのか。どういうことか全く理解できない。でも、リングがあるなら。ここは退けない。一刻も早くリングを全て手に入れて、光の国へ帰るんだ。

イエさんからもらった脛当てと手甲の上から、アームドを展開する。光の元素をできる限り貯めながら、近づいていく。 十メートルほどの距離に近づいたとき、阿修羅像が動き出した。

(……汝、挑むものなり。我、アースラ、守護するもの。お主の心意気に応えん……)

そう、僕に声をかけると、アースラはすっくと立ち、僕を正面に捉えた。身長はゆうに二メートルは超えている。構えをとった姿勢には、隙が全く見当たらない。怖くないかと聞かれれば嘘になる。でも…それ以上にこの背筋にゾワッとくるような雰囲気が背中を後押ししてくれる。

僕も構えをとり、ジリジリと距離を詰めていく。隙を作るのは難しそうだ。こんな時は…とりあえず、正面突破だ。足に元素を巡らせる。最速で動くイメージ。最速で相手の懐に入るイメージ。地面を掴む。そして、次の瞬間、一気に間合いを詰めた。

近距離戦の幕開けだ。みぞおちを狙って、右、左と突きを連続で繰り出す。どちらも軽くいなされ、死角から、僕の右側頭部目掛けて、剣が振り下ろされてくる。反対側にかわすと、交わした先に拳が飛んできていた。何とか左腕でガードをしたが、五メートルほど、吹っ飛ばされた。なんて重さだ。追い打ちはかけてこない。もといた場所で、もといたように構えている。もう一度。次は正面から入ると見せかけて、直前に相手の右足前のスペースをとりにいった。相手の反応が一瞬、遅れる。右脇腹にフックを突き刺す。が、二本の腕にガードされ、左側頭部へと死角から剣を振り下ろしてくる。反対側に避けると先ほどと同じ様に拳が待ち構えていた。その手をとりながら、空中で側転をしながらかわす。その際、一瞬、隙が見えた。身体を捻り、一番上の左腕に、ひと蹴りいれた。砂が多少くずれたものの、たいしたダメージにはならないようだ。

着地と同時に距離を取る。やはり、こっちへ追ってくることはない。その後も何度も近距離戦を挑む。相手の速さや攻撃の重さにも慣れてきた。マーサやピートも的確に援護してくれる。攻防が長く続くようになってきた。

一旦、距離を取る。やはり、追ってこない。その場所で何かを守っているのか。攻撃もワンパターンだ。基本的には死角から攻撃してきて、避けられたら反対側で待ち構えている腕で攻撃してくる。機械のような動きだ。相変わらず同じ様に構えて、無機質な表情でこちらを見ている。少し間合いをとりながら戦うか。イエさんにもらった小刀にアームドを展開する。小回りがきくようにちょうど、脇差の様なサイズにした。脇差を右側におさめ、はじめと同じように正面に向かっていく。右上の死角から剣が振り下ろされてくる。突如、僕の左側にいくつもの水の渦が現れた。ピートだ。


グァキィンッ、ガキンッ、ギンッ。


鋭い金属音が鳴り響く。

そこに振り下ろされた剣は、渦にあたると軌道をかえられて、弾き飛ばされていた。ピートはたたみかけるように水の矢をはなっている。相手のサイズに合わせたのか、一本ずつが一メートルはあろうかという大きな矢だった。アク・ヴォ・モントの環境はピートにとっては追い風のようだ。僕は勢いそのままアースラの左横に踏み込み、居合の構えをとった。待ち構えているはずの左下の腕はマーサに固めてられていた。固めた腕に水の元素を流し込んでいるのか、腕の付け根の砂の色は濃くなっている。さらにマーサは砂の塊を槍にしたものを数本、アースラの左側に突き刺しにかかった。先端が回転している。“サブロ・トルニ”か。砂を削る算段だろう。アースラの左側の手は防御で精一杯のようだった。左側の怒りの形相には、いっそう深く、眉間のシワが刻み込まれている。


ザシュンッ!


色の変わった付け根に光の元素を込めた脇差を一振りした。腕は地面にポトリと落ち、黒い砂に変わったあと、煙になり消えていった。アースラの表情が怒りに満ちていく。先ほどまでの無表情は左の顔へと移っていた。僕はあまりの形相に思わず距離を取った。アースラは回転しながら全ての攻撃を弾き飛ばしていた。

マーサもピートも、アースラの変化を感じたのか、一旦、様子をうかがっている。

「ソラー!毒、大丈夫???」

毒?なんのことだ?

「さっきから消してはいるんだけど、また、新しい毒を出してるよ!」

目を凝らす。本当だ。顔相が変わり、毒も変わったってところか。アク・ヴォ・モントの毒は、アースラの存在がもたらしていたんだな。

「ありがとう!気をつける!」

とはいうものの、毒に気をつけるも何もない。空間がだんだん毒で満たされていく。

アースラの体の色が変わっていく。薄い赤色になり、体の周りに土の元素をまといだした。トーン、トーンと軽く跳ねたかと思うと、こちらを向く。攻めてくるな、と思った矢先、気づけば、もう目前に迫ってきていた。速い。


ガキィン、ゴツンッ、ガァーン、ガァン!


先ほどよりは腕が一本少ないはずなのに、明らかに手数が増え、攻撃が重くなっている。カウンターを狙いながら、攻防を続ける。受けきれないものは、ピートとマーサが防いでくれていた。それでも、速さに追いつかなくってくる。少し距離をとろうかという思考がよぎった瞬間、右脇腹に激痛がはしった。アースラの左拳がめりこみ、壁まで吹っ飛ばされた。


ゴホッ、ゴホッ。


内臓がかき混ぜられたようだ。痛みで起き上がることができない。なんとか”メディカ・メント”(癒しの光)をあてることができた。息を整えて、再び立ち上がる。脇差では追いつけない。小刀をしまい。アームドを両手に展開させる。

かたや、アースラは僕が吹っ飛ぶやいなや、マーサとピートに照準を合わせたようで、そちらに突進していた。ピートが細かい水針を浴びせている。マーサがピートに合わせて土の元素を操り、動きを封じようとしていた。かまわずアースラは前進し、マーサは近距離戦を強いられていた。近くでの攻め合いは分が悪いと思ったのか、マーサはアースラに攻撃を仕掛けることなく、受け流すことに神経を注いでいた。ピートが主に攻撃をして、アースラの注意を分散させていた。

ようやく、動けるほどにまで回復した。急いで加勢に向かう。腕を受け流され、土の元素で重心をずらすように追い打ちをかけられたアースラが態勢を崩した隙に、マーサとピートは距離をとりにかかった。交代するように、背後をとろうと僕が近づいていく。

一瞬、アースラの動きが止まったかと思うと、次はこちらに向き直り、再び襲いかかってきた。右、左、右、左と規則的に攻撃してくれればいいものを。腕が多いからか、斬撃と打撃が織り混ざって、不規則に降り注いでくる。しかし、しばらく攻防を続けていると、はじめほど、速さは感じなくなってきた。目が慣れてきたのか、体が慣れてきたのか。ある程度、次の動きの予測ができるようになってきた。僕の体勢が崩れたときに、強い斬撃を繰り出してくることが多い。

わざと右に体勢を崩して、相手の右上からの攻撃を誘う。右手の残り二本は、マーサとピートが攻撃している。左腕の二本で自身をしっかりとガードしていた。案の定、右上から大振りの剣を振り下ろしてきた。アースラの重心が乱れるように右腕で勢いそのまま受け流す。さらに、一歩詰め、アースラとの距離はほぼゼロだ。右脇腹に左手を伸ばして、そっと触れる。砂とも石ともいいがたい感触が手にのる。それと同時に、縦にした手のひらから、ねじれをつけた光の元素を力一杯放出し、相手の体内に直接流し込んだ。


“トルディ・ルーモ”(光捻掌)


外側が固い敵に有効な技だ。アースラが五メートルほど、マーサとピートの方へ吹き飛んでいく。ちょうど僕たちが挟撃をかけ、アースラを真ん中に追い込んだような陣形になった。僕の手があった右脇腹からみぞおちにかけては、粗いドリルで削られたようにえぐれていた。どちらに来ようか迷っているのか、僕とマーサ、ピートを交互にチラリと見た。足が完全にとまっていた。僕は追い討ちをかけようと距離を少し詰める。すると、すぐにこちらに向き直り、まっすぐ向かってきた。

マーサの声が響く。体の前で、手のひらをアースラに向け、親指と人差し指で三角形を作っている。

「ソラ、少し離れて!」

言われるまま、後退して距離を取った。僕が離れすぎたのか、アースラは挙動が少しおかしくなり、次はマーサとピートの方に向きをかえた。動き方が不自然すぎる。…もしかして、近い相手を狙っているのか。再び僕が距離を詰めにいく。予想通り、僕の方に反応してきた。その時、マーサがアースラの右下の腕にむかって、小さな光るものを放った。アースラは僕に夢中だった。肘に何かを撃ち込まれたことなど、気にも止めていない。マーサが右手の拳を前に突き出し、グゥッと手前に引き寄せたかと思うと、アースラの右下腕にむけて、パッと手のひらを開いた。アースラの右下腕から木の根が拳側と付け根側に勢いよく広がっていく。

“リィヤ・バルゴ”(森種弾)か。

巻き込まれないように、慌てて、距離をとった。アースラの右下腕は葉っぱでいっぱいになっていた。腕が使いものにならなくなったのか、自ら腕を引きちぎり、下に落とした。腕は青黒い砂になり、やがて煙となっていった。

アースラが元いた場所にツカツカと歩いていく。怒りの形相は右側に来ていた。

急いで、僕はマーサとピートと合流する。

アースラが地面に手を当て、膝立ちになる。地中からスックと剣を二本引き抜いた。立ち上がり、僕たちの方を見る。無表情でも怒りでもない、憂いを帯びた微笑だった。表情とはあまりかけ離れた殺気に、僕たちは足がすくんで動けなかった。ピートだけがフワフワの旋回し、呑気に鼻歌のような鳴き声を出していた。目と目が合った。まとっている雰囲気が明らかに変わっている。逃げ場はない。そう感じずにはいられなかった。アースラの右上腕が上に動いたかと思うと、僕たちの足場が急にへこんだ。先ほどまで立っていたところは蟻地獄のような砂渦になっている。横っ飛びによけたところに、こぶし大くらいの石が無数に飛んできていた。僕は“ネペント・レブラ・ルーモ”( 光壁球)を、マーサは“ロカ・グルンド・ムッロ”(粘土壁陣)を目の前に展開して防ぐ。ピートだけは悠々と避けていた。視線を戻すと、そこにアースラはいなかった。

左側から強い殺気を感じて振り向くと、すぐ側にいた。何をしたら、ここまで移動できるのか、という思考もままならないうちに、襲いかかってきた。四本の腕に加えて両足も使い、攻撃してくる。体捌きが別人だ。パワーは先ほどと大差ないが、異常な身のこなしで連撃を加えてくる。右上腕、左中腕、下から突き上げるように右中腕、そのまま回転を使った回し蹴り、とめどなく攻撃される。受け流しながら、カウンターを入れていくが、効果的なダメージを与えることはできなかった。上下左右の死角から容赦ない打撃と斬撃が飛んでくる。なんとか全て受けながし、アースラの勢いを一旦止めて、互いに四十センチメートルほど距離を取った。

再び、拳を交えようとした時、剣と剣をガチィン、ガチィンと擦り合わせて、毒を広範囲に散らしてきた。ちょうど夕焼けどきのような色をした、見たことのない毒の元素だった。毒をまともに浴びる。すぐに視界が上下反転した。手を動かそうとしても手は動かず、足が動いた。自分の意図してない体の部位が動く。思った通りに行動できない。神経毒か。元素を感じることはできず、音も匂いも感じない。

視界に動きの止まったアースラの腕と濃青の球体がかすんでみえる。ピートか。いや、マーサもか。毒の吹き付けをみて、マーサが相手の腕と腕をロックする岩錠を、ピートが身体全体の動きを封じる水牢を放ち、アースラをその場に固定してくれていた。同時にマーサが解毒の霧に包んでくれる。アースラから僕が見えなくなったのか、キョロキョロと周りを見回す。毒の元素から解放されるまで、そう時間はかからなかった。霧が晴れていく。晴れると同時に、再び、アースラに向かっていった。攻撃は速い。連撃はやっかいだ。だが、必ず当てにくる攻撃には慣れてきた。アースラはどれほど動いても疲れる様子もないし、ミスもない。機械かと思うほど正確に急所を狙ってくる。攻防が続くにつれて、勘が冴えてきた。


ガィン!ガァン!


流れの中で、剣を持つ両上腕を弾き飛ばす。顔面に攻撃するように思い切り踏み込んだ。アースラもそのように感じたのか、顔の周りを守っている。胴をガラ空きにさせることができた。ここだ。ここしかない。ねらいと動きを切り替えながら、小刀を抜き、アームドを展開する。渾身の力を込めて、削れている脇腹から横一文字に切り捨てようと刃を振るう。千載一遇のチャンスに少し力んでしまう。固くなった僕の動きのすき間にアースラは自分の指を脇腹にいれて、ガードしてきた。やはり、そこが肝だったか。


ガチィン!


守りに特化した腕はかたく、拳に傷をつけることしかできなかった。攻撃を防がれた反動で僕が弾き返されている間に、アースラが地面に剣を二本突き刺した。半径三メートルほどの地面の色が濃い紫になる。砂の間から毒の元素が漏れ出してくる。次の瞬間、間欠泉のごとく、毒が吹き上げてきた。五秒ほど全身に毒を浴び続けた。急激に体温があがる。目がかすむ。手足が言うことをきいてくれない。強烈なめまいと共に頭に激痛が走る。そのまま地面に倒れ込んでしまった。

「ソラー!」マーサの声がいやに遠くに聞こえた。

ハッと気がついたときには、パタリと倒れ込んでいた。気を失っていたのか。意識がだんだんはっきりしてきた。右手には小刀を握り込んでいる。僕は何してた。ちがう。アースラだ!どうなってる。マーサは?ピートは?

まぶたを上げ、顔を向けると、アースラがマーサとピートのすぐ近くまで向かっているところだった。ピートは元素を体内に溜め込み、マーサは碧銀の元素をまとっていた。

どれくらい気絶してたんだ。アースラは僕が死んだと思ったのか。いや、今考えても仕方のないことは思考順位から外せ。

毒だ。毒をくらった。残存毒は?いや、ない。指先を動かしてみる。いける。動ける。起きあがろうと手をついてみた。体の中には、何かが駆け巡った感触があった。今もなお血が叫び、体の内側から沸騰しそうな感じだ。おそらく、この毒は前にもくらったことがある。量が多すぎただけだ。あと、少しで治るはず。

「ギュルァェー!ギュルァェー!」

ピートの一段と甲高い声が二度聞こえた。ダメだよ、ピート。それを使ったら、しばらく動けなくなるだろう?

ゆっくりと体勢を起こしながらピートを見る。

小さな水龍だったピートはだんだん大きく薄くなっていき、やがて消えていった。マーサはアースラの攻撃を想定して、構えたまま受けに徹している。ピートが消えてからというもの、アースラの挙動は明らかにおかしくなった。常に近くに何かがいるような気がしてならないのだろう。しきりにキョロキョロして、絶えず多方向に注意を向けていた。それもそのはず。今のアースラは感覚的には透明なピートに包み込まれているのと変わらないんだから。

アースラの注意をよそに、左脇腹に水の元素の渦が現れた。渦は中心にむかうほど深く青くなっている。


“トラヴィデブラ・ヴォルティオ”(透明渦)


攻撃されている側は、実際に攻撃されるまで感知できない攻撃。透明なピートの大技だ。アースラの左脇腹が大きく渦に削り取られる。背中越しではあるが、丹田のところに、コアのような赤黒いものが光っているのが確認できた。アースラが膝から崩れ落ちる。やっとダメージが入った。


“ダウリギ・ブレンコ”(枝刺し)


マーサが追い打ちをかけるように地面から太めの木の枝で、手足を串刺しにしていく。さらに、空間から木の枝を出し、アースラに絡めていく。

ここだ。ここにかけるしか勝つ方法がない。あのコアを破壊しなければ。腹に力を目一杯いれて、立ち上がる。毒はほぼ抜けた。体温も下がったし、頭痛もずいぶんとましだ。水の元素を集めてみる。元素も扱える。これなら、十分に闘える。水集めの数珠を一つ、集めた水の元素の中心に置いておいた。あとで、小さくなったピートが休みに戻ってくるだろう。

小刀にアームドを展開しながら、ぐっと地面を掴み、急加速して、マーサの方に向かっていく。マーサの碧銀の元素が消えかけている。マーサが左手を天にかざす。今までで一番巨大な木の枝がアースラのコアに突き刺さる。力を出し尽くしたのか、マーサはフラフラと後退りしたあと、その場に片膝をついて、しゃがみこんでしまった。木の枝が全て消える。なんとか立ち上がったアースラがマーサのもとへゆっくりと近づいていく。まずい。速く向こうへ行かなきゃ。…だめだ。このままだと、間に合わない…。

アースラが右手の剣と左手の剣を合体させて、両手で大剣をふりかざす。その時、突如として周りの風景がゆっくりと進み出した。自分の体が自分のものであって、自分のものではないような感覚におちいる。意識はアースラに向かいながらも、空間に体が溶けていく。次に左足を踏み出した時にはアースラのすぐ後ろにいた。相手に気づかれることなく、背後をとることができた。コアは目の前だ。剣をコアめがけて振る。


グァギィ!

という音と共に剣が一センチ、二センチとコアに入っていく。が、剣の進みが徐々に悪くなる。このまま押し切れるのか、という考えが頭をよぎった。いや、違う。力じゃない。もっと…刃が薄く、鋭く、固くなるイメージ。再び刃が走り出す。一秒の後には、アースラの胴はなき別れになっていた。

マーサめがけて振りおろしていた大剣は、あと数センチというところで止まっている。アースラの後頭部に顔が現れる。破顔一笑。口元が少し緩んだような、柔和な表情をこちらに向けたかと思うと、ポロポロと体から砂が落ち始めた。やがて、全身が崩れて、アースラは砂山になってしまった。

マーサの元に駆け寄る。アースラが崩れる様子を認めて、お尻を地面につけ、足を伸ばしている。

「マーサ!大丈夫?」

「大丈夫だよ、ソラ。ソラこそ大丈夫?毒は?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう。」

「もう、ダメかと思ったら、ソラが急に目の前に現れて…。本当にありがとう。」

泣いているマーサの不思議そうな視線がアースラの砂山にうつる。僕もつられて振り向いた。

砂山から小さなリングが浮かびあがってきている。夕暮れを想起させる、何とも言えない元素を帯びて、フワフワと宙に浮いていた。そのまま僕の方に静かに向かってくる、リングに元素が吸い込まれていく。夕焼けと薄暮が混ざったような色になると、そのままポトリと僕の手元に落ちた。

「ふふふ、まるでソラのものみたいね。」マーサが少しの驚きを含みながら、緩やかに笑う。

リングをつまみあげる。リングはスゥーッと、浮かび上がり、まるで家に帰るかのように、僕の左手の小指に収まった。古よりの想い…神々の知識…鮮明な記憶…未知の景色…色々なことが頭に流れ込んでくる。が、次の瞬間には、淡く、色あせてしまった。ピートを水の元素ごと引き寄せる。

「ピート、ありがとう。無理させて、ごめんな。」

八の字に飛んで、返事をくれた。三人とも、無事だった。ホッとしたのもつかのま、気が抜けたのか、毒の影響なのか、ずっしりと重い倦怠感と激しい呼吸困難を伴って、僕はその場にうずくまってしまった。体全身が悲鳴をあげている。とっさにマーサが解毒してくれた。

「ソラ、大丈夫?…どうしよう!?…体内に残存毒はないのに何でだろ。」

意識がもうろうとしてくる。

「ソラ!ソラ!」

マーサの声がだんだん遠くなっていく。だめだ、手足も痺れてきた。動けない。

ピート。マーサ。目もかすんできた。

…煙?何だろう。だめだ、頭の整理もつかないや。薄い黄色の煙に視界が包まれていく。ほんのりと暖かい…。


見慣れた天井。レモンとハッカのお香。ふかふかのベッド。頭にフィットする枕。柔らかな陽光。一呼吸おいて、飛び起きた。体全身に激痛が走る。ここはクレイか?

ゆっくりとあたりを見回す。

猫足のテーブルにピンクのベッド。深い紺のベッドに金のししゅうがほどこされたコの字のソファー、壁や天井には伝説や伝承が描かれている。

かたわらにはマーサが腕を枕に伏せて寝ていた。看病してくれてたのかな。ありがとう。

カチッ。

ドアが静かに開いた。ルーブさんだ。

「おはよう。いいえ、こんにちはかしら。具合は良くって?」

「おはようございます。おかげさまで、身体の痛みしかありません。」

クスッと笑ってルーブさんが続ける。

「その痛みが大ごとだでしたのよ。一体何をすれば、そこまで身体に負荷をかけれるのか、知りたいですわ。筋肉も腱もボロボロになってましたわよ。あと、三日は最低でも薬を飲んで、安静にしてくださいまし。」

マーサがムクっと顔を上げる。

「ソラ!良かった!元気になったのね!」

ガバッと抱きつかれて、また身体に激痛がはしった。

「マーサ、ありがとう。助けてくれて。」

「ルーブさんも、本当にありがとうございます。」

「一言だけアドバイスを差し上げると、鍛え方が足りませんわ。何をしたのかしりませんけど、ちっとも身体がついてきていませんことよ。」

身体的に鍛錬が足りてなかったのか。どの動きかはかはわからないけれど、意図せず、出力をあげすぎたんだな。

「ところで、僕たちはどうやってここまで?」


ガチャガチャ。


ドレさんも入ってきた。

「そりゃ、あれだよ!薄くて黄色い煙が急にリビングに立ち昇ったのさ!そしたら、あんたたち三人が満身創痍で現れたってわけだよ!」

「…テングース…。」

声が後ろから降ってきて、びっくりした。イエさんはいつ入ってきたんだ。

「そう、あれはテングースのものでしたわね。地の国にはいないはずですのに。」

「ピートちゃんは、こんなだし。」

親指と人差し指の間を小さく示した。

「マーサちゃんは大怪我しながら、ソラくんが死んじゃうって泣いてるし。ソラくんは痙攣しながら伏せてるし。ルーブとライおじがいてくれて、本当に良かったよ。」

そうか。マーサが機転をきかせてくれたんだ。

「さぁ、一旦、出てくださいまし。患者は絶対安静ですのよ。」

ピートはというと、元のサイズに戻り、真上で旋回して元素を集めたり、放ったりしていた。

その後、四日間は身体の痛みがなかなか抜けず、安静生活を送った。ピートはずーっと元素と遊び続けていた。マーサはライさんに連れられて、コウウリンにある癒しの森に連れて行ってもらったらしく、怪我はすぐに治ったようだった。


五日目の朝。ほとんど筋肉痛はなく、リハビリを開始しようと思うほど元気だった。

「見て、イエさんに作ってもらったブレスレット。」

色がもらったときとは違っている。翠色だったブレスレットは碧銀色になっていた。

「色が違うね。いつ変わったの?」

「わからないんだ。でもね、ライさんが色々教えてくれたの。」

「ライさんが?」

「うん。森の民について。この国について。あのさ、みどり、ってさ、一口にみどり、っていっても色んなみどりがあるでしょ?」

納得を示す相槌をうった。言われてみれば、確かにそうだ。山を見れば、二つと同じ緑はない。

「森の民は、みどりを分けて捉えられるって。ソラにはこの三つの元素は何色に見える?」

そう言うと、マーサは僕の目の前に十センチメートルほどの緑の元素を圧縮した球体を浮かべた。どこからどう見ても、緑にしか見えない。違いらしい違いはわからなかった。

「同じ…ってことはないよね。話の流れからして。でも、僕には同じに見えるんだ。」

「それぞれね、微妙に違うの。色が違うと、できることも違うんだって、ライさんが言ってた。ライさんは森の民ではあるんだけど、認められていないから、わかることやできることが少ないって。」

「そうなんだ。認められる…か。」

ふわっと記憶が帰ってくる。アク・ヴォ・モントの入り口での出来事が思い出された。木々たちを助け、力を分けてもらった、あの時。長老木が認める、とか何とか言ってた気がする。

「他にもね、この国の歴史や森の民の伝承なんかを教わったの。」

「そうなんだ。ライさんとたくさん話せて、気づくことが色々あったんだね。」

「うん。まぁ…同じくらいわからないことも増えたけどね。」

「わからないことがわかったってやつだね。」

二人で笑いながら、僕は、うーん、と伸びながら、何の気なしに天井を見上げた。そこで、今まで枝や森に見えていたものは家系図だったことに気がついた。碧銀の老人から大木が下に伸びていき、枝が分かれてつながっている。ところどころ途切れているところもあったけど。

「マーサ、天井のこれって…。」

「うん。ライおじさんに教えてもらって、びっくりしちゃった。クレイの家系図だって。枝の一番下に私の名前があるの、見える?」

「見えるよ。マーサの名前があるよね。アンナさんの名前も。ところどころ葉っぱで覆われて見えないところもあるけど。」

初めて見たときには絵にしか見えなかったけれど。どういうことだ。

「はじめは絵にしか見えなかったでしょ?」

「うん。」マーサも同じだったのか。

「でもね、そういう絵なんだって。森の民やそれに近い人たちにはちゃんと家系図として見えるみたい。」

「不思議な絵だね。誰が書いたんだろ。」

「ドレおばさんだよ。この家のほとんどの絵を描いたんだって。」

「そうなんだ。今度この家を探検してみたいね。いろんな発見がありそう。」

「ほんとね。部屋があるような気がするのに、いつもの道以外は見つけられないよね。」

ほんとに。よし、夕方まで少しあるから、今日からリハビリをしていこう。

「さぁ、そろそろ体動かすかな。」

僕は再び、両手を上げてのびた。

「ちょっと、リハビリがてら走り込むけど、マーサはどうする?」

「ありがと、でもこのあと、ライさんと癒しの森にいくから、次の機会にするね。」

「じゃあ、また後で。」

「うん、また後でね。」


久しぶりに動くので、体は少し重かったが、元素の扱いは以前よりも格段にできるようになっていた。まだ初日だから、あまり飛ばさずに、ぼちぼちやろうと思っていたが、歩くことからはじめて、ストレッチ、動きの型、武具の扱い、元素の扱い、複合的な動きなど、一通り体を動かすと、結構いい時間になっていた。

久しぶりにみんなで食卓を囲むことができた。ライさんも来てくれていた。

「ソラくん、改めて礼を言わせておくれ。ありがとう。それと、危険なところへの探索をお願いして申し訳ない。」

ライさんが深々と頭を下げる。

「いえ。僕も僕の目的があって、向かいましたから、気にしないでください。偶然ですけれど、目的のリングも見つけることができました。」

左手の小指にピタッとはまっている地のリングを見せた。

「伝承は本当だったのじゃなぁ。わしよりもドレの方が興味津々じゃろ。なぁ?」

「まさか、そんなもんが、この国に本当にあるとは思ってもいなかったよ!そのリングが古代より何で呼ばれてるか知ってるかい?」

僕もマーサもかぶりをふった。

「いえ、知りません。でも、なんだかとても大切なものなんだとは思います。」

「土、大地、なくてはならないもの。土台のリング。文献にもたびたび出てくるんだよ。でも実在は信じられていなかった。今まで誰も見つけたことがなかったからね。伝承はやがて伝説になり、おとぎ話になった。今では小さい子が読む絵本に登場するくらいさ。」

「その絵本知ってる。ママに読んでもらったこと、あるわ。」

「まさか…本当にあったとはね。」ドレさんが感慨深げにソラとリングを眺める。

「ところで、リングをつけたことで、何か変化はありましたの?」

「いえ、それが…ほとんど思い出せなくて。元素の扱いはうまくなったと思うんですけど、あとはよく覚えていないんです。」

「変化なんて、そんなもんじゃよ。二人ともこれからじゃ。答えは徐々に見つけていけばええ。」

談笑しながら、食卓を囲む。当たり前に思えるこの光景も当たり前じゃないんだと思うと感じるものがあった。

おもむろにイエさんが口を開く。

「…これから…どうするの。」

これから、か。僕は地の国にいるべき理由を特段見つけることができなかった。父さんも考えたようにリングは実在した。だとしたら、他のリングを探したい。全部見つけて、光の国に戻るんだ。

僕が答えるよりも早く、マーサが口を開いた。

「わたしね…この国の外を見て回ろうと思うの。今回、はじめて家を出て、たくさん旅をした。危ないことも数えきれないほどあった。このまま地の国にいて、それなりに過ごす未来もそれはそれで楽しいのかもしれない。でもね、ソラと一緒に色々な世界を見てみたいの。この気持ちがわたしの真ん中なんだ。」

マーサは僕の方を見て、照れくさそうにはにかんだ。ライさんもドレさんも、みんな真剣に耳を傾けてくれている。

続けて、僕も話す。

「体が癒えたら、残りのリングを探しにいこうと思ってます。父さんのことも…気になるので。」

「じゃあ、まずはしっかり治さないとね!あとで、もう一枚、三人の絵をかかせてちょうだい。」

「ありがとうございます。」

緩やかな、和やかな時間は矢のように過ぎていく。それから何日か経ち、体も元通り以上になっていた。マーサと話し合い、明日、出発しようと決めた。

穏やかな陽気が流れ、のどかな気持ちで朝を迎えることができた。

「じゃあ、いってきます。」

マーサが一人一人手を握って挨拶している。

「アンナちゃんとロッツくんも来れたら良かったんじゃが。」

「いえ、大丈夫です。また、折を見て手紙を送ります。」

「二人とも、身体を大切にするんだよ!また、元気な顔を見せておくれ!」

「命あっての物種ですわ。無鉄砲と大胆は違うということを忘れてはなりませんことよ。」

「……気をつけて…」

たくさんの励ましが背中を押してくれる。僕たちは顔を見合わせて、共に一歩踏み出した。空には雨が輪になって降り続いていた。

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ソラと大地の一族 ヒガシユウ @higashiyou

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