禁忌

「説明してよね」


階段を下りて一階のリビングに入った私は、父に詰め寄った。


「なんでこんなことになったの!なんでずっと黙ってたの!なんで…」


「わかったからぁ。特別に話してやるよ」


なにその上から目線。ムカつく。


「楓とは職場で出会って、一目惚れしたんだよ。な、かわいかっただろぉ?」


楓さんの姿を思い出す。

艶やかな茶髪のロングヘアーに、くっきりとした大きな瞳。たしかに、かなり美人な分類に入るのかもしれない。


「それで、仲良くなって、ゴールインしたわけ。桃華に言ったら反対されると思ったんだよぉ」


「当たり前でしょ。私、今も認めてないから」


「…悲しいこと言うなって、楓も悲しむぞ」


「知らない、そんなの」


私は父に背を向けた。

どんなことを質問したって、まともな返事は期待できないだろう。こいつとは、話すのも吐き気がするぐらいなのに。


諦めてリビングを離れようとして、もう一度、振り返った。


「お母さんにはなんて言うの」


瞬間、父の目の色が、変わった。


酒の飲み過ぎで濁った目に、冷たい光が差す。


──あ。

この目。覚えてる。


同じだ。 

あの時と、全く同じ──。


私の頭の中で、一つの記憶が弾けた。



「お母さんってどんな人だったの」


私がまだ小学生一年生だった頃。

夜、リビングには父と二人きりだった。


その質問に深い意味はなくて、幼い私の純粋な好奇心で。 


だから私は、その時の父の反応が忘れられない。

顔を引き攣らし、目を怖いくらいに見開いて、唸るような低い声で、


「お前は知らなくていい」


見たことのない変わり果てた姿に、私は震えながら頷くことしかできなかった。


──うっかりしていた。あの日からずっと、母の話題に触れることは、避けていたのに。


噴き出した冷や汗が、ひたいをなぞるように滑り落ちていく。


私は視線を横に逸らした。そのまま、足早にリビングを離れる。


父は最後まで、黙ったままだった。

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拝啓、私のお母さんへ シダレヤナギ @kametann

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