拝啓、私のお母さんへ

シダレヤナギ

楓さん

ピピピピ。


目覚まし時計を手探りで止め、私は目を開ける。

と同時に、


「ギャアッ」


怪獣みたいな悲鳴が喉から飛び出した。そのまま、ベッドから転げ落ちる。


──すぐ側に知らない女の人が立っていて、こちらを覗き込んでいたから。


「だれ!ここで何してんの!」


腰をしたたかに打った痛みも忘れ、私はさっと身構える。


怪しすぎる。いきなり赤の他人の部屋に上がり込むなんて。

泥棒か、誘拐か。


女の人は驚いたように目を瞬かせていた。どうやら、私の反応は想定外だったらしい。


「ごめんね。ちょっとしたドッキリのつもりだったんだけど…」


それから部屋の外へ身を乗り出し、


「大翔さーんっ!」


「…え?」


ヒロト──私の父の名前。

これでますます意味が分からなくなった。


まもなく階段を上がってくる音がして、父が室内に入ってくる。


顔が、熟したリンゴみたいに真っ赤だ。部屋に広がる酒臭いにおいに、私は思わず顔をしかめる。


「ねーどういうこと?もう私たちのこと伝えてあるって言ってたじゃない」


女の人は心底困惑しているようだった。疑いの目で父を睨む。


「ごめんごめん」


へらへら笑いながら、口だけの謝罪をする父。絶対、内心では全く反省してないやつだ。


「ももかぁ」 


──そんなふにゃふにゃした言い方で、あんたが私の名前を呼ばないでほしい。


「実はなぁ、俺、再婚したんだぁ」


「…は?」


一瞬、なんのことだか理解できなかった。


再婚。サイコン。

──もう一度、結婚すること。


頭をハンマーで殴られたようなショックに、意識が遠のきかける。


再婚。この二人が。


私は信じられない思いで、目の前に立つ男女の顔を見比べていた。


「だからぁ、今日からこいつがお前のお母さんだぞー」


「……」 


言葉が、出てこない。


お母さん、お母さん、お母さん…

心の中でつぶやいてみる。


その言葉と、ここにいる女の人を重ねようとしたけれど、もちろん合わさるはずもなかった。


「…桃華」


私が顔を上げると、その視線から逃げるように、女の人は目を伏せた。


「…って呼んでもいいかな?」


いいわけないじゃん、と口にしかけたが、耳まで赤くなっている女の人を見ると、何も言えなくなってしまう。


「私、宮野楓って言います…あ、前原楓か。苗字変わったもんね」


照れ笑いを浮かべる前原楓──楓さんは、私に向かって礼儀正しくお辞儀をした。


「今日からよろしくお願いします」


──温かく受け入れないといけなかったのかもしれない。「こちらこそ」と笑顔で答えないといけなかったのかもしれない。


でも私は、自分のつま先を見つめて、押し黙っていることしかできない。


「おい!楓に失礼だろぉ!」


父が怒鳴る。


──「楓」って呼んでるんだ。なんだか、馴れ馴れしくて気持ち悪い。


私は父の腕を引っ掴んだ。その身体は熱っぽくて、風邪でもひいているみたいだ。


──また酔っ払って。


「ちょっと来て」


「はぁー?なんだよぉ」


父を引きずるようにして、私は歩き出す。


部屋を出る直前、横目で後ろを確認した。


楓さんはまだ、頭を下げたままだった。

──まるでずっと、私の「こちらこそ」を待っているみたいに。 


ちくりと胸に走る痛みに気づかないふりをして、私はリビングへと向かった。

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