サイダーとおしぼりと足ツボマッサージ

「はい、こちらへどうぞ。そこに座ってもらえますか?」


 案内された場所は、薄暗い小部屋だった。

 部屋の中心にマッサージ台……、というよりは、美容室のシャンプー台のようなものが置かれている。

 フルフラットではなく、頭の部分が起きているが、ここは調整できるようだ。

 アロマディフューザーが爽やかな匂いを出すのを眺めながら、彼はそこに腰掛ける。

 背もたれは深く、座れただけでほっと息が付く。


「はい、お兄さん。おしぼり。顔拭いていいですよ。あ、あんまりゴシゴシするのはダメだからね」


 女性に冷たいおしぼりを手渡されたので、彼は我慢できずに顔を拭う。

 汗や脂が吸われていき、清涼感が顔を覆った。

 声が出そうなくらいに気持ちがいい。


「はは、お兄さん気持ちよさそー。暑かったもんね。はい、おしぼりもらいまーす。……さて。マッサージに行く前に、飲み物はいかがですか? 暑かったし、喉乾いてない? メニュー表あるんで、どうぞ。わたしのオススメは、サイダーかな。あ、もちろんサービスですよ」


「あ、サイダーがいい? 了解了解。ちょっと待っててねー……」


 女性は小型の冷蔵庫から缶を取り出し、コップに氷を入れる。

 からんからん、と氷がコップを鳴らした。

 女性はサイダーの缶を爪で無意味にカツカツと叩いて、何やら音を楽しんでいるようだ。

 カツカツ、カツカツ。

 踊るように音を鳴らし続けたあと、ぷしゅっとプルダブを開く。

 氷の入ったコップにとくとくと注ぎ始めた。

 トットットット、と水を満たす音、遅れてしゅわあああ……、という泡が弾ける音が響く。


「はい、どうぞ。本当はこんな冷たいものを飲むのはよくないんですけどね。でも、あっついじゃん? しょうがないしょうがない。あ、でも一気に飲んじゃダメですよ。内臓がびっくりしちゃう」


 男がサイダーの冷たさを楽しんでいると、女性はもうひとつコップを出し、そこに氷を入れた。

 再び、トットット……、という音が響き、サイダーが注がれる。

 そして彼女は迷いなく口をつけると「ん……んっ……んっ……」と喉を鳴らし、ぷはあっ、と気持ちのいい声を出した。

 そっちも飲むんかい。

 つい言ってしまいそうになるが、なぜだか彼女が飲むのは何もおかしくないように感じた。

 女性は楽しそうに、缶をカツカツ鳴らし続けている。

 鼻歌を口ずさみながら、それに合わせるようにカツカツと。


「あ、飲み終わった? はい、コップもらいまーす。さて。それじゃそろそろマッサージに行きましょうか。最初はねえ、足つぼマッサージから行こうと思うんです。そう、足つぼ。あぁ、痛いってイメージがある?」


「そうですねえ、不健康だと痛い箇所は多いかもです。人体には反射区ってのがありましてね。身体に悪い部分があると、そこに応じた箇所が痛かったりします。足裏は大体……、ん。まぁ百聞は一見にしかずということで、やってみましょう」


「靴下脱がしますね。あぁいいですいいです、脱がせるから。はーい、右足脱がしまーす。左足も、はーい。綺麗に脱げたね。さてさて。まずは、マッサージする前に足の汚れを落としていきますよ」


 女性は自身の膝上に、男の右足を乗せた。

 その手にはいつの間にかおしぼりがあるが、彼が先ほど貰ったものと違い、湯気をまとっている。


「おしぼりで足を拭いていきます。熱かったら言ってくださいね。はーい。……熱くない? 大丈夫? はい。しっかり綺麗にしていくからね。足の裏を……ごしごしっと……。ん? あぁ大丈夫ですよ。まぁ汚れてるけど、そりゃ歩いてたら足は汚れるでしょ。気にしなくていいですって。うん。そうそう」


「はい、次は足の甲いきますよー……、ごしごしっと……。ん、はい。え、なに? いや、そりゃ足の指も拭きますよ。だから、気にしなくていいですって。うん。そうそう。そこでどっしりしててくださいな。……はい、一本一本綺麗にしていきますからねー……、はい。指の間も……、ここは汗が溜まりやすいですからね。丁寧にねー……。よし。綺麗になった……。かな? どれどれ。ん、大丈夫だね。右足下ろしまーす」


 女性が足を拭くと、小さな衣擦れのような音が静かに浮かぶ。

 その音を聞きながら、男はただ身を任せていた。

 彼女は右足を綺麗にすると、丁寧にそれを下ろす。

 次は左足だ。


「それでは、お次は左足を失礼しまーす……。こっちも拭いていきますからね~。え? あ、気持ちいい? よかった。でもお兄さん、これまだマッサージじゃないんですよ~。いやまぁ、気持ちはわかるけどね。人に足拭いてもらうのって、なんか気持ちいいよね。さ、今度は左足も拭いていきますね~……」


「足裏、足の甲……、ここは汚れやすいですからね。しっかり拭いていきます……、ん? くすぐったい? あは、ごめんね。ちょっと我慢してくーださい。はいはい。ごしごしっと……、ん、よし。次は足の指を失礼しまーす……。ここもね、指の間が汚れるから……、しっかり拭いていきますねー……。くすぐったいよね、ごめんね。もうちょっとだから待ってね。ん……、はい、綺麗になった。よく我慢できたね」


 女性は笑いながら、おしぼりをカゴの中に入れた。

 お次は、何やらローションのようなものを己の手にすりつけ始める。

 手を合わせると、しゅるしゅる、という音とともに、粘着質な音が混ざった。

 女性はしばらく手を擦り合わせると、そっと彼の右足を掴む。


「では、足のマッサージを始めまーす。まずは、オイルを足全体に付けていくねー……。力は入れないけど、もし痛かったら言ってください。……ん? あ、痛かった? ……そうじゃなくて……、いい匂い? あは、よかったよかった。これ、わたしも好きな匂いなんです。気に入ってくれたなら、嬉しいよ」


 オイルを纏った手が、彼の右足を素早く触れていく。

 オイルによって手や指がスムーズに動いていき、肌同士が擦れる音がしゅるしゅると響いた。

 しばらくの間、まるで足を温めるように動いていた手が、ぴたりと止まる。

 十分にオイルが行き渡ったようだ。

 足の裏に親指が当てられる。


「それでは、ツボを刺激していきますねー……。あんまり力は入れないけど、痛かったらごめんね。それでは、失礼しまーす……。こことか、どうかな? うんちょうど中心のあたり。……ちょっと痛い? あは、ごめんごめん。じゃあこれくらいの強さなら、どう? 痛い? あ、気持ちいい? よかった。なら、力はこれくらいにするねー……」


「お兄さん、足はだいぶ疲れてますね。普段、結構歩いたりするのかな? そうなんだ。じゃあ足は休ませてあげてくださいね。お風呂入ったときにマッサージしてあげてください。風呂上がりでもいいよ」


「あぁ、湯舟浸からないんだっけ? ダメだよぉ、お兄さん。身体は労わってあげないと。疲労は蓄積されるものなんですからね。できるだけでいいんで、湯舟に遣って、足もマッサージしてあげてくださいな」


「ここは……、どう? あ、痛い? え、そんなに? そっか、ここ痛いか。うん、ゴリゴリしてるもんね。ここわかります? なんかゴリゴリしたものがあるの。老廃物が溜まってる証拠なんです。痛いとは思いますけど、このゴリゴリが取れると、スッキリするんで。ちょっと我慢してくださいねー……、はいぐりぐりー……、痛いねー……、でも気持ちよくなるからねー……。うん、そうそう」


「痛い? んー、そっか。ここはねー、胃の反射区なんです。痛いってことは、胃が疲れてるってことなんですね。お兄さん、暴飲暴食とか夜中に食べることが多かったりしませんか? あぁ、やっぱり? そういうことしてるとね、ここが痛くなっちゃうんですよ。ね、ゴリゴリ。あ、痛い? 痛いよね。やはは、ごめん。つい」


「でもここをしばらく刺激してると、老廃物も流れていくんで。ぐっぐっ、と押していきます。だんだん気持ちよくなってくると思うよ。あ、そうでしょ? ちょっと気持ちいい? 痛気持ちいいか。それくらいがちょうどいいんでね。このまま押して行きますねー……。あ、でも本当に痛くなったら言ってね」


 女性が解説をしながら、ぐっぐっ、とツボを押していく。時折、しゅるしゅると肌が擦り合う音も響いた。

 しばらく右足に掛かり切りになっていたが、それが彼女の膝から降ろされる。

 彼女はやわらかな声で笑った。


「はい、だいぶやわらかくなりましたよ~。足が熱くなってるのがわかる? 老廃物が流れてね、血流がよくなってるんです。右足はすっかりよくなったね。じゃあ次は左足いきますよ~。はい、よいしょ~」


 今度は左足が彼女の膝に置かれた。


「こちらも同じように押していきますねー……。まずはこの辺りから……、え、痛い? あー……。ここは眼精疲労のツボだね。お兄さん、スマホとかよく見ます? あぁ、やっぱり。目を使いすぎですねー……。もうちょっといたわってあげてください。痛いなら、ここを重点的に押して行きますね……。あ、痛い? やはは、でも気持ちいいっしょ? はい、ぐーりぐり。あは、お兄さんいたそ~。やめる? やめないでいい? はいはい、おっけ。きっとすぐによくなるからねー……」


「ちょっと足が固くなってますね。ちょいと失礼。足の指の間に、わたしの指を入れてー……、ほい。うん、わかります? 固いですよね。指の間をね、しっかり開くようにしたいんです。はい、お兄さん、力入れて。はい、ぐっ、ぐっ。ぐっ、ぐっ……。お兄さん、頑張れ頑張れ。……よし、ここからちょっと倒して行きますねー……、はい、ぐー……、きもちい? そっかそっか。じゃあもうちょいやったげる。はい、ぐー……」


 彼女はしばらく足をマッサージしたあと、「はい、足はこんな感じですね。お疲れ様でしたー」と笑みを浮かべた。

 再び、熱いおしぼりを手に持つ。


「それじゃ、オイルが付いているので拭いていきますね。熱かったら言ってください。はい、ごしごし。あ、気持ちいいねえ。足もすっきりしたでしょ? お兄さんの顔を見てたらわかるよ」


「指の間も拭いていきますからね。ちょっとくすぐったいですよ。はい、ごめんねー……。はい、ごしごし。あぁお兄さん、動きすぎだよ~、気持ちはわかるけど。はい、我慢できたね、偉いね」


 女性はおしぼりをカゴの中に入れると、すくっと立ち上がる。

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