不思議な店員さんの全身マッサージ・ヘッドスパ
西織
導入 声掛けと問診
コツコツコツ、と足音が響く。
ジィジィジィ、とセミの鳴き声がそこかしこから聞こえてくる。
男は汗を拭った。
大きく存在を主張する太陽を恨みがましく睨み、凶悪な日差しと熱された空気にため息を吐く。
建物に囲まれているのに、この暑さのせいか、周りに人影はない。
しかし突然、気だるげな女性の声が、彼の耳に入った。
力の抜けた、何ともやわらかな声だ。
「あ、おにいさーん。おにいさーん? あぁ、あなたですよ、あなた。そこの暑そうにしているお兄さん。ダメですよー、こんな日差しがキツい日にフラフラ出歩いてちゃ。どうですかね、うちのお店で休憩していっては。すぐ入れますよ」
そう声を掛けてきたのは、若い女性――、というより、少女だった。
白いサマーセーターに包まれたブラウスに赤いリボン、短いプリーツスカート。
あどけない顔をしていて、化粧っ気もほとんどない女の子。
制服姿の女子高生が、そこにいた。
突然、女子高生に「休憩どうですか?」と訊かれて、男は面食らう。
彼女は男の表情を見て、相好を崩した。
「なに、お兄さん。そんなびっくりした顔して。あ、急に声を掛けたから? やー、すんませんね。珍しく暇なんで、客引き中なんですよ。普段はこんなことしないんですけどね。で、どうですか。うち、マッサージのお店なんですけど。涼みがてら、寄っていきません? お兄さん、不健康そうだし。あ、これはただの失礼か。やはは、これは失敬」
女子高生は笑い声を上げていたが、男は訝し気な視線を彼女に返す。
彼には、いかがわしいお店の客引きに見えたのだ。
残念ながらそういうのは興味がない、と伝えると、彼女は不服そうにする。
「え、なに? JKなんちゃら……、あぁ違う違う。そういうやらしいお店じゃないですよ。うちは真面目なマッサージ店。えっちなのは他当たってくださいな」
「あ、制服なんて着てるから勘違いしちゃった? それはすみません。でも、これはただの趣味ですよ。わたしが制服着るのが好きなんです。かわいいっしょ。この格好してるとアガるんですよね~、若い頃を思い出して」
「ん? あは、現役じゃないですよ。さすがにそれはお世辞がすぎるでしょ。若いって言ってもらえるのは嬉しいですけど、高校生は苦しいですって。ちゃんと成人してるし、これでも店長です。店長だからやりたい放題。うち、わたしひとりで店回してるから、こんな格好でも大丈夫」
胸に手ををやる女子高生――、もとい店員さんは、男には本物の高校生にしか見えなかったが、そうじゃないらしい。しかも店長だというのだから、驚きはさらに強かった。
男が目を白黒させていると、彼女はニッと笑って背後のお店に手を向ける。
気だるげな声は少しだけ熱を帯び、楽しげに彼女は言う。
「で、どうですか、お兄さん。ついさっき、予約が飛んじゃってねえ。暇してるんですよ。今ならすぐ入れるんですが、いかかですか、マッサージ。気持ちいいですよ」
男はマッサージ店に入った経験がない。
どんなものかわからないし、相手は得体のしれない制服を着た謎の女性。
普段なら不安が勝って立ち去ったところだが、何せ、この日は暑かった。
すぐに休めるのなら……、と男はマッサージを受けることを決める。
そう答えると、女性は少女のような笑みを浮かべた。
「はい、一名様ごあんな~い。ささ、どうぞ。あ、そこ段差あるから気を付けてね。それでは、いらっしゃいませ!」
女性に連れられて、店の中に入っていく。
自動ドアが開いた瞬間、冷房の涼しい空気が火照った身体を冷ました。
それは彼女も同じだったのか、気持ちよさそうに目を細める。
「や、涼しいですねぇ、きもちい~。あ、お兄さんも涼しそう。そんな癒された顔しちゃって。早いですよ、まだマッサージも受けてないのに。さてさて、じゃあ何のコースにしますかね?」
店は想像以上に綺麗だった。
女性はカウンターに回ると、何やらコースやら時間やらが書かれた紙を指差す。
男を覗き込むようにしながら、楽しそうに口を開いた。
「ていうか、お兄さんってもしかしてマッサージ初めて? あ、そうなんだ。じゃあどうするかな~。どれがいいかな。どこか疲れている箇所とかあります? ……わかんない? あは、そっかそっか。まぁ意識してないとそうかもね~。大丈夫大丈夫、問題ないですよ」
「ん~、どうしようかな……。ちょっとお兄さん、顔をよく見せて? ……ふんふん。目、見せて。……うん。ほっぺた触るよ、ごめんね。……うん。今度は手ぇ出してくれる? あ、お兄さん、手おっきいな。ふーん……、なるほど……、あー……。ごめん、ここちょっと押すね。痛い? ふうん、そっかそっか」
何やら顔を近くで見られたり、ぺたぺた触れられたりした。
そういう店でないのは重々承知だが、照れてしまう。
女性はしばらくの間、難しい顔で彼のことを見ていたが、ぱっと顔を明るくさせた。
手にはいつの間にか、ペンとバインダーが握られている。
「おっけおっけ。お兄さん、いくつか質問していいかな? はい、ありがと。じゃあ聴いていきますねー……」
「最近、よく眠れていますか? はい。はい。ふうん。なるほどです。途中で目が覚めることがありますか? はい、はい……、あー……、はいはい。よくトイレにも行きます? はい。あぁいえ……、そうです。はい。起きた時の気分はどうですか? 頭が重い? ん……、はい……、はい、はい……。寝起きは悪いほうですか?」
女性は質問をするときは、丁寧な声色と言葉遣いに変わっていた。
先ほどの力の入っていない表情ではなく、真面目な顔でメモをしていく。
カリカリカリ。
カリカリカリ。
ペンが動く音と、彼女のやさしい声での質問が重ねられる。
「疲れやすいと感じていますか? あぁそうですか。そうですよね。はい、はい、はい……。ふふ、そこまでは言わなくて大丈夫ですよ。はいはい。あぁやっぱりそうですか。ふんふん。わかりました。あぁいえ、大丈夫ですよ。え? あはは、大丈夫ですって」
「お風呂に入るとき、湯舟には浸かっていますか? ……へ? あぁちゃんと関係ありますよ。はい。そうですそうです……、そうそう。ふふ、そうです。で、どうですか? あぁですよね。ちゃんとお風呂には浸かったほうがいいですよ。はい……」
しばらく、カリカリカリ……、という音が続いたと思うと、彼女は顔を上げる。
表情は戻り、にっこりと笑いながらカウンターに身体を預けた。
「お兄さん、だいぶ身体が疲れていますね。どこがどう、というより、全身かな。マッサージを受けたことがないっていうのなら、どれがいいのかわからないでしょ? どうかね。ここはわたしのお任せコースにする、というのは。値段はこんなもんで、時間はこんなもんです。相場わかんないと思いますけど、まぁ妥当な値段ですよ」
女性が指し示した先に、値段と時間が書いてある。
彼女の言うとおり、彼には相場がわからないが、納得できない値段ではない。
じゃあそれでお願いします、と言うと、彼女の笑顔が華やいだ。
「はい、任されました。じゃ、お店の奥に行きましょうか。こっちです。あぁ着替えてもらわないといけないんで、一回更衣室に行きましょうね。はい、こっちです。あ、そこ段差気を付けて。はい、そうそう」
二人分の足音が重なる。
「はい、じゃあここで着替えてくれる? 着替え終わったら声掛けてねー」
女性に言われたとおり、彼は更衣室に入った。用意されたリラクゼーションウェアに着替える。
すると、着替え終わる前に、なぜか扉が開けられた。
「着替え終わった? あ、まだだった。やはは、ごめんごめん。大丈夫ですよ、そんな見てないから。あは、ごめんて。はいはい、じゃあ行きますよー。あ、着替えのカゴもらいます。え、いい? なにお兄さん、やさしいじゃん。でもこちとら店員なんでね、もらいますよー。いいからいいから」
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