短編集

藤之恵多

第1話 三題噺「陰」「フクロウ」「過酷な山田くん(レア)」

主人であるエディット・リュシー・モワナール公爵令嬢に山田は呼び出された。この世界に来てから無駄に高くなった身体能力を駆使して、廊下を音も立てずに走る。

装飾の施された扉の前で深呼吸。

この先は応接室になっている。今日はお客様が来るということで、山田が掃除したのだ。

飾られていた壺をうっかり割ってしまい、途中で追い出された。

この世界に来てから力加減が難しくて困ってしまう。

ドアマンに開けてもらうこともなく、山田は扉を押し開いた。


「ヤマダ、遅いわよ!」


部屋に入った瞬間に山田へ激が飛ぶ。

反射的に背筋を伸ばす。声だけで異世界人の背筋を伸ばさせる迫力。

さすが、生まれながらに人を従えてきた人間は違う。妙な感心を抱きながら、足早にエディットのもとに向かう。

途中で大理石の床からふわふわの毛足の長い絨毯へ切り替わった。

こっちに落としてれば壺も割れなかったかもしれない。そう思える柔らかさだ。

歩くには大変で、山田はメイドの制服であるスカートの裾をつまみながら歩いた。


「はい、ただいまぁー!」

「……あなた、本当に、勇者召喚で来た勇者なのよね?」


えっちらおっちら、どうにかたどり着いた山田に声の主、今の山田の主人であるエディットは呆れたように声をかける。

口の端が歪んでいて、絵に描いたような意地悪な表情だ。

もっともその顔もすぐに扇で隠されてしまう。

感情を表に出すのは、はしたない。それがこの国の貴族女性に押し付けられた常識なのだ。

山田は手を頭に当てると、そのまま小さく首を傾げた。


「いちおー、そうなってます」

「神様もなんでこんなんを選んだのかしら」


メイドらしさも、女らしさもかけらもない仕草だったろう。

これだったら、そこらの貴族の三男坊あたりを女装させてメイドらしく振る舞わせたほうがマシではないか。

扇で隠されたエディットの顔にそう書いてあるような気が、山田にはした。


「酷いですよ、エディットさま」


その理由は山田こそ知りたい。

こちとら警備の仕事帰りに、穴に落ちたと思ったら異世界だったのだ。

異世界転生ものにあるはずの神様からの懇切丁寧な説明も一切ない。

穴の先は異世界。

選ばれた覚えはない。


「あの、こちらが?」

「ああ、お待たせいたしました。マルカン伯爵」


エディットがそう名前を呼んだ男をちらりと見る。

金髪を撫でつけ、口元には描いたようなカールした髭。身を包む服装は、刺繍が施された豪華なものだったが、いかんせん腹回りに布地がとられすぎる。

広い面積をごまかそうとした刺繍が迷路のようになっていた。


「いえ、勇者さまを見れるなら、これくらいの待ち時間どうということありませんぞ」


マルカン伯爵の視線が山田を見る。

勇者として召喚されてから、何度かさらされた視線だ。

鳥肌がすごい勢いで全身を覆っていく。


「お嬢様?」


山田はわざとお嬢様と呼んだ。エディットは恭しく頷くと扇を何度か動かした。

扇言葉。山田は顔をしかめる。

誰だこんな面倒なものを考えたやつは。


「ご挨拶なさい」

「ヤマダと申します。勇者として召喚されましたが、スキルが酷く……お嬢様さまに拾っていただきました」


メイドらしく、スカートの裾を広げ、片足を引き腰を落とす。

マルカン伯爵は挨拶もそこそこに、顎の下に置いていた手を広げ、山田を見た。


「その、珍しいスキルだったと聞いている。良ければ見せてもらえないか?」

「はぁ、まぁ、いいですけど」


「ステータスオープン」と口にすると、目の前に薄い青の画面が広がる。

名前や種族、レベル、スキルなどが表示されていた。まるきりゲーム画面だが、この世界では普通に出し入れできるので誰も疑問に思わない。

さらに、山田はスキルのみ表示と呟いた。すると。


スキル:過酷な山田くん(レア)


見せたいところのみを表示できる便利な仕様になる。

初めて見た時は、バグっているとしか思えなかった。

スキル名なのに、過酷なって何?

しかも山田くんって、私、女ですけど。

最初から最後までツッコミどころしかない。

だが、これまた不思議なことに、この世界の人は、このスキル名を非常に珍しいといってありがたがるのだ。


「おお、これが」


マルカン伯爵も青い画面に表示されるスキルに目を潤ませた。

広げられていた両手が胸の前で組まれ、神に祈りを捧げているように見える。

何度も繰り返された茶番。

山田は頬が引くつかないようにするのが精一杯だった。

コンコンと小さなノックの音が響く。続いて入ってきたのは、エディット付きのメイドだった。


「エディットさま、失礼いたします」

「今行くわ。マルカン伯爵、少し失礼しますわ」

「ああ、お構いなく。いくらでも待たせていただく」


山田の100倍は優雅に挨拶をした後、エディットがメイドと共に部屋を出ていく。

この部屋にいるのは山田とマルカン伯爵。あとは壁際にいるドアマンだけだ。


「ヤマダ、何か困っていることはないか?」


エディットの足音が去った後、マルカン伯爵は山田との距離を詰めた。

振りかけた香水の匂いでクシャミが出そうになる。

心配そうな表情を貼り付けた伯爵に、山田は体を引きそうになるのを堪えて言った。


「はぁ……今のところ、暮らせてますし」

「モワナール公爵令嬢は烈火の魔女と言われる苛烈な性格と聞く。辛いことがあれば、すぐに手助けしよう」


烈火の魔女。

エディットは優れた火属性の使い手で、操る魔法は烈火のようだからついた名前だ。

しかし、今ではその魔法の素晴らしさより、エディット自身の性格を表すものとして使われることが多い。

耳にタコができるほど聞かされた言葉を、山田は愛想よく笑って受け止めた。


「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」


きっと、その時は永遠に来ないのだろうな、と礼を交わしながら思った。



夜の帳が下りる頃、山田は身軽な服装に着替える。

寝巻きというには黒すぎる服装。

長袖のシャツも、ゆったりとした裾を持つパンツも黒一色。

パジャマというわけではない。むしろ作業着だ。


「なんで、こう、馬鹿ばっかりなんだろ」


闇に紛れるように立っていた。

山田の部屋はエディットの隣に位置している。メイドが貰うにはありえない。

それも、こういう時のためだった。


「王家に仇なす烈火の悪女、覚悟しろ!」


鼻息荒くエディットの部屋に招かざる客が入ってくる。

エディットは悪名が立ちすぎた。

烈火の魔女という呼び名もだし、山田を保護したこともその一端になる。勇者を独占して、扱き使っているというものだ。

勝手に人を召喚しておきながら、スキルがクズだからと捨てる王家より数倍マシだと思う。


「フクロウ、出番よ」

「はーい」


慣れた口調でエディットが呼ぶ。ベッドの上で微動だにしないのは、肝が座ってるからか。信用されているのか。

山田はスキルを起動しようとした。しかし、発揮されることはない。


「ハズレみたいです」

「そう、残念ね」

「いえ、楽できる方がありがたいです」


肩をすくめるエディットに、山田は小さく顔を横に振った。

「過酷な山田(レア)」は過酷な状況でしか、能力を発揮できないスキルだった。

つまり、目の前の刺客は過酷な状況に値しないということだ。

身体能力だけですむなら話は早い。


「ふふ、悪女も間違いではないわね」


あっという間に簀巻きにされ、守衛に渡された刺客を見送りながら、エディットが笑う。

月明かりに照らされた微笑みは、昼見たのとは違う清廉さを伴っていた。

山田はため息をつく。


「悪趣味なのは間違いないですね」

「あら、だって、簡単に釣れるものだから」


クスクスと笑うエディットは、王国の陰として国に危険を及ぼすものを始末する役目を帯びている。

マルカン伯爵も山田にかこつけた、家の内部の偵察だったのだ。わざわざ家の中で山田にあんな言葉をかける人間は、エディットの役目を知らない。


「ありがとう、今日も助けられたわね」


エディットのベッドの端に山田は腰掛けた。

日本にいたときさえ感じたことのない柔らかさに体が沈んでいく気がした。

そっと伸びてきた手が触れ、頬に暖かさが広がる。

その手に自分の手を重ねながら、山田は暗がりでも光を失わないエディットの赤い瞳を見つめる。


「危険な真似はよして下さいね」

「前向きに検討するわ」


くすりと笑った唇の距離が近くなる。

頬にあった筈の手が頭に回され引き寄せられた。

どうということない力なのに振りほどけない。振りほどきたくない。

山田はエディットに拾われて本当に良かったと思いながら、今日も夜を過ごすのだった。

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