図工室の視線

凪 志織

図工室の視線


図工室に飾られているモナ・リザが苦手だった。


どこにいても彼女の視線を感じて落ち着かない。


図工の授業中はいつも彼女と目を合わせないようにするのに必死だ。


彼女の視線を感じるのは図工の授業の時だけではない。


図工室は校門から校舎へ向かう通りに面していて、登下校時にはいやでも窓際のモナ・リザの絵が目に入る。


休み時間に校庭で遊んでいる時も、視線を感じてふと顔を上げると図工室の窓際でモナ・リザが微笑んでいる。


おかげで僕は学校に行くのが怖くなってしまった。


パパが言っていた。

未知のものに対して人は苦手意識や恐怖を抱くのだと。

相手を知れば対策を練れるし、知ることで好きになることもあるかもしれない。


僕はモナ・リザを克服するため彼女について調べ始めた。


インターネットで「モナ・リザ」「目が合う」で調べるとその理由はすぐに判明した。


なるほど。

どの位置から見てもモナ・リザと目が合うように感じる現象を「モナ・リザ効果」というらしい。


モナ・リザの視線を感じるのは僕だけじゃないということだ。

ならば、クラスメイトの中にも僕と同じように彼女の視線に悩まされているやつがいるかもしれない。


もし、僕と同じように悩んでいる生徒が多くいるのなら大変な問題だ。

皆の意見を集めて絵を撤去してもらうよう先生にお願いしよう。


僕は聞き込み調査を開始した。


「え?図工室のモナ・リザと目が合う?うーん、どうかな。気にしたことないなぁ」


「モナ・リザがいつもこっちを見てるって?何言ってんの?」


「モナ・リザ?確かにちょっと不気味だとは思うけど…」


誰も僕の話に共感してくれない中ただ一人この話に興味を示してくれる子がいた。

たかしくんだ。

「実は僕もずっとモナ・リザの絵が気になってたんだ。いつもこちらを見ている気がして。僕はとにかく人の視線が苦手なんだ」


ようやく出会えた仲間に僕の心は躍った。

たかしくんは少し変わった子で前髪は目が隠れるくらい長くて、いつも少しうつむいていた。

前に一度、どうして前髪だけ伸ばしているのか聞いてみたらやっぱりその時も「人と目が合うのが怖いんだ」と言っていた。


「だよね!モナ・リザ絶対こっちみてるよね!どうしよう?どうしたらいいと思う?」


僕は興奮気味に言った。


「壊せばいいんだよ」


たかしくんは冷静に答えた。

口の片方の端だけがわずかに上がりモナ・リザみたいにみえた。


「でもそんなことしたら先生に怒られないかな?」


「仕方ないだろ?だってこのままだと僕らは小学校を卒業するまで彼女の視線に怯えながら学校生活を続けることになるんだよ」


僕らは小学五年生、あと一年半ほど彼女の視線を気にしながらの生活を想像し僕は気が重くなった。


「わかった、壊そう。でも、どうやって?」


「これで…」


そういってたかしくんはポケットからカッターナイフを取り出した。


カッターナイフなんて普段学校で使う機会なかなかないのにどうしてこんなもの持っているのだろう?


「これで絵を切り刻むんだ」


たかしくんの提案した方法はとてもシンプルだった。


放課後、皆が帰ったら図工室に忍び込みこのカッターナイフでモナ・リザの絵を切り刻む。ただそれだけ。


夕方、学校からすっかり人の気配がなくなった頃、僕は図工室に忍び込んだ。

たかしくんは塾があるからと帰ってしまった。

まあ、塾なら仕方ない。


図工室の扉は古くて建付けが悪く、開閉の際はガタガタと激しい音が鳴る。


僕はなるべく音が出ないよう細心の注意をして扉を開けた。


しんと静かな薄暗い教室で、モナ・リザが夕日に照らされていた。


僕はまっすぐモナ・リザの絵の前に向かって歩いた。


歩きながらポケットに手を入れカッターナイフを取り出す。

誰もいない教室にカチカチカチとカッターナイフの刃を出す音が響いた。


絵の前に立ち、そのまま刃を突き立てようと腕を上げた時、僕はおもわず動きを止めた。


モナ・リザの口が動いている。


見間違いか…


薄暗闇の中で目を凝らし彼女の口元に集中する。


ア、ワ、エ…ア、ワ、エ…


やっぱり動いている。

口の形が「ア、ワ、エ」と繰り返している。


僕はその口の動きをみながら動けなくなってしまった。

そして彼女が何を言っているのか気づいてしまった。





カワッテ、カワッテ、カワッテ、カワッテ、カワッテ、カワッテ、カワッテ、カワッテ…




それからの記憶はない。


気づくと僕は図工室にいた。


窓から朝陽が差込み小鳥のさえずりが聞こえる。

どうやらここで一晩明かしたらしい。


とにかくこの不気味な場所から離れようと歩き出そうとしたとき違和感を覚えた。


体が動かない。

手も足も全部。

僕は助けを呼ぼうとした。

でも、声も出せない。

状況を把握しようと周囲を見回す。


そして気づいた。

唯一目だけは動かせることに。


認めたくはないが僕はモナ・リザになってしまったようだ。


しばらくしてクラスのみんなが図工の授業を受けに図工室へ入ってきた。

その中にたかしくんの姿もあった。

たかしくんはちらちらとこちらを気にしている。

僕はたかしくんに気づいてほしくて視線を送り続けた。


たかしくんは僕と目が合うたびに視線をそらした。

何で気づいてくれないの?

今、目合ったよね?

もう、誰でもいい。誰かに気づいてほしい。

僕は気づいてくれそうな子にひたすら視線を送り続けた。



それから数か月がたった。


その日もたかしくんのことを見ていると、たかしくんは図工の授業中に皆が黙々と絵を描いている中、急に立ち上がった。

そして、まっすぐ僕の方に向かって歩いてきた。


僕の心は躍った。

たかしくん!やっと気づいてくれたんだね!僕だよ!

ずっと君のことを見ていたんだよ!

信じていたよ!君なら気づいて…


ズンッ

と重い衝撃がお腹辺りに響いた。


え?


目線を下げてみると、たかしくんは手にカッターナイフを持ちそれを僕のお腹に突き立てていた。


どうして…

すぐ目の前にたかしくんの顔がある。

長い前髪の隙間からたかしくんの光のない瞳がこちらを見つめていた。

「みてんじゃねえよ」


薄れゆく意識の中でクラスメイト達のざわめきの声が響いていた。





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図工室の視線 凪 志織 @nagishiori

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