第五話
「どういうことだ、ローレル。今更決闘など……! それにアデルはか弱い令嬢だろう」
「私とて婚約破棄されたら傷つき泣き出してしまうほどにか弱い令嬢でしたが? もしかして怖くなってしまったのですか、ラッセル殿下」
「そんなわけはないが……しかしアデルを戦わせるわけには」
裏庭へやって来たラッセル殿下は真っ先に私への文句を言い始めたが、少し言い返しただけで口ごもってしまう。
彼としては恋仲のアデルさんのことが心配なのだろう。まだ婚約者ではないらしいものの、アデルさんを娶ろうというつもりなのは丸見えだし。
「王子様ぁ。戦いなんてわたし、怖いですっ」
ぷるぷると震えながらラッセル殿下に縋り付くアデルさん。
彼女だけが気づいているのだ。私がここまで強気になる理由に。だから逃げようとしているに違いないけれど――。
「ダメです。逃げたら損をするのはどちらか、わからないわけではないでしょう? 『好きなものは全力で奪いに行く。たとえ非道で汚い手を使っても』。それがあなたの執念ならば、最後まで貫き通せばいかがですか」
ギョッとした顔をして私を見上げるアデルさん。その形相はしかしすぐに怒りへと変わった。
「……やってやろうじゃないですか。わたしを侮辱して、いい加減許せません!」
(侮辱ではなく元のストーリーの一文を抜粋しただけだけれど、この煽りは効果覿面だったみたい)
そういうわけでアデルさんは私の挑発に乗り、決闘を受けてくれることに。
ラッセル殿下も渋りながらも頷いた。
と、それとほぼ同時。
「待たせたな、ローレル嬢!! 審判を連れてきた!」
転がり込むようにして裏庭へ一人……いや、二人の人物が現れた。
ニックと、彼に担がれていたらしい学園長だった。
学園長は貴族学園内で起きた揉め事を解決するのが仕事であり、決闘も例外ではない。
学園内の決闘が始まれば審判になるのが決まりなのだ。
「でもそんな慌てて連れて来なくても……。少しくらい待てましたよ?」
「勝負は熱いうちにやるものだ!! さあ!!!」
いつになく大声量なニック。なぜか彼の方が気合いが入っている気がする。
一方で先ほどまで担がれていた割には冷静な学園長が、厳かに口を開いた。
「双方の合意があったものと認める。挑戦者は公爵令嬢ローレル・フィブゼット、対するは第二王子ラッセル・ミュワ・コルガン殿下と男爵令嬢アデル・ウォーラムの二名。
攻撃手段は相手を死亡させない限り、どのようなものでも構わない。先に相手に負けを認めさせた者の勝利とする。――では、決闘を開始せよ」
その合図の直後、私は迷わず制服を脱いだ。
脱ぎ去った制服の中、それまで押し込められていた二の腕の筋肉がまるで膨張したかのようになり、逞しい胸筋と鍛え過ぎて割れてしまった腹筋が薄い下着のドレス越しに顕になる。
少年らしい反応と言えるだろう、ラッセル殿下の視線が釘付けになってしまった一方で、アデルさんはといえば「ぎゃっ」と悲鳴を上げながら飛びすさった――ように見せかけて、スカートの中から何かを取り出し、投げてくる。
(あれは……コイン!?)
それなりの重量がありそうな金貨三枚ほど同時に飛来する。
まさかスカートの中にそんなものを入れているとは夢にも思わず、驚きを隠せない。おそらく常に自分が有利に立つためや何らかの交渉で使うために隠し持っていたものなのだろう。
それを武器に変えようという発想自体はなかなかにいい線をいっていると思う。しかしその狙いはめちゃくちゃで、かろうじて私の顔が狙いなのだとわかる程度。
あれくらいなら――。
「ふんッ!」
腕を振りかざして一気に叩き落とすだけで事足りる。
それを見て、驚きに固まるアデルさん。その間に私はまずラッセル殿下の元へ。
「ひっ」
先ほど金貨を叩き落とした挙動だけで私の強さがわかったのだろう。
腰を抜かして座り込むラッセル殿下へ、私はにっこりと微笑んで見せた。
「殿下お望みの決闘、お楽しみいただけていますか? 私の恨みはずいぶん大きいんですよ」
「ば、化け物……」
「失礼ですね。男爵令嬢を虐げた悪女の次は化け物呼ばわりですか。まあ別にいいですけれどもね。
ああそうそう、ラッセル殿下、一つ知らせたいことがあったんでした。アデルさんを婚約者にするのはやめておいた方がいいですよ。彼女、相当なビッチ……男好きですから。あなたの眼鏡貴公子な側近候補様にも抱かれていらっしゃるとの噂があります。お調べになってみては?」
ラッセル殿下が息を呑み、ちらりとアデルさんを見る。
彼女は慌ててガサゴソと次の金貨を漁っているところで、その視線には気づいていないようだったけれど。
「では、おやすみなさい。せいぜいご自分の所業を後悔してくださいね」
座り込む彼の股間をヒールで思い切り蹴り上げれば、悶絶しながら彼は意識を失った。
……さて、これで一人片付いた。次は私の後頭部目掛けて懲りもせずに金貨を投げてこようとしているアデルさんに一発お見舞いするとしよう。
振り返った私は白金の髪を鞭のように振るうことで今度は金貨の軌道を明後日の方向にずらしてから、アデルさんに歩み寄った。
「こ、来ないで! 何ですか、何なんですかローレル様! 急にそんな筋肉女になってどういうつもりなんです!?」
「理由を答えるとするならばあなたの顔面に拳を埋めるためですかね。結構苦労しましたよ、ここまで。私あんまり頭が良くないので、元のストーリー通りに商人として隣国で成り上がることはおろかろくに冤罪の証明もできなくて。幸せになるのが最大の復讐とかいいますけどそれが無理ならもうパワーでいくしかないかなって」
おそらく今の言葉の半分はアデルさんには理解不能だったに違いない。アデルさんは理解できないものを見る目で私を睨みつけたが、その小柄な体は震えを隠せていなかった。
「そんなんじゃ、本当にあなたはわたしをいじめたことに!」
そんなことを言ってしまってはまるで、今までの私のいじめとやらが偽りだったと言っているようだということにアデルさんは気づいていない。
まあ別にどうでもいいが。
「何を勘違いしているんですか。これは決闘。か弱い女の子だからって手加減してあげる理由なんて何もないんですよ?」
「待っ――」
「待たない」
拳がアデルさんの顔にめり込んだ瞬間、ゴンッと鈍い音がし、どろりと右拳に血が付着した。
「がぁぁぁッ」
地面に倒れ込み、全身をビクッと震わせながら痛みに悶えるアデルさん。
しかしこれで終わったりはしない。私は彼女へ静かに告げる。
「今から投げかける質問に全て正直に答えたら許してあげます。ですが嘘を吐いたらあなたの可愛い顔はぐちゃぐちゃになります。ではいきますよ?」
問いかけはたったの五つ。
一つ、私がアデルさんをいじめたというのが事実か。二つ、それが嘘だとして、どうしてそのようなことを言ったのか。三つ、証人をいかにして籠絡したか。四つ、先ほど投げた金貨の具体的な使い道。それは王家を傾けるための行為であったか否か。
最初の一撃があまりに痛かったのか、それとも顔面崩壊するのがそれほどに嫌だったのか。
私が脅すまでもなく想像以上にすんなりと答えたアデルさんは、自分の今までの行動が私を貶めるためのものだったと認めた。
「いいとこの令息を捕まえようと思ってたら王子様に出会って恋したの……。だから欲しくなっただけ。体を売って裏でお金をやり取りしてでも欲しくて……!! ごべんなざい、ずみまぜんでじだぁぁ!! ゆるじでくだざい……!」
最後は泣きじゃくり過ぎて聞き取りづらかったが、まあ大体これでいいだろう。
私が拳を収めたとほぼ同時、学園長が「以上をもって決闘を終了する」と言った。アデルさんの涙ながらの懇願が敗北宣言と受け取られたらしい。
「ざまぁ!」
ずいぶんと呆気ない決闘ではあったが、達成感はものすごいものだった。
「勝った! 勝ちましたよニック!!」
「良かった、貴女を鍛えた甲斐があったとオレも嬉しい限りだ!!」
ぎゅっと手を握り合って互いに歓喜する私とニック。
そうして勝利の味を噛み締めながら、思う。
(あの時、ニックの手をとって本当に良かった)
訓練は厳しかったし、元々の悪役令嬢ローレルとは似ても似つかない体型になってしまったけれど、それでも全く構わなかった。
地獄のような鍛錬を経て、やっと無念を晴らせたのだから。
「ニック、今までありがとうございました。おかげで私はここまで強くなれました」
もう何の悔いもない。このまま学園を卒業し、この鍛え上げた体を使って何か働きたいと思っている。
それならたとえ嫁ぎ先が見つからなくても生きていけるはず。こんなガチムチ女を娶ろうなんて思う令息は、そうそういないだろうし――。
「待ってくれ!!」
だが、なぜかニックに強く呼び止められた。
一体何だろう。わけがわからず、私は首を傾げるしかない。
(まさかもう少し私と共にトレーニングの日々を過ごしたいとか、そういうこと……? それとももっと重要なことが)
「ローレル嬢! どうしても告げたいと思っていた言葉があったのを忘れていた!!! その、あの、オレはローレル嬢を、花嫁に迎え入れたいと、そう思っているのだが!!」
(――――――――――は?)
長い思考の空白の後、やっと口を開き、言った。
「あの……脳みそが全部筋肉になったんじゃありませんよね?」
なかなかにひどい言葉だと自分でも思うが、だってそうとしか思えない。
私がニックの花嫁に?
少し待ってほしい。理解が追いつかな過ぎる。
そもそも普通、この世界における貴族子女は幼い頃に婚約を結んでいるものだ――アデルさんのような平民上がりを除いては。
だから貴族子息たちは彼女の物珍しさと付き合いやすさに惹かれて籠絡されていったのだろう。いくら彼女に攻略されなかったとはいえ、すでに婚約を結んでいるのはニックとて例外ではないはず。
それにどうして相手がよりにもよって私なのだろう?
落ちぶれた私を目とったところで今更何の利益も得られないはず。前世で暮らしていた国と違い、この国における貴族の婚約というのは家の利になるように結ぶのが普通であるから、ニックの意図が不明だった。
「オレは本気だ! 本気で貴女を好き、求婚している!」
「す、き? あなたが、私を?」
好きなんて言われたのは今までのローレルとしての生涯、そして前世も含めて初めてで、声が震えた。
「強くなるために努力し、弱音を吐いても諦めず、まっすぐ歩み続けた貴女の姿に心惹かれ、日に日に逞しくなっていく肉体、そして貴女の強さに魅了されてしまったんだ!」
赤い瞳をキラキラ輝かせながら熱く語るニック。
彼のイケメン具合が最大限発揮され、あまりの眩しさに目を焼かれると錯覚してしまうほどだった。
(やばい。これはやばい。無理無理無理っ)
あまりの眩しさと気恥ずかしさに目を逸らす。しかしそうするとすぐにニックの顔が私の真正面へやって来てしまい、結局見つめさせられてしまった。
苦し紛れに言葉を紡ぐ。
「婚約者の方はどうするんですか。もしかして私に惚れてその婚約者の方を捨ててまで婚約したいとか、言い出しませんよね?」
「オレは強い女性が好きだ! だから婚約者は強い女性にするとずっと前に決めていたのだが、なかなか見つからなくてな。貴女に出会えて本当に良かったと思っている!!」
そういえば、ニックの隣に誰か他の令嬢がいるような場面を一度も見た覚えはない。彼の言葉は本当なのだろう。
疑いようもないその事実を前に、かぁぁっと顔が赤くなるのを感じた。
だってニックはイケメンなのだ。それだけではなく、何もかも失った私に力を貸してくれ、スパルタなトレーニングを施し、見守り続けてくれていた。
そんな相手に迫られて拒否するなんて私はできない。どうしても、無理だった。
元のストーリーではモブキャラでしかないこんなガチムチ脳筋令息に絆されてしまったことを認めるのは癪だけれど。
「あ、あなたがそこまで言うなら考えてあげても――」
しかし少しだけロマンティックだった雰囲気は直後、ニックによって塗り替えられた。
「そうか! そうか!! ローレル嬢と婚約できるとは嬉しいな! これほど嬉しいことが他にあるか!? いや、ない!!!」
「うわぁっ?!」
筋肉だらけで元の二倍は重くなった私の体を軽々とお姫様抱っこした彼が、「早く父たちに知らせ、ローレル嬢のご両親にも許可をいただかねば!」と言いながらものすごい勢いで走り出す。
向かうは学園の外。通常の生徒であれば乗り越えられない高い柵を飛び越えてしまった。
「ちょっと何やってるんですか急に!? やばい、死にますって!」
「貴女を死なせたりはしない!!! 貴女はオレの唯一にして最高の花嫁になるのだからな!!」
「それならもっと丁重に扱ってぇぇぇぇ!!」
私の悲鳴が虚しく響き渡った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
そのあとの展開は目まぐるしかった。
ニックに担がれたままで彼の実家であるメイブル伯爵家、そしてフィブゼット公爵家へ赴き、挨拶を交わして即婚約するという信じられないような事態が発生。
私の実家も彼の家も意外にあっさりと――フィブゼット公爵家にしてみればもう嫁げなくなったと思っていた娘の婚約相手が見つかったのだから当然かも知れない――受け入れられてしまったのだった。
「馬車で五日分の距離を丸一日で走って往復するとか、どんな体力お化けですか。もはや人外レベルですよ」
「ローレル嬢もそのうちオレみたいになれるさ!」
さすがに人外レベルの体力お化けにはなりたくない。
――そんなこんなありつつ、決闘の翌々日の朝には学園に戻ってきた私たち。
昨日の決闘のことは学園中に知れ渡っているだろうなと思い、何を言われるかと身構えながら登校したところ、予想外の話が広がり、予想外の言葉を言われることになった。
「「「ローレル様、今まで本当に申し訳ございませんでした!!!」」」
真っ先に頭を下げてきたのは私の元取り巻き三人組。
一体何があったのかと問うてみれば、昨日の決闘の後にラッセル殿下とアデルさんの退学が決まったのだという。
アデルさんが自白した事柄についてを調べたところ、その証拠がボロボロと出て、彼女は責を問われて学園を追放。ウォーラム男爵家は平民に落とされた。
ラッセル殿下はアデルさんの言葉を丸呑みにし貴族社会の秩序を乱した罰として王位継承権剥奪の上で退学、その他アデルさんの協力者となった令息たちには謹慎の罰が課されたのだとか。
「ずいぶん派手なことになってたなんて……」
「殿下のことは残念だが、相応の報いだ。それよりローレル嬢の名誉が取り戻されたことの方が重要だろう!」
「そうですね。それでもムキムキ女と笑われるのは必至でしょうが」
しかし意外にそうはならなかった。
学園卒業までの間、今までの反動なのか何なのか学園卒業までの間ずっと令嬢たちに慕われまくることに。
どうやって筋肉を鍛えればいいのかと興味津々に聞かれるので困ってしまうが、悪い気分ではなかった。
「筋肉は力なり! やはり筋肉が全てを解決するようだな!!」
「THE脳筋の考えが正しいとは思いませんでしたよ」
私は苦笑しつつ、ニックの逞しい腕に自分の腕を絡めた。
本当にとんでもないことになったものだ。
ハマっていたラノベの世界に転生し、嵌められて婚約破棄回避に失敗したはずが、筋肉を鍛えたおかげであれよあれよあれよという間に騎士団長令息の花嫁だ。
色々あったけれど今は結構幸せなので、まあこんな珍奇な人生も悪くないかなと思ったりしている。
婚約破棄回避を失敗した悪役令嬢はガチムチイケメンに鍛え直される 柴野 @yabukawayuzu
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