特別なありがとうを君へ~妻と娘~

 彼はありがとうを言うのが大好きだ。ことあるごとにありがとうを言う。

そんな彼には人に言うありがとうの他に”特別なありがとう”がある。

それは特別な日に一年分のありがとうを言うこと。

彼は今までに50回の特別なありがとうを言っている。

この50回のありがとうとは。ご覧あれ。


 僕は憧れの女性に告白した。

「僕と付き合って下さい」頭を下げて右手を差し出した。

右手に柔らかい感触が伝わり頭を上げると、女性は「はい、お願いします」と笑顔で返事をしてくれた。僕は心の底から「ありがとう」という言葉が出た。これが1回目。それから結婚するまでに5回。プロポーズした時に「私もあなたと一緒に歩みたい」と言われた。その時も心の底から”ありがとう”が出た。彼女も「ありがとう」と言ってくれた。「毎年、結婚記念日に”ありがとう”と言ってね」と彼女は付け加えた。その言葉を守って今年で24回目になる。その間にもありがとうを20回重ねている。それは、子供が生まれた時。

 ある日妻は、白い細長い楕円形の物に丸い小窓が2つあり、その両方に赤い線が出ていた。「妊娠したと思う」その言葉に舞い上がり”ありがとう”を言えなかったのは少し悔いが残る。あまりの舞い上がり様に

「そんなに喜んでくれてありがとう」と妻は笑いながら言った。

それから十月十日(とつきとうか)。予定日を1日過ぎた時、女の子が産まれた。

命がけの出産を頑張った妻に感動の涙と共に「ありがとう。お疲れ様」

出産を終えベッドに横たわる妻は美しかった。

そして生まれたばかりの娘に「パパ、ママのもとに来てくれてありがと」と言った。

 それからは結婚記念日と娘の誕生日に特別なありがとうを言っていた。反抗期であっても・・・。

その後、娘は都会の大学へ進学、誕生日に帰ってくることはなく、18年目を最後に娘の誕生日の特別なありがとうは止まった。

娘への特別なありがとうが止まっている間にも妻への特別なありがとうは続いている。

 18歳で家を出てから7年目になった頃、娘にとって大事な人連れてきた。

妻は玄関で出迎え「どうぞ、いらっしゃい」

娘の大事な人は「は、初めまして。む、娘さんとお付き合いさせて頂いております」と大声で言った後、勢いよくお辞儀をした。

娘は「何も玄関で言わなくても」と笑う。妻もつられて笑う。妻の後ろで見ていた僕もつられて吹き出す。娘の彼氏はお辞儀を解き顔を上げて笑う。

妻は後ろを向き「あらお父さん、上がってもらっていいかしら?」と言う言葉に僕は頷く。「さぁ、どうぞ上がってください」と妻は娘の彼氏を促した。

娘の彼氏はこれまた大声で「失礼致します」とさっきよりも深くお辞儀をした。

娘は「なに緊張してるの」と肩を叩き笑った。お辞儀を解いた娘の彼氏は顔を真っ赤にして、後頭部を掻いた。それを見た妻が笑う。僕も笑う。

「いつまで玄関にいるつもりだい。慌てずに上がって来なさい」

「あ、ありがとうございます」

娘と彼氏はお互いの顔を見て笑い、慌てずゆっくりと上がってきた。

リビングのソファーに僕たちは座り対面した。娘は彼氏を紹介し、続いて僕たちを紹介した。その間、娘の彼氏の顔がまだ赤いことに気付いて下を向いている妻を肘でつついた。娘の彼氏だけ異様に緊張している様に見えたので「まぁ、そう緊張せずに。君のおかげで私たちも緊張が解けました」

「お父さん、緊張してたの?」と笑う娘に「当たり前だろう」と言い返した。

一瞬の沈黙の後、娘が彼氏の顔を見て、「お口に合えばいいのですが・・・」と恐縮しながら娘の彼氏は手土産を差し出した。

「あら、ありがとうございます。気を使わなくていいのに」

「気を使って頂いて、ありがとう」

妻は手土産を受け取り、お茶の準備の為席を外した。娘も手伝う為席を外す。

 初対面の男2人。何を喋ろうか思案していると娘の彼氏から

「あの、娘さんから18歳まで毎年誕生日に”ありがとう”を言うと聞いています。すごく素敵なことで、感銘を受けています。なぜ毎年言っているのか教えていただいても・・・」

「そのことか」と笑い、その理由を説明した。

「私は、”ありがとう”という言葉に特別感を持っていてね。感謝の言葉ではあるけど、人の心を温かくするとも思っているんだ。娘に18年間言っていたのは、生まれて来てくれた感謝、元気に育ってくれている感謝、私と妻を親にしてくれた感謝、新しい景色を見せてくれた感謝。色々な感謝を娘が生まれた日に言って、命の尊さ、育児の大変さを振り返り、また一年親として気を引き締めるという意味も込めているんだよ。これで説明になったかな」

娘の彼氏は目に涙を溜めて「素晴らしいです」と震える声で言った。

お茶を持ってきた2人は、目頭を押さえて下を向いている娘の彼氏を見て驚いた表情をしている。

「お父さん、何か言ったの?」と娘は僕を睨む。

「違うんだ。君が言っていた話を聞いて感動してしまって」と震える声で言った。

娘の彼氏は立ち上げり「これ程大切にされている娘さんとの結婚を許してください」と大声で言い、頭を下げた。娘もテーブルにトレイを置き頭を下げた。

妻はトレイを持ったまま僕の方を見て頷き「頭を上げて、座りなさい。お母さんも座って」と僕は言った。

3人が座るのを確認してから、僕は「娘をよろしくお願いします」と頭を下げ、妻もそれに続いた。

「ありがとうございます」と大声で言い、頭を下げた娘の彼氏。

「ありがとう。お父さん、お母さん」と涙声の娘も頭を下げた。

「なんだか、頭を下げてばかりだな」と僕が笑うと妻も笑った。

頭を上げた娘と彼氏も笑った。

「そうね。本当にいい人に出会えたのね。良かったわ、秋葉」と瞳に溜まった涙を妻はハンカチで拭った。それからお茶を飲みながら馴れ初め話などを聞いて、夕方頃に秋葉と彼氏は帰って行った。

 妻は台所で片付けをし終わり、秋葉の彼氏が持ってきた手土産を開けた。

「あら、同じだわ」手土産を見つめる妻

僕は台所に向かい同じく手土産を見た。

「同じって・・・」と妻が言う。

「同じだ」と僕も呟く。僕と妻は顔を見合わせて笑った。

「でも、食べてたよね」と妻

「食べてたね」と僕

さらにおかしくなり、お腹を抱えて笑った。

「これなら、秋葉も幸せになるね」肩で息をしながら、途切れ途切れに言った。

妻は頷く事しか出来なかったが、同意見のようだ。

それからの秋葉たちは忙しくも結婚式の準備を進めている。その間に両家顔合わせがあり、秋葉の彼氏のご両親もすごくいい人だった。

刻一刻と結婚式が近づく中、秋葉の思い出を語る機会が増えている。

それと共に娘の旅立つ足音が段々と大きくなってくるのを感じながら日々を過ごし、ついに結婚式前日にたどり着いた。

 ささやかながら、お祝いパーティー。妻のいつもの料理が並ぶ。

「秋葉、おめでとう。乾杯」とグラスを合わせる。

妻も「おめでとう」と言い、秋葉を見た。

目に少しだけ涙を溜めて「ありがとう」と言う娘に成長を感じた。

娘と思って過ごす最後の時間に感謝しながら、夜は更けていった。

 翌日の結婚式は滞りなく進み、披露宴のグランドフィナーレまで来た。

娘と歩いたバージンロードが昔のことのように思える程に一瞬にして時間が過ぎてしまった。

新郎で秋葉の夫の良介君が「本来は私の父が最後のあいさつをするところですが、その前に秋葉さんのお義父さんから秋葉さんへの言葉をお願いします」

 この振りの数時間前、妻は着付け、娘は別室で準備をしている頃、新婦側の部屋がノックされた。そこには秋葉の夫の良介君がいた。

「どうしたの?良介君」と言い、招き入れた。

部屋に入った良介君は「お義父さん、一つお願いがあるのですが・・・」と言い

「私の父の最後のあいさつの前にお義父さんから秋葉さんへありがとうの言葉を贈って欲しいのですが」

「急にどうした。もういらないだろう。今度は良介君が言う番だよ」と困惑する僕に良介君は「秋葉さんから聞きました。本当は秋葉さんへの”ありがとう”は20歳になる時までと。ですが、”18歳で止まってしまった”と言って後悔しています。お義父さんから最後2回の”ありがとう”を秋葉さんに送って頂けないでしょうか」

秋葉がそんな風に思っていたとは。式の前なのに泣いてしまう。頭を下げてお願いする良介君にも心を打たれる。

「わかった。引き受けるから頭を上げて」

「ありがどうございまず」と泣き声の良介君。

「泣くな。まだ、早いよ」

「そうですね」と涙と鼻水でぐちゃぐちゃ寸前の顔を上げた。

顔を見た僕は大笑い。ついでに良介君も笑う。楽しく、心優しい義理の息子を持った僕は幸せ者だ。妻もだけど。

妻と娘が戻る前に良介君を返し、秋葉へ贈る”ありがとう”を考える。式の間中ずっと考えて何も思い浮かばないまま、この振りになった。

式場のスタッフが僕にマイクを渡す。緊張で手が震える。肩に手が置かれた感覚。妻の手。安心が体中を包む。手の震えが止まる。”心のまま伝えよう”そう覚悟を決めマイクを口元へ。

「皆様、秋葉の父の太一でございます。隣におりますのは妻の静香です。新郎の良介君にお願いされまして、新郎のお父様の前に少しだけお時間を頂戴したいと思います。良介君、秋葉、結婚おめでとう。秋葉が生涯の伴侶と巡り合う時が来ることを25年前は想像も出来なかったです。立派に成長したことを父さん、母さんは誇りに思います。生まれてから18回の”ありがとう”を言ったのを覚えてますか?誕生日の日に1年分の”特別なありがとう”を言おうと決めて言い続けました。この”特別なありがとう”には意味があります。秋葉は覚えていますか?本来は20回言う予定でした。ですが18歳で家を離れて以降、言えていません。今日ここであと2回の”特別なありがとう”を秋葉に伝えます。秋葉、父さんと母さんのともに生まれてくれて感謝しています。元気に育ってくれたことも感謝しています。私と妻を親にしてくれたこと、新しい景色を見せてくれたこと、様々な経験をさせてくれたこと、色々な感謝を込めてありがとうを伝えていました。改めて、ありがとう秋葉。そして、生涯の伴侶に出会い、新たな家族を作る覚悟を決めたことを嬉しく思います。

 秋葉は今幸せですか?良介君と一緒にいて幸せですか?私は幸せです。秋葉が私たちのもとに生まれてきたこと、秋葉が成長したこと、秋葉が25年間親でいさせてくれたこと、秋葉が新しい景色を見せ続けたこと、生涯の伴侶を連れてきたこと、私たちのもとを旅立つこと、すべてに感謝です。秋葉、立派になったね。ここに妻と立ち娘を送り出すことが出来たことにも感謝です。本当にありがとう。秋葉、良介君と幸せになってください。最後になりますが、良介君。秋葉をよろしく頼みます」

話し終わり、頭を来賓に向けて下げた。一瞬の沈黙の後大きな拍手が沸き起こった。

秋葉を見れば泣いている。妻も泣いている。安堵感からか泣きそうになる。

泣きそうな僕の隣に良介君が「お義父さん」と僕の手を握ってきた。

良介君の顔を見れば、大号泣。涙が引っ込んでしまった。

その後良介君のお父様から最後のあいさつがあり、締めのあいさつを良介君がしたが、良介君の大号泣っぷりに会場が爆笑。笑顔で結婚式は終了した。

 帰宅した僕と妻はダイニングテーブルを挟んで、今日の結婚式について話す。

「お父さんのスピーチ。私も同じことを思って泣いちゃった。良介君のお母様も感動したって。嬉しいね、そう言ってもらえて。だけど、良介君の大号泣ぶりに私笑いそうになっちゃったわよ」と笑う

「俺なんかせっかく終わって、秋葉とお母さんが泣いているのを見たら泣きそうだったのに良介君が手を握って来ての大号泣を見たら、涙が引っ込んだよ」と僕も笑う。

笑いが引け一瞬の静寂が訪れた。

「それにしても、粋なことをしてくれたね」と静寂を破る。

「そうね、私たちの結婚記念日に式を挙げるなんて」と感慨深く目を伏せる。

言うなら今と思い「静香さん、25年間の子育てご苦労様でした。そして25年間僕と一緒に人生を歩んでくれて、本当にありがとう。これからもよろしくお願いします」と頭を下げた。

「急に言わないでよ。びっくりするじゃない。でもありがとう。今年で25回目。あなたと25年間人生を共に歩んで楽しいことばかり、これからもよろしくお願いします」僕は頭を上げ、妻の手を握った。

「でも、まだ、下に2人いるから、まだまだ特別な日のありがとうは継続ね」

「そうだな。だけど、ひとまず秋葉への”特別なありがとう”は一旦終了かな」

妻と笑いあう。とそこにリビングのドアがバンと勢いよく開き、

「終わった?」と長男が聞いてきた。サッと妻の手を放し「おう、終わった、終わった」としどろもどろに答える。長男爆笑。

長男と共に一緒に入ってきた次女も爆笑。妻も笑っている。僕も笑う。

 今、笑いあえているこの時間も、静香と出会い、共に歩んできたからこそ。

静香、僕と出会ってくれて、人生を共に歩んでくれて本当にありがとう。

僕の”特別なありがとう”はいつも心に中で言っている。


 いかがだったでしょうか?彼の”特別なありがとう”は。彼のありがとうは何ら特別ではありません。だけど心を込めて特別な日に”ありがとう”を言うのは素敵ではないでしょうか?

 この彼を見た後で、あなたも言ってみてはいかがでしょうか?

”特別なありがとう”を・・・。

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特別なありがとうを君へ(ショートストーリー) 桜輪英和 @sakurawahidekazu

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