第2話

 喫茶店に入ると、普段からお世辞にも多いとは言い難い客入りだが、今日は一段と少なかった。このお店は、一番奥のテーブル席とカウンター席以外のテーブル席は衝立で区切られているが、立つと隣の席が見える位の高さであるため、入店時にお店の全ての席を見渡せる。お客さんは僕らの他に一組、スーツを着た男性二人組が居ただけだった。いつもなら多少の雑音がある方が集中できるため、人は多い方がいいのだが、今日は人目を避けたいので運が良かった。お店のマスターとは、注文時以外で喋ったことは殆ど無いが、僕を認識してくれていたようで、女の子と来ているからなのか驚いた顔の後、わかりやすくニヤニヤとしていた。誤解を解きたいが、急に喋りかけるのも気が引けるので、ここは無表情を貫く。嘉根さんの件が無事に終わって何かきっかけがあれば説明できるのだが、以降は恐らく勘違いされたまま通うことになるのかと思うと少々辛い。この喫茶店は空いている席に自由に座っていいシステムだと認識しているのだが、マスターがニコニコしながら一番奥のテーブル席に指さしている。ここに座れという事だろうか。嘉根さんが人目を気にしているのでありがたいのだが、強面のマスターが意外にも学生の色恋沙汰が好きな人だとは知らなかった。奥に座らない理由もないので、マスターに会釈をしてテーブル席に着く。嘉根さんはマスターに自分が僕の彼女だと勘違いされていることも知らずに

「あの人がここの店主さんかな、芽島くんの事見てニコニコしてた気がする。結構仲良いのね、いい人そう」

などと言ってくる。いつもはご自慢のヒゲに櫛を通しているか奥にあるテレビ見てるかで、お客が入ってきても席案内なんてしている所を見たことない。メニュー表を開くよりも早く、マスターがお冷を手にやってくる。いつもは注文をお願いするときにようやく持ってくるのに、なんて分かりやすい人なんだ。そのままオーダーを取ろうとしてか、メモ帳とペンを手にこちらを細い目で見つめてくる。嘉根さんは慣れない店だからだろう、あたふたしながらメニュー表を見ている。マスターはニコニコしながらパンケーキをオススメしているが、実はあのパンケーキは初見殺しだ。メニュー表で見ると可愛らしいサイズなのだが、実際は一般的なピザ一枚よりも大きい。シェア前提のメニューならメニュー表に書いておくべきだ。初見殺しに引っかかり一人ぼっちで完食しなければならなかった僕のような被害者を少しでも減らすために。ホットケーキへの恨みで頭が満たされていると、嘉根さんはオーダーし終わったようで僕を見つめていた。マスターにいつものようにミックスジュースをお願いしようと口を開いた瞬間、僕の言葉を遮るようにマスターが

「君はいつものブラックコーヒーでいいよね?」

と聞いてきた。そんな、誰と間違えているんだ。ブラックコーヒーなんて僕飲んだこと無いぞ。慌てて否定しようとマスターを見ると、ナイスなパスをしたでしょう?とでも言いたげなウインクを寄越してきた。僕は喫茶店で勉強することを黙認してもらっている立場であり、マスターと大して親しいわけではない。ここでマスターの気遣いを無碍にして恥をかかせてしまっては後々来るのが苦になるし、苦いのが好みではないだけでブラックコーヒーは飲めるので、待望のミックスジュースを飲めないのは不本意ではあるが、ブラックコーヒーでカッコつけさせようとしているであろうマスターの勘違いの提案を呑む事にした。

 注文が終わり、ウキウキしながら厨房へ戻るマスターを恨めし気に見つめていると嘉根さんが口を開いた。

「ほんとにごめんね。でも、同じクラスで頼りにできるのって芽島君しかいなくて」

僕が一番のカモだったってことだろう。いつも勝手に掃除当番を代わって、休み時間は静かに塾のテキストを見ているから、チョロそうだと舐められることは仕方ないことではある。どういう風にしてこの陰湿ないじめをやり過ごすつもりなのだろうか。嘉根さんの意見を聞こうと言葉を待つ。

「実は」

来るぞ、いや、こういう時ってどういう顔をすればいいんだ。いや、待てよ。もし、全くいじめなんて関係無くて、勉強を教えてほしい等のお願いだったらどうする。しかし、その程度のお願いなら抱き着いたり、腕を組んだりする必要はなかったはず。まさか、嘉根さんは僕のことが本当に好きだったりするのか。

次に来る嘉根さんの言葉に期待をして、リップで光る唇に視線が吸われる。

「芽島君に、A組にかけられた理不尽な冤罪の真相を暴いてほしいの。」

思考が3秒ほど止まった。予想外にもほどがある、そういった事は探偵にでも頼めばいいだろうに。何故僕にそんな事をという疑問と同時に、いじめだとか、剰え僕に好意を抱いているのかもしれない等と考えてしまっていた自分の浅はかさに恥ずかしくなり、彼女に対して申し訳なさを抱いた。彼女に僕の勘違いから来た羞恥心や罪悪感を伝えても困惑するだけだろうし、彼女はそんな空気ではないので、詳しく話を聞くのが先決だ。

「僕は冤罪なんて何も知らないから力になれないと思うけど。理不尽っていうのは一体何のことなんだ。」

そう聞くと嘉根さんはハッとした様子で

「あ、ごめん。あまりにも言葉不足よね。説明とか苦手だから、わかりにくかったらその都度聞いてね。

実は、夏休みまでに学校で起きたA組の仕業とされている事件の数々の真相を調べないと、A組の夏休みは最後の週以外が補習になってしまうの。君は成績がいいけれど、A組全体としてはいい成績とは言えないでしょ。だから連帯責任として、夏休み補習の計画が進んでいるらしいの。もう教頭先生にまで話が進んでいるらしくて、後は校長先生が承認するだけだからほとんど確定事項らしいの。パパのスマホにそう書かれたメールがあったわ。」

なるほど、何故そんな事を知っているのかと思ったがそういう事なら合点がいく。

確か嘉根さんのお父様は大企業の重役で、政治家のお偉いさんと幼馴染だか何だかで仲良しだと聞く。恐らくそこの繋がりで高校の情報が入ってくるのだろう、嘉根さんは行事などの内容を先に仲良しグループにリークしたりしていた。大きな声で話すものだから、僕も今年の学年旅行の行き先が長野でスキーか沖縄の二択だと知ってしまった。情報の出所が親とは言えども、一応学校の情報が公開前に漏れてしまうのはいかがなものかと思っていたが、行事の情報しか流さないようなのでセーフなのかもしれない。何にせよ、僕には関係のないことだ。

 それより、A組の夏休みが無くなるというのはどういうことだろう。言葉のままなのだろうけど、連帯責任という事は僕も強制参加なのだろうか。いつも勉強よりも部活に打ち込んでいるクラスの人たちは成績から考えると必要だろうけど、嘉根さんの言う通り僕には必要無いし、夏休みは塾の予定が詰まっているから困ってしまう。嘉根さんもきっとあんな急に抱きついたりするあたり焦っているのだろうから、ゆっくりお話しをして何が言いたいのかを紐解いていこう。

「ええと、A組の夏休みが無くなるというのは大層不服だけどいったんは飲み込もう。それもA組の冤罪でだよね。その冤罪っていうのはいったい何のことかな。」

僕は可能な限りゆっくりと喋り、彼女をリラックス出来るように努めた。彼女が何回か深呼吸をすると、先程の頼りなくアタフタした様子がガラッと変わり、長い足を組んで話し始めた。

「はぁ〜。この喫茶店は本当に落ち着くね。コーヒー豆の香りにあまぁいパンケーキを焼くに香りが本当に最高。早く伝えなきゃって思いが先行してパニックになってちゃったみたいで、ごめんね。」

そういう彼女は僕がいつも自分の席から見る、クラスの主要グループの中心で微笑みながら友人と話している彼女の顔だった。

落ち着くだけで人が変わったように雰囲気が変わったと思うと同時に、学校で悪天候に見舞われ、雷の音が教室に鳴り響いた時、頻繁にお手洗いに向かっていたのはパニック状態から回復するためだったのかもしれないと合点がいった。彼女は、結露の流れ落ちるコップに入ったお水で唇を潤わせてから、こちらをまっすぐ見つめる。

「A組が主犯だとされている学内の事件の数々は、A組の誰も関与していないはずなの。そのせいで夏休みが無くなる予定だから、容疑を晴らすことが出来れば先生たちもA組を責める理由が無くて撤廃するはず。だから冤罪を晴らしてほしいの。」

彼女は真剣な顔つきでこちらをまっすぐ捉えて説明する。なるほど、A組の人間にかけられた冤罪というのは複数あるのか。僕が知っている冤罪というか、事件はサッカー部の川中君が使われていない井戸の蓋を壊したことくらいだが。

「わかった、僕にできることがあるかは分からないが協力する。でも、僕が知っている事件は先月に起こった、井戸の蓋が壊された件くらいだよ。わざわざホームルームで前に呼び出されて怒鳴られて、部活に行きたい無関係の人達もイライラしていて、さすがに気の毒だったのを覚えている。あれも冤罪なのだと仮定して、他にはどんな疑いがかけられているんだ。」

そう彼女に尋ねたタイミングで、マスターが注文品を持ってきた。

「お待たせしました、ご注文のホットケーキとホットコーヒー、ミックスジュースです。」

三、四人分はありそうな大きな大きなホットケーキをテーブルの真ん中に置いて横にとり皿を置き、ミックスジュースを嘉根さんの方に、ブラックコーヒーを僕の方に置いて満足そうに微笑み、伝票を立て

「ごゆっくり、どうぞ」

と後ろ姿でもわかる位、上機嫌で去っていった。

「うわぁ~、大きなホットケーキ!食べきれるかしら、芽島君も食べるの手伝ってね。」

そう言いながら彼女は早速、ホットケーキをケーキナイフとフォークで分け始めた。きれいに四等分に切り分け、二つを斜めに美しく重ねてお皿に取り、フォークと共に僕の方に差し出した。まるで切って提供されたように美しく盛り付けられている。僕は彼女にお礼を言い、別添えの半分に分けられたバターをホットケーキに乗せ、熱でバターとケーキの境目がわからなくなっていくところに、テーブル席に置いてあるメープルシロップを、ホットケーキの表面が全面濡れるくらいかける。そして、一口サイズよりも一回りくらいに大きいサイズに切り分け、口いっぱいにバターとメープルの味を味わう。

彼女は、残りの半分を自分のお皿に乗せ、バターをほんの少しつけて、一口サイズの半分くらいに小さくケーキナイフで分けて、口へ運ぶ。静かに咀嚼しながら微笑み、飲み込んで、こちらを見る。話の続きをしてくれるのだろうか。

「勘違いだったら申し訳ないんだけど、芽島君ブラックコーヒー飲めないよね?」

あまりに予想外な発言に、思わず食べていたホットケーキが飛び出て咽せてしまいそうになるが、グッと口を固くし堪える。驚いた。別に隠すつもりは全くなかったけれど、マスターが淹れてくれた以上、飲む覚悟はしていた。ソーサーに添えられた砂糖とミルクを追加しても、僕には苦すぎて美味しく頂けない。

「飲めないよ。実を言うと、マスターが変な気を遣って用意してくれたみたいだけれど、僕がいつも飲むのは君がマスターに勧められた甘いミックスジュースだよ。用意してもらったからには、飲もうとは思っていたけどね。」

マスターには悪いが隠さず打ち明ける。飲めないものは仕方ない。すると、彼女はミックスジュースを手に、こちらへ身を乗り出し

「よかったら交換しよう。私まだ口つけてないし、今はコーヒーの気分なの。」

ありがたい申し出だが、ブラックコーヒーを好んで飲む人が周りに居ないため、無理をしていないか心配になる。

「もちろんだよ。ありがたいけど、気を遣ってたりはしていないか」

そういうと、彼女は手に持っていたミックスジュースと僕のそばにあったコーヒーを取り替えた。

「気なんて遣ってないわ、芽島くんが良いなら交渉成立ね。」

僕からすれば、最高にラッキーである。我慢して飲むつもりだったコーヒーは飲む必要がなく、飲みたかったミックスジュースが飲める。彼女は、砂糖もミルクも入れずに、ブラックコーヒーに口をつける。もしかして、嘉根さん、甘い物が苦手だったのか。ホットケーキにもメイプルシロップなどを追加していない。しかし、いつも放課後になると友人たちとアイス屋さんやケーキ屋さんに行く話をしていたから、甘いものが好きなんだと思っていた。その行動に納得していると、彼女は半分ほど飲んだコーヒーを置き、先ほどの話の続きを始める。

「さて、冤罪は全部で三つあるわ。

一つは芽島くんも知っている、井戸の蓋をサッカー部の川中くんが壊したって疑われている件。

二つ目は理科室の人体模型の腕が左右入れ替えるイタズラをしたのに謝らない、とサイエンス部の有馬くんが怒られている件。

最後は、前期の内の数ヶ月だけ担任をもってくれた宮内先生を、陰湿なイジメで休職に男子グループと女子グループの共同で追いやったと疑われている件ね。」

井戸の件以外はクラス全体に対して注意がなかったため、知らなかったな。今、休職中の先生に関しても、鬱でお休みだと聞いていたが、その理由にクラスメイトが関わっているなんて全く知らなかった。

 それにしても、生徒の問題行為で夏休みが補習に変えられるものなのだろうか。

「これ、クラス全体を巻き込んだ夏休み没収という罰は釣り合っていないよね」

僕が思わずそう呟くと彼女は微かに微笑んで

「そう。同じ考えでよかった。どう考えても処分が重すぎるよね。それに、これだけ学内で問題を起こしているとしたら、きっと通学電車内や近隣の方やお店からも苦情が来ていると思うの。でもそんな話は聞かないし、川中くんや有馬くんがそんな事するとは思えないのよね。」

そういうと彼女は黙って考え込んでしまった。考えていても仕方ない、やっていないならやっていないと言うだろう。

「聞いてみようよ。当事者たちに。」

そう言うと、彼女には予想外の言葉だったようで数秒固まった後、微笑んで

「芽島くんに声をかけて正解だった、私だったらそんな勇気ないからさ。本当に話が早くて助かる。

それで、夏休みが始まるまでに解決しなきゃいけないから、行動は早ければ早いほどいいんだけど、芽島くんって忙しいよね。部活も入ってないし、いつも塾の課題やってるし。」

夏休みが始まるまでということは、今日が月曜日で夏休みは来週の火曜日からなので、およそ一週間か。

「塾があるのは月曜と水曜だけだよ。他の日はいつも自習室に行っていただけだから、夏休みが無くなるよりは、その時間を解決に向けて費やした方がいい。ただ、家の用事があるから、七時には家に帰りたいな。」

そう僕が言うと、彼女は軽く頷いて

「決まりね」

と呟き、残りのホットケーキを切り分けながら優雅に食べた。当事者に話を聞けるのは明日からだろうから、今日中に終わらせられる用事は終わらせておこう。今日の塾の授業が終わったら課題もその場で終わらせてしまおう。僕は今日の予定を立てながら、ミックスジュースでホットケーキを流し込んだ。

「本当に美味しかった!良いお店を知れて良かったわ。それから、今日はいろいろとごめんね。ややこしいことに協力してもらうことになっちゃったし。今日は予定があるだろうから、明日からどうやって解決するかを話し合おう。」

僕は頷いて同意する。ふと今は何時なのか気になり店内の時計を見ると、思ったより喋っていたようで、時計の針は五時四十五分を指していた。今日は六時から塾が始まってしまうので急いがなければならない。丁度話もまとまったところなので、そろそろ出ようと提案する。

「そうね、そろそろ出ましょう。」

そう言いながら彼女は伝票を手に持ち、立ち上がってレジがあるカウンターへ向かう。僕も急いで追いかける様に向かう。マスターが会計金額を提示し、財布を出そうとすると彼女は

「私が払うよ。」

と言い慣れたように会計を始めようとする。いやいや、困るけど。

「いや、僕もバイトはしているから割り勘にしよう。変に貸しを作りたくない。」

そう言って会計の半分を彼女に渡そうとするが、押し返される。彼女は予想外のことが起きたような顔をしている。僕は何も変なことをしていないのに。

「で、でも、それじゃあ、私が今日、無理にお願いしただけになってしまうわ。この件にかかるお金は、全て私が負担する予定にしていたんだけれど。」

彼女は断られると思っていなかったようで、少し狼狽しながら僕に言う。そう言われても、お金で解決されるのは少し違う。

「僕はそんなことをされなくとも、君に協力したよ。申し訳ないと思う必要はないけど、気になるなら他のことで頼むよ。」

そういうと、彼女は納得はしていなさそうだが、喫茶代の半分を受け取ってくれた。

無事に会計を済ませて喫茶店を後にする。定時上がりの会社員や部活終わりの学生が駅から大量に出てくるのが見える。

「じゃあ、明日からよろしくね。学校でも声かけると思うけど、よろしく。」

そういうと彼女は、振り返って手を振りながら、駅へと吸い込まれていった。僕は急がなければならないのに、何故か、彼女が人で見えなくなるまで見つめていた。

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【カクヨムコン10応募作品】青春の冤罪と恋愛 踊川 虻 @TanaKataNakata55

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