【カクヨムコン10応募作品】青春の冤罪と恋愛

踊川 虻

第1話

 今期、僕たちに残された日数は七日。

今日を含めて五日間は学校があり、土曜日と日曜日を過ごして夏休みを迎える、はずだった。

この僅かな日数で、A組にかけられた冤罪の真相を暴けなければ僕らに夏休みは来ない。


「じゃ、これにてホームルームは終わり。来週から夏休みだが、気を抜いてバカな真似はしないように。号令。」

担任の乙訓先生が僕にちらと視線を向けたので、立ち上がって号令をかける。

「起立、礼。ありがとうございました。」

学級委員長としての役目を務め、自分の荷物をまとめる。部活動に所属している者たちは走って教室を飛び出していく。ホームルームの最中も腰を浮かしてソワソワしていたのは見えていた。バタバタと走って教室を出て危険を顧みず廊下を走った速度のまま階段を駆け降りていき危ない思いをしても、目的地の部活棟のまわりが混雑しているのだから、歩いて安全に向かったとしても部活棟に到達するまでの時間はトータルでは変わらない。無駄に怪我のリスクが跳ね上がるだけだ。部室に着くタイムが大幅に短縮される訳でもないのに、なぜそんなことをするのか。

 いつも通りホームルームを終え、いつも通り掃除当番を代わってやり、いつも通り日誌を先生へと届け、そのまま塾へと行くルーティーン。私立金切高校の普通科に通って二年。一年生の頃から毎日欠かさず続けている。

掃除ロッカーを開き、ちりとりと箒を取り出す。教室の端から丁寧に箒でゴミを集めていく。野球部に所属している田代君の机の下には、いつも大量に消しゴムのカスが落ちている。どうして集めて捨てずに下に落とすのだろう。前に聞いた時は、うっかり落としてしまったと言うが、よく分からない。教室の角に箒の端を合わせてゴミをかき出す。多くの人は面倒だと感じる掃除だが、僕は苦痛に感じない。当番を代わってやるメリットはたくさんある。掃除をするだけで感謝され、適当に掃除をするフリで誤魔化して帰られるよりも、初めから僕が綺麗にする方が効率がいい。僕が好きにやっているだけなのに、教師からの評価が勝手に上がる。

汚い教室で勉強をするだなんて集中力が散る一方で良い事など一つもない。掃き掃除を終え、ちりとりのゴミをゴミ箱へと流し入れる。ゴミ箱の中はホームルーム前に捨てているので、入っているゴミはちりとりのごみだけだ。

 学級委員の仕事である日誌は、ホームルーム前に書き終えているので、これを職員室に帰った先生に渡すだけ。ここまでが僕の放課後のルーティーン。僕は教科書と塾の宿題が入ったカバンを肩にかけ、教室の電気を消し、鍵を閉めて職員室へと向かう。


 学生棟三階にある教室から職員室のある一号棟へは、二階にある渡り廊下を通る必要がある。僕はこの渡り廊下が本当に苦手だ。渡り廊下の下に通る道は昇降口とグラウンドにある部活動室に繋がっており、その道中でのお喋りは廊下に窓がないため直接聞こえて非常にやかましい。横着して渡り廊下から大きな声で下を歩く部員を呼び止め、そのまましばらく喋っている者も多い。見かける度に注意をしているが、先輩だったときは見ていない振りをして直接文句を言いにいったりはしない。僕も上級生との厄介事は避けたい、ホームルームから少し時間が経過して部員たちが部活棟に到着したであろうというような誰も居ない時間を狙って通りたいのだ。

 誰も居ないことを願いながら廊下の角を曲がり、例の渡り廊下が視界に映る。そこには、一人の少女が渡り廊下の手すりから身を乗り出して空を見ていた。遠くからでは分からなかったが、近づくと輪郭がハッキリ見えて同じクラスの嘉根さんだと気付く。

 部活棟へ行く人に話しかけているわけでもないし、いい天気とは言い難い曇った空を見ているようだ。悩み事でもありそうな雰囲気だが、それを聞くのは僕の仕事ではないだろう。彼女は友達も多く、クラスの中心的な存在だ。相談に乗る相手は山ほどいるだろうし、僕は必要が無ければクラスの人とは話さないので信頼関係も築かれていない。まぁ、よく分からないが女の子の間では下から写真を撮ってそれをアイコンにするのが流行っているらしいし、そういった用事の友達でも待っているのだろう。そう思いながら、邪魔になってはいけないので嘉根さんの後ろを足早に通り過ぎる。嘉根さんは少しこちらへ視線を向けた気がしたが、僕は振り返らずに職員室へと向かった。


 渡り廊下から一号棟に入る扉はチェーンと南京錠で勝手に閉まらないよう固定されている。この扉のすぐ目の前が職員室だ。少しだけ息を整え、職員室へ入る際のマナーが貼られている扉をノックする。

「失礼します、二年A組の芽島悠です。乙訓先生に用事で参りました」

 いつも通りマナーを守って事務作業をしている先生達に呼びかけるが、誰も返事はしない。この高校ではこれが当たり前だ。先生たちがこの状態から立ち上がるのは、急にお偉いさんが来た時くらいだ。先生の返答があるまで職員室へ入ってはいけない決まりなので、しばらく入り口で棒立ちで待つ。入り口近くに座っている、他学年のクラス担当を受け持つ先生方はパソコンから目を離さない。僕から少し離れた位置にいる非常勤の美術の賀浪先生だけが顔を上げ、こちらを見てにこやかに微笑みながら立ち上がってくれた。あの先生を見ると、美術担当も一年の間に代わってしまいそうだと思う。そう思うのも、僕の担任の先生は、まだ前期なのに今年で二人目だからだ。新卒二年目だという優しさと思いやりの権化のような先生が担当してくれていたが鬱になってしまい今は休職中らしい。新しい担任の先生として、去年、学年主任を担当しており、今年は一年生の体育を担当している乙訓先生が担任を受けもってくれた。乙訓先生は、『全生徒に聞いてみたアンケート、学校の中で怒らせると怖い先生』で第1位を獲得し、前の学校で生徒に暴力を振るってこの高校に飛ばされたという噂も存在する程である。僕は怒られるようなことをしていないので、今のところ乙訓先生に対して何も思っていない。辞めずにいてくれればそれでいい。辞められて、僕が三年生で学校推薦を頂こうという時に僕の評価にバラツキがあっては面倒だからだ。

 職員室の左奥、入口からは一番遠い位置のデスクに乙訓先生がいる。捨てずに放置して灰で満たされた灰皿や、コーヒーのようなシミが散らばっている山積みの書類。趣味なのだろうか、見たことないロボットのミニチュアフィギュアが大量にデスクに置いてある。一目でだらしなさが露呈するデスクの前に座りタバコをふかしながら今年の学年主任と大きな声で喋っている、彼が乙訓信彦先生だ。

賀浪先生が小さな声で

「乙訓先生、芽島君来てますよ」

と伝えてくれた。関わりたくないとばかりにそそくさと席へと戻る賀浪先生にお礼を言い、乙訓先生の方を見る。生徒の存在に気が付いているのに、こちらから話しかけないと目線もくれず喋り続ける先生へ声をかける。

「乙訓先生、ご歓談中失礼します。日誌と教室の鍵を届けに参りました。」

先生は回る椅子の音を立てながらこちらを向き、

「ご苦労さん」

とだけ僕に言った。タバコを持っていない方の手で、デスクの前に積み重なっている書類の上を指さしている。ここに置けということだろう。

「失礼します」

 僕は日誌と鍵を置き、デスクを離れる。そのまま職員室を後にし、後は下校するだけなので昇降口へと向かおうとすると、廊下で古文の先生と喋りに来ていた保健室の先生が僕を見て引き止める。

「あ、芽島君。お疲れ様、毎日大変ねぇ。」

赤いマグカップを両手でさすりながら、僕に話してくるが、目線も合わせずにキョロキョロとしている。

「あのさ、何か困ったこととかヤな事とか合ったら話してね。保健室いつでも来てもらっていいから。」

僕が掃除や日誌を嫌々やっていると思って、気を遣ってくれているのだろう。保健室の先生も大変だ。

「お気遣いありがとうございます。掃除も日誌も、どれも僕が好きでやっているだけですので、気になさらないでください。」

本心なのだが思った通り保健室の先生は僕が心を開いていないと思ったのだろう、眉間にシワを寄せて、

「そう、芽島君がそう言うならいいんだけど。授業中でも放課後でも、保健室来てもらっていいからね。」

と言った。慣れた事だから悩みはしないが、大人の押し付けってモノは厄介だ。軽く会釈をして、昇降口へ向かうために早歩きで階段を下った。

 本日分の学校のタスクは全て終えた。後は塾の授業があるが、開始まで二時間ある。いつもなら塾の自習室を利用するが、今日は少しお腹が空いているので、駅前に新しくオープンしたらしいクレープ屋さんでバナナチョコクレープを食べ、その裏路地にある行きつけの喫茶店で甘くて美味しいミックスジュースをお供に、時間まで勉強させて貰おう。頭の中で順路を確認しながら下駄箱から靴を取り出し上履きを仕舞おうとしたら、一枚の紙が中に入っていることに気がついた。

[芽島君へ

放課後、渡り廊下で待ってます

嘉根より]

小花のエンボス加工が施され、所々金粉が散りばめてある可愛らしい手紙にはそう書かれていた。渡り廊下に居た嘉根さんは僕を待っていたようだ。一声かけてくれれば良かったのに、これでは二度手間だ。しかし、知らなかったとはいえ待たせてしまっている事や、そそくさと後ろを通り過ぎてしまったことに申し訳なさを感じ、上靴の踵部分も立たせずに早歩きで来た道を戻る。


 渡り廊下には、まだ嘉根さんが手すりに体重をかけて退屈そうにグラウンドを見つめて僕を待っていた。待たせてしまった申し訳なさから、小走りに近い早歩きで嘉根さんに近づく。

「嘉根さん、待たせてしまったようで申し訳ない。まさか下駄箱に手紙が入っているとは思わないから気が-」

 僕は少ない体力に無理をさせ、急いで階段を駆け上がったために乱れた息を整えるため、目線は少し下がってしまっていた。下駄箱に手紙なんて気付かない事もあるだろうと小言をこぼしかけた時、急な衝撃を感じて前を見るが嘉根さんは僕の視界には居なかった。同時に水風船のように柔らかなものが僕の身体に当たり、カマキリのように細く長い腕がぼくの顔を包み込む。長く整ったまつ毛が僕の頬に触れた時、嘉根さんが僕に抱きついているのだと認識した。訳の分からない状況に混乱し、脈拍はフルマラソンを走り終えた後かと勘違いするくらい早くなっている。嘉根さんにこの奇行の訳を尋ねようにも、女の子とこの距離にまで近づいた経験が無く頭が回らない。行き場を失った手をどうしようかと動かしていると、僕の困惑を予測していたのだろう。嘉根さんは僕にしか聞こえないくらい小さな声で

「急でごめんね、今はこうするしかなくて。とにかく場所を変えたいから学校から出るまでは私に合わせて」

と耳打ちをしてきた。嘉根さんとしっかりと話したことはないが、普段こんなおふざけをする人ではない。嘉根さんが他者からとんでも無い悪質ないじめを受けている可能性や、ただただ僕が遊ばれている可能性など様々考えられるが、いずれにせよ大人しく従った方が早く終わりそうだ。僕は硬直した身体に無理をさせ、小さく頷いた。側から見たら、きっと無様に違いない。女の子に抱きつかれ耳打ちをされ顔を真っ赤にして頷いている。僕は誰にも見られていないことを祈るばかりだが、この場所は職員室からも部室棟からも丸見えの渡り廊下。さらに放課後という生徒が好きに行動できる時間なので、多数の目撃者がいることだろう。僕が頭を悩ませていても、嘉根さんはお構いなしに腕を組んできた。男友達と肩を組んだ時よりも数倍も距離が近く感じる。嘉根さんのゆっくりと歩くスピードに合わせ、職員室の隣を抜け、階段を下る。学校を出るまでの辛抱だ、と腹を括ろうとするが、近い。シャンプーの香りなのか、香水をつけているのだろうか、ベリー系の甘い香りが僕の顔を包み込む。僕の考える王道の女の子らしい香りに、脳はキャパオーバーを迎え、下駄箱の手前で足を止め、震える声を抑えようとして、余計に震えた声で

「あの、手を繋ぐ、ではダメですか。」

と積極的に腕を組んできた女の子に情けなくお願いをした。


 無事に手を繋いで校門を出たが、嘉根さんの歩みは止まらない。今この状況で主導権は向こうにある。だが、僕も羞恥心が限界を迎えており、これ以上モノのように振り回されるのは癪だ。時間が経つと共に、僕の頭は冷静になり、今日のスケジュールのことを思い出す。このままクレープもミックスジュースも飲めなくなるのはごめんだ。握ったままの細く白いスベスベした手にほんの少しの力を入れて軽くひっぱる。

「あの、そろそろ理由を話してくれてもいいんじゃないか。ここまでしたんだから、流石に僕にも知る権利があるだろう。」

そういうと、嘉根さんは歩みを止めた。道ゆく大人たちが生暖かい目で僕たちを流し見していく。嘉根さんと話が出来ると思い、期待から手の力が抜けると、またすぐに歩き出してしまった。ダンマリかと不満に思って彼女の顔を見つめると、こちらを一切見ずに周りの目をやたらと気にしている様に見える。そこまで気にするという事は、やはりいじめられているのだろうか。嘉根さんくらい上手くやっていそうな人がいじめられてしまうんだったら、もう友人関係なんて必要ないな、などと考えていると、嘉根さんが急に歩みを止めてメガネザルのように大きくつぶらな瞳でこちらを見た。いつのまにか人気が無いところは来ていたようで、周りを軽く確認して一息ついた後

「本当にごめん。ちゃんと説明をしたいし、芽島くんにも協力してもらいたい事なんだけど、同じ学校の人に聞かれるわけにはいかないんだ」

と追い詰められたような顔で言う。いつも笑顔の嘉根さんもこんな表情が出来るんだなと感心しながらも、これはきっと期限付きの告白ドッキリいじめなんだと僕は感じ取った。何日までに僕を恋に落として、いじめっ子たちの前で告白させ、ドッキリでしたとバラしてゲラゲラと笑ういじめなんだ。もしかしたら彼女が良心を痛めて、ボクが最小限の心の被弾で済むように演技を申し出てくれるのかもしれない。僕は彼女の優しさを無碍にしないように、その申し出を受け入れる覚悟を決めた。しかし、いつまでも歩き続けるのは辛いので、僕のお気に入りの喫茶店で話し合おうと提案した。あそこなら建物が古い上に分かりづらい場所にあるため、同級生が入り浸っているのを見たこと無いし、よく勉強目的で使わせてもらわせているから、多少話し込んでもマスターは許してくれるはずだ。演技の打ち合わせがいじめっ子にバレることも無い、僕もミックスジュースが飲めるし一石二鳥だ。嘉根さんに同級生を見たことないと説得すると納得したようで、新しくできたクレープ屋さんを横目に、少し薄暗い裏路地へ道を変え、喫茶店『ぱんだ』に入店した。










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