第5話  彼とデート(本当)


 今日は日曜。彼とデートだ。本当だ。


 部活が終わったら、昼から――二人きりで――一緒に出かけ、――二人きりで――ご飯を食べて、――二人きりで――買い物に行く。電車に乗って、街中に出かけて。

 これはつまりデートだ。絶対そうだ。

 現に、『今日デートだよね?』と彼に聞いたら『え? あーそうそう、それな』というお墨付きを――全く話を聞いていない感じではあったが――いただいた。

 なのでもう間違いない。


 そういうわけで今日は、デートだ。部活が終わったら。





 午前中で部活が終わり、すぐに僕たちは一緒に出かけた。シャワーも浴びないまま――学校の武道場にそんなものはない――、汗に濡れた道着の入ったバッグを抱えたまま。

 この時点でだいぶ、デートだという論拠には乏しくなってきたのだが。『めっちゃ腹減った』という彼の主張により、昼食は電車に乗る前、地元のうどん屋で摂ることとなった。

 実に飾らない、自然体のデートだと言っていいだろう。


 煮しめたような色ののれんをくぐり、立てつけの悪いアルミ製の引き戸を開ける。壁に貼られた、色あせた紙のメニュー表から二人ともざるうどんを注文し、セルフサービスの天ぷらを皿に取る。僕は栄養バランスを考えて、おでん鍋から大根を取っておくことも忘れない。


 それぞれ支払いを終え、カウンターで横並びに――テーブル席に座ればいいのに、彼はいそいそとカウンターに座って割りばしを取った――座る。

 一秒を争うかのような勢いで彼はうどんをすすり上げ、麺の端が勢い余って鼻を叩く。

 僕は苦笑しながら、大根を二つに分けて、片方を彼の皿に載せた。

 彼は麺を噛み締めながら礼を言う。


 彼を見ながらうどんをすする。ジャージの下からのぞく彼の首筋と胸の辺り、袖をまくり上げた先からのぞく前腕。そこに薄青い、かすれたような跡がついている。

 それと似た跡は、うっすらとだが僕の腕にも。


 剣道着や防具の布部分は、藍染あいぞめで紺色に――いや、まさに藍色か――染められている。最近のものだと合成染料のものもあるが、彼や僕はそこそこ立派な道具を使っている。なので当然藍染あいぞめだ。

 このあいという染料、非常に色落ちや色移りしやすい。それを着て練習しただけで、腕や体が青くなるほどに。彼は道着を新調したばかりなので、特にひどい。


 さらに言えば。この染料、独特の匂いがある。鼻の奥に引っかかるような。

それ自体は決して悪い匂いではないのだが。汗と結びつき、さらに時間が経つことで、すえた汗臭さが鼻の奥に引っかかる、最悪のにおいとなる。少なくとも食事中や、デート中に嗅ぎたいにおいではない。


 そんなにおいのバッグを傍らに置いたまま。青く染まった僕らは、熱心にうどんをすする。




 結果だけを言えば、チンピラみたいな格好をする羽目になった。僕ら二人の、素敵なはずのデートは。


 街で古着屋を巡るというのが今日のデートの――何度でも言おう、デートの――主旨だ。

「和柄の服とか探したいんだよな」

 電車に揺られながら彼はそう言っていた。


 おしゃれになった彼の姿を――僕自身、服には詳しくないので何となくのイメージだが――想像しつつ、僕は何度もうなずく。電車の揺れに合わせて。

 そしてあわよくば、お揃いのものを買おうと思っていた。



 街に着いた僕らは――笑わないで欲しい。無人駅から電車に乗った僕らは、駅員のいる駅、自動改札機を備えた駅、両手の指では数え切れない乗客の出入りがある駅に下り立っただけで、テンションが上がっていたのだ――、変なテンションだった。だからしょうがない、本当にしょうがないのだが。

 古着屋に駆けていった僕らは、そのテンションのままTシャツをあさり、ズボンの群れをかき分け、ワゴンに山積みされた服を吟味し、その調子で何軒も巡り。

 そしてウキウキで、公衆トイレで戦利品に着替え。洗面所の大鏡を見て、二人とも我に返った。


 彼のアロハシャツの背には、身をはみ出させるような勢いで金色の龍が躍り。濃紺のズボンには、片脚の太ももから尻を占領するようにでかでかと錦鯉が泳ぐ。Tシャツの胸には浮世絵の筆致で、妖怪絵らしい髑髏どくろがおどろおどろしく描かれていた。


 一方僕のシャツには、全体を青く染め上げるように高波が飛沫しぶきを上げ。黒いズボンには妖しく彼岸花が咲き誇る。中に着たTシャツの胸には、日に照らされた富士山が赤くそびえ立っていた。


 鏡を前に二人、長く黙り込んでいたが。

「……何で買ったんだオレ」

 鏡を見たまま彼がつぶやき、僕もまた鏡を見たまま言う。

「……二時間前の君に聞けよ」


 彼は僕の肩をつかみ、何度も揺さぶってくる。

「何で止めなかったンだよてめェ!」


「知るかよ、二時間前に聞いとけよ!」

 実際二時間も前は、僕のテンションもおかしかったのだ。


「はあ……」

 彼はため息をつき、もう一度鏡を見る。

 鏡の中のチンピラ二人――しかも相当に頭の悪い奴――は、中途半端に口を開けて僕らを見ていた。


 彼は髪をかき回しながら、洗面台にバッグとビニール袋を載せる。

「しまったなァ……この分じゃ他のもやべェかもな……」

 袋の中から、他に買った服も取り出した。


 全面に桜吹雪が散っているアロハはいくらなんでも派手過ぎる。

 太ももに大きく般若はんにゃが居座っているハーフパンツは怖過ぎる。

 胸から腹にかけて『四天王』と墨書されたTシャツにいたってはわけが分からない。

 ただ、黒地で背中に大きくスペースを空け、隅に闘鶏を描いたTシャツ。これなんかは水墨画のような空間の取り方で面白いとも思えたし、蒔絵まきえ風に紅葉を描いたアロハは、柄こそ仰々しいが暗めの深い赤――彼の好きな臙脂えんじ色――で、全体としては落ち着いて見えた。


 またため息をつき、彼は服を戻していく。

「マシなのもあるが全体にアレだな……やっちまったな……」


「それはまあそうだけど……そういやなんで急に、和柄集めようとか思ったの」


 荒く波打つ髪をかきながら彼は言う。

「さすがにほれ、はかまを普段着にとかは無理でもよ。和のテイストを日常に取り入れたいッつーか」


 その計画は早くも頓挫とんざしたようだ。


 ため息をついて彼は言う。

「あーあ、あと和を取り入れるッたら何だよ……浴衣ゆかたではもう寝てるしな」

「そうなの!?」

 僕の声は少し大きかったが、彼はこともなげにうなずいた。

「ああ、中学の頃からそうだぜ。安もんだけどよ、帯も『片挟み』にちゃんと結んでる」


 夏祭りのときなんかは確かに、浴衣でうろついていた気もする――彼を好きになる前、ただのおさななじみだった頃。僕の中身がこうだと、僕自身気づいていなかったときのこと――。

 その姿を思い出し、あるいは想像して、僕は大きくうなずいていた。

「……いい。いいよそれ、凄くいい……めっちゃセクシーじゃん!」

 変な語彙ごいが思わず飛び出し、僕の顔は引きつりかけたが。


「セクシー……なるほど、なんかランク高ェ誉め言葉来たなオイ! ダンディなオトナの夜を演出しちまったワケか! ヒューッ!」

 最後のは口笛ではなく言葉として言って。彼は満足げに、鏡を見ながら髪をなでつけ始めた。


 だが、不意にその手を止めてこちらへ向き直る。

「悪かったな、今日。変な買い物になっちまって」


 急に何かと思っている間に、彼は僕の手を取った。

「お詫びに……もらってくれねェか」

 その手に載せてきたのは、袋から出したTシャツ。背中一面を覆うように大きく、ひょっとこの面が描かれたものだった。


「……いらねえ!」

 言うと同時、彼の顔にぶん投げる。

 純粋にいらねえ。


 彼は笑ってそれをつかみ、袋の中からさらに別の服も取り出す。

「いいじゃねェかオレの気持ちだって! あ、ほら昼飯ンとき大根くれたろ、あの礼で」

 四天王Tシャツもつけて差し出してくる。


「やめろ、ハズレばっか押しつけてくんなよ!」

「いいだろほら、お前誕生日近かったろ、オレの気持ちだって」

「お前のはどうでもいいから僕の気持ちを考えろよ!」


 僕が投げ返した服を受け止めた彼は、袋から般若のハーフパンツを取り出してきた。

 不意に真顔になり、姿勢を正す。

 左手で支えたハーフパンツを、右手でそっ、と掲げ持った。宝石箱を開くみたいな格好で。

「……給料、三ヶ月分なんだ」


 僕は一瞬黙って、それからようやく突っ込んだ。

「……婚約指輪かよ! それで成立したら嫌だろ逆に!」


 彼は表情を崩さない。

「結婚しよう」


 僕はどうにか、どうにか言葉を胸から絞り出した。

「……はい……、ってなるかバカ!!」


 彼は無言でひざを折り、身をかがめて。

 僕の左手を取り、薬指を、そっ、と握った。そこに通そうとしてくる。ハーフパンツの、般若つきの裾を。

「幸せにしてみせる……必ずだ」


 ずいぶんためらった後、僕はやっと。彼の手からハーフパンツをもぎ取り、顔面へ叩きつけた。

「聞けやボケぇぇっ!!」


 彼は満足げに笑い、うなずく。

「君の作ったみそ汁を毎日飲みたい」


「まだ言うか……」

 僕が息を切らしながらつぶやくと、彼は自分を親指で指した。

「オレと、一緒の墓に入ってくれないか」

「それもう脅し文句だよ」

 僕を指差して片目をつむってみせる。

「ウチの墓は入ると涼しいぜ?」

「入ったことあんのかよ」


 言いながらも僕はずっと握っていた。左手を、その薬指を。



 今日は最高のデートだった。この論理に穴があることは百も承知だが、それでもこう言おう。

 今日は最高の日曜だった。最高のデートだった、本当だ。



 あと、彼は勢いでタグを全部切っていたため、返品はできなかった。

 僕のは返品した。


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