第6話  何をやってる


 何をやってるんだ、と人には言われるかも知れないが。彼と僕はたまに、真剣勝負をする。


 というと、いつもは真面目に練習していないと思われそうだが。もちろんそんなわけはない。

 真剣勝負は『真剣にやる』勝負ではない。『真剣でやる』勝負だ――すなわち、刀で。


 無論、本当に刀で斬り合うわけはない、竹刀を使うし防具もつける。

 だが、剣道の試合ではなく、刀を使った命がけの戦い――そういう想定で行なう、彼と僕だけの勝負。


 真剣勝負である以上、剣道の三本勝負とは違う。常に一本勝負。

 他のルールとしては剣道に準ずるものの、それはあくまで剣道に慣れた僕へのハンデだ。彼が剣道にない、剣術としての技を使ったとしてもとがめる気はない。逆に僕がもしも、砂なんかを握りこんでおいて目潰しに浴びせたとしても。彼は文句を言わないだろう。


 だが、今までお互いに、剣道以外の技を使ったことはない。

 ――いや、一回だけあるか。珍しく勝負がもつれ――いつもは長くにらみ合うことはあっても、最終的に彼がきれいな一撃を決めて勝つばかりだった――、つばぜり合いになったとき。

 僕は思わず、頭突きを飛ばした。

 ほとんど同時、彼は足払いをかけていた。


 叩きつけようとしていた僕の面金めんがね――防具である面の、顔面を覆う網状の金属――は、彼の面金にこすれただけだった。

 一瞬早く、彼の足が僕の足をすくい、跳ね上げ。きれいに――柔道ならそれだけで一本を取られるほどに――倒されていた。床板に背中を打って、内臓に衝撃が波打ち、僕は息を詰まらせる。

 その間に。天から降るような彼の剣に、胴を打たれる。


 剣道が剣術だったころ、江戸時代なんかは柔術――柔道の原型となる武術――や居合、小太刀や十手術など、様々な技を併伝へいでんしていることは珍しくなかった。

 戦前の剣道でも、足払いで倒した後に一撃や、投げ倒した後に面を引っぺがす、そんな攻撃でも一本とされた。

 勝負の後、彼はそんなことを語った、早口で、視線を合わせずに、言い訳するみたいに。けれど熱のこもった口調で、夢中になったみたいに。

 要するに、嬉しそうに。


 それは僕も同じで、倒れて天井を見上げたまま、何度も瞬きをし、口を開けたまま。

 湧き上がるように高い、鼓動の音を聞いていた。

 彼を一瞬とはいえ、剣道以外の技に追い込んだことに。その瞬間だけとはいえ、彼とつながっていたことに。手段を選ばす殺すという、その一事で――。




 だが、今。

 真剣勝負で、彼は一撃も繰り出さなかった。


 僕が面を打とうと竹刀を振り上げる前に――振り下ろす前ではない、振り下ろすために振り上げる前だ――、彼の竹刀が、僕の小手を押さえていた。何の衝撃もなく、ひたり、と。ただしそれ以上僕が動けば、斬る――そんな圧を持って。


 同じだった、間合いを取って構え直した後も。彼の竹刀を打ち払おうとした僕の竹刀はすかされ、伸びくる切先が僕の喉を――面のあごから下がる防具部分を――、ひたり、と押さえる。

 苦しまぎれに出そうとした小手面の連続技、その小手を出すより早く、彼の竹刀が僕の面を押さえる。またも、ひたり、と。


 そうして、幾度も幾度も、そうして、そうされて。

 僕は無言のまま、面の中で息を切らしたまま。動かなかった。動けなかった。

 体力は消耗していたが、まだ動ける、まだまだ戦える。なのに、動けなかった。肩に腕に、全身にのしかかる重さを感じて。


 読まれている、彼に。全ての動きが、攻撃が。だからこそ彼はその出がかりを――その気になればいつでも斬って捨てられたそれを――押さえられた。

 僕と彼には、それだけの差がある。


 構えたままの僕に、構えたままの彼が言った。

「何やってる。しまいか」


 そうして背を向け、距離を取る。向こうを向いたまま座り込み、竹刀を置いて防具を外した。


 僕を見ることもなく声を上げた。自らの背を親指で示して。

「何やってる。……もめよ、肩」


 この真剣勝負は今まで何度もやった、彼の思いつきで。そして、負けた者は勝った者の言うことを何でも一つ聞く。そういうことになっている。


 今までこの勝負で、彼に勝ったことはない。今まで彼が勝って言い出したことは、アイスの高いやつおごれとか、抹茶パフェの小っちゃいやつおごれとかで。決して、何かをしろと命じたことはない。


 きっといつもの僕なら――いや、このところの浮かれた僕なら――、喜んで肩をもんだだろう。彼の体温を、筋肉の堅さを、太い骨の頼もしさを味わいもしただろう。


 けれど、今の僕は。

 無言で床板に足を叩きつけ、きびすを返した。部室へ走り、外した防具を棚へぶち込む。

 荷物を抱え、竹刀袋をかついで道場を走り出た。靴をつっかけて、道着のまま着替えもせずに。




 そうして今。

 僕は木刀を振るっていた。例の神社、すっかり日の落ちた闇の中で、社ののきから下がる電灯の、薄明かりの下で。

 真剣ほどの重さのある木刀を、ゆるゆるとではなく。力の限り速く、速く。腕をちぎり落とすような力を込めて。斬るように、打ちすえるように――自分自身を。


 歯を噛み締める。

 何をやっている、何をやっていたんだ僕は。何を――浮かれていた。


 振るいながら思う。

 何が婚約指輪だ、何がデートだ。そんなものただの冗談だ、僕だって分かっている。


 なのに、浮かれていた。


 何度も何度も素振りをし、そして地を蹴って跳び、踏み込む音を立てて振るう。何度も、何度も。


 やがて袴の足がもつれ、前のめりに倒れて。

地に伏せたまま、息が切れてかすれた呼吸の音を聞きながら思う。

 何が。何が袴だ、何がスカートみたい、だ。それはたとえスカートみたいでも、決してスカートなんかじゃない。


 歯を噛み締め、震えながら感じた。両脚をさえぎる布の存在と、両脚の間、これもまたさえぎるように。股ぐらにぶら下がるものの存在を。


 遠い。あまりにも距離が。

 僕と彼との、剣士としての距離が。

 それとは全く別に、僕の脚と脚との距離も――布地にさえぎられたその距離が。袴とスカートの距離が。


 どちらの僕も、彼からはあまりに遠い。


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