終章 「月が、綺麗ですね。」

「あれ? 朱美、起きてたのか」

「はい。奏さん、起きちゃったんですね」

 秋の深夜3時頃の夜空に、満月が浮かぶ。

 満開という言葉を添えたくなるほど、綺麗な満月が、夜空で輝いている。

「もしかして、執筆していたのか?」

「はい。もうちょっとで完成だったので、思い切って仕上げちゃおうと思って」

「ったく、君には別の仕事もあるんだから、あまり無理するなよ?」

「とか言って、奏さんだって昨日、遅くまで起きてたじゃないですか」

 漸く月日は矢のように過ぎていき、二人の人生も、それなりに変わった。

「体壊されて困るのはこっちなんですから」

「編集者みたいなことを言うんだな」

「何かおかしいですか?」

「……そうだった。君が相手だと、つい忘れてしまうよ」

 奏はあれから小説家として、何作か新作を発表している。デビュー作ほどの話題を世間で独占するまでには至らなかったが、それでも一定の人気を保ち、現在も新作に取り掛かっている。

 一方朱美は、小説家としてデビューする道ではなく、一旦は奏をサポートすることを選んだ。そのため、とある出版社に就職し、現在では奏の担当に就き、奏の側にいながら、数々の新しい作品を世に送り出している。その瞳の奥に、自らの夢を宿しながら。

「そういえば、帰ってからずっと読んでいたあの原稿は何だったんだ?」

「ああ、あれですか? あれ、今度の新人賞の候補作品なんですけど、その中でも私の一押しなんですよ。この永野華奈って人の作品」

「永野華奈? なんだろう、どこかで聞いたことある名だな。思い出せないけど」

「そのうちわかりますよ。だって、今回はきっと、本人が書いたんですから」

 二人が所属していたあのサークルも、今では完全にかつての盛況を取り戻し、いつの間にか大学内でも有名なサークルへと発展した。部室も新しくなり、飛鳥あすかわたる奏風かなた朱悟しゅうごに続けと、日々意欲的な創作活動が行なわれている。今度の朱美の出版社の新人賞の候補にも、一人の在校生の作品が名を連ねている。もちろん、朱美が名を挙げた作者とは別人だが。

「そういえば今度の新作って、どんなお話なんでしたっけ?」

「……君は一応、俺の担当だろう?」

「自分のやつに熱中しすぎて忘れちゃったんですよ」

「仕方ない、教えてやろう。今度の物語は、愛に飢える若者と、愛を乞う人妻の話だ」

「……よくわからないけどなんだか気味の悪い話だなあ。ってことは、一緒に書いてた群像劇の方はもう完成したんですね」

 そう言うと朱美は、パソコンの前からベランダへ移動した。奏もそれに続く。

「ちなみに君のその小説は、いつから書き始めたんだ?」

「大学一年生のときの十一月からです。色々あったのはそうですけど、完成まで随分時間かかっちゃいましたね」

「人生なんてそんなものさ。それにしても、よくそんなにはっきりと覚えてるな」

「ええ。だって、そのときにどっちの題名も思い付いたんですから」

「題名? 何の話だ?」

「それはこれからのお楽しみにしてください」

 その光景は、いつかの日のように、

「わかった。楽しみにしている」

「そうしてください」

 綺麗、だった。

「あともう少ししたら、現れるんでしょうね」

「何がだ?」

「朝焼けですよ。きっと、とっても綺麗な」

 奏が夜空を見上げる。

「でも今は、それに匹敵するものがあそこにあるだろう?」

 朱美が夜空を見上げる。

「ふふっ。相変わらず、お好きなんですね」

 二人の手が、自然と、一つになる。

 夜空に浮かぶ、満開の月の光を浴びながら。

「月が、綺麗ですね。」

 そう呟いた男のかたわらには、先ほど、女の手によって完成した一つの紙の束が、そっと置かれている。表紙に印刷された題名が、二人と同じように、月の光を浴びている。

 まるで、応えるように。


『死んでもいいわ。』

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「月が、綺麗ですね。」 八尾倖生 @kousei_yao

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