第15話 秋常勇作失踪事件④
そうして最高の笑顔を見せた蓮成さんは、カズ子さんにお礼を言うと、渡されたビニール袋を一度断ることなどせずにありがたく受け取って、カズ子さんに手を振って店を出た。
ぎゅうぎゅうに詰め込められた袋には、ポテトチップスと冷たい氷、ペットボトルが何種類か入っていた。もしかして蓮成さんは、お菓子欲しさにカズ子さんに話しかけたのだろうか、と疑ってしまうほどの量だった。
けれど、とぼくの頭が、その考えにストップをかける。シノ君の武勇伝のひとつに、老人ホームでお菓子を山ほど貰っている、という話があることを思い出したから。
まあ、確かに蓮成さんの愛想のよさは、ちょっとレベルが違った。普通の高校生がニコニコしているくらいでは、太刀打ちできないオーラがあった。整っている男前な顔立ちと相まって、おばちゃんやおばあちゃん達はなにかしら貢ぎたくなるのかもしれない。極めつけは、あのとびきりの笑顔だ。あれを一度でも見たら、二度でも三度でもお菓子を渡してしまうくらいの中毒性を、ぼくも感じたのだから。
「凄いですね、蓮成さん。もしかして、そうやってお菓子をもらいまくってるんですか」
「これはカズ子さんの気遣い。俺が友達連れてきたのが嬉しかったんだろ。俺、誰か連れて知り合いのとこ行くことないし」
友達。という何気ない言葉でも、蓮成さんの口から出ると重みが違う。東城先生もカズ子さんも、蓮成さんに友達ができることを心の底から喜んでいた。ということは、蓮成さんの友達事情は、つまり、そういうことなんだろう。
なんだか間接的に特別感を演出されている気分だ。ぼくは夏の暑さだけではない理由で火照った頬を仰ぎながら、話を切り替えた。
「えっと、次は了然寺に行くんですよね。……えっ、なんでお寺さん?」
「了然寺の爺さんとウチの爺さんが知り合いでさ。ウチの然穹寺はこっちの川西区域の管轄じゃないから挨拶しないと」
「……然穹寺。あの、蓮成さん。頼兼さんが言ってたんです。お婆ちゃんが然穹寺さんの檀家さんだって」
「マジかよ。ウチの檀家に頼兼さんなんていないぞ。いや、待てよ……
蓮成さんは顎を摩りながらしばらく考えていた。その姿を眺めながら、ぼくは秋常くんが、シノ君はお寺さんの跡取りだ、と言っていたことを思い出す。地域に根ざした人脈形成、そして人の出入りの把握。今、蓮成さんの頭はどれくらいの回転数で回っているんだろう。ぼくなら、あっという間もなくオーバーヒートしているかもしれない。
ぼくが感心している間に、蓮成さんは頭の中で結論を弾き出したのか、それとも保留にしたのか。彼はニヤリと意味深に笑って、カズ子さんからもらったお菓子袋をぼくに二つとも押し付けた。
「まあいい。ナツキ、了然寺の爺さんのとこに行くぞ」
蓮成さんと共に向かった了然寺は、とても小さなお寺だった。スマートフォンの地図アプリで検索すると、酒屋イマセキから徒歩三分の距離を、どうしてか五分以上かけて歩いている。
行くぞ、と気合を入れて言っていた割に、蓮成さんは急いでいなかった。
「あの……蓮成さん? こんなにゆっくりでいいんですか」
「いいんだよ。爺さんにも準備が必要だからな」
「えっ、いつの間に連絡取ったんですか!?」
蓮成さんの言葉に、ぼくは目をパチパチと瞬かせて聞いた。蓮成さんが誰かと連絡を取るような素振りは、バスに乗る前も、バスを降りてからも、酒屋を訪ねたあとも、なにひとつ見ていない。もしや蓮成さんは忍者なのか。草のものがそばに控えていて、目配せひとつで連絡を取り合う……そんな情報網を持っているのか。
そんな風に考えを飛躍しすぎたぼくは、期待に満ちた表情で蓮成さんを見た。蓮成さんはぼくの期待をいい意味で裏切るように、勿体ぶって首を横へ振って言う。
「んー、企業秘密。ナツキが正式に俺の助手になるっていうなら話してもいいけど」
「それ、なんでぼくなんですか。蓮成さんの助手になりたいひとなんて、山ほどいるのに」
正確に言うと、蓮成さんの助手ではなくて、シノ君の助手なのだけれど。ぼくの思いを読み取ったのか、あるいは顔に出過ぎたか。蓮成さんが苦い笑いを浮かべながら舌を出す。
「でもそれって、篠蓮成としての俺じゃなくって、『みんなのシノ君』の助手だろ。俺、そういうの好きじゃない。でもナツキはそういう気遣いができる貴重な人材なわけ」
「ええ? 全然心当たりがないんですけど。もっと、こう……能力的な評価とかないんですか」
「能力は後からでも身につけられるけど、人柄はそうもいかないんだよ。だから、大事にしろよ」
そう言った蓮成くんの目は、もの凄く大人びて優しく緩んでいた。ぼくを見つめる目も、ぼくを思ってかけてくれた言葉も、高校生のそれじゃない。
きっと、いくつも困難と苦労を乗り越えてきたんだろう。ぼくが蓮成さんのことで知っているのは、シノ君として活躍している話だけだけれど、その武勇伝だって七つある。ひとりで七つ達成するのは至難の業だし、なによりも武勇伝として伝わっていないだけでシノ君がひとを助けたという話は、分類するのも難しいほどあるのだから。
だから、蓮成さんことシノ君は、ぼくとひとつしか違わないはずなのに、凄く大人なんだ。
ぼくはシノ君のことを、ますます尊敬した。今までは、一本線を引いた物語の人物を尊敬するようなフワッとした感覚だったけれど、今は違う。生きて、言葉を発して、行動する蓮成さんを尊敬している。
そういうわけで、人生や生き方なんかについて蓮成さんと話を深めている間に、ぼくたちは了然寺に到着した。了然寺の敷地内に入る前、蓮成さんは一度立ち止まると、ぼくの背中を軽く叩いてこう言った。
「ナツキ、対応は俺がする。ナツキは助手候補として、愛想良くしてればいいから」
愛想良くしていろ、と蓮成さんに言われたぼくは、頬の筋肉が痛くなるほどニコニコ微笑んで蓮成さんの後についていった。了然寺の敷地は狭く、御堂もこじんまりとしている。その小さな御堂の前には、どうしてか複数人の
「お。集まってんなー。カズ子さん! お店はいいの?」
「休憩しなきゃ、やってらんないわよ! それに、蓮くんが困ってるんなら助けなくちゃね」
カズ子さんと話す蓮成さんは、相変わらず軽快だ。けれどぼくは、そんな当たり前のことよりも、気づいたことがある。
えっ、さっきカズ子さんのお店を出たばかりなのに、なんでいるの? と、いうことだ。酒屋イマセキは繁盛していて、抜け出せるような状況には思えなかったのに。
カズ子さんの他にも、訳知り顔なおばちゃんたちが大勢いる。そんなおばちゃんたちをまとめるように、住職と思しきお爺さんがひとり。ひとの輪の中心に立っていた。
「爺さん、ご無沙汰してます。今日は突然ですみません」
「おう、蓮くん。然穹寺の爺はまだ元気か?」
やはり、お爺さんは了然寺の住職だった。人生の長さと深さを象徴するような皺、髪はさっぱり短髪で白く、動きやすそうな濃紺の作務衣を着ている。住職は健康そうな白い歯を見せて笑いながら、蓮成さんの肩を叩いていた。
「うちの爺さん、この前、古希の祝いをしたばかりですよ。まだまだ全然、元気です」
「そうかそうか、それはいい。……それで蓮くん、カズ子ちゃんから聞いたが、頼兼さんの家を調べてるんだって?」
「そうなんですよ。あ、調べるっていうか……俺の友達のヒナの友達も今日の花火大会に誘いたくて。でもナツキ、連絡先を知らないって言うから、俺が人肌脱ごうかと」
ちょっと待って、めちゃくちゃ出鱈目なんですけど!? そんな突っ込みを入れそうになったぼくは、グッとお腹と奥歯に力を入れて、どうにか堪えた。もしかして、愛想良くしていろ、と蓮成さんが言ったのは、これがあったからだろうか。
嘘を言っているとは思えない軽快さで、蓮成さんがニコニコ笑う。
「なんと、蓮くんに友達が!? カズ子ちゃんが言ってたのは本当だったのか……」
「そうよー、住職さま。蓮くんにもようやくお友達ができたのよ! だから、ね。私たちも協力しないと」
「それもそうだな。あー、頼兼さんだったか。誰か、頼兼さんと知り合いはおらんかね」
いや、嘘を言っているからこそ、渾身の笑みを浮かべているんだ、とぼくが気づいたとき、蓮成さんを取り囲むおばちゃん達や住職の目は、孫を見るような目でとてもわかりやすくキラめいていた。我こそは、と競うようにおばちゃん達が話出す。その波のように伝播する囁きは、圧巻だった。
そうしてひとりの華奢なおばちゃんが、スッと手を上げて蓮成さんに話しかけた。
「市立図書館の新保分館のご近所さんの、頼兼さんかしら。それなら私が知ってますよ。川東の棚端さんとこからお嫁さんをもらったって。その頼兼さんで合ってる?」
「ビンゴです、カスミさん! その頼兼さんです、ありがとうございます!」
「うふふ、蓮くんにお礼言われちゃったわ。いいのよ、気にしないで。頼兼さんの娘さんが、ウチの娘が部長を務める部活に入ってくれたのよ。とっても行動力のある娘さんなんですってね」
「みたいですね。あ、カスミさん。頼兼さんの娘さん、今日誰かと会うとか……聞いてます?」
「どうだったかしら……特になにも聞いていないわ。だから大丈夫よ、きっとお家にいると思うわ。花火大会、楽しんできてね」
そこからおばちゃん達の解散はすぐだった。波が引くように皆、静かに帰ってゆく。ぼくは一体、なにを見たのか、見せられたのか。これが大人の世界なのか。シノ君が持つというおばちゃん防御壁の一部を垣間見たぼくは、しばらく放心して話すこともできなかった。
とにもかくにも、こうしてぼくたちは頼兼さんの家の住所を手に入れたのだ。空の彼方、遠くの方でゴロゴロと鳴る不穏な音を聞きながら、蓮成さんとぼくは頼兼さん宅を目指して歩く。
その道すがら、ぼくは頼兼さんによく似ている女性の後ろ姿を見かけた。黒い髪はまとめて上げていたし、浴衣を着ていたから、他人の空似かもしれない。そのひとが着ていた浴衣は、白地に大きな金魚が描かれていて、帯は黄色地に緑色の水草模様が描かれていた。
歩くたびに、背中が遠ざかるたびに、ゆらゆらと揺れる魚の髪飾りに見惚れながらも、ぼくは彼女のことを蓮成さんには言わなかった。もし、人違いだったら恥をかく。そんな思いで、話さなかった。それになにより、ぼくの存在など忘れたように大股で歩く蓮成さんに着いていくので精一杯だったから。
「あっ、あの! あの蓮成さん! なんでそんなに急ぐんですか。さっきまでゆっくりしてたのに」
「もうすぐ花火大会だから」
「えっ……え?」
「花火大会開催の三十分前から交通規制がかかる。それはバスだって例外じゃない。沿道だって人で溢れる。自由に動けるのは今しかない」
そう告げた蓮成さんの足は、ますます速くなる。コンパスの長さが違うぼくは、もうほとんど駆け出していた。
「いいか、ナツキ。花火が打ち上がってる最中は、誰だって注意は花火に向く。頼兼春佳がどこでなにを企んでるのか知らないが、秋常勇作になにかするなら、今日はうってつけの日ってことだ」
「な、なにかってなんですか……!?」
頼兼さんが秋常くんに、なにをするっていうんだろう。ぼくは今まで極力考えてこなかったそれを、考えるか否かで頭が停止していた。だって、それは、頼兼さんを犯人扱いすることだ。頼兼さんに話を聞くまでは真実を観測できないのだ。想像することをやめてしまったぼくの頭は、酷く重かった。頭に靄がかかったかのように、歯車が錆び付いてしまったかのように、上手く動いてくれない。
そんな根性なしで小心者のぼくなんて置き去りにして、蓮成さんが「そんなことより」だなんて言って、立ち止まった。そうしてぼくの悲鳴を切り捨てて、真剣な眼差しでぼくを見る。だからぼくは抗議することも忘れて、口を噤んでゴクリと喉を鳴らした。
「今年は日本全国どこでもそうだけど、猛暑日が続いてるだろ。暑くない日がない。今日だって、今は曇ってるけどさっきまで地獄のような暑さだった。秋常勇作が持って出たのはスマホだけ。そのスマホも四時二十八分を境に電源が落ちている。そんな状況じゃ、飲み物ひとつ買えやしない」
切羽詰まった蓮成さんの声に、ぼくはようやく状況を正確に受け入れることができた。つまり、これは、人命がかかっているかもしれない、という事態であることを。
「熱中症……!」
「そ。それも含めて、早く探してやらないと」
蓮成さんは、ぼくを元気付けるかのように一度だけ肩を叩いた。ズシリと重く大きな手から、蓮成さんの熱意が伝わってくる。
もう、頼兼さんが関係ないだとか、頼兼さんがそんなことするなんてだとか、頼兼さんが犯人なのかとか、そんなことを頭の中でぐちゃぐちゃと考えている余裕などない状況だった。ぼくは一度、ぎゅっと強く目を瞑る。そうして呼吸を落ち着けて、ゆっくりと目を開いた。
「行きましょう、蓮成さん。秋常くんを見つけることができれば、結果的に頼兼さんも助けられるってことですよね」
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