第14話 秋常勇作失踪事件③

 身体を震わせて動けなくなるほどの動揺に襲われたぼくが落ち着いた頃。屋根のないバス停でバスが来るのを待ちながら、ぼくは蓮成さんに昨日の話——シノ君の武勇伝の話をしていたことを正直に告げた。


「……俺の話をしていた?」


 ぼくの話を聞き終えた蓮成さんは、しばらくポカンとした顔をして呆然としていた。心中、お察しします、だなんて僕は心の中で両手を合わせながら、ぼくは取り繕うことも言い訳もせずにひとつ小さく頷いた。


「そうですよ。本人を前にして言うの、かなり恥ずかしいんですけど……シノ君の武勇伝の整理をしていて」

「いや、待て。なんでそんな話になった」

「付箋事件の動機を知りたい頼兼さんが、秋常くんと話たらシノ君の大ファンだということがわかって、それで。頼兼さんが言うには、街で囁かれているシノ君の武勇伝の一部に、違和感があるものがあるって……だから検証を」

「……お前たち、暇なのか? まあ、夏休みだもんな……そういうもんか。それで、検証結果は?」


 気持ちの切り替えが早いのか。蓮成さんは、シノ君の話をしていた、と告げたぼくをニヤニヤした顔で見ていた。わかってる、ぼくは今、かなり恥ずかしい。本人を目の前にして、昨日は武勇伝の話で盛り上がったんですよ! だなんて告白をしているんだから。

 だからぼくは、仮面をつけた。冷静でられるよう、背筋を伸ばして、声帯からも冷たく響く声を発して答えた。


「遺物発掘の話と、図書館制覇の話が別人が達成した話なんじゃないかってことでまとまりました」

「なかなか冴えてるじゃないか。確かにその二つは俺じゃない。その後は? あの後にあの不良がちょっかい出してきたんだろ」

「はい、そうです。……あっ、違う違います。その結論に至った時点で、頼兼さんはショックを受けてて」


 頼兼さんの名前を口にすると、どうしても胸の奥が痛みを訴える。けれど今はそれどころじゃない。ぼくは痛みを訴える心を無視するしかないのだ。


「シノ君が複数人いるかもって話を出してきたのは頼兼さんなのに」

「その後、あの不良が?」

「そうです。秋常くんに絡んできて……昨日はびっくりしたな。まさか秋常くんが髪を染めてるとは思わなかったし」

「俺とそっくりだったってわけか」


 ぼくは蓮成さんの言葉に大きく頷いた。あの髪色は、一昨日見た蓮成さんの髪と同じ色だったから。ぼくと一緒にバスを待つ蓮成さんの髪は、今は黒い。もしかしたら、昨日染めたのかもしれないな、だなんて思いながら、ぼくは話を続けた。


「その後、秋常くんの髪を見た頼兼さんが急に席を立って……後は流れ解散になりました。秋常くんには頼兼さんから連絡が入ったみたいですけど」

「なんだよ、ナツキ。仲間外れにされて悔しいのか」

「そりゃね、悔しかったですよ。二人のシノ君に関する情報量には全然敵わないし。でも、蓮成さんに迷惑かけて手に入れた情報だったのか、って思うと……うーん、複雑ですね」

「はは、面白いな、ナツキ。今、お前が一番『シノ君』に近い人間だって知っててそれか」

「ちょっと、蓮成さん! 誰が聞いてるかわからないんですから、控えてください!」


 ぼくは、ぼくたち以外には誰もいないバス停で、そんなことを叫んでいた。周囲に誰もいないとわかっているから、蓮成さんもシノ君の名前を出したんだろう。

 夏の駐車場は、人の気配がない。

 先ほどまでバイク止めエリアにいた不良集団も、先ほどバイクで帰って行った。そして今日の夕方からは花火大会がある。そんな日に丘陵公園へ来る人間は、いない。この公園は花火大会の会場から微妙に距離があるから、ここで場所取りをしてまで観覧しようとする人間も、いない。


 それがわかっていても、ぼくの背中はヒヤリとした。だって、シノ君はとても有名なのだ。そして、いつでもどこでも誰かが聞き耳立てているから。情報は、いつどこで誰から漏れるかわからない。ぼくは、用心には用心を重ねる慎重派なのだ。

 そんなぼくの心配をわかっているだろうに、蓮成さんはカラカラと笑い出した。


「ナツキのそういう気遣いができるところ、俺は気に入ってるよ」


 そう言って笑う蓮成さんの顔は、夏の眩しい光もあってか、どうしようもなく輝いていた。もしぼくの目にカメラ機能が搭載されていたのなら、何度も瞬きをして自然体で笑う蓮成さんの写真を何枚も残していただろう。

 うっかり見惚れてしまったぼくは、しばらく周囲の音が聞こえなかった。暑すぎて蝉も鳴いていないから、元より静かな駐車場ではあるのだけれど。


「とにもかくにも、秋常勇作と頼兼春佳が繋がったな。頼兼春佳の家を訪ねるぞ」


 ぼくの聴覚が戻ってきたのは、蓮成さんが頼兼さんの名前を出したからなところが、いかにもぼくらしくて、少し泣けてしまったのは、ここだけの秘密だ。




 その後、ぼくと蓮成さんは炎天下のバス停で十五分以上待って、ようやく来てくれた清良女学院経由のバスに乗り込んだ。

 相変わらず外は暑く、バスの中は涼しい。けれどバスの中から見上げた空は少し陰っていて、雨雲を呼びそうな気配で満ちていた。

 ぼくは一番後ろの席に腰を落ち着かせると、すかさず窓側の席に座る蓮成さんに話しかけた。


「蓮成さん、頼兼さんの家の住所……東城先生に聞いてきたんですか」

「聞くはずあるかよ。それに、冬の邪魔はしたくない。生徒の個人情報を漏洩したら罪になるんだぞ」

「じゃあ、どうやって頼兼さんの家を探すんですか」


 住所もなく頼兼さんの家を訪ねようとしていたなんて、驚きだ。途端にぼくはソワソワし出す。だって、これって、バスに乗ったはいいけれど降りるバス停がわからないってことじゃないか。それって、頼兼さんを訪ねられないってことと、同じなのだから。

 けれど、もしかしたらこのままどこで降りればいいのかわからない方がいいのかもしれない。このまま頼兼さんの家を訪ねたら……訪ねたら、どうなるんだろう。

 不安がるぼくの様子に気づいた蓮成さんが、肩を細かく震わせて笑い出した。


「君が言っただろ。清良女学院から徒歩十三分圏、家から学校までの道に緩やかな坂はひとつ。そんなのは清平きよひら三丁目くらいしかない。ほかは? ほかになにか思い出せることは?」

「ほかって言われても……あっ、頼兼さんの家、名霧市立図書館新保にいぼ分館の近くらしいですよ。バス停からは徒歩二分圏内だって」

「よし、また絞り込めるぞ。ナツキ、これでもまだ不安か」

「蓮成さん、ぼくが言いたいのはそういうことでなくて……バスを降りたらどうするんです。片っ端から表札を眺めて回るつもりですか」


 計画的なのか無計画なのかわからない蓮成さんに、ぼくはこれ見よがしにため息を吐いた。息を吐き出した分、胸の内で巣食っていた不安が少しだけだけれど吹き飛んだような、意図せず諦めがついてしまったような、そんな気分だった。

 少しだけスッキリした顔のぼくを見て、蓮成さんは伸びをした。


「まさか。そんな怠いことをするつもりはない。ナツキ、君は俺が誰だか知ってるだろ」

「いや、知ってますけど」

「それを思い知らせてやる。いいからついて来い」


 ニヤリと自信満々で笑う蓮成さんは、格好つけながら降車ボタンを押した。バス内のスピーカーが機械的な音声で「次、止まります」と言うのを聞きながら、ぼくは少しだけ身を乗り出して次の停留所がどこなのか案内ボードを確認する。

 次の停留所は、清平三丁目だ。さっき蓮成さんが、ぼくが口頭で告げた情報だけで突き止めた場所。


 そういうわけで、清平三丁目のバス停で止まったバスを降車して、ぼくは前後左右を見渡した。

 目の前には大通り、一本中へ細い道を入っていくと一戸建ての家が多い地区だ。大通りにはいくつかお店があって、電柱に括り付けられた看板によると、ここから市立図書館新保分館方向に徒歩二分圏内らしい。ぼくや蓮成さんが降りたバス停の向かいの歩道には、浴衣を着た女の子がカラコロ下駄を鳴らして歩いている。


 こんなに家が多いのに、おおまかな情報だけで頼兼さんの家を絞り込める筈がない。ぼくは再び不安と安堵に襲われた。空模様と同じくどんよりした心を抱えたまま、迷いなく歩き出した蓮成さんの後を追う。


「どこ行くんですか、蓮成さん。えっ、そこって酒屋ですよ!? み、未成年が入ってもいいんですか!?」


 蓮成さんが立ち止まったのは、バス停から徒歩三分ほどの場所にある酒屋イマセキと書かれた看板が立つ店舗だった。


「ここは元酒屋が経営してるディスカウントストアだ。看板は昔のままだけど。別に酒を買うわけでもないんだ、問題ない。お前も親と来ることあるだろ」

「そ、それはそうなんですけど!」


 それとこれとは、また別だ。親と一緒であるなら気にしないことも、未成年だけで酒屋感丸出しのお店に入るのは、気が引けるのだ。ぼくはキョロキョロびくびくしながら、堂々と前を行く蓮成さんについていく。


 花火大会に備えてか、酒屋イマセキの駐車場はほとんど車で埋まっていて、太陽の光で熱せられた金属の塊が並ぶ駐車場は、曇天下であっても焼けるような暑さがあった。そんな駐車場を出て行く白いワゴン車が一台。酒屋イマセキのロゴが塗装されたそのワゴン車は、遠目から見てもわかるくらい荷物を積んでいた。


 そうして酒屋イマセキの自動ドアを潜ったわけだけれど、蓮成さんは混雑する店内など気にせずに、まっすぐ目的に人物らしきひとに向かって歩いて行った。蓮成さんは長い脚をフル活用して歩くから、走らないようについて行くので精一杯だった。目当ての人物を見つけて立ち止まる蓮成さんに追いつく頃には、ぼくは肩で息をしていたのだけれど、どうにか取り繕って背筋を伸ばし、蓮成さんが話しかけた中年女性をそっと見た。


「カズ子さーん、こんちはー。この前は爺さんのお祝いでお世話になりました。やっぱ繁盛してんねー、今話せる?」

「あらぁ、蓮くんじゃない」


 少しふくよかで笑顔の似合う闊達さ。カズ子さんと呼ばれたその中年女性は仕事中で忙しいだろうに、朗らかに笑って蓮成さんに応えた。


「なぁに、住職のお使い?」

「違う違う、ちょっと人探してて……頼兼さん家、知ってる? 春佳ちゃんっていう清良女学院に通ってる子がいる家。市立図書館新保分館の近くらしいんだけど」


 なんと蓮成さんは、カズ子さんに直球を投げつけた。確かに名霧市は人口およそ二十万人の都市だけれど、決して都会というわけじゃない。田舎特有の情報網、人と人との繋がりがある。あるのだけれど、そんなに直球に聞くことか?

 けれど、背中に汗を掻いて居心地悪くしているのはぼくだけで、蓮成さんもカズ子さんも当たり前のように話し出した。


「頼兼さん? ウチのお客さんじゃないねえ……。頼兼さん頼兼さん……うーん、やっぱり聞いた覚えはないわ。新しくこの辺りに来た人かしら。ちょっと待って、キミ代なら知ってるかもしれない」

「キミちゃん、今配達なんじゃない? さっきここに来るとき、キミちゃんの車とすれ違ったよ」

「あっ、そうだったわぁ。ごめんなさいね、力になれそうにないわ」

「いいよいいよ、大丈夫。この後、了然寺りょうぜんじの爺さんに挨拶に行くとこだから、爺さんにでも聞いてみる。忙しい時にありがと、カズ子さん」


 蓮成さんの情報収集は空振りに終わったらしい。それなのに、蓮成さんは少しも落ち込む気配は見せず、ニコニコと愛想よく笑っていた。

 このひとは、本当にぼくとひとつ違うだけの高校生なんだろうか。これが『シノ君』なのか。大人のような振る舞いを難なくこなす蓮成さんに、ぼくは畏れを感じて震えた。


「次に行こう、ナツキ。カズ子さん、仕事中にありがとね」


 蓮成さんがニコニコしながらカズ子さんに手を振って、店の出口へと踏み出した。一歩遅れてぼくも行く。ぼくの頭はほとんど真っ白だ。ポカンと口を開けて蓮成さんのコミュニケーション強者っぷりを眺めているだけ。

 そんなふわふわした気持ちで歩いていると、ぼくたちをカズ子さんが呼び止めて駆け寄ってきた。カズ子さんの手にはなにかをぎゅうぎゅうに詰め込んだ白いビニール袋が二つ。カズ子さんはのビニール袋を蓮成さんに押し付けた。


「待って、蓮くん。お友達も一緒なんだから、これ、持っていきなさい!」

「えっ、いいの!? ありがとうカズ子さん! じゃあ、また来るね」


 蓮成さんはとびきりの笑顔でカズ子さんにみせた。その笑顔の威力はとんでもなかった。周りの無関係のお客さん達が、性別関係なく何事かと振り返って顔を赤らめるほど。隣で呆けていたぼくだって、なんの間違いか心臓がドキリと跳ねたのだから。



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