第12話 秋常勇作失踪事件①

「あんなに隠してたのに、日向くんにバラしてもいいの」


 言われてみれば東城先生の言う通りで、意外にもシノ君はあっさりと正体をあらわした。ぼくとシノ君こと蓮成さんは、一昨日の数分間しか会話をしていないのに、そこまで信用されるものだろうか。余程、ぼくが出した付箋事件の結末を気に入ってくれたのか。

 そんなぼくの疑問が表情に出ていたのかもしれない。蓮成さんがクスリと笑った。


「日向くん……いや信頼を込めて呼ぼう、ナツキは問題ない。秋常勇作と頼兼春佳だけが問題だ。今のところな」

「し、信用してくれてありがとうございます。もしかして、付箋事件で?」

「それ、一昨日にあった付箋喪失事件の話? ふふ、蓮成の出る幕はなかったわね。あれは日向くんが解決してくれたわよ」

「そう。だからだよ」


 蓮成さんがにっこり笑ってぼくに目配せをした。どうやら蓮成さんは、ぼくがそうしたように、付箋事件の真相を東城先生に話していないようだった。ぼくも蓮成さんも、東城先生に傷ついて欲しくなかったのだ。だから、犯人が塾生徒である秋常くんであることも、その動機が蓮成さんの最新の姿を確認するというストーカー染みたものであったことも、告げなかったし、告げる気もない。

 その点が奇跡的に一致していたから、ぼくは蓮成さんの信頼を勝ち取ることができたみたいだった。


「なるほど。日向くんは優秀な助手になり得る貴重な人材ってわけね。わかった、わかりました。日向くん、蓮成をよろしくお願いします。こいつ、こう見えて友達がいないから、まずはお友達からはじめてくれると助かるわ」

「冬! お前、余計なことを」


 まるで蓮成さんの保護者のような言いようで、東城先生がぼくに頭を下げた。

 と、その時である。塾の固定電話がリリリと鳴った。


「はい、学習塾名霧学舎です。……はい、……ええ、……いえ、今日は欠席で……え? あ……はい、はい。わかりました」


 塾講師の仕事として電話を受けた東城先生が、電話の主といくつか言葉を交わすのを黙って聞いた。塾の欠席問い合わせだろうか。欠席と聞いてぼくの頭の中に浮かんだのは、頼兼さんと秋常くんのふたりだけ。

 嫌な予感がする。ぼくの心がざわめくのと、東城先生が固定電話の受話器を置くのは同時だった。


「秋常勇作の保護者からか?」


 受話器を置いた東城先生に、蓮成さんが尋ねた。蓮成さんには確認があるようで、苦い顔をしながら先生を見ていた。


「そうよ。秋常くん……昨夜帰宅したみたいなんだけれど、ご両親が目を覚ました頃には姿がなかったんだって。スマホは持って行ったらしいんだけど、お財布は家に置いたまま。全然、連絡が取れないって。それで、塾には来ているかって確認の電話」

「頼兼春佳の保護者からはなにか来てるか?」

「来てないわ。欠席連絡も頼兼さん自身から来たもの。一コマ目の講義の前だから……朝九時より前ね。頼兼さんは関係ないんじゃない? ほら、今日は花火大会があるでしょう。塾を欠席したのだって、お友達と遊ぶためかも知れないし、花火大会に向けて浴衣を着るためかもしれないわよ」

「……頼兼春佳は本当に、秋常勇作の失踪と無関係なのか?」


 蓮成さんはそう呟いて、考え込んでしまった。

 頼兼さんが無関係だったら、どんなにいいことか。秋常くんの失踪に昨日の不良たちは関係しているのか。頼兼さんが塾を休んだのはシノ君のことや秋常くんのこととは全然関係ないといい。けれど、昨日の頼兼さんを思い返すと、それがただの希望的観測であることは明白だ。


 ぼくの頭はぐるぐる回る。けれど、蓮成さんが秋常くんを探している理由がそもそも不明であるから、なにも閃めくことはなかった。そう、今のぼくには情報が足りないのだ。だからぼくは、恐る恐る小さく挙手をして、蓮成さんに話しかけた。


「あ、あの……蓮成さん。どうして秋常くんを探しているんですか」

「言ったろ、一昨日。秋常勇作にちょっとしたトラップデータを踏ませた、って。秋常勇作は常習犯で度が過ぎてるから、行動を追えるように、ちょっと、な」

「もしかして、追跡信号が途切れでもしました?」

「お。勘がいいなナツキ。今朝、確認したら追跡信号自体が不自然に途切れてた。最後に信号が発信されたのは、名霧丘陵公演。時間は早朝四時二十八分。充電が切れたにしては変な時間だ。それに丘陵公園は今夜の花火を見るには不向きな場所だ、早朝からの場所取りってことはないだろう」

「確かに。秋常くんはそんなところで早朝からなにをしていたんだろ。……ジョギング?」


 そんなことを自分で言っておきながら、ぼくには秋常くんが早朝からジョギングをしている姿なんて、まったくこれっぽっちも想像ができなかった。

 ぼくも蓮成さんも、うんうん唸りながら秋常くんが失踪した原因や、要因につながるものを考える。ありがたいことに、東城先生も一緒になって考えてくれていた。


「んー……秋常くんの家って、名霧駅の東側だったと思う。丘陵公園は名霧駅の西側で、長志那ながしな川を超えないといけないから……ジョギングをするにしたって不自然だけど……ジョギングだったらいいわね。それなら必ずなにかしら水分を携帯しているでしょうから」

「確かにな。今年は暑すぎる。……ナツキ、秋常勇作がどこに住んでいるか、聞いているか」

「そういえば昨日、秋常くんは名霧駅の東側に住んでいるって言ってました」

「じゃあ、頼兼春佳の住処すみかは?」


 蓮成さんに問われて、ぼくはコクリと頷いた。


「頼兼さんは……確か清良女学院の近くに住んでいるらしいです。学校が徒歩圏内で歩いて十三分くらい。家から学校までの道に緩やかな坂はひとつだけ」

「秋常勇作の失踪場所と近いな……よし、それじゃあ行こうか、ナツキ」

「行く? 行くって……」


 手がかりを得て少しだけ表情が晴れた蓮成さんが、ぼくの腕を掴んで引っ張った。

 待って欲しい、もしかしてこれ、また引きずられていくパターンだろうか。ぼくがそんなことを考えて困惑していると、東城先生が狐目フォックスフレームの眼鏡の奥で片目をパチリと瞑ってこう言ったのだ。


「日向くん、蓮成をよろしくね! 大丈夫、ちょっと無茶するかもしれないけど、蓮成のすることに根拠がないなんてこと、ないから!」


 そうしてぼくは、蓮成さんに引きずられるようにして学習塾名霧学舎を後にしたのだった。




 塾を出たあと、ぼくと蓮成さんは名霧駅前のバスターミナルで名霧丘陵公園行きのバスに乗り込んだ。一番奥の広い座席にふたりで座り、まずは秋常くんのスマホに仕込んでいた追跡信号が途絶えた丘陵公園を目指す。

 蓮成さんは窓側の席に座り、ぼくはその隣だ。丘陵公園行きのバスは人があまり乗っていなかった。それもこれも、丘陵公園は今夜開催される花火大会を鑑賞するには少し遠すぎて、人気がないからだろう。逆に、名霧駅へ向かうバスは混雑していて、反対車線を走るバスはどれもぎゅうぎゅう詰めだった。


 すれ違うバスを眺めながら、ぼくは一体なにに巻き込まれているんだろう、だなんて、ぼんやり思う。

 ぼくが勇気を出して頼兼さんを花火大会に誘えていたら、ぼくは頼兼さんと一緒にあのバスのような混雑の中にいたのだろうか。今頃、昨日行ったこじか珈琲で昼食を取っていたのだろうか。


 そんな思いが、ぐるぐる巡る。けれど、成されなかった可能性を夢想しても、今は全然意味がない。

 ぼくは一度、ぎゅっと強く目を瞑った。そうしてゆっくり目を開き、隣に座る蓮成さんに話しかけた。


「蓮成さん、秋常くんが東城先生の親戚の写真データを取ったのは知ってるんですけど、頼兼さんはなにをしたんですか?」

「頼兼春佳はハッカー顔負けの情報技術で俺の情報を集めている。まだ実害はないが、あと一歩で俺に手が届くところまで来ているんだよ。好奇心からくる無邪気な探究心は、プロの情報屋や探偵をも凌駕することがあるってことだ」


 蓮成さんが事もなげにサラリと言った。

 頼兼さんが優れたハッカーだったなんて。ぼくの決心は再びふにゃふにゃしはじめた。頼兼さんの話になると、途端にぼくは弱くなる。

 それに、ぼくは頼兼さんが、グレーな手段を使って情報収集している、と話す姿を見て聞いて知ってしまっている。尚更、頼兼さんを擁護することができずに、歯痒い思いばかりが胸の内に広がってゆく。


「……頼兼さん、部活は情報処理部で、部活中に情報収集をしてるって言ってました」


 使える手段をすべて使っている、と頼兼さんは言っていた。あのときはわからなかったけれど、あれは頼兼さんが身につけた情報技術のことだったんだ。そういえばあのとき頼兼さんは、明るく笑いながらどこか誇らしげに語っていたっけ。まさかハッカー紛いのことをして情報収集していたとは、思わなかったけれど。


 ぼくはもう、頼兼さんがわからなくなっていた。もしかしたら、頼兼さんの被害者だという蓮成さんの話も聞けば、頼兼さんのことをもっと深く理解できるのかもしれない。

 そんなぼくの気持ちを察したのか、窓の外を行く浴衣を着て楽しそうに笑いながら駅に向かって歩く人たちを眺めたままで、蓮成さんが言った。


「ナツキ、俺に聞きたいことがあるんじゃないのか」

「あります。山ほどあります。けど……今は秋常くんのことが優先です」


 ぼくの頭は頼兼さんでいっぱいだけど、今は行方知れずの秋常くんを探しているのだ。今、秋常くんのことでぼくがわかっているのは、彼が行方知れずであることだけ。

 今度こそ気持ちを切り替えて、ぼくはバスに揺られながら姿勢を正して隣に座る蓮成さんをしっかりと見た。


 すると、蓮成さんの力強く輝く目が、ぼくをまっすぐ見ていた。キリリとした眉、スッと通った鼻筋、それから長い睫毛。思わずドキッとしてしまうような男前な顔が、ぼくを感心したように見ていたのだ。

 ぼくは蓮成さんのまっすぐな視線を避けることなく受け止めて、こう提案した。


「秋常くんのこと、今わかっていることを整理しませんか」

「そうだな。まずは情報整理をしよう」


 蓮成さんは唇だけで弧を描くと、ひとつ大きく頷いた。それだけで認められたような、対等になれたような気がするから不思議だ。

 そういうわけで、ぼくは蓮成さんと今わかっている情報の共有をすることにした。


 まず、行方が知れないのは、秋常くんだ。頼兼さんは今朝九時前に自分で塾に電話連絡を入れているから、行方知れずとはちょっと違う。

 そして、行方知れずの秋常くんは早朝から行方不明。スマートフォンだけ持って出かけたらしい。

 シノ君が仕込んだ追跡システムの発信が途絶えたのは、四時二十八分で、途絶えた場所は名霧丘陵公園だ。追跡信号を発するアプリは、スマートフォンの電源が落ちない限り、常駐タスクとして実行されるらしい。信号が途絶えたということは、秋常くんのスマートフォンの電源が、丘陵公園内のどこかで切れてしまったということだ。


 だからぼくらは最初の手がかりとして丘陵公園に向かっている。もしかしたら、秋常くんの電源が切れたスマートフォンが落ちているかもしれないから。


「蓮成さん、秋常くんの所在を探していたんですよね。追跡信号が途切れた時間は朝の四時台なのに、どうして塾に来たんですか? それまで丘陵公園に探しに行ったりはしなかったんですか?」

「いい質問だ、ナツキ。その質問に答える前に、ひとつだけいいか。ナツキ、人間にはどうにもならないものがある。俺の場合はそれが早起きすることだ」

「つまり、昼近くに起きて秋常くんの行動を確認しようとしたら追跡信号が途絶えていた、ということですか」

「当たり。塾に行ったのは、もしかしたら秋常勇作が講義に出席してるか、保護者からなんらかの連絡が入っているかも知れない、と考えたからだ。……いいか、決して、寝起きで頭がぼんやりしてたから、とりあえず冬のいる塾に行ったわけじゃないんだ」


 口元をもぞもぞさせながら言い訳をする蓮成さんは、正直な話、可愛らしかった。それに、朝に強くない、という人間味のある弱点も意外で、ぼくはうっかり蓮成さんに癒されてしまった。ほっこりした気分で、気不味そうに刈り上げられた頭の後ろを掻く蓮成さんを見ていると、蓮成さんがひとつ咳払いをして話を切り替えてしまった。


「ナツキ、秋常勇作と頼兼春佳は友達だったのか?」

「秋常くんと頼兼さん……。いえ、それはないと思います。塾で顔を合わせるので顔と名前は知ってましたけど、直接話したのは昨日がはじめてです。まあ、頼兼さんは秋常くんと友達になった、と言っていましたが」

「昨日が? なんでまた、頼兼春佳は秋常勇作と話そうだなんて思ったんだ?」

「頼兼さんが付箋事件の真相を聞きたくて秋常くんと話したんです。その場にぼくはいなかったんですけど、頼兼さんと秋常くんはSNSのアカウントを交換したみたいで」


 そうしてぼくは、蓮成さんに昨日の出来事をできるだけ客観的になるよう簡潔に話して聞かせた。ぼくが一通り話終わっても蓮成さんの反応はない。だからぼくは不安になって頭を回す。ぐるぐると回して絞り出した質問を恐る恐る口に出した。


「……あの、蓮成さん。秋常くんって、常習犯だったんですか」



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