第7話 シノ君の七つの武勇伝③

「ちゃっかりしてるなあ、頼兼さんは。残念ながらぼくはその図書館がどこの図書館なのか知らない。アキ君は知ってる?」


 そして、ぼくが降参したのは、頼兼さんの主張だけじゃなかった。

 正直に認めよう。秋常くんはぼくよりもシノ君の情報に詳しいし、その内容も極めて詳細だ。これは決して、秋常くんに屈したわけじゃない。情報量の差という敵わない事実を前にもがいても、なんの意味はないからだ。変に抵抗してみせてもぼくが惨めになるだけだ。


 話を振られた秋常くんは、ひとつ小さく頷いた。その頷きには、肯定以外の意味は含まれていなかった。得意げになるだとか、ぼくを負かした優越感だとか、そんなものは微塵も含まれていなかったのだ。


「知ってますよ。ただ、この武勇伝は少し間違いがあって、一日一棚一ヶ月で全冊制覇ではなく、一週間一棚で一学期かかって制覇したそうです」

「全冊制覇はしてるんだ!? やっぱ凄いよ……シノ君、最高」

「また頼兼さんがトリップしてる。秋常くん、ちなみに図書館名までわかったりするの?」

「僕が聞いた話では、名霧市立図書館新保にいぼ分館らしいですよ」

「えっ、あの分館って、市内の図書館の中で蔵書数が一番多いとこだよね!? わたしの家の近くだ。凄い……シノ君、知的……格好いい……」


 きっと今、頼兼さんの頭の中には図書館の窓辺で本を読み耽る知的なシノ君像が浮かんでいることだろう。

 これだけの詳細なシノ君情報を、秋常くんはどうやって収集しているんだろう。ぼくは不思議に思って、けれどその疑問を顔には出さないように、残り少なくなった水出し珈琲のグラスを傾ける。


 シノ君の武勇伝にはいくつか特徴があるのだ。

 それは、具体的な数字や施設名、学校名が決して出てこないということ。それなのに秋常くんはどうやって調べたのか、知っていた。きっと並大抵の努力じゃないだろう。

 どんな情報網を持っているのか、調査手段はどうなっているのか、今度秋常くんに聞いてみよう。もしかしたら、その話を通してなら、秋常くんと仲良くなれるかもしれない。そんな希望と可能性が見えてきた。

 ぼくと秋常くんは、結局、シノ君の大ファンなのだ。同じものを好きな者同士、いがみ合うのは得策じゃない。


 よし、聞くぞ。と気合いを入れてたところまではよかった。ぼくは秋常くんに話しかけるタイミングを逃してしまったのだ。こうしてぼくは秋常くんとシノ君の話で通ずる機会を永遠に失ってしまったのである。

 けれど、仕方がなかった。いつの間にか現実世界に戻ってきていた頼兼さんが、ぼくより先にシノ君情報に詳しい秋常くんに話しかけてしまったから。


「そういえば、名霧市の高校の文化祭がさ、私立公立問わず地域交流会みたいに変わったのって、三年前からって聞いたけど、本当なの? わたしが高校に進学したときには、もう地域交流会……というか、文化交流祭になってたから本当だと思うんだけど」

「それは本当です、三年前からですよ」

「高一で地域を巻き込んだ文化祭を企画したってことか。頼兼さんじゃないけど、やっぱりシノ君は凄いな」

「ええ、さすがシノ君ですね」


 秋常くんが何度も何度も頷きながら、ぼくに同意した。ズレた眼鏡の蔓を片手で摘んで位置を直す口元が、心なしか綻んでいる。

 秋常くんは自分が褒められたかのように喜んでいた。そんなにシノ君が好きなんだろうか。いや、好きなんだろう。

 そんな風にぼくがジッと見つめていたのがいけなかったのか。ぼくの視線に気づいた秋常くんは、一つ咳払いをして話し出した。


「……つ、次は僕の番ですよね、話してもいいですか?」

「ふふ、アキ君。結構乗り気じゃん! いいよ、話して話して!」


 頼兼さんがはしゃいで急かすのは、秋常くんが持っている情報が細やかだと知ってしまったからだろう。悔しいけれど、認めたくないけれど、ぼくだって、もう、秋常くんが語るシノ君の話を聞きたがっているんだ。

 秋常くんは顔色を窺うように頼兼さんとぼくを見た。だからぼくが大きく一つ頷いてあげると、秋常くんは安堵したような息を吐いて話しはじめた。


「それでは……僕が知っているのは、次の三つですね。初めて参加したオンラインゲーム大会のチーム戦で見事なリーダーシップを発揮して優勝に導いたこと。盆踊り大会で飛び入り参加して和太鼓を叩き、さらには篠笛しのぶえも完璧に吹いてその場を多いに盛り上げたこと。そして——」


 秋常くんはそこで一旦言葉を区切って、勿体ぶるように沈黙を挟み、ぼくや頼兼さんに目配せをした。その粋な計らいを、ぼくと頼兼さんが逃すはずがなかった。


 シノ君の武勇伝は必ずこのフレーズで締める、と決まっている定型文があるのだ。その役目を、秋常くんはお人好しにもぼくや頼兼さんに譲るというのだ。ぼくはその栄誉を、言いたくて仕方がなくて、うずうずソワソワしている様子が丸わかりの頼兼さんに、小さく頷くことで譲ることにした。

 譲られた頼兼さんが、ふふふ、と嬉しそうに笑う。


「けれど決してリーダーにはならない、表にも出ない。……でしょ! やっぱりシノ君の武勇伝の締めはこれだよね!」

「ですよね。派手なことをしているのにも関わらず、本名も人相も誰も知らない。愛称だけが一人歩きして顔を知られていない有名人……凄いと思います」


 秋常くんも何度も頷きながらシノ君の凄さをしみじみ感じているようだった。頼兼さんの興奮も、秋常くんの思いにも、ぼくは共感できる。いつだってシノ君は凄い。誰だってシノ君の武勇伝を語りたいし、自分が最後の締めを言いたいものだ。


 けれど、である。

 秋常くんが教えてくれた二つの武勇伝が問題だった。ぼくは秋常くんに、すかさず待ったをかけた。


「ちょっと待って、待って秋常くん。ぼく、秋常くんが教えてくれたオンラインゲーム大会の話と、盆踊り大会の話、知らないんだけど!?」

「えっ、珍しいねヒナ君。この二つはわたしも知ってたよ」

「頼兼さんも知ってたの!? ……そっか、頼兼さんは知ってて、ぼくは知らなかったのか……」


 なんということだ。知らなかったのはぼくだけらしい。

 頼兼さんも知っているだなんて、もしかしてメジャーな武勇伝だったのだろうか。明日の花火大会に頼兼さんを誘えるかどうかということが気掛かりすぎて、最近、まともに情報のアップデートができていなかったな、とぼくは反省した。

 それに、である。

 シノ君の武勇伝は七つのはずだ。その時々で入れ替わりがあるものの、七つのうち、必ず決まっているのは最後の一つだけ。


 ひとり三つずつ上げたわけだから、今上がっている武勇伝は九つだ。秋常くんが書き起こしてけれているノートにも、箇条書きが等間隔に九つ並んでいる。間違えようがない。

 これでは七武勇伝ではなくなってしまう。武勇伝選定委員会はなにをしているんだ。まあ、そんなものは存在しないのだけれど。それとも、この九つの中から七つを選び直せばいいんだろうか。

 きっと、選び直してぼくの頭をアップデートするのが正しい在り方なんだろう。けれどぼくの心は、そうすることをどうしようもなく拒んだ。


 ぼくが今の七つの武勇伝に愛着があるから、という理由だけじゃない。だってぼくは、秋常くんが教えてくれた二つを知らなかったのだ! 今日まで全然まったくこれっぽっちも知らなかったのだ! 秋常くんはともかく、頼兼さんは知っていたのに!

 その衝撃たるや否や。ぼくは少しの間、放心して、テーブルの木目をひたすら眺めるマシーンになってしまった。


「ちょっとヒナ君、なんで落ち込んでるの!? あのねえ、ヒナ君ほどのシノ君エキスパートじゃないけど、わたしだって情報処理部なんです! 独自の情報網があるし、わたしなりにシノ君の研究をして追っかけてるんです!」


 ショックを受けたぼくを励ますつもりか、それとも発破をかけたかったのか。頼兼さんが眉を寄せて、わけがわからない、といった表情を浮かべて困惑しながらも主張だけはしっかりとする必死さが心に響いて、ぼくの頭と心は渋々再起動した。小さな笑いは、時々心を救うのだ。

 懸命に自己主張する頼兼さんは、いい。とても、いい。けれど、その主張内容には疑問が残る。ぼくは再起動したての頭を回して、疑問を口にした。


「まさか頼兼さん、情報処理部を私物化してるんじゃ……」

「清良女学院の情報処理部って、わたしと二人の先輩たちしかいないんだよね。先輩たちも部活中にSNS見たり、推しの生配信とか見てる。この前なんか、なんに使うのかわからないけど、護身用にモデルガンとかスタンガンみたいなのを備品として購入してたし……サバイバルゲームにハマったとか言ってたけど、とにかく、私物化してるのは先輩の方だよ! わたしのは可愛い方! でもそれを抜きにしても、夏はいいよー。今週わたしが部室の鍵当番だから、朝から冷房の効いた部室でネット使いたい放題!」

「部活を私物化してる頼兼さんに、情報量で負けた……」


 別にぼくは頼兼さんと勝負をしているわけじゃないのに、再びどうしようもない敗北感を感じてうなだれた。木目が描く曲線や円形が綺麗だな、だなんて思って現実逃避を加速させる。

 情報量の差で秋常くんに負けたことよりも、頼兼さんに負けたことの方がショックが強かったのかもしれない。部活の話をする頼兼さんは、どこか誇らしげだったのも、ぼくの自尊心を刺激した。


 結局ぼくは無礼にも、頼兼さんを侮っていたんだ。なんて失礼な話だろう。ぼくはぼくの浅ましさに気づいて、胸が締め付けられるような思いだった。

 そんなぼくに、キョトンとした顔で秋常くんが話しかけた。


「日向くん、どうしてそんなショックを受けているのかわからないんですが……、……あ、シノ君の武勇伝が七つではなく九つになってしまうことに衝撃を受けているんですか? まさか、知らない武勇伝があったからですか?」

「そのまさかだよ。ぼくも信じられないくらいショックを受けてる」


 ぼくは、ぼくが本当はどんなことにショックを受けたのかはぼかして、神妙な面持ちでそう告げた。あんなこと、人前で言えるような図太い神経は持ち合わせていない。


「どうして? シノ君の武勇伝が九つもあるんだよ。少ないよりは多い方がいいんじゃない?」


 ぼくのショックの元凶でもある頼兼さんは無邪気に笑っていた。その眩しすぎる無邪気さが、少しも棘になって刺さらないどころか癒されてしまったぼくは、相当な頼兼さん全肯定派なんだろう。

 ぼくは頼兼さんに勝てない事実を認めたくないのと、ぼく自身のこだわりから、首を左右へゆっくり振った。


「そういうことじゃない、そういうことじゃないんだよ頼兼さん。……九つの武勇伝よりも、七つの武勇伝の方が七不思議感がして収まりがいいでしょ」

「ヒナ君、面白いこだわり方するね」


 楽しそうに声を上げて笑う頼兼さんは、店内の雰囲気のあるオレンジ色の照明光を浴びて輝いて見えた。もしかしたらぼくは、どんな意味であっても頼兼さんには勝てないのかもしれない。そんな予感に背筋が震えた。

 そうして頼兼さんは、ぼくなおかしくしてしまった空気を、パチンと両手を打ち合わせて切り替えた。


「意味不明なところで落ち込んでるヒナ君は置いといて、シノ君複数人説……ニセモノが流した武勇伝の検証をしよう!」



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