第6話 シノ君の七つの武勇伝②

「今日の議題は、シノ君複数人説の検証です!」

「待って頼兼さん、いつから議題式になったの」

「今日からだよ。ふたりで話すなら議題はいらないけど、三人以上なら必要でしょ?」

「……独特な価値観をしてるんですね、頼兼さんは」


 戸惑う秋常くんの気持ちは、とてもよくわかる。頼兼さんと話すようになってから三ヶ月以上経つけれど、いまだにぼくは慣れないのだから。冷静を装って適応している振りをするのは、とても上手くなったのだけれど。

 けれどぼくが共感を寄せた秋常くんは、運ばれてきた水をひと口飲んで短く息を吐き出すと、すぐに議長頼兼さんに順応して見せた。なんということだ、気持ちの切り替えが早すぎる。


「シノ君が複数人いるんじゃないか、と頼兼さんが疑う根拠はあるんですか?」

「なかったら話してないよ」


 頼兼さんはサラリと言った。


「わたし、気づいちゃったんだ。シノ君の武勇伝って偏りがあるよね、って」


 そういえば秋常くんの件ですっかり動揺して忘れてしまっていたけれど、元の話は頼兼さんが提唱したシノ君複数人説がはじまりだった。


「ああ……そんなこと言ってたね、武勇伝の内容にバラツキがあるって話? 確かに、具体的な内容があるエピソードと、フワッとした内容のエピソードが混じってるけど……そこがシノ君らしさなんじゃないの」

「でた、ヒナ君の全肯定! そうだとしても、検証してみることは有意義なことでしょ? 勉強の息抜きにもなるんだし!」

「日向くん、頼兼さんって、結構強引なんですね」

「そうだよ、そこがいいんだ」

「……日向くんって、シノ君以外にも全肯定なんですか?」


 秋常くんが物言いたげな目でぼくを見た。さきほどの気持ちの切り替えの速さといい、いま向けられている粘りつくような視線といい、せっかく頼兼さんが仲間に引き入れようとしてくれているけれど、秋常くんとは仲良くなれる気がしない。特に、眼鏡のレンズについた指紋をそのままにして平気な人間とは、相容れない。


 ぼくは別に、分別なく全肯定しているわけじゃない。全肯定しがちなのは気にかけているひとだけで、それがシノ君だったり頼兼さんだったりするだけだ。

 そんな言い訳をして秋常くんの誤解を解こうという努力を、ぼくは放棄した。仲良くなれそうにないという直感は、ぼくの経験上だいたい合っているものだから。


 だから言い訳をするよりも、ぼくは話の矛先を頼兼さんに戻すべく、美味しそうにニコニコしながら水出し珈琲をストローで吸い上げている頼兼さんに話を振った。


「頼兼さん、シノ君の武勇伝を検証することって、頼兼さんがシノ君みたいになりたいことと関係してるの?」

「そう、そうなのです! やっぱりヒナ君はわかってくれるんだ! シノ君らしさを追求するためにも、ヒナ君とアキ君はわたしに協力してください!」


 そういいながら頭を下げた頼兼さんは、最高に可愛らしかった。




「これから、第一回シノ君を語る会をはじめます」


 秋常くんが注文した熱めの珈琲が届くのを待ってから、ぼくは第一回シノ君の武勇伝について語る会の進行役を請け負った。

 ぼくには、ひとをまとめる才能はない。誰かの上に立ってリーダーシップを発揮するとか、率先してなにかを解決するだとか。そういうまとめ役には向いていないのだ。それでも今、こうして司会進行役をしているのは、頼兼さんに任せていたら脱線するか、突拍子もない話に飛んでいきそうだったから、渋々だ。


 天板の側面に細やかな彫刻が施されたアンティーク調のテーブルの上には、グラスがふたつとカップ&ソーサーがひと組。外は容赦なくなく陽が照っていて暑かっただろうに、ホットコーヒーを頼むなんて、やはり秋常くんとは相容れないのか。そんなことを考えながら、ぼくは議長然として木製のテーブルに肘をついて両手を組み合わせた。


「じゃあ、みんなが知ってるシノ君の武勇伝から出そうか。とりあえず、三つくらいを目安にして」

「そうだね、そうしよう。じゃあ、まずわたしからね」


 頼兼さんが、嬉々として挙手して言った。

 受け入れられるか心配で、ぼくなんかが仕切ってしまっていいのか不安で、内心ドキドキで出した提案だったから、ぼくの提案に率先して乗ってくれた上に賛同してくれてホッとした。ぼくは議長役をまっとうするべく「では、頼兼さん。お願いします」だなんて仰々しく言って、話を促した。

 すると頼兼さんも大業に頷くと、ぼくや秋常くんによく見えるように指を一本立てて見せた。


「ひとつめ、屋上に野外映画館を設置して、仲間と一緒に映画鑑賞したこと。ふたつめ、老人ホームを訪れて、お菓子を山ほど強奪してること。みっつめ、空を飛んだり、高所から飛び降りでも怪我をしたことがないこと」


 頼兼さんは神妙な面持ちでカウントする毎に立てた指を一本ずつ増やしていき、三本立てたところでニコリと笑った。


「多分、ヒナ君もアキ君も知ってる話だと思う」

「そうですね、その三つは僕も知っています。補足すると、高所から飛び降りた話には前段があって、民家の屋根に登って降りられなくなった子猫を助けるためだったそうですよ」

「ああ、それぼくも聞いたことがある。助けた猫を抱き抱えたまま飛び降りたけど無傷だったって」

「えっ、そうなの!? 凄い……シノ君、子猫を助けるために高い所に登ったんだ。……格好いいね。わたしも身体を鍛えるべきかな」


 秋常くんが付け足したシノ君の情報を聞いた頼兼さんが、熱に浮かされたような目で虚空を見つめていた。心なしか頬も赤い。飲みかけのグラスを持て余して、小さくなった氷が浮かぶ水出し珈琲をストローでくるくるカラカラ掻き混ぜている。


 けれど、頼兼さんは頼兼さんだった。

 まったくブレずに身体を鍛えてよりシノ君に近づこうと考えているようだ。シノ君にはシノ君の。頼兼さんには頼兼さんのいいところがあって、それぞれにしか出せない味や面白みがあるというのに、どうしてそんなにシノ君に成りたがるんだろう。

 ぼくはそれが面白くなくて、頼兼さんの思考をぼくの方へと向けるためにシノ君情報を追加した。


「そうだ、頼兼さん。老人ホームでお菓子をもらってる話だけど。あれはおじいちゃんおばあちゃんから強奪してるわけじゃないんだよ」

「確か、ボランティアで毎週通ってて、お礼にもらってるって話だったと思います。シノ君の近所の住んでる仲のよかったおばあちゃんが老人ホームに入所したから、それでボランティアで通うようになったのだそうです」

「それと、屋上映画館の話は、近所のチビ達の夏休みの課題のために天体観測を企画したけど、生憎の空模様だったから即席映画館を設置したっていう話があるよ」


 ぼくに負けず劣らず秋常くんも、次から次へとシノ君情報を追加してくれた。自己申告でシノ君の研究をしていると堂々と言い放っただけのことはある。ぼくの狙い通り、頼兼さんは飛ばしていた思考を手放して、ぼくと秋常くんの話をキラキラした目で熱心に聞いてくれた。

 けれど、である。


「凄い……やっぱりシノ君って、凄いよね。めちゃくちゃ格好いい……」


 結局、最終的に頼兼さんはそこに戻ってしまうのだ。もしかして頼兼さんは、シノ君のファンを通り越して、恐れ多くも恋をしているんじゃなかろうか。凄いだとか、格好いいだとか。頼兼さんは比較的気軽に言いがちだけれど、シノ君を評していう時だけは、言葉の重みが違う気がする。


 惚けてしまった頼兼さんを見つめるぼくは、正直、あまりいい気はしなかった。頼兼さんがシノ君に想いを寄せることは、ぼくの前でも度々あったのに。ぼくはモヤモヤした胸の内をどうにかスッキリさせたくて、けれども上手くはいかなかった。なぜなら、ぼくの隣に座る秋常くんが一冊のノートを取り出したから。


「……あの、とりあえずノートに書きますね。補足分も含めて整理したほうがいいと思うんで」


 秋常くんは遠慮がちにそう言うと、取り出したノートを開いてめちゃくちゃ綺麗な字で、頼兼さんが上げたシノ君の武勇伝を箇条書きで書いてゆく。頼兼さんが上げた内容はメイン情報として書き記し、ぼくや秋常くんが後から付け足した追加情報は吹き出しの中に付け足されてゆく。


 それのなんと読みやすいことか。惚けていた頼兼さんも思わず身を乗り出してノートを覗き込んでいるではないか。

 丁寧に綴られてゆくシノ君の武勇伝を眺めながら、ぼくは少しだけムカついた。それでもぼくはそのムカつきを表に出すようなみっともない真似はしなかった。これでも一応、頼兼さんの前では『クールなヒナ君』で通っているのだから。


「ありがとう、アキ君。とても見やすくて、いいね」


 ぼくは友好的な態度で秋常くんに礼を言う。それはあくまでもぼく個人の言葉ではなく、第一回シノ君を語る会の議長としての言葉であった。


「じゃあ次はぼく。ぼくが知っているのは、学校の地下に遺跡があるなどと言って、校舎裏を発掘したこと。文化祭を他校や地域を巻き込んだ地域交流会に変えてしまったこと。図書館の本棚を一日一棚一ヶ月で全ての本を制覇したこと。この三つかな」


 もちろん、この三つ以外にも知ってはいるのだけれど、今は最大三つまで発言が許可されている場だからルールを守って三つだけ。

 文化祭の件は、本当に凄い。ぼくが去年高校へ進学したときにはすでに、文化祭は地域交流会となっていた。今では文化祭ではなく文化交流祭と呼び名が変わっているのだけれど、結局略して文化祭と呼んでいる。


 ぼくとしては文化祭の話を推していきたかったのだけれど、頼兼さんは別の武勇伝に食いついた。またもやつぶらな瞳をキラキラ輝かせている。先ほどと違うところは、その視線の先にいるのがぼくである、ということだけだろう。


「えっ、シノ君って図書館の本を制覇してるの!? 嘘、どこの図書館!?」

「頼兼さん、その図書館に行って本借りるつもり?」


 ぼくの対頼兼さん防衛機能は、上手く機能してくれたようだった。変に尖ることもない代わりにいつも通りの冷たさで頼兼さんに突っ込みを入れたのだ。頼兼さんはまったく気にせず、両手を胸の前で合わせて楽しそうに語り出す。


「もちろん、そのつもり! だって、全部制覇したなら、どの本を手に取ってもシノ君が一度触れた本ってことじゃない! わたしはそういうものからシノ君を感じ取りたいの。だからわたし、シノ君が発掘したっている遺物が展示されてる下々条しもげじょう町にある郷土資料館にだって通ってるんだから」

「……頼兼さんは、シノ君をアイドル視してるんですかね」


 適応能力が高い秋常くんも疑問を呈するほどには、頼兼さんの発言は危ういものが確かにあった。頼兼さんはシノ君のファンだ。それも大ファンだと言う。けれどその在り方は、ぼくとかなりかけ離れていた。きっと、秋常くんとも相違があったのだろう。

 ぼくでも聞くのを憚られた指摘をサラッと聞いてしまった秋常くんは、もしかしたら凄いひとなのかもしれない。だからといって、急に尊敬し出すわけじゃないけれど。


 一方で、秋常くんに疑問を投げかけられた頼兼さんは、一瞬、キョトンとしていたけれど、すぐに笑顔になって胸を張って言い切った。


「アイドル視かどうかはわからないけど、シノ君はわたしの推しだよ!」


 推し。どうやら頼兼さんはシノ君を推しているらしい。推しというのは俗語で、人に薦めたいと思うほど強く好感を持っている人物のことを指す。

 結局それは、シノ君をアイドル視しているのと変わらないんじゃないのかな、と困惑したぼくは、うっかり素直な言葉を吐いていた。


「会ったこともないし、顔もわからないし、実在するかもわからないのに?」

「なによー、愚問でしょ。みんな程度はあれどシノ君が推しでしょ。ファンってことは、シノ君の存在に尊さと奇跡を感じてるんでしょ。日常の中の非日常。退屈を輝かせてくれる大切な存在。生きてるってことに感謝したくなるような、そういう人として大事な感覚を思い出させてくれるひと。それが推しってものでしょ? 部活の先輩たちだって、そう言ってたし」


 頼兼さんが苛烈に鼻息荒く言い切った。その勢いと推しの強さに秋常くんは押され気味だ。ぼくだって頼兼さんの言葉に説得されそうになっている。

 ぼくはこれまで、シノ君の存在が血の通ったものだと感じた気がしなかった。物語の登場人物だとか、遠いところの人だとか。そんな感覚でシノ君の話をしていたのかもしれない。


 けれど昨日。そう、昨日だ。

 シノ君かもしれないひとと言葉を交わしたことで、シノ君の解像度が上がったのは確かだ。シノ君はぼくと同じ血が通っていて、感情があって、都合があって、悩みもある人間だった。


 そんなぼくと同じ人間が、七つも——あるいは、それ以上の武勇伝を持つなんて、凄いことだ。尊敬にあたいするし、奇跡だとも思う。

 ぼくはシノ君かもしれないひとと話したことで、人として大事な感覚を確かに思い出した。それは、シノ君を生身の人間として尊重することだ。


「頼兼さんの言葉を否定するすべを我々は持ち得ませんね、日向くん」

「確かにそうかも。ごめんね、頼兼さん。ちょっと言葉が過ぎたよ」


 ぼくと秋常くんは、頼兼さんの主張に同意するしかなかった。秋常くんにも降参するようななにかがあったのかもしれない。白旗を上げたぼくらに、頼兼さんはにっこりと笑った。


「わかってくれたならいいの。ついでに、シノ君が全冊制覇したっていう図書館を教えてくれれば、それだけでいいから」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る