第6話 ザリガニ
私は手を洗っていた。水は灰色に濁って、排水溝にはなかなか流れずに溜まっている。
ふと後ろを振り返ると小便器が並んでいるのが目に入り、さっき私が使った小便器だけは白く鈍くつやつやとしている。他の小便器は黄色い。
「使用中」の札が一番端の小便器に掛かっている。
その札を見ると、誰も居ないが確かに誰かが使っているのだろうなという気がする。
タイルの壁にはザリガニの絵が描かれている。この絵を描いた人が誰か知っている。
私は蛇口を捻り水を止めた。
誰かが私のことを待っている気がした。
とても迷惑そうだ。私もその人を待ったことがある気がする。
私は迷惑だと思っていなかった。
水は流れずに溜まったままだ。
ザリガニが川に帰ろうとして排水管に詰まってしまったに違いない。昔、カエルが排水口に吸い込まれていくのを見た。
白いハンカチで手を拭った。灰色の染みが広がった。
ずっと誰かのことを考えている。
どこかに行かなければならないことも覚えている。 どこか、水の流れている場所に。
忘れないでほしいのに、私だけが忘れてしまった。
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